聖剣使いを拾いましたけど、蛮族な狂犬でしたが私は元気です 作:プーリとベルト
王墓の奥深く、青金色の光が満ちる魔術工房では、エリリーとエルドラゴンが中央の球体を前に、夢中になって解析を続けていた。以前訪れた巨人都市で得た知識のおかげで、二人は古代文字をある程度読み解けるようになっていたが、それでも解読できない箇所は少なくない。彼女たちはカーリーにも協力を仰ぎながら、光の書簡や石板に記された術式を一つずつ読み進めていた。
古代文字が記された光の書簡は、彼女たちの周囲をゆっくりと巡り、石板に刻まれた術式も呼応するように輝きを変えていく。その一つひとつが、現代の魔術体系では失われた技術の断片であり、研究者である二人にとって、目の前に広がる光景はまさに宝の山だった。
「……やはり、そうです。転移魔術を成立させる術式は、単独で構築されているわけではありません。空間座標を固定する術式と、魔力の流れを制御する術式、それに転移先との接続を維持するための補助回路が、それぞれ緻密に組み合わされています。魔力が生じてから術式が発動するまでの流れも、段階ごとに設計されているようですね。しかも、この規模の術式を長期間にわたって維持しているなんて……!」
エリリーは手帳に素早く書き込みながら、ときおりペンを止めて球体を見上げた。記録を読むだけでも十分に驚くべき技術だったが、それ以上に彼女を惹きつけていたのは、複雑な術式がどのようにして一つの機構として成立しているのかという、その設計思想だった。
「エリリー君、興奮するのは構わないが、記録を書き写すことと、その構造を理解することは別だ。今は全体像を把握することを優先して、細部の解析は持ち帰ってからにしよう」
エルドラゴンが穏やかな声で釘を刺すと、エリリーは手帳を抱えたまま顔を上げた。
「分かっています、エルドラゴン先生。ただ、これだけの技術を前にして、何もかも後回しにするのは研究者として難しいというか……。それに、現代の転移魔術がなぜ廃れたのか、その明確な理由につながる記述も見つかりそうなんです。安全性の問題なのか、魔力効率の問題なのか、それとも転移先の固定そのものに重大な制約があるのか。そこを確かめるだけでも、大きな価値があります!」
「だからこそ、今は持ち帰るべき情報を見極めるんだ。すべてを理解しようとして時間を費やせば、魔王軍が何を得たのかを把握する前に日が暮れてしまう。ここにある知識は逃げないが、我々を待っている者たちはそうではないからね」
「……ううっ、そうですね。魔王軍が転移魔術を実用化した場合の危険性を考えれば、帝国側も早急に対策を立てなければなりません。はい、分かっています……」
エリリーは悔しそうに唇を尖らせたものの、しぶしぶ頷き、記録の分類へと意識を戻した。
その様子を眺めていたカーリーは、聖剣の柄に手を添えながら、中央の球体と周囲を巡る光の書簡を交互に見やった。彼女にとって、魔術の細かな理屈はエリリーほど心を躍らせるものではない。それでも、これほどの知識が一つの場所に集められ、長い年月を経てもなお失われずに残されているという事実には、素直に感心していた。
「知識というのも、なかなか大したものだな。剣の腕ならば、鍛えれば強くなるが、死ねばそこで終わりだ。だが、こうして何千年も前の者が積み重ねたものを、今のウチらが受け取れるというのは……なんとも不思議な話だ」
『大王は、知識が失われることを惜しまれた』
ヘキサムが静かに応じた。浮遊する布地の表面に刻まれた古代文字が、青銀の光を帯びて淡く明滅する。
『力ある者は、時代とともに衰えよう。国もまた、いずれは滅びる。されど、残された知識が誰かの手に渡り、新たな知恵を生むのであれば、積み重ねたものは完全には失われぬ。大王は、それを望まれたのだ』
「なるほどな! つまり、ウチらがここで得た知識を役立てれば、アテル・メネス王の望みも、まだ続いていくということか!」
『……そのように考えることもできよう。灰のように滅びた後にも、叡智は積もり、大地となるのだ』
ヘキサムの返答には、どこか感慨深い響きがあった。
かつて王に仕え、王墓を守る役目を与えられた存在にとって、訪問者が遺された知識をただの宝物としてではなく、未来へつなぐものとして捉えたことは、決して小さな意味を持たなかったのだろう。
「ふむ。ならば、なおさら魔王軍に独占させるわけにはいかんな。知識というものは、使う者によって人を救うことも、滅ぼすこともある。セグナという者が何を企んでいたのかは知らんが、少なくとも、あの連中に好き勝手させてよい理由にはならん!」
カーリーが力強く言い切ると、エルドラゴンも同意するように頷いた。
「その通りだ。魔術そのものに善悪があるわけではない。だが、転移魔術のように戦略を根底から変え得る技術を、魔王軍がどのように運用するつもりなのかは見極めなければならない。遠隔地への兵力の投入や、要塞を迂回した侵攻、あるいは重要人物の拉致や暗殺にまで利用できる可能性があるからね」
「それに、転移魔術は応用次第で、単なる移動手段では済まなくなります。魔王軍の作戦行動そのものが変わる可能性もあるんです」
エリリーは先ほどまでの浮き立つような表情を引き締め、球体の周囲に浮かぶ記録へと目を戻した。その指先が、ある一枚の光の書簡の前で止まる。
「……見つけました。転移先の座標を固定する術式についての記述です。こちらには、接続を維持するための魔力経路に関する記録もありますね」
「それは、セグナが持ち帰った可能性のある情報かい?」
「断定はできませんが、彼女が転移を成立させた際に利用した構造と、かなり近いものだと思います。少なくとも、彼女が何らかの方法でこの仕組みを理解していたのなら、魔王軍が転移魔術を再現するための重要な手掛かりになるはずです」
エリリーは記述を手帳に写し取りながら、周囲の光の動きを慎重に観察した。記録の一部には術式が途中で途切れた箇所があり、規則的な光の流れから外れて明滅する部分も見られる。セグナが王墓の魔力網を強引に利用した影響は、まだ工房の内部に残されているようだった。
『その記録には、あまり触れるなと言ってくれまいか?』
不意にヘキサムが声を発した。カーリーはその言葉を聞き取り、すぐにエリリーへ伝える。彼女は手を止め、光の書簡を注意深く見つめた。
「何か問題があるのですか?」
「ええとな。『外部から持ち込まれた魔力の歪みが、周囲の術式と噛み合っておらぬのだ。今はまだ安定しておらんので、無理に干渉すれば、どのような反応が起きるか分からぬ』だそうだぞ」
「なるほど……。つまり、王墓の機能によって修復されれば、触れても問題なくなる可能性があるということですね」
エリリーはすぐさま手帳に注意事項を書き加え、問題のある記録には印をつけた。好奇心を抑えるのは惜しかったが、ここで無用な事故を起こせば、貴重な知識を失うことになりかねない。
カーリーはそんな彼女の様子を見て、満足そうに頷いた。
「よし。では、危ないものには手を出さず、必要なものを持ち帰る。それならば問題あるまい。エリリー殿、まだまだ調べたいことはあるだろうが、今は我慢だぞ!」
「……カーリーに言われると、なぜか素直に頷きたくないのですが」
「なぜだ!?」
「自分の行動を振り返ってから言ってください!」
「ははは! すまん! いつも迷惑をかけているな。エリリー殿や周りには助けられてばかりだ」
「っ、そういう風に言われると言い返しづらいじゃないですか……」
二人のやり取りに、エルドラゴンは小さく苦笑した。緊張感を失ってよい場所ではないが、互いに言葉を交わせる余裕があること自体は悪くない。少なくとも、今すぐ敵が襲来する気配はなく、ヘキサムも王墓の状態を把握している。焦って動くより、確実に情報を持ち帰ることが先決だった。
やがてエリリーは記録の中から優先度の高いものを選び出し、転移魔術の基本構造、座標固定の理論、魔力循環の制御、そして強制的な接続によって生じる歪みへの対処法をまとめていった。完全な解明にはほど遠い。それでも、魔王軍が何を狙い、どこまでの技術を手に入れた可能性があるのかを判断するための材料は、少しずつ揃いつつあった。
「……ひとまず、これだけあれば十分でしょう。少なくとも、セグナが持ち帰った情報の危険性を評価するための基礎資料にはなります」
「よし。それでは、必要な記録を確保したら、メリー君たちと合流しよう。ここで得た知識は重要だが、魔王軍が次に何をするのかを考えれば、我々にも時間の余裕はない」
エルドラゴンの言葉に、エリリーは名残惜しそうに中央の球体を振り返った。青金色の光は変わらず静かに回転し、無数の記録をその周囲に浮かべている。まだ読み解かれていない知識が、そこには数え切れないほど残されているのだろう。
「……いつか、必ず戻ってきます。今度は、もっと時間をかけて、この王墓に残された知識を調べさせてください」
『大王の叡智は、此処にある。再び訪れるというのならば、我は歓迎しよう』
カーリーから伝えられたヘキサムの言葉を聞き、エリリーはようやく笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、ヘキサムさん。それでは、今回はここまでにしましょう」
カーリーが聖剣の柄に手を置き、来た道へと向き直る。エルドラゴンも周囲の術式に最後の確認を行い、ヘキサムは一行を出口へ導くため、ゆっくりと浮遊を始めた。
王墓に残された叡智のすべてを知るには、あまりにも時間が足りない。
それでも、彼女たちは必要なものを持ち帰ることができた。
そして、その知識を奪い去ったセグナもまた、遠く離れた魔王軍領で次なる行動へ移ろうとしている。両者が手にした知識は同じ源に由来しながら、それぞれ異なる目的へと向かっていた。それがやがてどのような結果をもたらすのかは、帝国と魔王軍、そして両者の狭間を生きる者たちの選択に委ねられている。
帰路についた一行の中で、カーリーは腰に携えた模造神剣カルフォースへと視線を落としていた。
赤銀の刀身を包む鞘は、今は静かに沈黙している。けれど、その内側に宿る聖火の気配を、彼女は誰よりもよく知っていた。これまで幾度となく窮地を切り抜け、強大な敵を前にしても彼女を支えてきた力であり、彼女の人生を大きく変えた一振りでもある。
カーリーは顔を上げ、前を歩くエリリーへと目を向けた。
エリリーは、賢者の石を求めて帝国を離れた錬金術師だ。己の研究を成し遂げるためならば危険な場所にも飛び込んでいくが、その道のりは決して容易ではない。彼女が求めるものは、今もなお手の届かない場所にある。
そして、ユーグリの身体に刻まれた欠損も、何一つ解決してはいなかった。エリリーの処置によって残された時間は延びたものの、それはあくまで猶予にすぎない。いつか必ず訪れるかもしれない別れを、彼女たちは先送りにしただけなのだ。
さらに、王墓で対峙した魔王軍幹部たちも、結局は取り逃がしてしまった。バルダンスプがガルサ・ワシュとその騎兵たちを引き受ける間に、セグナは古代の転移魔術に関する知識を持ち去った。彼女たちがその全容を確かめたわけではないが、敵が再び現れる可能性は高く、次に相まみえるときには、今回以上の脅威となっているかもしれない。
何より、次があるという保証など、どこにもなかった。
戦いの中では、ほんのわずかな判断の遅れが命取りになる。剣を振るう腕が届かなかっただけで、魔術を放つのが一瞬遅れただけで、守りたかったものは簡単に失われてしまう。
死は、いつだって隣にある。
カーリーはそれを知っていた。騎士として戦場に立っていた頃から、そして己の志を貫くために剣を抜き、かつての居場所を捨てたあの日から、ずっとそうだった。
だからこそ、ただ次の戦いに備えるだけでは足りない。エリリーが賢者の石を手にするために。ユーグリが少しでも長く、自分の足で歩いていけるように。そして、再び魔王軍と刃を交えることになったとき、今度こそ敵を取り逃がさず、大切なものを守り抜くために。
今の自分にできることは何か。
その答えを探すように、カーリーは再びカルフォースへ目を落とした。
初めて聖火の城を顕現させたとき、彼女が目にした一筋の焔。あの力の正体を突き止めることができれば、今の自分には届かない何かにも手が届くようになるかもしれない。氷柩龍プルイーナとの戦い、そしてヘキサムの発言。どちらも、その真偽を確かめたわけではない。それでも、古くから生きる者の言葉が、聖剣に眠る可能性を示していたのだとすれば、見過ごす理由はなかった。
幸い、今は戦争の最中ではない。仲間たちとともに歩き、帰る場所もある。ならば、時間があるうちに試してみるべきだろう。たとえ、そのために多少の無茶をすることになろうとも。
「……少し、帰ったら無茶をするか」
ぽつりと零れた呟きは、前を歩く仲間たちの耳には届かなかった。
カーリーは何事もなかったかのように顔を上げ、いつもの快活な足取りで一行の後を追った。腰に携えた聖剣は、相変わらず静かに沈黙している。