『封じて、灯せ。』   作:ambroid0000

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第7話

第七話 救護道院(きゅうごどういん)()

 

 

「来週、四番隊救護道院の見学だ」

 

朝の伝達で教官がそう告げた瞬間、教場のあちこちがざわめいた。

 

「四番隊って、あの治癒の」

「一度見てみたいよな」

「俺、戦闘部隊志望だからな。あんま興味ねぇや」

 

僕は机の下で、ぐっと拳を握った。

 

———四番隊。

 

僕が目指している場所。その本拠地に、いよいよ足を踏み入れる。

 

卯ノ花烈隊長の、お膝元に。

 

(落ち着け、僕)

 

これは危機だ。

同時に、好機でもある。

 

伝達はとうに次の連絡へ移っていたけれど、その先はひとことも頭に入らなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

その夜、僕は内界の海辺で琥珀姫に相談した。

 

「琥珀姫。困ったことが、また、あって」

 

「あら、また、ですか」

 

琥珀姫は穏やかに微笑んだ。

 

「主様、最近頻繁にお越しくださいますわね。困ったことが多くて、わたくしは嬉しゅうございますわ」

 

「……嬉しいんですか」

 

「ええ」

 

それきり、彼女は続けなかった。

 

微笑んだまま、僕を見ている。波がひとつ寄せて引くあいだ、その目は逸れず、まばたきもしなかった。

 

(……僕が困ると、嬉しい?)

 

変わった言い方をする人だ。まあ、頼られるのが嬉しいというのは、そういうものなのかもしれない。

 

「え、と。それで、本題なんですけど」

 

僕が切り出すと、足元の灯篭がひとつ、柔らかく揺れた。

 

「来週、四番隊の見学があるんです」

 

「まあ。卯ノ花烈隊長の、お膝元へいらっしゃるのですわね」

 

「はい」

 

僕は頷いた。

 

「あの人は前世の記憶の中でも、とりわけ油断ならない人なんです。穏やかな顔で笑いながら、こちらの隠したいものまで見抜きかねない」

 

僕は息を整えた。

 

「だから霊圧は絶対に知られちゃいけなくて、気配も消したいんです。でも———」

 

「同時に、僕は四番隊に入りたい。卯ノ花隊長に『この子は適性がある』と思われたいんです」

 

「……つまり」

 

琥珀姫はゆっくり首を傾けた。

 

「霊圧の本性は隠したまま、回道の腕前だけをお見せになりたい、と」

 

「はい」

 

「随分と欲張りなご希望ですわね、主様」

 

琥珀姫はくすりと笑った。

 

「ですが、ご無理ではありませんわ。回道は霊圧の『量』ではなく、『繊細な制御』が問われる術ですもの」

 

「絞りは保ったまま、必要な分だけを丁寧に引き出すこと。それで十分にお見せできましてよ」

 

「……できますか、本当に」

 

「これまで主様が積み上げてきた修練の、まさに見せどころにございます」

 

琥珀姫は僕の手を、両手でそっと包んだ。

 

温かく、揺るぎない手だった。

 

「わたくしも、最大限お支えいたしますわ」

 

「……はい。お願いします」

 

◆ ◆ ◆

 

見学の日が来た。

 

四番隊救護道院は、瀞霊廷の中央近くに建つ、白く静まり返った大きな施設だった。

温かい色の灯篭が等間隔に並び、磨き抜かれた壁が午前の光を柔らかく返している。

 

門をくぐると、印象が変わった。

 

廊下に、足音が響かない。

窓の桟に、指の跡ひとつない。

すれ違う隊士の所作に、迷いがない。

 

優しさというより、統制だ。

汚れも無駄も、ここでは半日ともちそうになかった。

 

前世の記憶に残る卯ノ花隊長の印象と、この空気は、どこかで重なっていた。

 

「諸君、整列」

 

引率の教官の指示で、僕たちは列を組み直した。

 

見学生は五十人ほど。僕は列の真ん中より少し後ろへ、さりげなく紛れ込んだ。

 

目立たず、隠れすぎず。

琥珀の薄膜はいつも通り、体を覆っている。中で増えた分の霊力は、外には漏れていない。

 

◆ ◆ ◆

 

まず通されたのは、講堂のような広い空間だった。

 

正面の壇上に、足音もなく人影が現れた。

 

長い黒髪をひとつの三つ編みに編んで、胸の前に垂らした、穏やかな顔の女性。

 

四番隊隊長、卯ノ花烈。

 

(———本物だ)

 

壇上までは二十メートル近くある。それでも僕は思わず、気配を探っていた。

 

———何も、ない。

 

霊圧が、まったくない。それが逆に不自然だった。

これだけの人数の真ん中に立って、何ひとつ感じさせない人がいる。

 

底の見えない井戸を覗いたときの感じに、よく似ていた。

深いのか、空なのか、覗いただけでは分からない。分からないまま、足だけが半歩、退きたがる。

 

僕は霊圧の絞りを、いつもより一段強く効かせた。

息を細くして、気配を薄くする。

 

「ようこそ、皆様」

 

卯ノ花隊長の穏やかな声が、講堂に響いた。

 

「ここは四番隊・救護道院。死神の中で、誰よりも死神を助ける者たちの場所です」

 

彼女はゆっくりと、見学生たちを見渡した。

 

その視線は、誰か一人に留まることはなかった。僕の前も、素通りした。

 

僕は気取られないよう、そっと息を逃がした。

 

「本日は当院のいくつかの場所をご覧いただきます。最後には皆様にも、回道の実技を試していただく時間を、ご用意しております」

 

実技。

回道の、実技。

 

唾を飲む音が、自分の喉の奥で妙に大きく聞こえた。

 

ここが、勝負どころだ。

 

◆ ◆ ◆

 

施設は、席官(せきかん)らしい隊士が案内してくれた。

 

回道室。重傷の隊士を収める棟。鬼道による浄化室。薬草の調合場。

どの部屋にも、乾いた薬草の匂いが薄く満ちていた。

 

僕は何も質問せず、列の影に紛れて歩いた。

 

そして、最後の部屋に着いた。

 

「ここで皆様には、簡単な治癒術を体験していただきます」

 

案内の隊士が、部屋の奥へ手を向けた。

演習用の机が並び、それぞれの上に、小さな霊体の(ねずみ)が横たわっていた。

脇腹に、細い切り傷。

 

実習のために、誰かが付けた傷ということになる。この優しい建物の中の、誰かが。

 

考えないことにして、僕は列の端の机についた。

 

「軽い切り傷ですので、出力は控えめで構いません。落ち着いて、ゆっくり、行ってください」

 

見学生たちが、おっかなびっくり手をかざし始める。あちこちで頼りない光が点いては、揺らいで消えた。

 

僕は深く息を吸った。

 

(絞りはそのまま。右手の一点だけ、緩める)

 

水晶測定のときと同じ要領で、薄膜の右手側だけをわずかに緩め、絞った霊圧から一筋を引き出した。

 

緑がかった淡い光が、掌から漏れる。

 

傷を「閉じる」のではなく、「正しい状態に、戻す」。

これは琥珀姫から学んだ「保存」の応用の、応用だ。

状態を「保存」する力は、状態を「読む」力でもある。読めれば、それを「整える」ことができる。

 

傷の縁が引き攣れないよう、霊圧の流れを細く整える。

霊体の理が、本来の形へ滑らかに還っていく。

 

そこで、気づいた。

 

机のあいだを巡回していた帳面持ちの隊士が、僕の机の前で足を止めている。

 

筆が、止まっている。

 

(……見られてる)

 

霊圧は隠した。量も出していない。

でも、手際そのものは隠しようがない。

 

普通の治癒は、傷を塞ぐ。

僕のやり方は、傷を戻す。

見る人が見れば、その違いは光の収まり方に出る。

 

霊圧のことばかり警戒して、そっちは考えていなかった。

 

光が収まった。

 

細い傷はほとんど消え、震えも止まっていた。鼠は机の上で、ふわふわの毛をゆっくり整え始めた。

 

「……あら」

 

帳面の隊士が、小さく声を上げた。

 

「その手順、どこで習いました?」

 

(きた)

 

「な、習ったというか……」

 

声が上ずらないよう、喉の奥で押さえる。

 

「流魂街にいた頃は、怪我をする人がいつも近くにいて。手当てのまねごとを繰り返すうちに、妙な癖がついたんだと思います。回道は好きで、入学してからもよく独習していて……」

 

嘘では、ない。

ただ、いちばん教わった相手のことだけ、綺麗に抜いてある。

 

隊士はしばらく、僕の顔と机の上の鼠を見比べた。

 

「君、ずいぶん丁寧ですね。傷の塞ぎ方が、新人離れしています」

 

(「丁寧」は嬉しい。「新人離れ」は、まずい)

 

「あ、ありがとうございます……」

 

僕は深々と頭を下げた。

出すぎないように、慎重に。

 

「霊圧自体は、そう大きくないようですけれど。よくここまで細やかに制御できますね」

 

「か、数だけは、こなしているので……」

 

隊士は頷きながら、帳面に何かを書き込んだ。

何を書いたのかまでは、見えなかった。

 

(出すぎるな。出すぎるな、僕)

 

僕は膝の上で、小さく拳を握った。

隊士はもう、隣の机へ移っていた。

 

◆ ◆ ◆

 

実技が終わり、見学生は再び講堂に集められた。

 

整列を待つあいだ、視界の端にあの帳面の隊士が映った。

壇上の脇へ歩み寄って、控えていた席官に帳面を渡している。二言三言。席官が、壇上の方へ小さく目礼した。

 

ただの報告だ。今日の実技の、事務的な報告。

 

そうに決まっている。

 

「皆様、本日はご見学、ありがとうございました」

 

卯ノ花隊長は壇上から、穏やかに語った。

 

「死神の道は、戦うことだけではありません。誰かを救う、誰かを治す、誰かを見送る。それも立派な死神の道です」

 

救う。治す。———見送る。

 

三つ目の言葉だけ、ほんの少し深いところで響いた気がした。声の高さも速さも、何ひとつ変わらなかったのに。

 

「もし皆様の中にその道を志す方がいらっしゃれば、いつでも当院はその方を歓迎いたします」

 

僕に向けた言葉ではない。五十人全員に向けた、型どおりの挨拶だ。

それでも「歓迎いたします」のひとことは、胸の奥に小さく灯って、消えなかった。

 

卯ノ花隊長が、深々と頭を下げる。

僕たち見学生も、いっせいに頭を下げた。

 

頭を上げるのが、半拍遅れた。

周りに合わせようと、意識しすぎたせいだ。

 

上げた顔が、ふと壇上へ向いた。

その壇上から、視線がこちらへ流れてくるのを感じた。

 

———!

 

琥珀の薄膜が、内側からさざ波立った。

 

目は、合わなかったはずだ。

視線は僕の方向を(かす)めて、それきり戻らなかった。偶然こちらへ流しただけのようにも見えた。

 

でも。

 

———あの人、こっちを、見た。

 

たぶん一瞬で、たぶん気のせいだ。

そう言い聞かせる声より深いところで、警報が鳴り始めていた。

 

入学式で背中に刺さった視線。

教場の扉越しの視線。

そして、いまの。

 

質が同じだということは、とっくに知っていた。

知らずに済んでいたのは、それが誰の目か、だけだ。

ずっと僕を見ていた誰かに、いま、顔と名前がつこうとしている。

僕の志望先の、隊長という名前が。

 

(……繋げては、駄目だ)

 

繋げてしまえば、僕は卯ノ花隊長を必要以上に警戒する。

警戒は態度に出る。態度に出れば、それこそ向こうに気付かれる。

 

僕は列の流れに合わせて、前だけを向いて歩き出した。

 

◆ ◆ ◆

 

帰路、見学団の最後尾で、僕は今日一日を一度だけ数え直した。

 

四番隊の人が、僕のことを帳面に書き留めてくれた。

卯ノ花隊長は「歓迎いたします」と言ってくれた。

霊圧は、最後まで漏れていない。

 

それなのに、勘定が合わない。

いちばん見られたくない人に、いちばん見てほしい場所で、見られたかもしれないのだ。

 

(琥珀姫)

 

心の中で呼ぶと、腰の浅打の中で彼女が静かに応えた。

 

『はい、主様』

 

『……気のせいだと、思いますか』

 

琥珀姫は、しばらく黙った。

 

『主様の心がそう感じたのなら、無視するべきではありませんわ。けれど、いま結論を急いでもわかりません。次に同じものを感じた時に、もう一度だけ見極めましょう』

 

『……はい』

 

足取りが、少しだけ軽くなった。

同じ勘定でも、二人で数えると重さが違う。

 

◆ ◆ ◆

 

その夜、寮の藁布団の上で、僕は天井の闇を見ていた。

 

今日、僕は初めて自分から「見せた」。

隠す、逃げる、避ける。それだけだった手札に、表向きの札が一枚増えた。

 

明日からやることも、決まっている。

回道の独習を、本物にすること。

今日口にした「よく独習していて」を、嘘でなくしておくこと。

 

それから———志望は、変えない。

 

あの「歓迎いたします」を、もう聞いてしまった。

いちばん見られたくない人のお膝元が、いちばん入りたい場所になってしまった。

 

それでも。

 

僕は枕元の浅打に、指先でそっと触れた。

鞘は冷たくて、その奥だけが、ほんのり温かい気がした。

 

そのまま、目を閉じた。

 

第七話 了

 

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