Ⅶ組の朝【二】
第一回特別実習の終わりから一月近くが経ち、春の訪れを告げるライノの花も散り雨期の近づく新緑の季節。
トールズ士官学院では高等教育が本格化し軍事学など士官学院ならではの授業も始まり日々の密度が一層増していた。
そうした学院の過酷なスケジュールに追われながらもルドルフらⅦ組メンバーは五月の末、二度目の自由行動日を迎えることとなる。
とはいえ寮での日常にまで大きな変化は見られず、先月の自由行動日同様にルドルフは朝から寮生らに振る舞った朝食の後片付けに取り掛かっていた。
前回の自由行動日と比べ取り掛かりが少し遅くなってしまっていたが、時間に余裕のある日でもあるので特に支障があるわけではない。
しかしルドルフはその遅れた要因、まがりなりにもⅦ組の面々が食卓を共にした前回と違い一部の者達の間で朝食の時間がずれてしまったことが気がかりになっていた。
普段ならばその程度のこと、通常の登校日ならともかく半ば休日の生活スタイルにまで口を出すようなお節介は控える彼だったが。
――やはり、上手く行っていないようですね。
時間のずれた――否、一部の者が特別実習後のある出来事により顔を合わせないようにずらしているのだろうことはルドルフにも察しがついている。
その出来事とは誠実な人柄でクラスメイト達と早期から親交を深めていたリィンによる自身の身分についての告白だった。
実習からトリスタへと戻った翌日、彼は皆の前で彼の家、シュヴァルツァーがノルティア州北部、ユミルの地を治める男爵位の貴族身分であることを明かした。
つまり彼はⅦ組の存在が無ければ貴族クラスのⅠ組かⅡ組に属するべき貴族身分なのだった。
只一つ、リィン自身は現シュヴァルツァー家当主の実子というわけではなく、幼い頃かの家に養子として迎えられ貴族の血を引いてはいないとのことらしい。
――そんな複雑な事情もあり特別オリエンテーリングの際、行動を共にしたマキアスから身分を問われた彼は自分に”高貴な血は流れていない”とはぐらかす形で答えてしまったのだという。
そうしてその日までリィンの事を同じ平民階級だと思い込んでいたマキアスはあからさまに彼の事を避けるようになり、Ⅶ組メンバーの間にまた新たな不和を起こしてしまっている。。
トールズへ入学してからこちら、始まりにトラブルを抱え込んでしまった故か、今ではアリサと気さくに触れ合うようになってくれている彼にはルドルフ自身も借りに思っている出来事があり、何か解決の手伝いが出来ないかと考えることが近頃は増えているのだった。
とはいえマキアスの貴族嫌いぶりはユーシスとの確執もあり誰もが知るところ、有効な手立てが思いつくわけでもなく――洗い物を終えたルドルフが前掛けを外しながらキッチンを出ると。
「ああ良かった、終ったところみたいだな」
当のマキアスが小箱を手にやってきたところだったらしく、作業の合間だったルドルフを見て安心する姿を見せていた。
そうした様は気の良いクラスメイトそのものであるだけに、リィンやユーシスに対する態度との落差がルドルフの頭を悩ませる。
一体彼の何が貴族に対してこうも嫌悪感を掻き立てているのか――ひとまずその気がかりを置いてルドルフは用のあるらしい彼へと歩み寄る。
「どうされましたかマキアス?」
「なに、部活動に行くところだったんだが宅配業者と出くわしてね、君宛ての荷物らしい」
そう言ってマキアスが差し出した小箱を受け取り、添付された伝票に記載されていた送り先にルドルフが微かに目を瞠る。
もとより彼に対して荷物を送ってくる人物の心当たりなどわずかしかないものだが、それでも彼にとってその名前は特別なものであった。
「シャロンさんからですか、この重さですと中身は……ふふ」
先達の使用人である女性からの送り物であるらしい小箱の封を開いてみると、中には緩衝材と共に手作りである瓶詰ジャムが詰められている。
これもまたルドルフが未だ届かない領域の一つ、店売りの商品と比べても遜色ない、どころか高級ホテルのレストランで出されてもおかしくない出来栄えの逸品だ。
月の節目に近況報告にと送った手紙への返信らしき封筒が共に添えられ、つい口端を緩めたルドルフだったが、横でその様を見ていたマキアスが珍しいものでも見たかのように目を丸くしたのに気付き気を取り直す。
「確かに僕宛ての品のようです。受け取って下さってありがとうございます」
「あ、ああ……別にこの程度なら気にせずとも構わない、君には日頃から世話にもなっていることだしな」
凝視してしまっていたのを誤魔化すように軽く首を振りそんなことを言うマキアス。
何故彼が今のような反応を見せたのか理解できなかったルドルフだが問い掛けるほどのことでもないかと判断し、今受け取った小箱の中身からふと思いついたことを優先する。
「部活動に行かれるとのことでしたね、マキアスは確かチェス部だったでしょうか」
「ん? そうだ、正確には僕が入ったのは平民生徒用の第二チェス部、ということになるけれどね」
マキアスの言う通りチェス部は他と異なり貴族生徒のものと平民生徒のものとで部自体が貴族生徒の第一、平民生徒の第二、と区別されているらしかった。
その区別理由は平民階級とは部活動を共にしたくないという貴族生徒の身分意識によるものらしく、彼がその事実を苦々しく思っていることは眼鏡の奥で険しくなった目つきから容易く見て取れる。
この場ではその嫌悪感情にまで踏み込むつもりの無かったルドルフは早々に話題を切り替えるために届けられた小箱から橙色のジャムが詰まった小瓶を一つ取り出して見せるとマキアスへその提案を持ち掛けた。
「ルーレの――知人からジャムを頂いたんです。折角ですからジャムサンドでも作ろうかと思いますので、部活動の方へお持ちになりませんか?」
その提案にマキアスは意表を突かれたようだったが、腕を組み少しの間考え込み。
「……部活中の糖分補給としては魅力的な提案だが部室のある生徒会館一階には食堂もあるし、そこまでしてもらうのは流石に気が引けるよ。
すまないが厚意だけ受け取らせてくれ」
「そうですか、残念ですが致し方ありませんね。それではお気を付けて――」
ルドルフも無理強いはすまいとあっさり引き下がろうとしたのだったがその時、リビングの扉が開かれ一人の少女がその場へ足を踏み入れてくるのだった。
「ルディ、居る? 今日リィン達と行く旧校舎の探索についてだけど――あら、マキアス……ごめんなさい、話し中だったみたいね」
やってきたのはラクロス部の用具が入った手提げを片手にしたアリサだったが、二人の姿に気づくと気まずそうに言葉を切る。
その様子からすると言葉を言いきらなかったのは会話を遮るのを悪く思ったというより、マキアスの前でリィンの関係する話題を持ち出すのを躊躇ったのかもしれない。
そんな気遣いはマキアスにも伝わってしまったようで、彼もまた気まずさを誤魔化すように眼鏡を掛け直していた。
「いや、こちらの話は丁度終わったところだから気にしないでくれ。それではルドルフ、僕はこれで――?」
二人の話題に邪魔になると判断したのか早々に立ち去ろうとしたらしいマキアスだったが、踵を返したところでリビングの扉前で立ち止まったままのアリサが固まり、ある一点を凝視しているおかしな様子に気づいてしまう。
「アリサ君、どうしたんだ?」
「……ルディ、それって、まさか」
そこでアリサが凝視しているものがルドルフの手に握られた小瓶であることに二人の男子が気づき、ルドルフの方は同時に手にしたそれ、シャロン手作りのアプリコットジャムが彼女の大好物であることを思い出すのだった。
やがてハッと我に返ったように瓶から目を反らし、咳払いしてみせるアリサだったがその視線はチラチラとルドルフの手元へ向けられている。
「ル、ルディ。今日の探索だけど、私とラウラが参加するって話は聞いてるわよね?」
「はい、ご一緒できないのはとても残念なのですが……アリサ達の仰られたことはもっともでしたので、今回は自重致します」
それは事前に取り決めた、学院から今回の自由行動日でも旧校舎の探索を依頼されたリィンに協力するメンバーの人選についてのことだった。
今後の特別実習でルドルフとアリサが別の班分けになることも予測され、その時になってアリサを気遣ってばかりいる彼が平静でいられるよう、いわば慣らしておく目的も兼ねて今回ルドルフは彼女達が加わった探索メンバーから外されることとなっている。
いざという時のことを考えてしまうとルドルフにとって辛い采配だったが、実習の班編成について我儘など言えないことは彼にも理解できているので渋々とその案を受け入れたのだった。
「ならいいわ、オリエンテーリングの時みたいにこっそりついてきたりしないようにね。
……それで、話は変わるんだけれど」
口元をまごつかせ、脇に居るマキアスのことが目に入っていないかのように彼のことを気にかけずアリサは探索の話題を済ませてしまう。
その脇でアリサが扉前に立ったままなこともあり退散する機会を逸してしまったマキアスは無言になってしまっていた。
「私、午前はラクロス部の活動に出るわけだけど、たまには部の友達と休憩時間にお茶でもしようかと思うのよ。それで……何か甘いものでも持ち込めれば都合が良いんだけど……」
珍しく歯切れ悪いアリサの物言いにマキアスは閃くものがあったらしくルドルフへ視線を移していたが、彼の方はきょとんとした様子で意図を理解できずにいる。
「持ち込み、ですか。しかしアンゼリカ先輩とも話したのですが、僕の方で何か用意してしまうと他の部の方からアリサに不自然な印象を持たせてしまうのではないでしょうか」
「う……それは、そうかもしれないけど……」
顔を赤らめながら唸り始めてしまったアリサに戸惑うルドルフ。
そんなすれ違いを起こしてしまっている二人の姿に横でマキアスは一つため息を漏らすと、一度は背を向けたルドルフへと向き直る。
「ルドルフ、さっきのジャムサンドの話だが」
「マキアス?」
ジャムサンドと口にした辺りでアリサの顔が勢いよく自分へ向いたのを横目に確認したマキアスは確信を深め言葉を続ける。
「気が変わってね、やっぱりお願いしても構わないだろうか」
「それはもちろん、すぐにご用意させて頂きます」
「それとだが」
横からのアリサの羨んでいるようなその視線、好物を用意して欲しいと頼むことが子供のようで気恥ずかしさのあまり頼みづらかったのだろう彼女に代わりマキアスはそれを口にする。
「ついでにアリサ君の分も用意してはどうだ? 個人なら不自然かもしれないが、寮生の間で手料理を振る舞うというならおかしいところは無いだろう」
「!」
目を輝かせるアリサの珍しい姿にマキアスはつい頬が浮いてしまいそうになるのを堪えなければならなかった。
そんな真似をしてしまえば意地っ張りな面を持つこの少女は別に必要無いなどと強がりお膳立てが台無しになってしまいそうであったので。
「確かにそれなら……用意するのはジャムサンドなのですが、アリサはそれでも構いませんか?」
「――っ、ええ、十分よ。お願いできるかしら」
「承知しました、ではアリサの分もすぐにご用意致します」
ルドルフ自身もアリサの為に腕を振るえることは喜ばしいことであったので、話が決まればすぐに軽やかな足取りで彼はキッチンへと舞い戻る。
そんな背を見送り途端に上機嫌となったアリサの姿にマキアスは内心で胸を撫で下ろしていた。
「あ……その、ありがとうマキアス、便乗させてもらっちゃって」
「いや気にしないでくれ、彼に世話になるのは僕も同じなんだからね。それに――いや、今日はチェス部の先輩と戦術研究会をすることになってるから僕にとっても都合が良いんだ」
「そう? でも、一応お礼だけは言わせて」
「ああ……君もよくよく義理堅いんだな」
苦笑いしジャムサンドが出来るのを待つ為にテーブルの椅子へ腰を落とすと、つい漏らしてしまいそうになった言葉を胸の内だけで呟くのだった。
――せめてもの罪滅ぼしにでもなればいい。
そんな周囲の貴族生徒と衝突ばかりを起こしている自分が他のクラスメイト達に迷惑をかけ、気遣わせてしまっていることを自覚するが故に出てしまいそうになった言葉を。
罪悪感に胸を苛まれ、それでも尚捨てることができないほど、貴族に対する先入観は深く彼の奥底に根付いてしまっているのだった。
サンドイッチ用の食パン一斤を取り出しながらルドルフはポケットへしまいこんだ、キッチンに持ち込んだジャム入りの小箱からこっそりと剥ぎ取った伝票に記載されている送り主について思いを馳せていた。
アリサは一目でジャムがシャロンからの送り物であることを看破したようだったが、そちらにまで注意が向かなかったのは彼女にとっても幸いだったのかもしれない。
伝票に記載された送り主の情報、名前こそ隠されていなかったが、その住所はルーレ市であっても本来記載されているべきラインフォルト本社最上階のペントハウスと関わりないものに偽装されていた。
ラインフォルトの人間であることを隠しているアリサに対する気遣いであるならば勿論それは必要なことなのだったが、これはあくまでルドルフに対する送り物。
そもそもアリサは家出同然にラインフォルトを抜け出した身であるので、本来シャロンにもアリサがトールズへ入学していることは知れていないはずなのだ。
そしてルドルフ自身はシャロンへの手紙においても自分がラインフォルト関係者であると隠しているなどと教えてもいなければ、アリサの出奔についても報告などしていない。
であれば、まるでこの第三学生寮にルドルフとアリサが居ることを把握しているようなこの偽装は偶然の気遣いにしては都合が良過ぎる。
「もしかするなら……あの方々にはもう全て筒抜けなのかもしれませんね」
アリサの動向について、彼女の母イリーナとシャロンが把握しているというならすべて説明がついてしまう。
その確信に近い予感をせめて彼女には気づかせないでおこうと、ルドルフは胸の内にしまいこむのだった。