自分が眠って起きたら別人になる。
同じ記憶で、同じ風貌の、違う考え方の人物になる。
一般的に教えるような道徳で、感情はそれぞれ個人のものだといっている。
ならやはり、毎日私は別人であろう。
昨日死んだペットに対して、今日の私が抱く感慨は無かった。
例えば、一人。少女がいるとする。
性格は穏やかで、誰が相手でも好かれるような理想的な明るさだ。
両親に兄姉。三人兄妹の末っ子で、兄と姉とは十歳ほど年が離れていたかもしれない。
親戚が海外にいるなどと聞いたこともあるか。
ともかくも、家族の中で一番のちびっこだ。ひとまずのところ、彼女は見事に甘やかされた。家族みんなの女の子だ。
しかし、それもまた残酷な話だ。人生の上昇下落で、人格が大きく左右されて本来のものが失われるというなら、ある意味転落死ともいえたかもしれない。
背中の大きな父親が、仕事の最中に事故で大けがを負って入院。家族みんながてんやわんや。
母は喫茶店の切り盛りで忙しい。リビングで母が一人、陰を落としていた時に、何も出来ないと悟ったか。
兄も姉も、父の看病と喫茶店の手伝いで忙しい。二人はとても仲がいい。しかし、年齢のせいか、中々話題が合わないものだ。
前述の親戚に助けを求めようかという話もあったようだが、どうにも頼れないような雰囲気が家族から消えない。
この時に、何となく少女は自分の家族に助けは求められないものだ、と。思い込んでしまった節があるかも。
少女は穏やかであったが、八方美人にはなりえなかった。誰に似たのか我慢強く、意思を曲げることもない。
幼い女の子に出来たことは、ひとまず問題を起こさないことだった。
家の中でじっとしている。娯楽は出来るだけインドアのもの。
絵本も読んでいたが、どうにも肌に合わなかったのか。機械いじりをやっていた時期も。
数少ないが、好きになった絵本は「正義」の教訓を頭に残した。きっと誰かが苦しんでいるときに、事なかれ主義ではない、本当の助けが必要なのだと経験的に彼女は悟っていた。あるいは、自分には出来ない何かを一般的な正義という言葉に押し付けてしまっていたのかもしれない。無意識であっても、苦しみや孤独はぶつけられているものだ。少女の場合は、顕在化されるものではなかっただけかも。
世の中にはこんなはずではなかった不幸が蔓延している。彼女の骨の髄にまで浸みこんだ現実だ。平和だった日々を覚えているには少女はあまりに幼かった。
寂しいとは思うことができた。それまでの家族のみんなのおかげだ。
しかし、おかしいと泣くことは出来なかった。このくらいの年には子供はしっかりしなければと思ってしまったのかもしれない。
こうして、一人の少女の人格の雛形が完成したのかもしれない。
彼女は誰より愛情を知っていたが、自分の周りにあったかどうかを記憶では厳密に覚えていない。
ただあの時は、自分にかまっているより正しいことがあったのだろうと、漠然と思うだけであった。
というような少女がいたとして、私には関係が無いのだろう。
やや小柄な少女が、公園の中で一人ブランコを揺らしもせずにぼう、と空を見ていた。
私は公園に入ることもなく、足元の石ころを蹴り飛ばすのに夢中だった。
視界に短いツインテールを捉えても、気に掛けることもなかった。