ある程度分量溜まる、あるいは必要に駆られたら直します。
多分、進むたびに矛盾が増えるので気になったらご報告ください。流れに差支えなければ直します。
入学試験はそれほど難しいものではない。
この時期、六歳やそこらに行われる受験は簡単な確認程度だ。
ふるい落とそうとする怨念すら感じられる高等教育以上の試験はまだ遠い。
日本に私立小学校は二百と少し程度の数がある。少子化のこの時代、驚くことにその数は増加傾向にあるらしい。
この聖祥学園もそんな中の一つ。流石に大学まで一貫となると限られた数しかないのだが。
とはいえ、先駆的かつ試験的――こう言うと被験者扱いでいたたまれないが――な教育を実践するのが私立の学校の理念の一つともいえる。
多様な時代の流れに対応して、各々の方法からより良い教育を選び取っていく。
やはり、多様性というやつは素晴らしいものだ。
もちろん良いものばかりではないが、良し悪し入り混じってこそ精錬されていくものがある。
混沌としていても許されるのは、先へ進もうとするからである。
徒に万事拡大していくものではないが、これは賞讃されるべき発展の例なのだろう。
と、つらつらと無駄なことを考えていたのは試験があまりに早く終わってしまったからだろうか。学徒としては失格ものだが、わからないところは悩みもせずに空欄で放置した。
全く悪癖だ。用意された材料で解けず、少々手間がかかりそうというだけで私はその作業を放逐しようとする。
はて、昔からこんなだっただろうか。昔はもっと――――
もっと、なんだ。
なんだというのだろう。
やはり深く考えず、私は思考を放棄した。
問題用紙の目立たない部分に落書きをしては消しゴムで消し、消しゴムが真っ白になるまで机の天板でこする。
書く、消す、こする。
描く、直す、こする。
落書きは意味のない文字列であったり、不出来な人体図であったり、試験問題の解き直しであったりした。もっとも、3つ目は本当に少ない数しかやらなかった。
結局のところ、大事なことを無視、あるいは見ないふりをして余計なことで時間をやり過ごす。そういう仕方のないやつなのだ、私は。
とはいえ、年をとってもこのタイプの人間は珍しくもないだろう。貧乏ゆすりばかりするよりは目立たないちょっとしたお茶目さ。
そんな自己弁護を交えながら、暇をひたすらにつぶす。
試験用紙の回収が行なわれたのは、それらの行為に飽きが来たころだろうか。
消しゴムは、まだ汚かった。
経験の量がちがっていた、流石に合格は確信していた。
この胸に飛来していたのは新しくも懐かしい、期待と不安というやつだ。
新しい空間に新しい人々。
先生に友達、上級生との不可視の壁と、おぼろ気なグループ意識。
ついでに本題。忘れられていく、忘れられない私の記録。
慌ただしい日々が、始まる。
意味のあるものと無いものの選別が、大事。
多様なものは手放さないうちは無駄ではない。と思いたい。