名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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幕間1-2 何故ここにいるんだ!

 ほどなくして、エリンの母は死んだ。

 

 その報告を受けた時、エリオットの父ボルドーはあからさまに上機嫌となった。

 それを表すように、大々的に舞踏会を催した。まるで祝祭のように。

 エリオットも当然参加するのだが、はっきり言って嫌で仕方がない。

 このために、自由の時間は奪われ、すべてがダンスの稽古に費やされた。

 見栄を気にするボルドーは、この時ばかりは教師に厳しく指導するようにと命じるのだ。おかげでエリオットの自尊心は容赦なく削り取られた。

 着飾ることは嫌いではないが、努力することは嫌いだ。何故なら、どれほどに頑張ってもエリオットの実力を認められないから。

 きっと、他国の王子たちも同じだ。親と臣下に完璧を求められ、努力が足りぬと叱られる。彼らは一様に完璧な王子と見比べられてしまう。

 

 ノディオン国のエルトシャン。

 

 エリオットよりも僅かに年上の少年だ。その評判はアグストリア全土に響き渡っている。

 少年らしからぬ麗しい美貌。声も張りがあり、艶やか。立ち振る舞いも優雅で美しい。性格も品行方正であり、剣の腕も立つ。

 まるで、神の寵愛を一身に受けたかのような王子だ。欠点の一つも見つけられないのが憎らしい。

 さらには、尊き聖痕をその身に宿していた。アグストリアの神器ミストルティンを携えるその姿は、黒騎士へズルの再来と謳われる。

 ノディオンの王子は、エリオットの人生において強大な障害である。

 エリオットの百の努力は、エルトシャンの一の才能にかき消される。

 あのボルドーですら、エルトシャンを憎みながらもその才覚は認めている。

 

 ――お前は何故エルトシャンに劣る!

 

 何度も何度も……何度もそう罵られた。

 許せない。

 エルトシャンを恨むのと同時に思い知らさせている。俺はアイツには敵わない、と。

 苛立ちを解消するために、エリオットは幾度もフィリップの屋敷へと訪れた。目的は一つ――エリンだ。

 自分の言葉で表情を乱し、静かに泣く彼女の姿を見ると心の奥底から満たされた。特に声を揶揄えば、怯えたように目を潤ませる。その瞳が、たまらなく愉快だった。エリオットだけを見つめて、みるみると涙を溜め込む。

 仄暗い恍惚に包まれ、その感覚が癖になりつつあった。

 そして、安心する。自分よりも劣る者が存在するのだと。

 

 エリオットの中に歪みが芽生えつつ、舞踏会当日となった。

 

 貴族たちからの挨拶だけはしっかりと受け取る。

 彼らは父とは違ってエリオットを褒め称えてくれるのだ。今回も惜しみない賞賛を贈ってくれた。――大袈裟なほどに。

 エリオットが堂々と歩けば、貴族子女らは俯いて控える。きっと恥じらっているのだろう、だからエリオットの方からダンスを申し込む。誰も断ることなく、身を任せてくれる。

 ダンスの最中も子女らは誰一人としてエリオットを見つめない。己の辿々しい足捌きを気にするように首を俯かせているのだ。

 顔を上げるように命じれば、彼女たちは素直に応じる。貼り付けたような笑みを浮かべる姿に、エリオットの興は急速に冷めていった。

 踊りをそこそこに、彼は取り巻きを従えて大広間から立ち去った。料理が出てきたらまた戻ればいい。

 火照った体を覚ますために、エリオットらは庭園へと辿り着く。噴水の水滴を纏った夜風が心地よい。

 やはり城内の庭園の方が、フィリップの屋敷よりも設備や調度品が整っている。夜が満ちても、照明が灯されてその美しさを誇示している。

 かすかに届く舞踏曲。腕のある音楽家たちの演奏だが、エリオットは物足りなさを覚えた。

 踊りの優雅さを讃える子息たちの言葉ですら、彼の耳を通り抜ける。

 エリオットの脳裏に蘇るのは、かつての幻想的な光景。陽だまりの中で楽しげに歌う少女……。

 

 そう、舞踏会にエリンの姿が無かった。

 

 ボルドーはフィリップにも招待状を送ったはずだ。喪中であれど、王主催の舞踏会を断る理由にはならない。

 しかし、何曲か踊ってもフィリップは訪れなかった。支度が手間取っているのか、それとも別の理由か……。

 いや、そもそもエリンが来るはずないのだ。あれはフィリップの養女ではあるが、下等の者だ。城内に足を踏み入れることすら許されない身分の者。

 そこまで考えてエリオットは愕然とした。なぜ、エリンが来ることを自分は期待していたのか?

 たちまち彼の怒りに火がつく。

 王子の不機嫌を察知した取り巻きも言葉を閉ざしてゆく。顔を見合わせ、誰が失言したかを探り合う。

 

「部屋に戻る。お前たちもついて来い」

 

 そう言えば、子息たちは意義もなく従う。何故なら、彼らはエリオットを心酔してるからだ――とエリオットは思い込んでいる。

 誰も逆らわず、抵抗せず、ただ笑顔で王子を讃える。父ボルドー以外はみんな、エリオットの価値を認めてくれているのだ。

 

 エルトシャンがどうした?

 神器がなんだ?

 

 あんなやつ、聖痕が無ければエリオットにも劣るだろうに。ただ、神器を継承出来る王族に産まれたから恵まれたのだ。

 エリオットがその立場なら、もっと優秀な人物として多くに讃えられたことであろう。現に、聖痕が無くともハイラインの貴族たちは彼を誉めそやしてくれるのだ。

 それなのに、エリオットの中で渦巻く不安は晴れない。

 

 貴族共の言葉は上っ面ではないのか?

 子女たちの微笑みは果たして心からのものか?

 鴨の子のように付き従う子息たちは、エリオットが窮地でも付き従ってくれるのか?

 父は、エリオットがエルトシャンのように優秀であれば、ワシの誇りだと胸張ってくれるのか?

 

 くだらない妄想だと振り払えない。歯を噛み、唇を歪ませる。

 照明が灯された回廊に立つ警備兵へ、八つ当たるようにエリオットは睨んだ。無表情を貫く彼らがビクリと震える様に、ほんの少し慰められた。

 屈強な男ですら、エリオットを前にすれば怯むのだ。己の不安など杞憂でしかないはずだ。

 足音鳴らして突き進む中、小さく啜り泣く声が聞こえた。泣き声は幼く、どこか背筋を撫でるような甘さがある。

 それに気付いた瞬間、エリオットは駆け出していた。取り巻きたちの呼び声すら無視して。

 かすかな嗚咽を頼りに、長い回廊を疾走する。驚く警備兵の表情に愉悦を感じる暇もない。エリオットの思考を埋めるのは焦りと疑問。

 

 そんなはずは、ない。

 

 ここは内殿――王族専用区域。

 名のある貴族であろうと許しがなければ立ち入ることは許されない。

 こんな場所に、いるはずがないのだ。幻聴と疑ったのだが走れば走るほどに、啜り泣く声は近付く。

 そして、突き当たりとなる場所に――エリンはいた。

 縮こまる少女の顔は分からない。それでも、蝋燭に照らされる蜂蜜色の髪を見間違うはずがなかった。丁寧に編み上げられていたはずのその髪は乱れ、肩に流れている。

 身に纏う黒のドレスは、彼女を闇に取り込んでいるようだった。

 震える細腕に通された銀の腕輪。そこに嵌め込まれた緑石が、エリオットを拒むように険しく煌めいた。

 

「お前、何故ここにいるんだ!」

 

 自分が想像するよりも、鋭い声が出た。

 感情を乗せた怒声にエリンらしき少女の体がビクリと跳ねた。そして、ゆっくりと顔が上がる。

 涙に塗れたみっともない顔。火照った頬に、濡れた唇。嗚咽まじりの息が荒く揺れる。

 エリオットを覗く黒い瞳は、潤いが溢れていた。その視線に、エリオットの胸が大きく脈打つ。

 醜い子供だ。下賎の者だ。この高貴な場に相応しくない人間だ。すぐにでも追い出さねば……。

 それなのに、エリオットは動けない。魅了されたかのように、怯えるエリンを前に立ち尽くしていた。

 

「エリオット様!」

「どうされたのですか!」

 

 騒がしい足音と共に、子息たちが追いついてしまう。無粋だと憤る前に、エリオットは焦る。

 

 駄目だ。見せてはいけない。

 エリンが価値あるものだと、アイツらに気付かせてはならない!

 

 瞬時にエリオットの中で傲慢さが湧き上がる。合わせて口元も歪む。

 酷く恐ろしい顔付きになっていたのだろう、見下ろされたエリンが怯えたようにまた身を縮める。

 そして、取り巻きが彼女に気付く前に、エリオットは怒鳴る。

 

「出てけ! この痴れ者が!」

 

 自分たちに向けられた罵倒ではないのに、子息たちも身を震わす。

 そんな彼らに構うことなくエリオットはエリンの右腕を掴む。柔らかく小さな腕は、しっとりとした肌に包まれていた。

 まるでケーキのスポンジだ。噛み付いたらさぞかし美味であろう――そんな嗜虐的な思考がエリオットの脳裏に過ぎる。

 その衝動が、彼の手の力をますます強くさせた。エリンが涙を溢して叫ぶ。

 

「いたいっ」

「黙れ! 俺に逆らえばどうなるか、分かっているのか!」

 

 そのまま無理やりエリンを立たせる。小柄な少女はエリオットのなすがままにされるしかない。

 ポロポロと涙を流し続ける彼女に、エリオットは満足と怒りが込み上げる。こんな姿を他の奴らに見せてやるものか――彼が真っ先に考えたのはそれだった。

 子息らは言葉もなく固まっている。エリンを見ていないことに確認し、エリオットは乱暴に手を引く。

 

「来い!」

 

 引いた拍子に金属の落下音が響いた。蝋燭の灯りに照らされるそれは、エリンの腕輪だった。

 くるくると弧を描き、光を散らしながら腕輪は取り巻きの一人の足元へと滑ってゆく。それを彼が手に取った瞬間、エリンが抵抗を始める。

 暴れ、もがき、エリオットの腕から逃れようとした。その抵抗が彼女の全力でも、彼には微風のようなものだった。

 むしろエリンが自分から逃れようとしたことに腹を立てる。怒りのままに彼女を引きずると、エリンは腕輪を求めて小さな手を伸ばす。

 

「かえして!」

 

 必死の声が、少年たちの加虐心に火を付けた。先ほどまでの青い顔が一変し、嗜虐の笑みが浮かび上がる。

 エリオットの舌打ちにも気付かずに、取り巻きたちは一斉に罵倒を始めた。

 

「卑しい奴め、どうせ安物だろう!」

「こんな飾り気のない腕輪で舞踏会? 恥ずかしいものだ!」

「そんな地味なドレスでよく登城できたものだな!」

「返して欲しいのなら、自分で取り返してみろ!」

 

 囃し立てながら、彼らはエリンの手がギリギリ届かない範囲に腕輪を差し出す。どんなに馬鹿にされても、彼女は腕を伸ばすことをやめなかった。

 必死な少女を見て嘲笑う彼らが不愉快で、エリオットは乱暴に足を進めた。

 背後ではまだ、エリンを嘲る声が続いていた。

 泣きながら腕輪を求める彼女はエリオットを見ようともしない。それが許せなくて、エリオットはますます強くエリンを引っ立てる。

 幼い少女を責め立てる少年たちに眉を顰める警備兵もいたが、エリオットの不機嫌を見て無言を貫く。直立したまま、己の持ち場から動こうとはしない。

 やがて大広間まで辿り着く。エリオットは辺りを見渡してフィリップを探す。泣き喚くエリンを屋敷へ戻すよう命じるつもりだった。

 優雅な舞踏曲に割り込むようにエリンの鳴き声が響き渡る。舞踏の輪が乱れ、誰もが子供たちのいる踊り場の方を見上げた。

 さすがにここまで来れば、取り巻きたちも声を荒げない。しかし、エリンへの挑発はやめない。彼女の鼻先へと腕輪を突き出して、また手の届かない範囲へと持ち上げる。

 騒ぐエリンを叱りつけようとエリオットが口を開いた――その時だった。

 

「何をしている、エリオット!」

 

 重く威厳溢れる一喝だった。その重圧に、子供たちは凍りついたように動きを止めた。名指しされたエリオットは、怯えからエリンを握る手を緩めてしまう。

 その声の主――ハイライン王ボルドーは激しい怒りを全身から発している。その気迫は大広間の隅々にまで伝達し、楽団の音色すら途絶えさせる。

 緊迫と静寂に包まれるこの場で、支配者となるのはボルドーただ一人だった。

 その岩石のような顔で睨みつけられれば、誰もが身を震わせる。金糸を縫い込んだ王装束が、炎を孕んだように重々しく輝いた。

 その場で跪き許しを乞いたくなるほどの恐怖。エリオットは全身から冷や汗が溢れる。

 そんな我が子を冷徹に見下ろし、再び父王が問う。

 

「エリオット、この騒ぎは一体なんだ?」

「こ、この子供が、内殿に、勝手に入って……!」

 

 しどろもどろに答えるエリオットの視線は忙しなく動く。父を見るのが恐ろしくて、自然と助けを求めるように周囲を見渡すのだ。

 しかし、誰もが顔を俯けて王子に救いの手を差し伸べようとはしない。

 我らが麗しき王子と誉めそやしていた貴族ですら、エリオットを助ける素ぶりを見せない。まるで物言わぬ彫刻のように、その場に留まり口を閉ざす。

 そんな中で、ただ一人こちらへと向かってくる男がいた。

 

 フィリップだ。

 

 見たことのないほどに青ざめた表情で、彼はボルドーの背後からこちらへと駆け寄ってくる。

 助けが来たのだと安堵したエリオットは、フィリップが真っ直ぐエリンへ歩み寄っていることにも気付かない。だから……一手遅れた。

 

「かえして!」

 

 エリンの叫び声で、ようやくエリオットはその手から彼女が逃れていたと気付いた。慌てて振り返れば、エリンは腕輪を持つ子息へと突撃していた。彼の服を掴み、腕を伸ばし、涙声で腕輪を求めて叫ぶ。

 ボタンが引きちぎられるほどの勢いに、子息は焦ったのだろう、怒り任せに怒鳴った。

 

「やめろよ!」

 

 彼がエリンを突き飛ばした瞬間、周囲の少年たちは息を呑み、凍り付いた。

 

 幼い少女が踊り場から投げ出され、宙に浮く。

 

 誰もが目を見開き、動けない。黒いドレスの裾が、死神の手のように広がる。

 エリンは何が起きたのか分からないまま、驚愕の顔でこちらを見ていた。

 その小さな体が落ちる様が、何故だかエリオットの目にはゆっくりと映る。身動き一つ取れぬまま、ただ落下の軌跡だけが瞳に焼き付いた。

 

「エリン!」

 

 フィリップは叫び、手を伸ばす――しかし、届かない。

 硬直するエリオットの前で、エリンの姿は消えた。階下から鈍い音が届き、悲鳴が溢れる。

 階段を駆け下りるフィリップに対して、エリオットは凍りついたままだ。影を縫い付けられたかのように、足が動かない。

 己の心音が耳鳴りのように全身に響く。ボルドーの怒鳴り声も、フィリップの叫びも、周囲のどよめきも――今のエリオットには遥か遠くに聞こえた。

 

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