名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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幕間1-3 ……ありがとう

 今回の騒動で、エリンを突き落とした子息を主犯として取り巻き連中は全員処罰を受けた。とは言っても、謹慎という生温いものだ。

 しかし、これでもまだマシだった。初め、ボルドーは、元々エリンが王族専用区域に立ち入ったことが原因と断言していた。そして、子供同士の戯れによる事故として厳重注意だけで終わらそうとしていたのだ。

 だが、義娘を傷付けられたフィリップは烈火の如く怒りを見せた。普段は王に付き従う彼が、声を荒げて抗議を行ったのだ。

 その訴えに、臣下の幾人かも突き動かされる。彼らもまた子の親だ。特に娘を持つ者は、控えめながらもボルドーに考えを改めるように願い出た。

 エリオットも父に訴えた。

 いくら下賎の者相手とはいえ、怪我を負わせたのだ。上に立つ者として、厳しく罰するべきだと。足を震わせながらもそう言い切った。

 結果、エリンを害した子息たちは全員罰せられることとなる。

 

 ただ一人、エリオットを除いて。

 

 エリオットは、直接危害を与えたわけではない――建前はそうだった。だが、真の理由は王子であるから。

 誰も彼を罰せない。断ずることは出来ない。フィリップの恨めし気に見つめられても、エリオットは素知らぬ顔をしてみせる。

 アイツが悪い、あんなところに迷い込んだから怪我をしたんだ――そう思い込まねば息苦しかった。

 幸いにもエリンは命の危機に瀕するほどの怪我ではなかった。しかし、しばらくは寝台から起き上がれないだろうと診断をされている。

 義娘の傍を片時も離れようとせず、熱心に介抱した。事故発生時の取り乱す姿は、血の繋がりを錯覚するほどだった。

 だからこそ、ボルドーは苦い顔をする。これではフィリップの再婚相手は見つからないだろうと。

 

「あの娘は、あのまま死ねば良かったのだ……!」

 

 そんな毒を吐くボルドーに、エリオットは憤りを覚えるも言い返せない。

 やるせない思いを抱く中で、ふと彼は気付く。エリンは妙にあの腕輪に執着していたことを。

 腕輪は、そのまま首謀者とされた子息の手元にある。

 見舞いと称して彼の元へと訪問したエリオットは、それを譲り受けた。

 子息もまた、原因となった腕輪を忌避していたようだった。エリオットに手渡した時、心底安堵する表情を浮かべた。

 古めかしい腕輪だ。銀製で、表面には見たことのない波模様が刻まれている。嵌め込まれた宝石は、深い緑色。光を当てれば淡い煌めきを放つ。

 なるほど、女子供ならば、好んで手元に置きたがるだろう。

 しかし、子供向けではない。大方、フィリップにでも買い与えられたのだろうとエリオットは解釈した。

 下賎な子供には、宝石さえ与えておけば懐くとでも思ったに違いない。――その腕輪が、かつてエリンの亡き母の手首を飾っていたことに、彼は気付くことはなかった。

 その足でフィリップの屋敷へと訪問する。堂々と立ち入れば、使用人たちはエリオットを追い返すことは出来ない。誰もが暗い表情で頭を下げる。

 歓迎されてないことを気付かないふりをして、エリオットはエリンの部屋へと押しかけた。

 子供には広すぎるほどの部屋。大きな寝台の上にエリンはいた。包帯が巻かれ、痛々しい姿で寝かされている。

 エリオットが近寄れば、彼女は小さく悲鳴を上げて身を震わせた。

 それが腹立たしくて、彼は乱暴に腕輪を投げた。緩く弧を描き、腕輪は枕元に小さな音を立てて落ちる。

 

「お前が不注意だから、こんな目に合うんだ」

 

 苛立ちのまま口を開いたため、嫌味たらしい物言いとなる。その刺々しさに、自分でも思わず顔を顰めた。

 ゆっくりとエリンは腕輪を見て、目を見開く。そして、震える手で腕輪を握りしめた。

 うっすらと彼女の目に涙が浮かんだのを見て、エリオットはさらに吐き捨てる。

 

「これに懲りたら、こんなものを見せびらかすな。分かったな」

「……ありがとう」

 

 ポツリと呟かれた声に、エリオットは息を呑む。

 エリンは腕輪を抱きしめ、目を伏せている。自分が何を言ったのかにも気付いていないようだった。

 

 小さく掠れた、吐息のような甘い声。

 

 長い睫毛の淵から、真珠のような涙がポロポロと流れ落ちる。涙は緩やかな頬に沿ってエリンの髪を濡らす。窓から射す陽光を受けて、濡れた髪が滑らかな蜂蜜色に輝いた。

 敬語でもない、こちらを見ようともしない。

 

 無礼だと怒鳴る理由はあった。

 王子に対して不敬だと、叱り飛ばせる理由はあった。

 

 だけど、エリオットは何も出来ない。静かに泣くエリンを見て、鼓動が大きく揺れ動く。

 目の前にいるのは幻想の妖精だろうか――そんな間抜けな考えすら浮かんでいた。

 口を開き、また閉じて──結局、何も言えなかった。

 胸の奥がきしむ。耐えきれず、衝動のままに部屋を飛び出した。

 廊下で出くわした使用人たちが驚きの声を上げるが、耳には届かない。

 外の光が眩しい。息が合わず、胸が苦しい。足音ばかりが無意味に響いた。

 気付けば、どれほど駆けたのかも分からないまま、城門が見えていた。城へ戻ると、警備兵たちが一斉に姿勢を正す。その一瞬の視線さえ煩わしい。

 話しかけるな──口には出さないが、全身でそう告げるように、早足で回廊を進んだ。どうせ彼らは王子を咎めることはない。

 自室の扉を閉めた瞬間、膝が抜けた。

 息は絶え絶えで、汗に濡れた衣が肌に張りつく。胸の奥が燃えるように熱い。喉が渇く。整えていた髪は、もうぐしゃぐしゃだった。

 全身が不快だ。止まらない汗も、落ち着かない呼吸も。全て全てが不快極まりない!

 

 それなのに、心は陶酔していた。

 

 震える両手で顔を覆う。戸惑い、動揺、そして昂ぶる心……視界を暗闇に変えても、浮かび上がるのはエリンの姿だった。

 耳に届くのは己の呼吸音だけのはずなのに、エリンの声が反芻される。

 謝礼など、エリオットは聞き慣れていた。取り巻きたちをはじめ、多くの者がかしずき、王子に感謝を表明してきた。聞き飽きるほどに。

 なのに、耳から離れない。

 小さなあの声が、胸の奥で何度も蘇る。

 初めてだった。

 あんなに静かに、心から礼を言われたのは……。

 

「俺は……ハイラインの王子だ」

 

 冷静さを取り戻すために呟く。揺さぶられる己を表すように、エリオットの声は震えていた。

 

「あんな、薄汚い子供の言葉に……動揺するはずが、ない……」

 

 大きな寝台の上に寝込むエリン。窓から差し込む光が、レースのように覆い尽くしていた。神秘を守るベールのように。

 涙を流すその姿をエリオットは――美しいと感じてしまった。触れることを躊躇うほどに。

 胸が痛いほど熱かった。

 息が詰まる。どうしようもなく、苦しい。

 

「……ふざけるな」

 

 これは侮辱だ、屈辱だ。

 本来ならば、あの少女はエリオットとは口も聞けない身分なのだ。それなのに、ああも軽々しく礼を言うなんて……。

 頬の熱を怒りによるものだと、少年は思い込もうとした。

 

  ◆ ◆ ◆

 

 舞踏会の事件からしばらく経った後、またしてもエリオットの動揺を誘う出来事が起きた。

 隣国ノディオンへの使者にフィリップが選出された。それだけなら、取るに足らない話なのだが、なんとエリンまでがそれに随行することとなってしまった。

 話を聞いたのは晩餐の時。エリオットは動揺のあまりにナイフで皿を鳴らしてしまい、ボルドーに叱られた。身を強張らせるその怒鳴り声ですら、この時のエリオットには効果無かった。

 

 ノディオンにはエルトシャンがいる。

 

 神の寵児である、あの王子が……。

 ボルドーは詳細こそ口にはしなかったが、エリンが彼を惑わすことを期待しているようだった。鼻持ちならない王子が、下賎の娘に夢中になる――そうなれば、エルトシャンを嫌うボルドーはさぞかし胸がすくむ思いであろう。

 かの王子の名を思い浮かべただけで、胸の奥がざらついた。あの完璧な鼻っ面をへし折れたのなら、どれほど爽快であろうか。

 しかし、それにエリンが使われるのは癪に障る。

 舞踏会から幾日か過ぎて、あの少女はもう全快していた。医師の見立てよりもはるかに早く。

 あれから毎日のように見舞いに行った。フィリップやその部下がいる時は追い返されたが、そうでなければ顔を見せてやった。

 その甲斐あってか、エリンはすぐに立ち上がれるようになった。エリオットの姿を見るだけで俯くのは、それを恥じらってのことだろう。

 声をかけてやれば、震えるように左手首の腕輪を握りしめる――間違いなく、感謝の証に違いない。

 

 そんなエリンをノディオンに差し出すというのか。

 

 どれほど抵抗しようとも、フィリップのノディオン行きは決定事項だ。それを我儘で止めれば、ボルドーの怒りを買う。

 もし本当にエルトシャンがエリンを見初めたらどうなる? 彼女を疎むボルドーは、迷うことなくノディオンへと引き渡すだろう。

 

 駄目だ。あれは俺が最初に目を付けたのだ。

 

 そんな焦りから、その日以降、エリオットはますますエリンへ強く当たるようになった。

 

 まず顔を責めた。エルトシャンに可憐な笑顔を見せないように。

 次に声を責めた。エルトシャンに甘い声を聴かせないように。

 最後に出自を責めた。エルトシャンと身分が吊り合わぬと、思い知らせるために。

 

 何度も何度も、取り巻きの謹慎が解けてからは、彼らを伴って追い詰めた。

 その成果もあって、エリンは酷く大人しくなった。これなら、余計な真似はすまい。もしかしたら、自分からノディオン行きを拒むかもしれない。

 そうなれば、フィリップはしばらく屋敷に戻らない。また毎日通ってやろう――そう思うと、エリオットはほくそ笑んだ。

 

 しかし、彼の思い通りにはならなかった。

 

 使者出立の日、溢れる苛立ちを抑えきれないままでエリオットはフィリップの屋敷に一人足を踏み入れた。引き止める使用人たちを振り切り、足取り馴染んだエリンの部屋まで直行する。

 蹴破るように扉を開けて――荒い息が止まった。

 多くの侍女たちに囲まれた少女――エリンの姿に目を奪われたのだ。

 

 光沢を放つ薄藤色のハイウエストドレス。金や銀糸で簡素な刺繍が施され、淡い色地を引き立たせる。

 普段のような緩い三つ編みではなく、左右に分けて淡い紫色のリボンで結ばれていた。耳の後ろには、リボンと同じ色合いの花飾りが添えらている。

 化粧は施されていないようだが、漆黒色瞳は澄んでいて、エリオットは釘付けになる。

 開けられた窓から陽光が差し込む。日差しが彼女を照らすその様は、まるで妖精が舞い降りたかのようだった。

 

 いつものようにエリンが左手首の腕輪を握る――その仕草に、エリオットはハッとした。

 次の瞬間、胸の奥に怒りが沸々と湧き上がる。

 

「……似合わないな。服に着られてる。やはり、どれだけ飾っても出自は隠せないんだな、お前は」

 

 自分でも驚くほどに声が鋭く響いた。

 部屋に足を踏み入れた途端、エリンの身体がビクリと震える。柔らかなドレスが小さく波打ち、そのささやかな動きが、なぜか彼を苛立たせた。

 着飾ったエリンは、まるでエルトシャンへの贈答品のようだった。

 先日の舞踏会では黒い地味なドレスを着ていたというのに、ノディオンへ行くとなればこの有様。――そんなにも、あの王子に見初められたいのか?

 

「お前も自分の母親のように、男に媚びを売る気か? 賤しい性根だな。貧相な体を着飾れば、エルトシャンの奴が靡くとでも思ったか? 思い上がりも腹立たしい」

 

 エリンは答えない。

 俯いたまま、何も言葉を返さない。怯えているのか、それとも図星を突かれたのか――エリオットには、その沈黙さえ腹立たしく思えた。

 侍女たちも一様に息を呑み、口を挟まない。ただ、王子を刺激しないよう、そっとエリンの前に立つ。

 しかし彼はそれに気付かず、なおも言葉を吐き捨てた。

 

「聞いてるのか? お前みたいな奴は、どこに行っても蔑まれるだけだ。行く前に、泣いてやめとけ」

 

 語りながら、エリオットはエリンへと近付く。その接近を止めようと、背後から追いかけてきた使用人たちが無粋にも手を伸ばす。しかし、それらをエリオットは睨み付けた。

 

 ――俺に逆らえば、分かっているだろうな?

 

 脅しではない。今、ここで引き止める者がいるならば、父に訴えて罰を与えてやる――本気でそう思った。

 彼の殺気が伝わったのか、大人たちの手が止まる。

 エリオットはエリンの前に立ち、見下ろす。思いのほか小さく、頼りない。その肩の震えが、なぜか愉快だった。

 支配する快感と、得体の知れない苛立ちが同時に胸を灼く。

 エルトシャンが気に入ってしまうかも知れない――そう思った時には彼女の胸ぐらを掴んでいた。強く引っ張れば、薄絹のショールは音立てて破れた。

 小さく悲鳴を上げるエリンに、エリオットは言い放つ。

 

「こんな服、お前には勿体無い!」

 

 瞬間、雷鳴のような咆哮が差し込んだ。

 

「テメェ、このクソガキ! 今すぐお嬢から、その汚ねぇ手を離しやがれ!」

 

 その声に、エリオットは思わず手を離してしまった。即座に侍女の一人がエリンを抱きしめて、彼から引き離す。

 廊下からは地響きのような足音が響いてくる。そして、現れたのは厳つい顔した大男だった。古傷が残るその顔はどう見ても賊の類だが、ハイライン正式の騎士鎧を纏っていた。

 男は不敬にも腰を屈めることなく、エリオットを見下ろす。筋骨隆々な体が光を遮り、小さな王子に影を落とす。

 

「……誰の許可を得て、お嬢に手ェ出してんだ? 王子様なら何してもいいってか?」

 

 ボルドーにも負けないほどの威圧感。その凄みに、エリオットは思わず怯んでしまう。

 この男はフィリップの部下だ。名前は知らない。しかし、顔はよく知っている。

 以前からエリオットに対して敬意を持って接してこなかったが、舞踏会以降は敵意を露わにしだした。番犬のつもりなのか、エリンのそばでエリオットに向かって吠えたくるのだ。

 今までは逃げていたが、今日は退くわけにはいかない。エリオットは胸を反らす。

 

「お、お前! 不敬だぞ! 父上にお前の発言を伝えてやる!」

 

 男の太い眉がピクリと動く。ようやく見つけた男の隙に、たちまちエリオットは勝ち誇る。

 

「お前のせいで、フィリップにも責が及ぶだろうな! 今度こそ厳しい処罰を喰らうだろう! 分かったら、早く俺の前から立ち去れ!」

「おーおー、そうだな。そりゃ困ったな」

 

 やはり権力には敵わないのだと、エリオットは満足する。もっと早くに躾けてやれば良かった。そう思う彼の耳に関節のきしむ小さな音が耳を打った。

 見上げれば、男が拳を固め、指の節を鳴らしている。

 たじろぐ少年を見据えて、男は静かに言った。

 

「なら、性根の悪いクソガキを一発ぶん殴っても構わねぇな? どうせしょっ引かれるんだ、何したって同じだろ」

 

 そうして、岩石のような拳を振り上げる。その眼光の鋭さが、冗談ではないことを物語っていた。

 瞬間、エリオットは部屋の外へと駆け出していた。それでも無様に泣いて飛び出すわけにはいかない。

 

「覚えてろよ、この化け物!」

 

 捨て台詞を残し、王子は撤退した。決して、あの男に恐れをなしたわけではない――そう思いたかった。

 冷や汗に濡れながら、エリオットは屈辱と焦りに打ち震える。

 フィリップの屋敷の人間どもは、王子に対して無礼極まりない。なかでも、あの大男は特にだ。悔しさに歯を噛みしめる。

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