名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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幕間1-4 腑に落ちない

 結局、エリンはノディオンへ連れ去られてしまった。滞在は十日にも満たないが、それでもエリオットは気が気でない。

 エルトシャンがエリンを気に入れば、そのまま帰ってこないのでは――そんな不安が、常に胸にまとわりついて離れなかった。

 ボルドーは口には出さぬが、それを望んでいる。ノディオンから申し出があれば、即座に許可を出すつもりだろう。

 エリンのいないハイラインは腹が立つほどに変わらない。

 取り巻きたちは相変わらずエリオットに追従するし、貴族たちは褒め称えてくれる。

 子女たちも恥じらうように、身体を震わせて微笑みを向けてくる。

 父は変わらず横暴だ。エリオットが失態を見せるたび、怒鳴り声が飛ぶ――「お前はエルトシャンに劣るのか」と。

 そのたびに爪を噛み、エリオットは忍んだ。

 毎夜、自分よりも優秀な男に、エリンを奪われる悪夢に魘された。

 そして毎朝、鳥の囀りに腹を立てる。軽やかな鳴き声が、まるで自分を嘲っているようで。

 そんな時、母であるハイライン王妃の馴染みの宝石商が登城した。新たに仕入れた宝飾を披露するためだ。

 王妃をはじめ貴婦人たちは、煌びやかな品々に目を輝かせていた。

 華やいだ声が広間に満ちる中、ふとエリオットに妙案が浮かぶ。

 エリンはあの銀の腕輪に執着していた。それしか価値ある物を持っていないからだろう。

 ならば、改めてエリオットが装飾品を贈ってやればいい。猫に首輪をつけるように、所有の証が必要だ。

 貴婦人たちに割り込んで、机に並べられた装飾品の数々を見やる。なるほど、女が好みそうな造りだ。精巧な細工は、エリオットも感嘆の息を吐く。

 

 その中で特に目を引く品があった。

 

 手のひらよりも小さい髪飾りだ。

 金細工の薄い葉がいくつも連なり、果実を象るように黒曜石が嵌め込まれていた。闇を閉じ込めたような石が、光を吸いながら鈍く艶めく。

 その濡れた輝きは、エリンの瞳とよく似ていた。

 

 髪飾りをつけた彼女の姿を思い描く。

 

 田舎娘のような三つ編みはやめさせ、緩く後ろに束ねさせる。柔らかな蜂蜜色に金細工を溶かし込めば、きっと見違える。それを強調するように黒曜石の妖しげな煌めきは、さぞかし目を引くことであろう。

 この髪飾りさえあれば、あの野暮な腕輪など、二度と身に着けようとは思わないはずだ。

 腕輪を捨てて、髪飾りをありがたがる少女の姿を幻視する。その光景に、エリオットは満足げに笑った。

 母たちに気取られないように、宝石商から髪飾りを買い受けた。下手に勘づかれて、女たちの噂の種にされるのは御免だ。

 宝石商も心得ているのか、何も言わずに売ってくれた。そこそこの金額ではあったが、王子にとっては取るに足らぬ額だった。

 包みに入れられた髪飾りを、自室の机へと隠す。ここならば、勝手に探られることはない。

 夕暮れの赤い光を、時の進みを焦がれるように見つめる。早くこの髪飾りをエリンに付けてやりたかった。

 

  ◆ ◆ ◆

 

 予定通りにフィリップがノディオンから帰国した。エリンも一緒にだ。

 己の心配が杞憂であったことに、エリオットは人知れず安堵する。しかし、エリンが手元に戻ってくれば、殊勝な心はたちまち傲慢さへと変わった。

 あんなつまらない子供にエルトシャンが目を留めるなど、あり得ぬことだと鼻で笑う。横取りの不安が消えれば、熱も冷める。

 帰国したらすぐに渡すつもりだった髪飾りも、今は机の引き出しの奥に眠っている。

 手放すのが惜しいわけではない。渡す時期は、今ではないのだと判断したのだ。

 エリオットの方から媚びを売る必要はない。あちらから求めてくればいい。そのとき、褒美として与えてやろう――そんな風に考えていた。

 だから、エリンが断髪したと聞かされた時は耳を疑った。慌ててフィリップの屋敷へと駆けつけた彼の目に、信じがたい光景が映った。

 あれほどまでに長く、滑らかな光を放っていた髪が首元でバッサリと切られていた。衣装も以前のような質素なドレスでなく、シャツにズボンといった動きやすい服を着こなしている。遠目から見れば少年だと勘違いしてしまう。

 変わり果てたエリンの姿に、エリオットは愕然とした。怒鳴りつけることも、嫌味をぶつけることも出来ずに黙って城へと戻る。

 城内で誰かが呼んだ気もしたが、エリオットは全く反応を示さなかった。ふらふらとした足取りで自室へと戻り、鍵を閉める。

 机の前に立ち、両手で顔を覆った。

 

(あれは、なんだ?)

 

 貴族社会において、子女の髪は女性らしさや貞淑を意味するものである。容姿の一つとして重要視され、極端に言えば家の品格にも繋がる。

 断髪などあり得ないこと。不貞の証や恥辱としての罰だと受け取られても仕方ない。

 ノディオンで何かあったのか――それを真っ先に疑う。

 ならば、エルトシャンだ。アイツが余計なことをエリンへ吹き込んだに違いない。

 

 だが、腑に落ちない。

 

 あの男は女を辱める趣味はないはずだ。どれほどに欠点を捏造してもしたりないが、それに関してだけは断言できる。……褒めているようで癪に障るが。

 では何が原因かと思い直すが、何も分からない。髪を切るだけではなく、身なりまで変化させる理由が思い当たらない。

 机の上に突っ伏して、引き出しの中の髪飾りを思う。

 早く渡してやれば良かった――そんな後悔がエリオットの胸を締め付けた。

 

  ◆ ◆ ◆

 

 予期せぬ出来事に打ちのめされたエリオットだが、すぐに気分は上向いた。

 エリンの断髪の原因が分かったのだ。

 彼女はここ最近、フィリップの部下たちに混じり鍛錬を行っていた。剣術馬術、身体強化に儀礼作法……それは騎士としての手習だ。

 手厳しい指導にも、エリンは泣き言一つ言わないで喰らいつく。あの泣き虫が人が変わったように木剣を振るうのだ。

 汗に塗れる彼女の姿を、エリオットは遠目から眺めて満足した。

 アグストリアは騎士諸国。その中でも魔剣ミストルティンを受け継ぐノディオン国は、さらにそれを誇りとしている。

 恐らくエリンは感化されたのだ。主君のために忠誠を誓う騎士たちの姿に。

 

 そう、エリオットへ近付くために決まっている。

 

 今のままの身分ではエリンは王子の側仕えにもなれない。侍女として召し抱えられようにも、数々の妨害があるだろう。

 ボルドーがエリンを嫌っているのだ。エリオットが口添えしても、握りつぶされるに違いない。

 騎士ならば、出自よりも実力に重きを置かれる。エリンが王子仕えを目指すならば、こちらのが最適解であろう。

 それでも多くの障害があるはずだ。この国は身分差に厳しい。しかし、エリオット恋しさにエリンは乗り越えてくれるはずだ。

 

 健気なものだ――エリオットは感心する。

 

 足りない知恵を絞って考えた末に辿り着いた答えなのだろう。それほどまでに俺の寵が欲しいのかとほくそ笑む。

 こうなれば、ノディオンに行かせたのは正解であったとすら思えてしまう。

 しかし、あの泣き顔を見せなくなったのは忍びない。以前のように揶揄っても、エリンは何の反応も示さない。

 いや、眉を潜ませて顔を背けることはする。本人は澄ました顔であしらっているつもりだろう。全く、素直にならない困った娘だ。

 

 年月が過ぎれば、誰もが子供から脱却し始める。これまで嘲笑の対象であった異性を、意識する者も増え始めた。

 そんな折のことだった。昼下がりの学習室で、子息の一人が口を開く。

 

「相変わらず、あの小娘は色気とは無縁ですね」

 

 エリオットや彼を取り巻く子息たちは声変わりを終えても、エリンを下に見る態度だけは変わらない。

 昔のようにフィリップの屋敷へ集団で押しかけることはなくなったが、エリオットはちょくちょくエリンを詰めに行く。

 この頃には、ノディオンへの外交をフィリップが専任するようになっていた。人当たりの良い彼は、外交関係においても優秀であった。ボルドーがフィリップを手放さないわけだ。

 問題なのはエリンも毎回随行するのだ。何でもノディオンのラケシス姫が、エリンを大層お気に召したという。

 

 だが、それは表向きの理由ではないのか。

 

 彼女を気に入っているのはラケシスではなく――その兄、エルトシャンではないのか。そんな疑念を抱くほどに、エリンは何度もノディオンへと連れて行かれる。

 外交だけならフィリップに任せればいいのだ。義娘のエリンは何の役にも立たない。

 そんなお荷物をわざわざ呼び寄せるのだ。エリオットには、その理由がエルトシャンの醜い執着にしか思えない。

 だからエリンに釘を刺さなければならないのだ。例えノディオン王子がお前を求めたとしても、遊ばれるだけだと。お前には相応しくないのだと、思い知らさねばならない。

 あんな罪人のような短髪の娘に懸想するなど、エルトシャンも堕ちたものだ――そう蔑みつつもエリオットは爪を噛むのをやめられなかった。

 エリオットの心中を慮ることすらしないのか、取り巻きたちはエリンを話題に盛り上がる。

 

「男に混じって鍛錬ばかりしてるから、女らしくなれないのでしょう」

「成長したのは背丈だけですね。それ以外は……唆るものもない!」

「まぁ、アレでも女ですから、組み敷いてやれば良い反応見せそうですよね」

「おい」

 

 地の底から湧き出たような低い声。己の目が座っていることにエリオットは気付かない。

 下卑た笑みを浮かべていた取り巻きたちが一斉に凍りつく。

 彼らを見据えるエリオットの口から、言葉が剣のように吐き出された。

 

「お前はアレを女と見るのか? あんな薄汚い――犬猫と変わらぬ身分の奴に手を出すというのか!」

 

 怒気のまま、机を叩く。自分たちが打たれたわけではないのに、子息たちは身を強張らせた。それでも、エリオットの溜飲は収まらない。

 特に組み敷くなどという野蛮な発想を口にした一人を刺す勢いで睨みつける。

 

「女であれば何でもいいのか? お前は家名を穢すつもりなのか!」

「も、申し訳ございません!」

 

 涙声で謝罪する子息を見ても、エリオットの怒りは鎮まらない。縮こまる彼を、埃でも見るように見下ろす。帯剣していたならば――そのまま抜いていたかもしれない。

 ただでさえ、エルトシャンという邪魔者がいるのだ。羽虫の数を増やしたくは無い。

 荒々しく息を吐きつけると、それだけでも子息たちは震え上がる。

 まだまだ怒鳴り足りないが、これ以上騒げば兵が来るだろう。

 そうなったら、そのまま王に報告されてしまうだろう。あんな小娘を庇ったと知られれば、父は劣化の如く怒り狂うに違いない。厄介ごとは御免だ。

 黙り込めば、重苦しい沈黙が部屋を包み込む。子息たちは顔を見合わせて、空気を変えるきっかけを探り合っている。

 そうして、一人がわざとらしい明るい声で言い放った。

 

「エリンのやつ、ノディオンの騎士になりたいそうですよ」

「…………は?」

 

 間の抜けた声は掠れていて、取り巻きの耳には届かなかったようだ。彼らは先ほどまでの沈黙を打ち壊すように、次々と好き勝手に声を出す。

 

「所詮、アイツも他の女と同じですね」

「エルトシャン目当てでしょう。卑しい母親と同じ血が騒いでいる」

「愚かなりに頭を回したんでしょうね。騎士ならば、他国出身でも召し抱えられる可能性もある」

 

 調子づいた猿どもは、嫌味に塗れた笑みで笑い合う。気遣うべき王子の異変に、誰一人気付くことはなかった。

 

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