相変わらずアグスティ城は絢爛豪華だ。だが、決して悪趣味にはならず、むしろ居心地の良い温かみがある。
それは城主イムカの人柄ゆえだろう。穏便派の彼は絶えず微笑を絶やさず、来賓を迎える。
交わす言葉も博識で抜かりがなく、さりげない切り口で諸国の情報を引き出していた。
一方、息子シャガールは退屈そうにそれを眺めている。だが、彼をもてなそうと近づく取り巻きが現れれば、途端に上機嫌を取り戻す。
分かりやすいお世辞にいちいち反応する様子から、まだ器の小ささが窺えた。
エリオットもボルドーと共に挨拶を済ませる。形式さえ果たせば、あとは自由だ。
太陽のように煌々と輝くシャンデリアは、天井の高みから大広間の隅々まで光を投げかけている。
長机に並ぶ料理の列が、それを受けて艶めかしく光る。
壁の金糸のタペストリーは、灯りをはね返しながら貴婦人のドレスの裾のように揺れ、楽団の調べがそれを包み込むように流れていた。
絹の衣擦れと甘い香が混じり合い、会話の波が絶え間なく広間を満たしている。
ボルドーはエリオットを放置して、他国の王と話し込み始めた。あの男はマッキリー領主クレメントだ。
この華やかな場にありながら、彼は相も変わらず全身を覆い隠すように暗緑色のローブを纏っていた。
司祭としての正装かもしれぬが――この光の海には、あまりに異質だ。
陰険な容貌を隠すために着込んでいるのだろうと、冷笑を含んだ目を向けた。
「おい、フィリップ。お前はここにいていいのか?」
己の背後に立つ男へ、エリオットはぞんざいに声をかける。
「護衛騎士の名目を受けてこの場にいるのならば、父上のそばから離れてはならんだろう」
「ですが、私は王子の護衛も命じられております」
生真面目な返答だが、言い回しが気に食わない。まるで自分の護衛は「ついで」に過ぎぬと言われたようだった。
苛立ちを声に乗せて睨みつける。
「父上には従うが、俺には逆らうとでも言うのか?」
「……私が剣を捧げたのは、ボルドー様です」
フィリップは一歩も退かずに言い返した。
常のように厳つい重鎧を纏ってはいない。帯剣こそ許されているが、この場に相応しい礼服姿だ。胸元のハイラインの勲章に、誇りを示すように右手を添える。
「ボルドー様の命により、エリオット王子を御守りせねばなりません」
舞踏会での事件以降、この男はエリオットの意のままにならない。公には非難しないが、フィリップはエリオットを許してはいない様子だ。
血の繋がらぬ娘がそんなに可愛いのかと、憎しみすら抱く。
怒りを抱いたまま、フィリップの傍らに立つ幼い侍従を睨みつけた。蜂蜜色の髪を揺らして、侍従――エリンは縮こまる。
少女らしい可憐なドレス姿でなく、エリンは礼装ではあるが、男物の装束を着せられている。
白地のシャツの上に、絹織の黒の上着を羽織っていた。一見すると地味な印象だが、侍従ならばそれで良い。
あくまで主役は王族なのだ。脇役が目立つ必要はない。
侍従姿のエリンは短髪であることと相まって、少年のように見える。実際、そう思い込んだ貴婦人が、微笑みながら声をかけてきたほどだ。
本来ならば、元平民の娘など、この場に立ち入ることすら許されない。いくら騎士の義娘を名乗ろうと、所詮は出自の卑しい子だ。
それを、エリオットはボルドーに頼み込んで許可を得たのだ。
父はやはり渋い顔をした。だが、息子のもう一つの提案――ノディオン姫への求婚を聞き、態度を翻した。
ボルドーが言うには、エリンはどうやらノディオンの姫に気に入られているらしい。フィリップがノディオンの使者として毎回選出されるのはそのためだそうだ。
――あの愚図でも役に立つものだな。
嘲笑う父の姿に嫌悪感を抱きながらも、エリオットは頷く。
ボルドーはノディオンを疎んではいるが、同時に恐れているのだ。表立って戦闘になれば、ミストルティンを持つノディオン王族には敵わない。
だから、表向きは下手に出て友好関係を築く。
――お前がノディオンの姫を娶るのは都合が良い。
撒き餌としてエリンを置けば、姫の警戒も薄れるだろう。ボルドーはそう判断して、エリンの同行を許可した。
だが、エリオットはそれだけが目的ではない。
彼を裏切って他の男に恋慕した、この娘に仕置きをしてやりたいのだ。
そのためには、この場にエリンがいなければならない。エリオットの唇が、冷ややかに吊り上がる。
不穏を察知したのか、エリンは青ざめる。久しぶりに泣き出すのかと期待をしたが、フィリップが即座に動く。
さりげなく、逞しい腕で義娘の手を取り、そのまま自分の背に隠した。そしてエリオットの前に立つ。細い目が、挑むように自国の王子を見下ろしている。
あからさまな牽制に、エリオットはたちまち不機嫌となる。怒りのままに怒鳴りつけようとした――その瞬間、大広間が色めき立つ。
多くの視線の先、ざわめきの中心が人の波を割っていく。
煌びやかな一族がそこにいた。
陽光で練られたかのような金糸の髪。沈まぬ太陽を連想させる黄金色の瞳。縁取る睫毛は長く、完璧な扇状。
きめ細やかな白磁の肌は、それ自体が輝いているようだ。
顔の造りの均整は、まさに黄金比と呼ぶにふさわしい。
黒騎士へズルを司るように、黒の騎士服を纏うその姿は神々しく、翻る緋色のマントがまた麗しい。
父も息子も、完璧といえるほどに秀麗だ。
そして、彼らに守られるように歩く少女がいた。
彼女の姿を目に映し、エリオットは息を詰まらす。
姿絵はいつも、現実よりも飾られすぎているものだ。だがこの姫に限っては、絵筆がその美しさに追いつけなかった。
美貌の一族の外見特徴をそのままに、姫君らしい愛らしさを兼ね備えている。
父兄とは違い、彼女は華やかな緋色のドレスを纏っていた。腰から下へと丸く広がるベルラインは、咲き誇る薔薇のよう。
幾重にも重ねられたレースには金糸が縫い込まれ、歩くたびに星を散らす。
柔らかな金髪の上で輝くのは、赤い宝石で飾られたティアラだ。彼女自体が太陽であるかのように、赤の宝石は絶えず光を発する。
ノディオン王族一行は、大勢の注目を浴びながらも優雅に大広間を進む。
慣例通りにイムカ王へ挨拶を行う姿も様になる。この場に画家が入れば、名画がいくつも生まれていたことだろう。
しばし見惚れていたエリオットだが、すぐに現実に戻される。
フィリップの背後から顔を覗かすエリンを見てしまったのだ。陶酔するような表情をノディオン王族に向けていた。
彼女の視線の先には――妹姫に語りかけるエルトシャンがいた。
そのことに気付いた瞬間、エリオットの全身に冷や水がかけられたかのように熱が引く。
叱りつけてやろうかと思ったが、そんな生ぬるい仕置きでは足りない。もっと苦しめてやる。――エルトシャンを映す漆黒の瞳が、絶望で曇る様を嘲笑ってやろう。
胸の内に黒い感情を燻らせ、エリオットは歩き始めた。
フィリップが足を踏み出した途端、エリオットの鋭い視線がそれを封じた。睨む鳶色の目が雄弁に語る――お前はそこで親子ごっこでもしてればいい。
それに逆らわず、フィリップは周囲に控えていた部下たちへ短く視線を送る。命じずとも通じ合う。部下たちの顔が一斉に引き締まった。
エリオットの歩みは止まらない。靴音が華やかなざわめきを切り裂き、己の存在を響き渡らせる。
俺はここだと、目的の人物に知らしめるように――。
彼の接近に気付いたのか、ノディオンの姫君は顔を向けた。
その顔は、少女のあどけなさよりも淑女の気品が溢れていた。年下の少女のはずなのに、王族としての品格をしっかりと持ち備えている。緋色の扇で口元を隠し、琥珀色の瞳が、伏せがちにこちらを伺う。
その瞬間、背筋に甘い痺れが走る。理性の輪郭が、ふらりと揺らいだ。色気の漂う仕草に、彼はますます彼女を気にいる。
己の妃に選ぶなら、こういう女が相応しい――そう思った。
エリオットの接近に気付いたのは姫君だけではない。
過保護な兄が一歩、妹を庇うように進み出る。さながら、悪漢から庇う仕草だ。露骨な牽制に、エリオットは眉間に皺寄せた。
エルトシャンが口を開く。
「何のようだ」
深みのある低音に、まだ若者の張りが残る。言葉に力を込めずとも、その声には人の心を静かに掴む力があった。
会話の外にいる貴婦人たちが、その美声だけで頬を染めている。
この男と対峙するたびに、エリオットは神の贔屓を目の当たりさせられた。そして、どうして俺ばかりが不幸なのだと、延々と嘆きと怒りに包まれるのだ。
だが、今日は違う。
エリオットはエルトシャンを無視して、前に出る。
鳶色の瞳が映すのは、凛と佇む姫君。怯むどころか、気品と誇りを湛えた眼差しが、まっすぐ彼を見返していた。
気高いその眼差しに、エリオットの嗜虐が刺激される。この気高さを踏みにじってやれば、さぞ良い顔で泣くあろう。
下卑た考えを抱きながら、エリオットは恭しく一礼する。
「ノディオン国姫君、ラケシスと見受けられる」
名を呼ばれた時、彼女の眉目がピクリと跳ねる。しかし、自惚れた彼は気付くはずもない。
芝居かかった声音を響き渡らせる。さながら、自分の立場を聴衆へと誇示するように。
一拍の間を置き、彼は得意げに顎を上げた。
「俺はハイライン国王子、エリオットだ」
「エリオット……」
小さく呟かれた姫の声――鈴の音に似た清らかな響きがある。
そんな声で名を呼ばれれば、まるで己が特別な存在であるかのようにエリオットは錯覚してしまう。……愚かな彼は気付かない。
彼が何者なのかを認識した瞬間、ラケシスの瞳は細まる。その眼差しは冬の湖のように冷たかった。
熱に浮かれたエリオットは堂々とラケシスに近寄る。しかし、それを遮ろうとする動きをノディオン兵が見せた。
燃えるような赤髪の青年は、剣に触れることなくエリオットと対峙する。その態度が、まるで自分を子供扱いしているように見えた。
侮辱されたと受け取ったエリオットは彼を睨みつけた。
しかし、ハイライン兵とは違って青年は引かない。赤銅色の瞳が警告を発するようにエリオットを見下ろす。
他国とはいえ王族を前にして無礼だ。不審者に対する対応ではないか。
「イーヴ、構わないわ」
ラケシスが扇を閉じて、青年に声をかける。
「エリオット王子と話をさせて頂戴」
「いいのか?」
問いかけたのは、エルトシャンの方だった。気遣う兄王子に、妹姫は微笑みを見せる。その笑みは甘く可憐で――そして戦いに挑むような強い意志を感じさせた。
視線が絡み、エルトシャンは頷く。それだけで彼らの間に通じ合ったようだ。
美貌の兄がイーヴを一瞥する。指示を口に出されずともイーヴは察知した。その場から一歩後退する。
ラケシスが扇をゆったりと降ろす。
その動作に合わせて、白百合のような清廉な香りが漂う。
鼻先をくすぐるその香りに、エリオットは頬が緩むのを止められなかった。扇を握る手をこちらへと差し出されば、その甲に口付けでもしてやろうと考える。
絹の手袋に覆われていても、その指先のしなやかさに目を奪われる。しかし、求めるように待っていても、その手がエリオットへと伸ばされることはなかった。
焦れるエリオットを、ラケシスは冷ややかに一瞥する。
「私に、何か?」
座った眼差しを、エリオットは恥じらいと受け取る。
どうせこの女も、ハイラインの子女たちと同じだ。口説いてやれば、たちまちに頬を染めて従うだろう――勝利を確信し、エリオットは宣言した。
「俺の妻になれ」
跪くことなく告げた求婚。
どよめきが大広間に広がる。それを心地良く聴き入りながら、エリオットは横目でエリンを見た。
想像以上に面白い反応をしていた。
血の気が引き、その肌は青白い。唇を震わせ、恐怖するように歯の根を鳴らしている。
何よりも傑作なのは、その瞳だ。
吸い込まれるような漆黒の目は、大きく見開かれている。長い睫毛が震え、今にも泣き出しそうだ。
そうだ、その顔が見たかったのだ。胸を満たす熱い昂りに、エリオットは酔いしれる。
勝ち誇るようにラケシスの背後に立つ男を見やった。唇の裏に、笑いがこみ上げる。
きっと、あの美しい顔を崩して慌てふためいてるに違いない。
腹の中で高笑いをするエリオットだが、瞬時に息を呑んだ。
妹姫を目の前で奪われた兄王子は、無様に立ち尽くしているはずだった。なのに、現実はまるで違う。
エルトシャンは――呆れ果てた表情で、冷たくエリオットを見下ろしている。
どういうことかと、エリオットは混乱する。噂では、あの男は歳の離れた妹を可愛がっていたはずだ。
なのに、そんな大切な妹が奪われようとするその場面を、冷ややかな目で傍観しているのだ?
彼の胸の奥を、理解不能な寒気がかすめた。それに追い打ちをかけるように、ラケシスが言い放つ。
「お断りします」