名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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3-3 この腕輪はどこで手に入れた?

 救援軍の指揮官はキュアン王子だった。彼の指示の元、救援軍は馬を進める。数々の開拓村から黒煙が昇っていた。

 救助を終えた村人によると、ハイライン戦の開始から盗賊は動いていたらしい。村は焼かれ、すでに幾人も負傷している。……犠牲となってしまった者も、少なくはない。

 これ以上の被害を出すわけにはいかない。迅速な行動を必要とするため、救援軍は騎馬隊が多く編成された。

 編成目的に対して、ラケシスは馬術の経験が浅い。ましてや戦場での早駆けの経験は皆無だ。そのため、彼女はノディオン三つ子騎士の一人アルヴァと共に馬で行動することになった。

 アルヴァは兄弟の中で一番馬術に優れているらしく、少女を抱えたままでも、難なく剣を振るう。

 出撃から程なくして、救援軍は二つ目の村を解放した。恐怖は終わった――そんな村人たちの安堵の声。救われても彼らの恐怖の痕跡は風景となって残る。

 村にはまだ火の手がくすぶっており、焦げた木と血の臭いの混じる風が鼻を刺した。地面には盗賊の亡骸がいくつも横たわっている。

 その惨状を背にして、エリンはラケシスの元へと馬を進めた。

 

「ラケシス様、ご無事でしょうか」

 

 エリンの顔を確認し、ようやくラケシスは強張った頬を緩めた。

 

「ええ、平気よ」

 

 流石はエルトシャンの臣下といったところか、アルヴァは敵をあしらいながらもラケシスを傷一つ負わせていない。しかし、ラケシスの精神までは庇えない。

 初めて間近で見た命懸けの戦闘。それはラケシスに大きな負担となったようだ。気丈に見せようとするその姿が、エリンには痛々しく映る。

 しかし、ラケシスは己のことよりもエリンを案ずる。

 

「エリン、あなたは大丈夫? 血が見えるわ」

「ご安心ください。ほとんど返り血ですので。それに、私は昔から傷の治りは早いんです」

 

 戦いの最中、エリンには幾つも切り傷が出来ていた。しかし、それらはすでに瘡蓋となり塞がれている。戦場の緊張に心が張り詰めているせいか、負傷の際にも痛みは感じなかった。

 過去の突き落とし事件後に発覚したのだが、エリンは身体の治癒力が通常の人よりも高い。軽い怪我ならば、幾日も経たないうちに回復している。武人を志すなら得難い能力だ。

 きっと亡き母が守ってくれているのだろう。エリンは幼い頃よりそう思っている。形見の腕輪を眺めれば、それを肯定するようにキラリと緑石が光る。

 

 そして、義父の贈り物である装備一式。

 

 義父が義娘のために最高の武具職人を選んだのだろう。空色の鎧は軽さと頑丈さを併せ持ち、細身の剣は精度が高い。大ぶりの斧を持つ盗賊にも素早く対処できる。多くの戦場を生き延びられるように――そんな願いが込められているように思えた。

 とはいえ、人を傷付けることにエリンは抵抗があった。稽古ではない、命のやり取りで剣を振ったのは初めてだった。肉を切る感覚をエリンは恐れたが、それよりも被害にあった村々の様子に憤りが勝る。少しでも躊躇えば、自分の命だけでなく力泣き村人が犠牲となる。

 

 そんなエリンを守護するのは、フィリップ隊の面々だ。副隊長を初めてとし、彼らは全力でその力を奮った。元々義侠心が強い人たちだ。暴虐の限りを尽くす盗賊に容赦はしない。フィリップの精鋭部隊である彼らは、小隊にも満たない人数ながら、その練度と結束で盗賊を圧倒する。指揮をする副隊長の雄叫び一つで、多くの盗賊たちを震え上がらせた。

 

 救援軍を指揮するキュアンの働きも凄まじい。迷いのない槍捌きは、屈強な斧使いであっても敵ではない。彼の一振りで、幾人もの盗賊が武器を落とされる。

 彼に従うフィンもまた、負けてはいない。所作にまだぎこちなさが残るものの、着実な戦いぶりを見せている。無闇に突撃することもなく、敵の力量を見極めて動いていた。

 同じ見習い騎士なのに、エリンとは全然違う。あのキュアンが目にかけているのも分かってしまう。

 彼に倣おうとエリンも気を引き締めた。ラケシスに誇れる騎士になるのだと、決意を新たにする。

 

 ともあれ士気は上々。進軍は順調に進む。

 賊を蹴散らし、村を解放するのはラケシスの役目だ。獅子王エルトシャンの人気ゆえ、妹姫ラケシスもまた村人に崇拝されている。そんな彼女を護るのは、連戦連勝のシグルド軍。

 軍師役の狙い通り、開拓村の人々はその参戦に歓喜の声を上げた。

 怪我をした村人を集めると、ラケシスがライブの杖を振るう。杖の先に飾れた紅の宝石が光を放ち、負傷者は優しい光に包まれていく。光が収まると、怪我は綺麗になくなっている。その神々しさにラケシスを拝む村人もいた。

 軽傷者は、兵たちは傷薬で手当てを行う。小火の消火も終われば、ひとまずは完了だ。

 感謝を込めて頭を下げる村人たちに一礼を返し、キュアンは号令を放つ。次の村を解放するために、再び進軍を始めるのだ。エリンもそれに倣う。彼女は部隊中央に整列する。その位置にはフィリップ隊や、ラケシスと三つ子騎士の姿もあった。

 進軍の最中、ラケシスはエリンに話しかけた。

 

「決して無理はしないで」

 

 今回の出陣、ラケシスは直前までエリンを諌めていた。

 フィリップの死から日も浅い。エリンの心はまだ傷が新しいままだ。そんな中での初陣。ラケシスが心配するのもわかる。

 

「辛いと思うのなら、すぐに撤退するのよ」

 

 陽の光を宿した瞳を潤ませて彼女は言う。

 心よりエリンのことを案じているのだ。それがラケシスの表情や声から感じ取れる。

 エリンにはそれが有り難くも有り、申し訳なくもある。口に笑みの形を作らせて返事をする。

 

「分かっております。ですが、私は幼い頃、ここの開拓村で過ごしておりました」

 

 幼少期、エリンは母と放浪の旅を行っていた。その際に開拓村で滞在していたのだ。たまたま視察に来たフィリップが母を見初め、そしてエリンと共に家族として迎え入れてもらうまでの数ヶ月。

 そのわずかな期間だが、エリンたち母子は村の人々に良くしてもらった。共に遊んだ子供達もいた。少々の諍いごとはあったが、彼らと過ごした日々もまた大切な思い出であった。

 

「あの頃の恩をお返ししたいのです」

 

 それだけではない。

 じっとしていたらどうしても悲しくなってしまう。ハイライン城には思い入れがあり過ぎる。どこにいても過去を振り返ってしまう。

 目元の熱を悟られまいと、エリンはラケシスを見上げた。

 

「ラケシス様もご無理をなさらないでください」

「分かっているわ。エルト兄様にも言われているもの。己の実力を過信するなと」

 

 はっきり言って、今回のラケシスの役割は象徴役だ。村人からシグルド軍への好感度を上昇するための役回り。悪く言えば、戦力として捉えられていない。

 ラケシスの美点は、それを恥じず拗らせないところだ。政治的利用であると理解し、それに相応しいよう振る舞う。そうすることが、自分の役割なのだと認めている。

 それでもエリンは心配してしまう。気高いラケシスだってまだ十代半ばの少女。背負うものの重さに疲れる時だってあるだろう。

 手を差し伸べたいが、今のエリンではその重さを受け止めきれない。歯痒いばかりに無力だ。

 そうして思い出すのは出陣前のアレクとのやり取り。小さなエリンをあっさりと包み込めるあの強さ、逞しさ。優しさに見合う力もある。自分も彼のように振る舞えたのなら、ラケシスの負担も軽く出来たのに……そう思ってしまう。

 浮かない表情を浮かべるエリンにラケシスは微笑みを見せる。

 

「あなたが、私の傍にいてくれる。それだけで、心強いのよ」

 

 ラケシスは、いつだってエリンの望む言葉を与えてくれる。

 揺らぎない信頼。敬愛する相手から送られるそれは、ひどく甘美でもあった。天に登るような陶酔が身を震わせる。だが、その裏に静かに宿るのは、燃えるような決意だった。

 苦しみも悲しみも消えない。それでも強く思うのだ。

 

(この方を何があっても守り抜く)

 

 たとえ己の命をかけようともだ。きっとそれこそがエリンが目指すべき騎士の姿。

 決意を秘め、次の村へと辿り着く。

 部隊が進むに連れて目に見える被害も多くなってくる。爆ぜる火の音、悲痛な叫び、愉悦に満ちた笑い声。

 不快感が湧き上がる。それは救援軍の誰もが感じたのだろう。部隊内に殺気が宿る。

 突撃、とキュアンが高らかに号令をかければ皆一斉に馬を駆け出した。

 

「野郎ども! 一匹残らず蹴散らすぞ!」

 

 副隊長の掛け声に、フィリップ隊も全員大きく答える。彼らの返答は一つにまとまり、大気を震わせた。

 頼もしい限りだが、勇ましさを飛び越えて突進する猛獣のようだった。

 彼らの突撃を見て、アルヴァが正直な感想を述べる。

 

「声だけ聞くと、紛らわしい限りだ」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 被害の大小はあれど、開拓村の解放は順調であった。いや、快調過ぎる。救援軍の戦闘力の高さを省みても異常なほどだ。それは確かに喜ばしいことなのだが、不安もよぎる。これは罠ではないのか、と。

 物見の報告では盗賊は一軍隊ほどの人数だと伝えられていた。しかし、いざ討伐を開始してみれば人数が少ない。よくよく見てみれば手負いの盗賊もいた。

 同士討ちでも始めていたのだろうか?

 疑問を浮かべながらエリンは剣を振る。数は少ないとは言えど、慣れない実践は確実に彼女の体力を奪う。

 狡猾な盗賊は確実に倒せる相手を選別する。その結果、エリンは標的にされることが多かった。投げつけられる斧は副隊長が弾き、投擲者はフィリップ隊が止めを指す。囮役のような立ち回りになっていたが、彼らは確実にエリンを守ってくれた。エリンに大きな傷はない。

 額に流れる汗を左手で拭えば、腕輪の緑石が木漏れ日のように激しく煌めいた。光に呼応するように風が吹く。涼やかな風の心地良さに顔を上げれば、遠目に何かが見えた。

 

 数人の盗賊が二人の男女を取り囲んでいる。

 

 男女の様相は村人では無い。目をつく華美な装束だ。巻き込まれた旅芸人だろうか。

 二人は武器になるような物を持っている様子は無い。それなのに盗賊たちは容赦なく間合いを詰めてゆく。

 男の新緑色の髪が風で揺れた瞬間、エリンは手綱を打ち付けた。

 

「危ない!」

 

 彼女の衝動に突き動かされるように、老馬は走る。

 未熟さゆえ、エリンは単独行動を控えるよう強く命じられていた。しかし、動いてしまった。動かざるを得なかった。

 彼らを――彼を救わねば、そう強く思ってしまった。まるで本能に突き動かされるように。

 背後から誰かが、エリンを制止する声が聞こえた気がした。だが、それがエリンを引き止める効力は無い。

 手綱を操り、剣を構える。突撃と同時に奇襲を仕掛けるため。普段なら負担を心配して行わないほどの無茶な速さを老馬に求める。

 エリンの鼓動に合わせるように、腕輪の緑石が光を瞬かせる。早く早くと急かすように。

 

 まず動いたのは旅芸人風の少女だった。薄着のドレスを纏う彼女は踊り子のようだ。しなやかに手足を伸ばして弾むようにステップを踏む。音楽もないのに、華やかに軽やかに。

 連動するように動いたのは旅芸人風の男だ。彼は左手に本を携えている。右手を高く掲げ、何やら呟いている。

 まるで興行の一幕だ。現状と不釣り合いの行動にエリンの方が焦りを覚える。一芸で見逃してもらうつもりだろうか、だとしても、強欲な盗賊相手に意味なんてない。

 もう一駆けでエリンの剣が盗賊に届く――その時だった。

 

 男女を中心に突風が吹き荒れた。

 そして周囲に響くのは盗賊達の悲鳴だった。

 

 風は目に見えぬ刃のように鋭く盗賊達を切り裂いていた。凄まじい風の猛攻はエリンにも届く。慌てて手綱を引いて老馬を止めさせる。身を屈めるが、勢いは削がれずにエリンの左頬を傷付けた。鮮血が花弁のように空へと舞い上がる。

 やがて風が収まれば、盗賊達は地に倒れ伏していた。誰一人、動く気配はなかった。反撃の意志など――もう、どこにもない。気絶か、あるいは絶命か。全員ピクリとも動く様子はなかった。

 

 風魔法だ。

 

 男の奇術をエリンは直感的に理解した。

 アグストリアは騎士の国。ゆえに魔術師の数は少ない。だからこそ、彼らの存在は目立つ。城仕えをしていれば、自然と魔術師達の顔を覚えてしまう。

 この国では、魔術師は他国出身でも歓迎されて重用されることが多い。そういう理由からか、腕に覚えのある魔術師が他方から士官を願うのもよく聞く話だ。

 元々傭兵を雇うのに躊躇ない国は多い。優秀な人材はどんどん登用していく。

 転移魔法が使える者は、外交役として重宝されているらしい。馬足なら数日かかる道のりも、魔法なら即座に到着できる。

 目の前の男は、エリンが知るどの魔術師よりも遥かに強い魔力を抱いている。それを実感されるように、切り裂かれたエリンの頬から温かな血が伝う。

 風使いの男に踊り子の少女が抱きつく。きゃあきゃあと、はしゃぐ歓喜の声がこちらまで届いた。そんな少女を男は軽くあしらい、エリンを見た。

 整った顔が、あからさまな嫌悪の色を浮かべている。

 呆けてたエリンも慌てて思考を切り替える。

 すぐさま老馬から降りた。彼は苦しそうに息を荒げている。ハイラインから逃れたときよりも、無理をさせてしまった。罪悪感がエリンの胸を詰める。

 

「ごめんなさい……」

 

 小さく謝ると老馬は体躯を小さく震わせた。苦しいなりに、大丈夫だとエリンに示すかのように。

 馬の首をひと撫でして、エリンは歩き出す。目指す先は二人の旅芸人。剣は納める。彼らは敵ではない。何故だかそんな確信があった。

 エリンが目前まで近寄った時、男が口を開く。

 

「驚いたな。軍隊は来ないと聞いていたが、寄越してもこんな子供一人だとは」

 

 呆れたような口ぶりの男に対して、エリンは怯んだ。しかし、拳を一度強く握りしめて声を上げた。

 

「私一人が勝手に動いただけです。本隊はすぐに来ます」

「勝手に? 無鉄砲に動き回る子供を戦力にする軍隊か……とんでもない国だな」

 

 どこまでも皮肉混じりの男だ。そんな彼にまとわりつくように踊り子は言う。

 

「もーレヴィンったら! せっかく助けに来てくれたのにそんなこと言わないの。ほら、この子ってば怪我してるんだよ」

 

 そう言って彼女はエリンの頬を指さす。先ほどの風魔法の巻き添えだろう。出血は治ってはいるが、血の跡はそのままだ。

 心配されて、エリンは慌てて目を反らす。見習いであれど、騎士ならば堂々としなくてはいけない。なのに、彼女の人見知りは未だ改善されていない。

 身を縮めて言葉を足した。

 

「大丈夫です。かすり傷ですよ」

 

 これくらいの傷なら、エリンの治癒力ならばもう治っているはずだ。乾いた血痕を左手で拭う。その瞬間、レヴィンと呼ばれた男の目が鋭くなる。

 エリンの身が警戒を発動させる前に彼は動いた。素早い動作で、彼女の左手首を強く掴み上げる。

 見せつけるように眼前に出される、形見の腕輪。その緑石はレヴィンの眼光のように強い光を放っていた。

 彼は仇を見つけたように険しい表情を露わにしている。

 

「お前、この腕輪はどこで手に入れた?」

 

 威圧的な迫力に、エリンはたじろいだ。先ほどまでと態度は一変していた。皮肉混じりな軽い雰囲気は、今のレヴィンには存在していない。返答次第では許さない、そんな殺意めいた気迫が直に伝わってくる。まるで、自分の大切な何かを踏みにじられたような――そんな怒りの色だった。

 エリンは答えられない。掴まれた左腕の痛みもあるが、何よりもレヴィンへの恐ろしさが優った。胸の奥がきゅっと縮む。腕輪を身に着けていたことが、咎のように思えた。言葉を発しようにも、うまく舌が回らない。

 重苦しい空気に割り込んできたのは、またしても踊り子の少女であった。

 

「レヴィンー。この子、怖がってるよ。かわいそーだよ」

 

 嗜めるにしては軽い口調だ。それが癇に障ったのか、レヴィンはじろりと彼女を見やる。

 

「シルヴィア、静かにしていてくれ。今、大事な話をしてる」

 

 声からしてレヴィンが不機嫌だと伝わる。しかし、シルヴィアと呼ばれた少女の調子は変わらない。わざとふざけているのか、それとも本気で分かっていないのか……判断がつかない。

 

「そんな怖い顔してたら駄目じゃない! 相手は子供なんだから」

「お前も子供だろうが!」

「ひっどーい!」

 

 喧々とするレヴィンに対してシルヴィアは嬉しそうだ。全身を使って自分の感情を表に出してる。まるで、構ってもらって喜ぶ子供のようだ。

 左腕の痛みだけが残り、エリンはすっかり話の外に追いやられていた。困惑しながら二人を見つめるしかない。

 そんな時、背後から名を呼ばれた気がした。今度はきちんと、その声がエリンの耳に届く。同時に森林に響く馬の蹄の音。

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