名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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3-4 旅の吟遊詩人だ

「エリン……エリン! 勝手に行ったら駄目じゃない!」

 

 アルヴァの操る馬に乗り、ラケシスは叫ぶ。身を乗り出さんばかりの勢いで、彼女はエリンに呼びかけた。その表情は心配と安堵の色が混ぜこぜになっていた。

 彼女の姿を見て、エリンは己の失態に顔を青ざめる。守るべき人物を放置して、独走したのだ。騎士としてあるまじき行為。誰かを助けるためだったなんて、言い訳にもならない。

 アルヴァも呆れているのか、その表情に翳りがある。常時無表情を貫く彼が、疲労感をあからさまにエリンに見せているのだ。

 アルヴァは三つ子の中で一番体力のある男だ。そんな彼が疲れを見せるのは珍しい。

 即座にエリンはその場で膝を折り、首を垂れる。

 

「申し訳ございません!」

 

 馬のいななきとともにアルヴァが手綱を引き寄せた。エリンの前で馬が停止する。ラケシスが馬から降りた音がした。

 徐々にこちらに近寄ってくる足音に、エリンは肝が冷える。

 やがて、視界に泥に塗れた白いブーツが映る。

 

「エリン、顔をあげて」

 

 ラケシスの声に怒りがこもっている。

 その理由は考えなくても分かる。

 

 エリンがしたのは独断による単独行動。まとまって動くようにと指示されていた中での離脱――これは紛れもなく軍令違反だ。

 配下の失態は主君の責任にもなる。

 

 申し訳無さから、ラケシスに顔向けできない。

 何を言おうにも全て言い訳となる。特に戦闘時ではたった一人の判断ミスで全てが崩れるのだ。例えそれが圧倒的に有利な状況であっても。

 レヴィンから与えられた左腕の痛みも恐怖も、今のエリンから全て消え去っている。

 白のブーツが、一歩踏み出された。反射的に肩を震わせたエリン。その耳にストンと何か地面に触れる音が届いた。細い膝が地に触れたのだと気付いてエリンは息を呑む。

 驚きに突き動かされるように、彼女は顔を上げ――目が合った。

 怯みからその目をそらそうとしたエリンだったが……硬直して動けなくなる。

 木々のざわめきが一瞬止まった気がした。その隙間から差し込む日差しがラケシスの姿を浮かび上がらせる。

 ラケシスが、ひどく悲しそうな顔をしていたからだ。

 絹のような金糸の髪は、馬の疾走により乱れている。頬は赤みが刺し、艶やかな唇は震えている。

 何よりもエリンを釘付けにしたのは、ラケシスの琥珀色の瞳だった。

 歪んだ眉の下で、その目は潤いに溢れて光を揺らしている。瞬き一つで、涙が溢れそうだ。

 息を呑むエリンを、真っ直ぐに見つめてラケシスが口を開いた。

 

「どうして一人で飛び出したの」

 

 淡々とした声音。敢えて感情を消そうとしているのだろう。エリンはそんなラケシスの痛みが分かってしまった。

 罪悪感から目を逸らしそうになる。だけどエリンは堪える。視線を泳がせてしまったら、ラケシスのことを本当に裏切ってしまったように思えてしまうからだ。

 

「…………申し訳ございません」

 

 長考の末に、エリンの口から出たのは謝罪の言葉であった。

 

「独断で動いてしまいました。ラケシス様をお守りする役目を放棄して――」

「違うわ!」

 

 叫びと同時にエリンの手がラケシスに握られる。

 

「心配したのよ! 勝手に一人で行くだなんて! もしも、エリンに何かがあったら……私……」

 

 ラケシスの手は震えていた。それでも手放さないという意思表示のように、エリンの手を強く強く握っていた。

 

「あなたが鍛錬を積んでいることは知っているわ。どれだけ努力しているのかも。……でも、それでも、一人で戦えるだなんて思わないで。私はあなたが傷付く姿を見たくないの……」

 

 届く吐息は熱く、湿っぽい。口をついて出た言葉は、涙と同じ熱を持っていた。

 

「私だけじゃないわ! フィリップ隊の方々も心配してたのよ! 私が……お願いしてあなたを追う役割を譲ってもらったの。……それしか、私には出来ないから」

 

 そんなことない、と否定する声をエリンは上げられなかった。

 湧き上がる感情の数々に押し潰されそうになっていたのだ。ありとあらゆる想いがエリンの中に浮かび、溶け合うことなく弾けてゆく。

 胸が苦しくて、言葉が生まれない。ただ辛くて、苦しくて、悲しくて、嬉しくて――こらえてもこらえても声の代わりに涙が浮かぶ。それを唇を噛み締めることによって、必死に我慢をする。

 沈黙するエリンの左頬を、ラケシスが撫でる。そこは傷付き血を流した箇所だと思い出す。その瞬間、反射的に声が出た。

 

「だ、駄目です! ラケシス様のお手が汚れてしまいます!」

 

 すぐさまにエリンは身を引こうとする。が、ラケシスはエリンを離さない。

 

「私に触れられるのが嫌なら、勝手な行動は控えなさい」

「ですが……!」

 

 ちらりとエリンは、馬から降りていたアルヴァを見上げる。彼にラケシスを諌めてもらえないかと目線で訴えてみる。

 しかし、アルヴァは険しい顔付きでエリンを見つめていた。自分から説教を与えるよりも、ラケシスの言動がエリンには効果的だと判断してるのだろう。

 間違いなくその通りだ。百の説教よりも、ラケシスの涙一つがエリンの心を抉る。

 再び言葉を失うエリンの背後から賑やかな声が届いた。

 

「ねぇねぇ、レヴィン! もう! さっきから怖い顔してどうしたの」

「だから何でも無いと言っているだろうが」

 

 相変わらず雰囲気に呑まれない少女だ。場違いな爛漫な声は、エリンとラケシスの間に漂う張り詰めた空気すら破壊する。

 

「エリン、あの方々は?」

 

 訝しむラケシスにエリンは答えた。

 

「男性は魔術師のようです。少女の方は……おそらく踊り子かと」

「おそらくじゃないよ! 踊り子のシルヴィアでーす! シルヴィって呼んでもいいよ」

 

 振り返れば、満面の笑みで両手を振るうシルヴィアがいた。彼女の言葉の最後にはくるりと一回転まで添えられた。

 無邪気さの塊のような、屈託のない笑顔。……ここまで堂々としてると、彼女なりにあえて空気を読まない振る舞いを行っているのかも知れない。

 隣に立つレヴィンは、なるほど彼女の言う通りあからさまに不機嫌な顔立ちだ。

 彼の視線はエリンを捉えたままだ。いまだに睨む彼に、エリンは少々身を縮こませる。

 その反応に気付いたのか、レヴィンは鼻で笑った。

 

「国からの助けは来ないと聞いたからな。俺たちで勝手に賊を討伐していた」

「まぁ、そうでしたの」

 

 ラケシスは立ち上がり、レヴィン達に向き合う。

 

「ありがとうございます。救助が遅くなって申し訳ありません」

「まったくだ。村の連中は諦めていた。それに、やって来たところでそっちの男はともかく、戦闘経験の浅そうな女子供を寄越してくるとは……」

 

 どこまでも皮肉めいた発言をする男だ。不服に思われても仕方ないと、エリンは同意する気持ちもある。だが、ラケシスへの侮辱発言は許せない。エリンはラケシスの前に立ち、レヴィンに反発する。

 初対面相手だろうが、知ったことではない。ラケシスを侮るなら、彼はエリンの敵に等しい。

 何故かこの男に対しては、強い反発心をエリンは覚えたのだ。人見知りが失せてしまうほどに。結果、自然と声に棘が籠る。

 

「本隊は別にいます。この先の村はすでに彼らによって解放されています。それにラケシス様たちは、独断で動いた私を探しに来てくださっただけです」

「独断ねぇ……」

 

 再び彼は胡乱げにエリンを見る。その視線が、ゆっくりと動く。まるでエリンの全貌を確認するかのように。

 そして、改めてエリンの瞳を彼がまじまじと見る。瞬間、彼は何かに気付いたように息を呑んだ。

 突然露わにしたレヴィンの動揺を、エリンが指摘する前に彼が喋る。

 

「何故、一人で突っ走った? ……相変わらず無謀極まりない」

 

 後半のレヴィンの声は独り言のように小さく、エリンには上手く聞き取れなかった。だが、なんとなく分かる。独走したことを咎められたのだろう。

 聞き返すことなく、エリンは返答した。

 

「盗賊に襲われるお二人の姿が見えたからです」

「……それで俺たちを助けに入ろうと?」

「はい」

 

 レヴィンの緑の目がエリンを見つめる。その目には何処か揺らぎがある。怒りではない、もっと別の何かを孕んだ光。

 その色が腕輪の緑石とよく似ていることにエリンは今気付いた。淡くもあり、深くもある。夏の木々のような鮮やかな緑色。

 それに気付いた時、エリンの胸が大きく高鳴った。慌てて視線を逸らして、右手で腕輪に触れる。彼の目からそれを隠すように。

 

(駄目だ、駄目だ! あの人を見たら……見つかってしまったら!)

 

 訳も分からない考えがエリンの中で浮かび上がる。カチカチと歯を慣らし、必死にレヴィンの視線から逃れようとする。

 警笛のように頭に鳴り響いたのは……母の声。

 

 ――駄目――見つかったら――。

 

 同時に浮かび上がるのは母の顔。

 エリンの大好きな母の顔ではない。

 刃のような冷たい眼差しを放つ黒曜の瞳。熟れた果実のような赤々とした唇。そこから覗かせる歯は純白。その下では、舌がテラテラと妖しく光る。それは蛇を連想させた。

 蜘蛛の糸のように伸びた黒髪は、エリンの顔にしがみつくようにまとわりつく。

 これは……誰だ?

 

 ――忘れ――分かっ――――エリン。

 

 これは、本当に母なのか?

 

 ――名前――絶対に――見つかったら……。

 

 私の知ってる母は……。

 

 否定しようとしたエリンの眼前で、母であろう女性は目を見開いた。

 

 

 お前は

 

    殺されて

 

          しまうよ

 

 

「――ひッ」

 

 小さく悲鳴を上げて、反射的にエリンは腕輪から手を離す。

 心臓が大きく動いている。あまりの早さに壊れるのかと危機感が芽生える。

 病み上がりのようにエリンの体は汗ばみ、熱が冷えていた。

 あれは存在しないの記憶。そのはずだ。……なのに、今のエリンにはそれを否定することが出来なくなっていた。

 あんな恐ろしい女性が、エリンを脅すような人が、自分の母親だと思いたくないのに……!

 怯える眼差しを形見の腕輪に送る。それは何も変わらずに緑石が静かな光を放つのみだ。

 混乱するエリンを見て、ラケシスはどう思ったのか――庇うようにエリンの前へと出た。

 

「この子が無礼を働いたというなら、それは私の責任です。不満がおありでしたら、私に言ってください」

 

 守るはずの主人に今度は守られてしまった。騎士としての本分を果たせていない。

 慌ててエリンがラケシスを呼び止める。

 

「ラケシス様!」

 

 しかし、ラケシスは首を横に振る。

 

「いいのよ、エリン。あなたはあの方々を守りたかったのでしょう」

 

 エリンの気持ちは分かっている。そう言いたげに、ラケシスは目を細めて柔らかな微笑みをくれた。

 戸惑うエリンの後ろから、アルヴァが声を発した。彼が言葉を投げかけたのは、レヴィンに対してだった。

 

「レヴィン殿とやら、こちらの本隊へ一度合流するのはどうだ?」

 

 馬の手綱を引き、ゆっくりとエリン達の前へとアルヴァは歩を進める。彼はごく自然にラケシスを庇う立ち位置に移動していた。

 彼の声は普段通りの静かさだったが、その響きには戦場を生き延びた者特有の『静かな迫力』があった。

 表面上はあくまで冷静に。しかしその目には、わずかな牽制の色が含まれていた。

 アルヴァは立ち止まる。そこはちょうど、剣の間合いとなる距離。レヴィンの不審な動作一つに、すぐさま対処が出来る場所。

 

「互いの目的は同じ。ならば、協力した方が効率が良い。村の被害を少しでも早く防ぐためには、人手が多い方がいいと思わないか……魔術師殿?」

「……まあ、いいだろう」

 

 ほんの少し思案したように見せてから、レヴィンは頷いた。

 

「手を貸そう。だが、俺は魔術師じゃない」

 

 不敵にレヴィンは笑った。彼がそれを向ける相手は――エリンただ一人。

 

「俺は……旅の吟遊詩人だ」

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