名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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4-2 ラケシス様は私とは違うのですから!

 開拓村を解放し終えた救援軍は、アンフォニー城の攻略を終えた本軍と合流した。

 その際に、何食わぬ顔で軍に加わっていた傭兵――それが、ベオウルフである。

 彼は戦闘のさなかに、堂々と自らを売り込んで来たという。それも、一万ゴールドという大金で。

 おおらかなシグルドは、疑いも値切りもせずにベオウルフを雇ったという。ほぼ即決と言えるほどにあっさりと。軍師役のオイフェは頭を抱えていたと、エリンはアレクから聞いた。

 シグルドは、優しいを通り越して甘い――それはキュアンたちも、常々口にしていた。ノディオンではその甘さに救われたエリンだったが、今は思う。少しは疑うことも覚えてほしい、と。

 新戦力の加入。それだけなら、まだ受け入れられた。実際、ベオウルフ以外にも数名が軍に加わっている。

 

 しかし、ベオウルフは問題発言をした。

 

 あろうことか、自分はエルトシャンの旧友だと名乗ったのだ。それだけではない。彼は、ラケシスの世話を頼まれたとも言い出した。エルトシャンから、直々に。

 だがその話を、誰ひとりとして裏付けられなかった。シグルドも、キュアンも、ベオウルフを知らないという。当のラケシスすら、兄の友人に心当たりがない。ノディオンの三つ子騎士も同様だった。

 いよいよとエリンの猜疑心が高まる。

 それでも、なぜかラケシスはベオウルフの言葉を信じた。

 あの気高いラケシスが、年頃の少女のように頬を染めて、星々のような煌めきを瞳に宿しながらベオウルフを見つめるのだ。

 エリンの胸には、さらなる警戒心と焦りが募っていく。

 傭兵という名の得体の知れない男が、兄の友人と偽ってラケシスに取り入ろうとしている。

 一回りも年の離れた少女を、誑かしているだけなのではないのか?

 

 傭兵上がりの副隊長に、問い詰める勢いでエリンは尋ねた。ベオウルフを知っているかと。

 剣の手入れを止めた副隊長は、頬の古傷を掻きながら答えてくれた。

 

「そうだな……。お嬢が、騎士訓練に参加し出したくらいの時だったな。昔の傭兵仲間から、なかなかの逸材が現れたと聞いた」

 

 若いなりに度胸のある青年――それが青き日のベオウルフの評価だった。

 実力は年齢相応だが、肝が据わっており機転も効く。自らの報酬を高く見積もり、どんな相手にも一切の値切りを許さなかった。高価な報酬に見合う働きを行うから、どんどん得意先も開拓してゆく。

 

「その後はちょくちょく評判を聞くようにはなったが……エルトシャン王と顔見知りってのは知らなかったな」

「……副隊長から見て、あの人はどう思うの?」

 

 自分が放った声の冷たさにエリンは気付かない。そんな彼女の顔をまじまじと副隊長は眺めた。

 

「お嬢は……ヤツが信用出来ないようだな」

 

 そんな当たり前のことを、どうして副隊長は言うのだろうか。だってあんなに不審なのに。どう見てもラケシスに取り入ろうと嘘を付いているに決まっている!

 エリンの胸中を察したのか、副隊長は珍しく困り顔を見せた。太い眉が大きく垂れ下がっている。

 

「お嬢、悪いな。俺は嘘が付けねぇ」

 

 常時声を張り上げる男が、肩を落としてそう言ったのだ。エリンの望む答えは挙げられない――そういう意味だ。

 気まずさを拭うように、副隊長は続けて現在のベオウルフの評判も教えてくれた。

 仕事に関しては、信用に値する男。それゆえに貴族や王族からの覚えもめでたい。その流れでエルトシャンとも顔見知りになったのではないのか……と。

 

 絶望がヒシヒシとエリンの背後に迫る。

 そんな彼女の心に棘を刺したのは、敬愛すべき姫君ラケシスだった。

 加入時の宣言通り、ベオウルフはラケシスに馴れ馴れしく接する。エルトシャンからの頼みという名目で。

 あろうことか、戦の修練と言ってラケシスに剣を握らせるのだ。それは王族相手としても何の遠慮もない、実践の技。型などない、荒々しい傭兵の剣。

 加減はしているようだが、それでもラケシスには酷だろう。日に日に生傷が増えてゆくのだ。

 回復杖で傷は治せるが、傷付いた際の痛みは残る。

 アンフォニー城の貴賓室の一つ。その扉の前で、エリンはラケシスの行く手を必死に塞いだ。

 

「あなたがこんな真似をなさらなくてもいいのです」

 

 鍛錬に向かおうとするラケシスに、エリンは訴える。これ以上、自らを傷つけないでほしいと。

 するとラケシスは、子供のように唇を尖らせた。

 

「エリンだって、私が止めても聞かないでしょう?」

 

 ラケシスが言うのは、盗賊討伐戦でのエリンの行動だろう。彼女が止めるのも聞かずにエリンは独断で行動した。それがどんなに危険かは全く考えずに。

 どうか怪我だけはしないでいてほしい――その願いを先に踏みにじったのは、エリン自身だった。

 だが、別だ。

 エリンは兵士、ラケシスは王族。傷を負うことの重要度が違う。エリンはそう思っている。――だから、口に出してしまった。

 

「私なんかはどうでもいいんです! ラケシス様は私とは違うのですから!」

 

 主張を声に出して、そしてエリンは息を飲んだ。

 ラケシスの目が見開かれ、揺れていた。その瞳は、言葉にならない衝撃をそのまま映していた。

 彼女の唇が震える様を見て、エリンは後悔した。今のは、言ってはいけなかったと。

 

「も、申し訳ありま――」

「もう、いいわ。……下がりなさい、エリン」

「ラケシス様……」

「下がりなさいって言ってるのよ!」

 

 激しい拒絶。

 初めてラケシスからそれを受けた。

 足元が崩れていく気がした。何と言って、ラケシスの傍から立ち去ったのだろうか。エリンは覚えていない。

 ただ、フラフラと当てもなく城内を彷徨っていた。

 現在シグルド軍が滞在しているのは、攻略を終えたばかりのアンフォニー城。慣れぬ建物は迷路のようだ。

 心がここにあらずとも、人目を避けようという理性だけは残っていたのだろう。人気のない場所へとエリンは進んでゆく。闇に誘われるように。

 薄暗い回廊。

 アンフォニー城はマクベスの趣味を反映するかのように、そこかしこに芸術品を設置している。

 廊下の端に置かれた艶めかしい女の石像が、責めるようにエリンを見下していた。燦々と太陽が照らす山脈の絵画は、壁の上から晴れやかな彩色でエリンを煽っているようだった。

 足元の白磁の壺ですら、描かれた薔薇をエリンに見せつける。お前にはこの薔薇に触れることすら出来ないと。

 所狭しと並べられた不気味な骨董品の数々は、雄弁にエリンを責め立てる。お前は、お前は、お前は何者でもない。

 そして、声はいつしかあの魔女の――母の声に成り代わっていた。

 

 ――覚えておきなさい。お前は、何者でもない。ただの小娘。

 

 突き放すような声だ。それなのに、冷たさよりも怒りに似た熱さがある。ありもしない吐息がエリンにまとわりつく。

 

 ――王族では無い。弱い弱い存在……それがお前だよ、エリン。

 

「ち……がう」

 

 違う違う! 母は……私のお母さんは、そんなこと言わなかった!

 優しく抱きしめて、あなたは私の宝物と柔らかく言ってくれた。頭を撫でる手の動きはゆっくりで、優しく髪をすくってくれた。

 頬を両手で強く掴んだりしなかった! 私を怖がらせる仕草をしなかった!

 

「違う……ちがうもん……」

 

 明かりひとつない袋小路で、エリンはうずくまる。空気は湿り気を帯び、埃が喉にまとわりつく。置くだけで満足したのだろうか、誰の足跡もない床石。

 数日前にこの城で決戦があったというのに、この場所は戦いの痕が無かった。剣の切痕も、壁を貫く弓矢も、火の粉の残骸である煤すら、ここには見当たらない。

 喘ぐように溢れた吐息は悲しみに満ちていた。涙は出ない。こんなにもエリンは辛いのに。かたかたと震える両肩を、包むように両手で抱く。

 ちがう、ちがうとひたすらに呟く。そうすれば、母と思いたくない女の声を掻き消せると信じて。

 呼吸はだんだんと小刻みになってゆく。舞い上がった埃を意図せずに吸い込んでゆく。このままでは危険だ。しかし、エリンにそんな判断は出来なくなっていた。

 息苦しさを覚え始めた時、背後から足音が近寄ってきた。

 足音は始めはゆっくりであったが、エリンへ近寄るに連れて早くなってゆく。その音が彼女の真後ろまで迫った時、声をかけられた。

 

「……エリンさん?」

 

 エリンは振り返らない。ただひたすらに女の声を否定し続ける。背後の人物に気付くことなく。

 もう一度、声をかけられた。

 

「エリンさん、大丈夫ですか?」

 

 声は高さが無くなり、低くなりつつある青年のものだった。彼はエリンの正面へと回り込む。そして、衣服が埃で汚れることも構わずに膝をつく。

 青藍の目が、震えるエリンを見る。

 

「どうしたんですか? しっかりしてください……エリンさん!」

「ちがう……ちがうの、わたし、よわくないの」

 

 目の焦点が合わないエリンを確認し、彼は一度立ち上がろうと手を床に着くが……すぐに気を取り直した。

 

「すみません、エリンさん」

 

 一言謝罪を述べるとエリンの目の前で両手を叩いた。弾ける音にエリンはびくりと体を大きく震わせる。

 

「あ……あれ?」

 

 目を瞬かせるエリンは、思考することなく疑問を口にした。

 

「フィンさん……? どうして、ここに」

 

 エリンの声は掠れていたが、意思は取り戻されていた。それを確認したのか、フィンは肩の力を抜く。

 

「こちらの台詞です。エリンさんこそ、どうしてこんな人通りのない場所に?」

 

 言われてエリンは周囲を確認する。燭台に火を灯されることすら忘れられた回廊の突き当たり。ただ置かれただけで、誰にも顧みられない埃まみれの芸術品の山。この城にこんな場所があるのかと驚く。

 素直にエリンがそれを口にすれば、フィンは困ったように眉根を寄せた。

 

「迷われたんですね?」

「…………はい、たぶん」

 

 そんな記憶は無いのだが、おそらくそうであろう。でなければ、こんな袋小路になんて辿り着かない。

 

「立てますか? ここは空気が悪い……長時間の滞在は危険でしょう」

 

 フィンに指摘されると、エリンの喉はようやく苦しさを自覚したようだ。ケホケホと咳き込む。

 

「行きましょう。きっとラケシス様も心配なされてますよ」

 

 気遣いのつもりで、フィンはラケシスの名を口にしたのだろう。エリンの頭に大切な人を思い出させるために。

 しかし――今は逆効果だった。

 俯いてエリンは動こうとしない。フィンが立ち上がっても、エリンはぺたりと座り込んだまま動こうとしなかった。

 当然、フィンは疑問を口にする。

 

「立てないのですか?」

 

 エリンは答えられない。

 立てないよりも、動きたくない。明るい場所に、今は行きたくない。後ろめたさを隠すように、彼女は顔を俯ける。

 一度立ち上がったのに、フィンは再び膝を下ろした。エリンを見るその顔は、対処方法が見つからない焦りの色が浮かんでいた。

 これがアレクのように、年の功でうまく宥められる者だったなら、上手くエリンを励ますことが出来たであろう。しかし、フィンは若さゆえの未熟さが残る青年だ。塞ぎ込む年下の少女に対するあしらいなど分かるはずもない。

 だから、フィンは言ってしまった。ぼかすことなく、核心を。

 

「ラケシス様と何かあったのですか?」

 

 そう問いかけられた瞬間、エリンの両目から大粒の涙が溢れた。人前であるのにもかかわらず、彼女はそれを止めようとはしない。呼吸をするように、自然と落涙を溢している。

 慌てたのはフィンの方だ。露骨に動揺を顔に出し、忙しなく手を動かす。

 その手はエリンの頬に伝う涙を拭おうとしたのかも知れない。エリンの背中を撫でようとしたのかも知れない。当てもなく手はエリンへと伸ばされ、結局触れることはない。彼女の悲しみを和らげようと考え、躊躇したことが現れていた。

 窮した結果、彼は原因を尋ねることにした。

 

「……ラケシス様から、お叱りを受けましたか?」

 

 エリンの感情の変化を考えれば、今はその名を口にすべきではない。しかし、フィンがそれを気づくには、まだ経験が足りない。真面目で誠実な彼の性格が仇になっていた。

 当然エリンの涙は止まらない。しかし、フィンの問いを否定する理性は残っていた。

 

「ち……ちがうの、ラケシスさまに……」

 

 叱られるだけならこんな気持ちにはならない。それはエリンが悪いから。叱るというのは、ラケシスはエリンを思い遣ってくれるという意味だから。

 だけど、先ほどの出来事は違う。……ラケシスはエリンに失望したのだ。

 

「ラケシスさまに、き……きらわれ、ちゃった……」

 

 言葉にしたら、ますますエリンは深い悲しみに沈んだ。

 普段のように敬語で取り澄ます余裕もエリンには残されていなかった。しゃくり混じりの嗚咽を止められず、全身で泣く。

 子供みたいな振る舞いを他人に見られることを、普段のエリンだったらためらうだろう。取り繕って、フィンを追い返していたはずだ。

 しかし、今――それが出来なかった。

 ラケシスからの拒絶。それがエリンを纏う仮面を取り払っていた。

 いよいよと困り果てたフィンは、それでも逃げ出すことはなかった。口を動かすが、何も発することはない。慰めが思いつかなかったのだろう。やがてフィンは自分がすべきことをようやく思いついたようだった。

 上着の内側にしまっておいた手巾を取り出した。布は丁寧に折り畳まれて、しわひとつない。彼はそれをエリンに差し出す。

 

「使ってください」

 

 しかし、エリンは首を振る。

 

「いらない、もん……」

 

 エリンの拒絶を前に、フィンは一度だけ迷うように視線を彷徨わせた。それでも、彼は手に持った手巾を戻すことは無かった。

 薄暗い回廊で重々しく響くのは、少女の嗚咽のみ。

 フィンはほんの一瞬だけ目を伏せ、何かを決意したように一息吸う。彼は泣くエリンをしっかりと見据える。そして静かに、手巾をエリンの頬に当てた。

 当然エリンは強く反発した。幼子が暴れるように頭を振る。

 

「やめてよ! やだ! あっち行って!」

「お断りします」

 

 ほんの少し傷付いたような顔をフィンは見せたが、すぐに口を引き締める。

 

「泣いている女性を見捨てて立ち去るような真似をすれば、私はキュアン様にお叱りを受けます」

 

 ぴくりとエリンの肩が揺れる。同じ騎士見習いとして、彼の気持ちを理解してしまったからだ。主君の教えを配下は遵守するべきである。その教えが正しいのなら、なおさらに。

 

「ですので、私がこの場にいる時点で諦めてください」

 

 もっと他に言い方があるだろうとエリンは思ってしまった。

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