名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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4-3 こんな気持ちは、生まれて初めてだった

 最後まで付き合う覚悟を決めたのか、そこからのフィンに遠慮は無かった。もはや開き直ったような振る舞いだった。

 フィンは、エリンにこれまでの経緯の説明を求めた。彼曰く、きちんと順序立てて把握しなければ正しい判断ができないとのこと。エリンが拒絶しようが、フィンは諦めずに踏み込んでくる。

 下世話なおせっかいから来るものなら、まだエリンも彼を無視し続けられただろう。あくまで誠実に接してくるものだから、拒む言葉もためらってしまう。

 話したくないとエリンが素直に言っても、フィンは引かない。涙で枯れた声を聞かれるのが嫌だとエリンが言っても、なら治るまで待つとフィンは返してくる。

 最終的にエリンはラケシスとのやりとりを話さざるを得なかった。彼を拒む気持ちが折れてしまった。

 全ての話を聞いたフィンの感想は容赦なかった。

 

「それは、エリンさんが悪いですよ」

 

 一瞬だけ目を伏せたフィンが、やや硬い声音でエリンにそう告げた。

 他者に断言されると、エリンの中でほんの少し苛立ちが疼いた。……けれど、反論はできなかった。そう思っていたのは、自分でもわかっていた。

 あの言葉を言うべきではなかった。例え事実であっても。

 しかし、その考え自体が間違いなのだとフィンは言う。

 

「エリンさんは、ラケシス様のことを拒絶されていますよね」

「そんなことない!」

 

 結局受け取ってしまった白い布を握りしめてエリンは声を荒げる。

 さすがにフィンの発言は見当違いだ。だって、エリンはラケシスの全てを受け入れている。敬愛する姫君だからこそ、彼女の力になりたいとエリンは本心から思っていた。

 

「私が……ラケシス様を拒むわけないもの。そんなこと、できない」

 

 拒むことができるとすれば、それはラケシスの方だろう。現に彼女は先ほどエリンを強く拒絶した。

 

「でも、私が見る限りラケシス様はエリンさんに気安く接しておられます。まるで友と過ごすように」

 

 例えば、危険を省みずに単身でノディオン城へとエリンが訪れた時。キュアンに追及されるエリンを、ラケシスは立場をかなぐり捨ててでも庇ってくれた。

 例えば、フィリップがシグルドに討ち取られた後。悲しみを発散することすら忘れたエリンに、泥と血が自らに移るのも省みずに抱きしめてくれた。

 それは、ただの主従関係では説明のつかない、もっと深い結びつきに思えた。

 エリンはそれらを全て、ラケシスの慈悲によるものと捉えていた。

 

「そうなると、エリンさんの言葉はラケシス様を傷付けただけです。例え、あの方を思っての発言だったとしても」

 

 明確に線引きを宣言したようなものだ。フィンに諭され、ようやくエリンはラケシスの表情の意味を知った。あれは、裏切りを与えられたような痛みを表したものだ。

 友人だと信じていた相手から、そういう関係ではないと本人に断言された。気高く繊細なラケシスは、どれほどに傷付いたことだろう。今更ながらエリンは正しく後悔した。

 ラケシスのことを慮りながら、彼女の気持ちを考えようとはしなかったのだ。

 あの瞬間、エリンは引き下がるべきではなかった。例えラケシスに拒絶されても、しっかりと謝って己の発言を取り消すべきであったのだ。――いや、無駄だろう。

 だってエリンは、フィンから指摘される今の今までその事実に気付いていなかったから。いや……見向きもしなかったのだから。

 

「……私は、キュアン様からよく言われております。お前は弟のような存在だと」

 

 意外な言葉に、エリンは小さく顔を上げた。さっきからずっと聞き手であり、己のことなど話さなかった少年が突然自分語りを始めたのだ。

 怪訝な目線を送られても、彼は話を続ける。

 

「私はそれを有難く受け取ります。だからと言って増長するのはもっての外です。……ですが、畏れ多いと否定し続けるのも違うと、私は思います」

 

 あくまで配下の一人として己を律しながらも、主君の好意は素直に受け止める。

 

「過度な謙遜は、返って相手への無礼になるものです」

 

 フィンがエリンを見る目。それは決して哀れな少女として映すものではない。同じ年頃の、同じ未来を夢見る同志として見る眼差しだ。

 ゆるゆるとエリンはフィンの言葉を噛み締める。

 

「……ラケシス様は、許して……くれるのかな」

 

 ぽつりと溢れたのはエリンの本心。傲慢だと思うが、それでもやっぱり彼女の全てを造るのはラケシスただ一人なのだ。あの凜とした聡明な声音で、優しく「エリン」と呼んでほしかった。

 フィンは黙り込む。気休めでもすぐに「大丈夫」だと言わないのは彼の性格ゆえだろう。しっかりと考え込んでから、彼は言った。

 

「まずは、謝罪を。許す許さないはラケシス様がお決めになることです。エリンさんは自分の気持ちを、あの方に素直に伝えた方がいいと思います」

 

 フィンはどこまでも誠実にエリンに寄り添ってくれた。錯乱していたとはいえ、エリンは随分と彼に酷いことを言ってしまった。

 借りた手巾は、エリンの涙を吸い込んで、すっかり重たくなっていた。

 

「あの、ごめんなさい。ハンカチ、汚して……しまって」

 

 本当はそれ以外のことも謝るべきだ。それなのに気恥ずかしさから、エリンは借り物の対する謝罪しか口にできない。

 フィンは少し笑った。彼がエリンに初めて見せた、年相応の青年のものだ。

 

「いいんですよ。ハンカチはそうやって使うものですから」

「でも……その、洗って返します。すぐにでも!」

 

 長々と話を聞いてくれたからか、エリンの中でフィンへの警戒心は薄れていた。自然と会話が繋がる。

 

「だから、少しお借りします! 本当にすぐにお返ししますので!」

「そんなに急がなくても大丈夫ですよ。また顔を合わせる機会は度々あるでしょうし」

 

 同じ軍に属しているのだから、また偶然会うことは安易であろう。しかし、エリンはそれではダメだと思ってしまった。フィンの誠実さに、自分も同じように返さなくてはと感じているのだ。

 そう考えているエリンの顔を、フィンが覗き込んできた。暗さゆえからか、その距離はかなり近い。互いの呼吸がかかるほどに。

 驚いて、エリンは思わず身を引いた。

 

「な、なんですか!」

 

 エリンの反応が予想外だったのか、フィンは目をぱちくりとさせた。しかし、すぐさまに自分の行動を思い返したのだろう、彼は耳を赤くさせた。

 

「すみません! ……目の腫れは引いたのかと、確認をしたくて」

 

 善意からの接近だったらしい。彼の慌てぶりから、その言葉に嘘がないことは分かる。……分かるのだが、エリンの心臓に悪い。鼓動は再び忙しなく動き始めていた。

 衣擦れすら発生しない、気まずい沈黙。

 それを打ち破ったのは、エリンであった。二人に存在を忘れられた埃が、自分を思い出せとばかりに彼女の喉を刺激したのだ。

 咳き込むエリンに、フィンは慌てて言う。

 

「す、すぐにでもここから離れましょう。空気の良い場所へ移動した方が、エリンさんも楽でしょうから」

 

 今度はエリンも同意した。二人で立ち上がったのだが、フィンは歩く気配を見せない。移動しようと提案したのは彼のはずなのに。

 頬を赤らめながら、悩むように手を口元に添えている。目を伏せたり、開いたりを何度か繰り返してから、彼は決心したかのように上擦った声でエリンに言った。

 

「その、お手をどうぞ。……ここは暗いですし、様々な物も置かれていますから」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 意識してしまえば、この回廊は随分と寂しい場所であった。主人に見放されて埃被った芸術品たちは、何を思って佇んでいるのだろう。こんな境遇に置かれることを、きっと作り手も望んではいなかっただろうに。

 結局、エリンはフィンの手を取れなかった。彼の気遣いを嬉しく思うのに、その手に触れるのが怖いと感じてしまったのだ。

 だが、フィンも折れなかった。暗がりでエリン一人を歩かせるのは忍びないと言い張る。

 最終的に、エリンはフィンの衣服の――左腕の袖を掴んで歩くことで同意した。

 フィンがわずかにエリンの先を歩く。隣ではないが、横を向けば彼の横顔が確認できた。その背丈が自分より高いことに気付くと、エリンはすぐさまに視線を逸らす。

 二人分の足音が重なるように響く。それが何故だか恥ずかしくなって、エリンは掻き消すように声を出した。

 ためらうことはなかった。自分の声が回廊に響き渡ることよりも、沈黙が耐えられなかったのだ。

 

「あ、あの……フィンさんはどうして、ここに来たのですか?」

 

 苦し紛れに思い付いた質問だったが、口にして改めてエリンは疑問に思ってしまった。こんなところ、用もないのに立ち入る必要はないはずだ。エリンのように迷い込んだのでなければ。

 

「この先の廊下で、シアルフィ兵の方々が震えていたんです」

 

 フィンの話をまとめるとこうだ。

 

 たまたま通り過ぎるフィンを、彼らが呼び止めた。

 一番顔を青ざめた兵士が言うには、この先の回廊の奥から掠れ声のようなものが聞こえるとのこと。敵国兵相手には勇敢なシアルフィ兵だったが、怪異現象には弱かったようだ。さらに情けないことに、ここに集う数人の兵たちは誰も幽霊の正体を暴こうとする勇気がなかったらしい。

 

 故に、原因を確かめて来いとフィンに頼んだ……というより、話の雰囲気から察するに圧を与えたようだ。

 頼りにしてるぞ、という励ましもあったようだが、エリンにはそれが彼らの罪悪感からの付け足しに思えてしまう。あたかも、「任せたぞ」と言えば、その無責任さが少しは薄まるとでもいうように。

 ゆえに、事情を聞かされたエリンの方が憤ってしまった。年齢を笠にして年下の騎士見習いに強要するとは嘆かわしい。

 しかし、フィンはこともなさげに言う。

 

「あの方々は、私の振る舞いが面白くないのでしょうね。自分でも生意気だと思ってますし」

 

 その慣れた口調に、エリンは彼の大人びた性格を模った理由を悟る。

 恐らくレンスターでも彼は似たような出来事を何度も経験してきたのだ。彼らが主君キュアンの覚えめでたい新兵。あからさまな嫌がらせはないにせよ、ちくちくと言葉で刺されたのかもしれない。

 ハイライン城で、幼いエリンがエリオットたちにされた行為の数々を思い出す。あれとはまた違うだろうが、フィンも辛い思いをしたはずだ。

 エリンの心中を察したのだろう、フィンはすぐに言葉を足した。

 

「ありがたいことでもあります。周囲が私に厳しくしてくださるからこそ、私は調子に乗ることなく、キュアン様にお仕えできるのですから」

 

 それは決して強がりからの発言ではなかった。冷静に自分を見つめ、律することが彼はできているのだろう。

 その強さをエリンは羨ましく思う。胸の高鳴りは止まらない。

 会話が終わってしまうことが怖い。

 

「……フィンさんって、おいくつなんですか?」

 

 エリンの問いにフィンは答えてくれた。見立て通り、エリンとそう変わらない年頃ではあるが、彼の方が少し年上だった。

 それを知るや、エリンは慌てた。

 

「ごめんなさい! 私……さっき、フィンさんに失礼な言葉遣いをして……」

 

 年齢による強制的な上下関係をエリンは好ましく思わないが、フィンに対しては別だと感じた。同時に自分の発言が脳裏に蘇ってしまった。まるで幼子のような言動に、自分でも恥ずかしさが募っていく。頬どころか、耳まで熱くなっていた。

 しかし、フィンは笑って許してくれた。

 

「構わないですよ。それに、あの喋り方のエリンさんの方が私は好ましく思い――ます、けど……」

 

 後半になるに連れてフィンの言葉は消え入っていた。恐らくは己の発言の大胆さに恥じたのだろう。前を向いていたはずの彼の顔が俯きがちになっていた。

 同じく俯いていたエリンはそれに気付かない。だから、彼の声に被せるように言った。

 

「いいえ! そ、それならフィンさんも私を呼び捨てでも構いませんから! あなたの方が年上ですし」

「え⁉︎ ……いや、それはさすがに」

 

 戸惑うようなフィンの返しに、一気にエリンの熱は冷えさった。思わず立ち止まってしまう。引っ張られるような形になり、彼女よりも二歩先でフィンの足も止まった。

 振り返った彼の顔をエリンは見られない。代わりに震える声で問いかける。

 

「迷惑、でしたか……?」

 

 フィンが息を呑む音が、エリンの耳に届く。

 馴れ馴れしくしすぎたと彼女は後悔していた。らしくもない振る舞いだ。自分から、それほど親しくもない相手に距離を詰め過ぎてしまった。

 沈黙が、さっきよりもずっと重く、冷たい。彼の袖を掴むエリンの指先は震えていた。

 謝罪しようとエリンが口を開く前にフィンが答えた。

 

「迷惑では、ないです。……ただ、こういうやり取りは、その……慣れてなくて」

 

 上目遣いで見上げれば、フィンは右手で口元を隠していた。暗がりでよく見えないが、彼の目元が熱により潤んでいた。

 

「エリンさんが……望むのでしたら、私は……構いませんよ」

 

 その言葉は、たちまちエリンの心を軽くさせた。肩の力を抜くエリンを、フィンは眺めている。逸らしたいのに目を離せない、そんな視線で。

 エリンはそれに気付かず、明るく言う。

 

「では、私を呼ぶのに敬称はいらないです。敬語でなくとも、構いません」

 

 そうして期待を込めた目でフィンを見た。彼に触れてない左手を自分の胸の前で強く握りしめる。その下には義父から授かった指輪があった。男物の指輪はエリンには太く、副隊長が器用に鎖を絡めて首飾りにしてくれたのだ。

 フィンは戸惑うように目を泳がせたが、やがて腹を括ったようだ。自信なさげにそれを口にした。

 

「分かったよ。……エリン」

 

 その瞬間、エリンは陶酔に近い幸福を感じた。

 誰に名前を呼ばれても――いや、ラケシスに呼ばれた時の感覚に近い。だけど、何かが違う。ラケシスの時には、胸の奥が温かくなるだけだった。けれど今は、もっと深い場所がざわめいて、どうしようもなく嬉しい。もっと名前を呼んで欲しい。……こんな気持ちは、生まれて初めてだった。

 初対面の時にもフィンから名を呼ばれたが、あれは違う。彼はエリンを意識せず口にした。

 だが、今は違う。

 エリンを見て、エリンのために名前を呼んでくれたのだ。その事実に、彼女は多幸感に包まれる。高鳴る鼓動すら心地よい。

 口元が自然と緩んでしまう。必死にそれを隠そうと、エリンは唇に力を込めた。 名前を呼んでくれただけなのに、フィンはエリンのあらゆる願いを叶えてくれた――そんな風に思えてしまう。

 そんな彼女に対して、今度はフィンが要求してきた。

 

「でしたら――いや、違うか。……だったら、エリンも私のことを呼び捨てにしてくれないか?」

 

 敬語をやめただけで、フィンの存在が一気に身近になったような気がした。一人称はそのままであったが、それはもう彼の中で染み込んでいるのだろう。

 そして今度はエリンが戸惑う番だった。

 

「え⁉︎ ……だ、駄目ですよ、そんな――だって、私、年下ですし」

「そう変わらない歳だろう? ……私だけ呼び捨てで君を呼ぶのは不公平じゃないか」

 

 拗ねたような口振りのフィンを、エリンは新鮮な気持ちで見つめた。初対面の印象から一気に反転した。

 冷静で、自分とは程遠い存在だと思っていたのに……どうしてこんなに違って見えるのだろう。まるで別人みたいだ。

 可愛らしい――そんな感想を、エリンは年上の青年に対して初めて抱いた。

 そして同時に鼓動は喜びで弾んでいた。遠慮しなければ、という自制心を無理矢理制するほどに。……それにもうフィンには敬語を無くして話していたではないか。断るなんて今更だ、という理由付けまでして。

 

「えと、じゃあ……フィン」

 

 まるで初めて名を呼ぶような感覚がした。緊張からか、喉が詰まりそうで声が上擦ってしまう。自分の鼓動がうるさ過ぎて、きちんと名前を呼べているのかも分からない。

 フィンが黙っているのが怖くて、前のめり気味にエリンは言葉を放つ。

 

「こ、これでいいです……か? や、やっぱり、イヤ……ですか?」

「ううん、嫌じゃない」

 

 強張るエリンを安心させるようにフィンは答えてくれた。お願い一つ付け加えて。

 

「敬語もいらないよ。もっと、自然に話して。君がそんなに緊張してると、私まで緊張してしまう」

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