案の定、アルヴァはきっぱりと言い切った。エリンの非だと。
「彼女は我々兄弟の代わりに、ラケシス姫の護衛を任されている身。それなのに、一人でこのような場所に赴いている……それでもなお、咎める理由がないと思うのか?」
普段よりも言葉の棘が鋭い。事実な分、エリンはその棘を潔く受け入れねばならない。
ノディオンの三つ子騎士がラケシスの傍にいられない理由。開拓村の住民の警戒心を和らげるためだ。
盗賊に虐げられ、見知らぬ兵たちに心を閉ざす者も少なくはない。例え物資を届けても、その荷馬車に野党の群れが隠れていないかという疑いを持つ者だっている。
そこでエルトシャンの信頼厚い三つ子たちの出番だ。
彼らの噂は開拓村全体に広がっている。荷馬車の護衛と村人の警戒心の緩和。その二つが一気に解決出来る。
三人全員がその任務に就いたので、エリンがラケシスの護衛をするよう正式に命じられたのだ。……なお、ベオウルフはラケシス直々の願いで彼女の護衛役を預かった。
三つ子騎士、特にアルヴァから強く言いつけられていたのだ。決して感情に振り回されるな、と。
シアルフィ兵は不服そうな顔つきをしている。彼の中でエリンは兵士ではなく、若くして家族を失った哀れな少女なのだ。多少のやらかしは大目に見てやれとでも言いたいのだろう。
しかし、アルヴァはそれを甘やかしだと断言する。
「年齢が若いから、そんな理由で任務を放棄しても良いと? 悲劇的な境遇であるから許してやれと? そんな道理は通るはずがない。見習いだろうが、関係ない。エリンは騎士だ」
主君を護り、その命を果たす。個の感情に流されず、ひたむきに剣を振るう。
エリンの行動は、それとは真逆だ。
「貴方が彼女の行いを許すのなら、それはエリンへの侮辱だ。彼女を騎士として認めるのならば、決して許してはならない」
そしてアルヴァはエリンを見る。赤銅色の目には、静かな怒りの火が揺れていた。暗闇の中でも決して消えぬ灯火のように、エリンの未熟さを照らし出していた。
「エリン。お前もだ。何度も同じことを繰り返すのなら、その鎧を脱げ。フィリップ殿が授けた剣も、すぐさまに手放すがいい」
エリンは何も答えられない。ただ右手が強く母の腕輪を握りしめるだけだ。
アルヴァの怒りは正しい。
ハイライン戦、義父の死に対峙するためにエリンがノディオン城から離れた時と事情が違う。
今のエリンは見習いといえど、シグルドから命令を授かっている。我が友エルトシャンの妹ラケシスを守れ、と。
それなのにエリンは逃げ出した。キュアンに指示を仰ぐという名目で。ラケシスが止めたにもかかわらず。
ベオウルフが気に入らないという、それだけの理由で――エリンは命令を放棄したのだ。ただの子供の癇癪に過ぎない。
「フィン殿」
アルヴァは厳しさを和らげることなく、今度はフィンを見た。
「彼女が哀れに思い、庇ったのだろう。ならば、それは間違いだ」
フィンもまた黙ってアルヴァの叱責を聞き入れる。彼は何も悪くないのにとエリンは思ったが、口は挟めなかった。
「エリンを想うのなら許すな、守るな。間違いは正してやらねばならない。……でなければ、この向こう見ずは死に急ぐぞ」
「……ご忠告痛み入ります」
フィンは頭を下げる。
「……エリンにも事情があるのかと思い、言葉を探しておりました」
「確かに、頭ごなしに叱りつけるのは良くない。だが、フィン殿よりも我々の方がエリンと交流が深い。おおよその経緯は推測できる。先日の行動もそうだが、一人で思い悩んで独断で突っ走る子供だ」
子供という単語をアルヴァは強調して言った。
「今回もそうだろう。馬にも乗らず、途方に暮れていたのだ。おおかた、ベオウルフに論破でもされたのではないか?」
付き合いが長いと自負するだけのことはある。アルヴァは正確にエリンの行動理由を見抜いていた。
「ベオウルフのエルトシャン王との友情の真偽は今は置いておく。怪しいことには変わりないが、それでも全体を見通す目は確かだ。だから我々は姫の傍にベオウルフを置くことを許した」
アルヴァは正しくベオウルフの人となりを測っていた。怪しさを加味しても彼を信じるに値すると判断したのだろう。
でなければ、任務に忠実なアルヴァが――エルトシャンに妹を守れと命じられた彼がその姫から離れるはずがない。
彼はまたエリンを見る。怒りはなおも宿っていた。しかし、決して声は荒げない。淡々と諭すだけだ。
「気にいる気に入らないで動くのは止めろ。それほどまでにベオウルフを警戒するならば、なぜ姫の傍から離れた? エリンの予想通りに奴が危険ならば、姫から離れることなどできるはずがないだろうに」
完全に返す言葉がなかった。
エリンは俯き、ぐっと唇を噛み締める。その姿は父親に叱られる幼子だ。
さらにアルヴァが説教を続けようとした、その時だった。
「あらあらまぁー! やっぱりエリンちゃんじゃない!」
荷馬車から顔を出す高齢の女性が、遮ってきた。
場に似合わないのんびりとした声音は、確実に今までの会話の流れを無視している。御者台に座るシアルフィ兵を押し退けて、彼女はエリンに声をかけて来た。
「懐かしいわねぇ。あらー、お母さんには負けるけどエリンちゃんもまた可愛くなっちゃって! おばちゃんのこと覚えてる?」
ニコニコと馴れ馴れしい笑みを浮かべる女性に、エリンは覚えていた。……あまり良くない意味合いで。
彼女は、かつてエリン母娘が世話になった村の隣に住む住民だ。息子がエリンたちの村にいるという理由で頻繁に行き来していた。
悪い人ではないのだろうが、行き過ぎたお節介に幼いながらエリンは閉口していた。
病弱ながらも目立つ美貌のエリンの母ドナに、なぜか執着していたようで、何かにつけて母娘の世話を焼きに来るのだ。垂れた頬を揺らしながら彼女が近づいてくるたび、エリンはとっさにドナの後ろへ隠れた。その記憶はいまも薄れていない。
ドナの青白い顔を見て驚くような素振りをするも、女性は華奢なドナの背を無遠慮にバンバンと叩く。それがエリンは嫌で仕方がなかった。
――駄目よ、寝てばかりじゃあ! お天道様にも当たらないと。エリンちゃんもお母さんを叱ってあげないと!
――エリンちゃん、おばちゃんの作った林檎の砂糖漬けをお食べ。美味しいからって食べ過ぎたら駄目よ。エリンちゃんは、お母さんに似てないから太ったら可愛くなくなっちゃう!
――ねえ、エリンちゃん。お母さんとどこから来たんだい? お母さんは恥ずかしがり屋だねぇ、あたしが聞いても教えてくれやしない。
さすがにおっとりとしたドナも辟易としていたのだろう。度々やんわりと来訪の断りを告げた。女性はそれを遠慮と受け取る。気にしなくていいのよぉ、という言葉一つで全て受け流されてしまう。
彼女が帰ると、ドナの顔は血の気を失ったように白くなっていた。目を伏せたまま、肩を震わせ、ゆっくりと床に身を預ける。
心理的疲労で寝込む母を看病するたびに、エリンはあの女性が嫌いになった。
人見知りしがちな幼いエリンに構わず距離を詰めてくる彼女は、もはや脅威でしかない。
エリンの苦い記憶とは裏腹に、女性は感動の再会に浸っている。あの頃よりも皺の増えた目尻から流れていない涙を指で掬っていた。
対してエリンの顔色はみるみると白くなってゆく。唇を震わせて、胸の内で強く強く祈る。
どうか、この人が余計なことを口にしませんように。
しかし、エリンの願い虚しく、女性は矢継ぎ早に言葉を放つ。
「あんなに小さかったエリンちゃんが、騎士様になるなんてねぇ……。やっぱりお父さんがいるいないとじゃあ、育ちが違うわね。エリンちゃんもお母さんみたいに碌でもない男に捕まる可能性だってあるじゃない? でも、エリンちゃんのお母さんが、フィリップ様に見初められて良かったわぁ。素性も知れないのに、騎士様の奥さんになれるんだもの。やっぱり美人は得よね、エリンちゃん」
女性の発言にエリンは凍りついた。
さすがに言い過ぎだ――が、本人にはその自覚などないのだろう。見ていられないほど優しげな顔で、エリンを労わってすらいるのだから。
大体、この人はエリンの本当の父親の知るはずがない。エリンですら、母から聞かされたことがない。
ドナは、どれほど女性に問い詰められても、自分の過去を語らなかった。実の娘にもそうなのだ。誰かに――特に気に入らない人間に身の上を漏らすとは思えない。
それだけは、エリンにも断言できた。
しかし、エリンが身を強張らせたのは母への侮辱だけではない。女性の発言に、知られてはならない秘密があった。
それは、エリンの母ドナの出自。
エリンがフィリップの養女であることは周囲には知られているが、その母が身元不明であることは秘密とされていた。とある事情により、ハイライン王ボルドーが他国の者には秘匿にするように厳命していた。
恐る恐るとエリンはアルヴァへと目を向けた。やはり、聡い彼は違和感に気づいたようだ。眉間に皺を寄せて、女性の言葉に耳を傾けている。
アルヴァの耳に入るということは、ラケシスにもエリンの出自が知られるということだ。
ノディオン側の人間は、エリンが没落した家系か、何らかの理由で隠された貴族の子であると思い込んでいる。フィリップの養女となったのも、縁続きによるものだと。
ハイライン王家はシグルド軍により滅びたが、エリンの秘密は保たれたままだ。いや、だからこそエリンはラケシスに真実を知られるわけにはいかない。
エリンは、好き勝手に喋り続ける女性へ口を挟もうとした。――しかし、女性の次の言葉に、息を呑み、その口は閉ざされた。
「そうそう! フィリップ様は戦死なさったんですってね。立派な方だったのに、戦争はイヤだねぇ。エリンちゃんはお母さんも亡くしているのに」
……なぜ、それを知っている?
義父の死は流石に噂になるであろう。ハイライン軍との戦の顛末は、他の村人も風の噂で知っていた。しかし、ここまで堂々とエリンの前で言及する者はいなかった。
だが、彼女はドナの死も知っていた。彼女との交流をほぼ絶っていたエリンは、当然それを伝えてはいない。
……そういえば、この女性は昔から耳が速かった。村の者が知り得ない情報も、彼女は全て把握していた。時には、他人に知られたくない秘密ですら世間話のタネにする。
まるで村中の壁に彼女の耳がついているようだと、年寄りたちは口を揃えて言った。彼女の息子が嗜めても、その悪癖が治ることはなかった。
「ハイラインのお城はシグルド様の物になっちまったんだろう? エリンちゃんはラケシス姫の騎士になったって話だから命拾いしたねぇ。でもまあ、フィリップ様と戦わせたお姫様は、ちょっと酷いよねぇ」
さすがにこの発言はエリン以外の騎士たちも顔を強張らせた。
女性の真横で、御者台に座るシアルフィ兵が、あからさまに眉をひそめている。
エリンから背を向けているためフィンの顔は見えない。だが、強く握られた拳が震えていた。
アルヴァの表情は変わらなかったが、その目には剣のような険しさが宿っていた。彼がここまであからさまな殺気を放つのは、戦闘中以外に見たことがない。
この女性がラケシスを侮辱した。たとえ悪意無き発言だったとしてもエリンは許せなかった。怒りで呼吸が荒くなってくる。
女性の声だけが、妙に明るく響いていた。誰も口を開かないまま、ただ冷え切った沈黙だけが広がっていく。
場の空気が悪くなっていることを理解もせずに、女性はついに、言ってはならない言葉を放つ。
「そういえば! ラケシス姫といえば、エルトシャン王と仲が良すぎると思わない? お二人は血の繋がった兄妹なのに距離が近過ぎるのよねぇ。まぁ、王族とあたしたちは違うから……それでもねぇ。エルトシャン王のお妃が王子を連れて実家に帰られたって言うじゃない? もしかしたら――」
瞬間、エリンは吠えた。
「やめてください!」
悲鳴のような怒鳴り声。ここまで言われて、もう我慢などできるはずがなかった。
エリンの怒号に、女性の体がビクリと大きく震え上がった。
「ラケシス様を、侮辱するのはやめてください!」
「侮辱って……。エリンちゃん、あたしはね、そんなつもりで言ったわけじゃあ――」
「今の話が! 侮辱でなければ何なのですか!」
この女性に対する怯えは、怒りにより消え去っていた。
彼女に対する印象は、苦手から嫌厭へと変わっていた。そうなれば、彼女の全てが許せなくなる。
昔から下世話な噂を好む人だった。確証もない話を大袈裟に広めるだけでなく、自ら進んで聞き回る。それを善意だと思い込んでいる無神経さが嫌いだ。
「ラケシス様とエルトシャン様は、あなたの思うような間柄ではありません! 清廉な方々です! それを、こんな――」
声を荒げるエリンの脳裏に、ラケシスの姿が蘇る。
ベオウルフに寄り添うラケシスの表情。それは気品漂う姫君のものではない。
恥じらうように揺れる体。子猫のような甘える声音。頬を赤らめる乙女の顔。
年相応の少女の姿だ。王族でも何でもない、どこにでもいるような、平凡な――。
あまりにも不敬な思考の果て。途端におぞましいという感情がエリンの身を包む。女性への憤りよりも、嫌悪感が優った。
それは、ラケシスをただの少女にしてしまったベオウルフへの嫌悪か。
高貴さを剥がされたラケシス自身への幻滅か。
……あるいは、そんなことを考えてしまった、自分自身への嫌悪なのか。
怒鳴られた婦人は興が削がれたのか、口ごもりなにやらモゴモゴと呟いている。しかし、顔を引き攣りながらもまた喋り始めた。
「……いやぁね、エリンちゃんったら! ただの噂話なのに本気にしちゃってぇ。こんなに大きくなったのに、思い込みの激しさは治らないのねぇ……。騎士様もそうお思いでしょう?」
彼女はすぐ隣のシアルフィ兵でなく、離れたアルヴァに話しかけた。
やはりエリンが説教を受けていたのを聞いていたようだ。わざわざ叱り役の彼に同意を求める。自己正当化を認めさせるための狡猾な行為だ。
アルヴァは女性を一瞥した。その視線の冷たさに気付きもしない彼女に向かって、アルヴァは言い放つ。
「いいや、エリンの怒りは最もだ」
彼の声は、張りがあって低い。戦場であっても遠く響く、覇気のある声音だ。
「ご婦人、今の発言は看過できない。貴方は我々の王を、姫を汚した」
「なっ……。あ、あたしはただ、みんながそう言ってるのを聞いただけで――」
「ならば何故、その口を噤まない? 不敬だと知りつつも、他人に言いふらす? 私がエルトシャン王に忠義を誓っているのを知っていての狼藉か?」
先ほどエリンを叱ったときよりも、遥かに強い口調だった。彼の手は手綱を強く握りしめている。だが、今すぐにも女性を剣で切り捨ててしまいそうな迫力があった。
「ご婦人、これ以上は黙られよ。さもなければ、貴方の送迎先は自宅では無く、我らがノディオン城の地下牢となるぞ」
決して冗談ではない。アルヴァの静かな声がそう物語っていた。
エリンの怒りとは違う怒気を、アルヴァは燃やしていたのだ。
さすがに打つ手無しと判断したのだろう、女性は荷馬車の奥へと戻って行った。それでもシアルフィ兵に向かって「あんなに怖い顔しなくてもいいのにねぇ」と往生際悪く同意を求めた。
シアルフィ兵は、それを無視した。「早く座席に戻ってくれ」とだけ告げる。