名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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1-3 ラケシスのために

 声の主は円卓の上座、ラケシスの右手側に席を設けられた男だ。髪と同じ黒鳶色の瞳は――深い焦げ茶に近いその色は、冷ややかにエリンを射抜く。そして、彼女の隣に立つアレクへと彼は視線を移した。

 

「アレク。このエリンという娘の所属がどこであるか、しっかりと確認したのか?」

「はい、把握しております。事情も確認の上、俺の判断でここへ」

 

 飄々としたアレクの声が、こわばっているのにエリンは気付く。

 

「彼女に敵意は見られません」

「女に甘いという噂は本当のようだな、アレク」

 

 言外にこんな子供相手にという呆れが取れた。

 問いただす男の傍には、フィンが控えていた。

 

「不手際をお詫びします、キュアン様。私の確認が先にあるべきでした」

 

 キュアン、それが男の名前。扉の前でフィンが口にした言葉をエリンは思い出す。

 

 ── 様子を見てくるようにとキュアン様に命じられて。

 

 警戒の強い男、キュアンがフィンの主君のようだ。確かによく似た装いをしている。

 首を垂れるフィンに、キュアンは軽く片手をあげた。それだけで、彼に続けるなという意図が伝わる。

 

「咎を与えるならアレクにだ。軽率すぎる」

 

 そして再びキュアンはアレクを見る。

 

「アレク、お前はこの娘の何を信じた? 素性も明かさぬ者を、ノディオンの中枢へ通すとは」

「……浅慮だったかもしれません。けれど、彼女の目は嘘をついていませんでした」

「甘いな。その【目】とやらが、明日、我らを裏切らない保証がどこにある?」

 

 その言葉に、場の空気が一段と重くなる。だが、ラケシスが毅然とした声で割って入った。

 

「それは言いすぎです、キュアン様。私は、エリンを信じます」

 

 ラケシスの加勢に、エリンの胸が喜びで震える。しかし、キュアンの目は鋭さを失わなかった。

 

「信じるという言葉で命を落とす者がいたら、誰が責任を取る?」

 

 その指摘にラケシスは言葉を詰まらせた。言い淀む彼女を諭すようにキュアンは声を繋ぐ。

 

「先ほどフィンがこの娘の名を口にした瞬間、三人の騎士が咄嗟にラケシスの前に立った。それは、彼らが娘の素性を知っていた証左だ。ラケシスにとって脅威となり得る存在として」

 

 その視線が再びエリンに注がれる。誰もが息を潜める中、キュアンが口を開いた。

 

「ハイラインに属する者。それが、このエリンという娘の正体なのだろう」

 

 剣先を突きつけるように強く、キュアンは断言した。

 一瞬で場の空気が張り詰める。ピリピリとした殺気が、うなじを這うようにしてエリンに迫った。

 恐怖から息が詰まる。心臓が、嫌な音を立てて胸の奥で跳ねた。

 

 全てバレていた。

 いつから?

 いや、最初からだ。

 ここへ足を踏み入れる前から、もうキュアンという男に全て見透かされていたのだろう。

 

 背後で兵士たちが静かに動き出す気配を感じた。彼らはすぐにでも彼女を捕らえられる態勢を取り始めたのだ。あとは主人の命令を待つだけなのだろう。

 そうでなくとも、エリンの前方からも鋭い殺気が複数放たれていた。不審な動きを見せればこの場で切り落とす、そんな決意が肌を刺すように迫る。

 もはやこれまでか。逆転の道は──見えない。ならばせめて一矢、己の誠実さを示すしかない。

 

「……おっしゃる通りです。私はハイラインの騎士フィリップの義子、騎士見習いのエリンと申します」

 

 疑いが晴れるまでは言うな、というアレクの言いつけをエリンは破った。ここで言わなければ、もう二度とラケシスを目にする機会はないかもしれない。

 声を上げるのは怖い。自分の想いを声にすることすら、ためらわれた。それでも、エリンにとってラケシスと引き裂かれることの方が一番恐ろしかった。

 

「ラケシス様のお力になりたいと言ったのは本心からです。私が出奔したことを知っているのは、義父とごく一部の近しい人々だけです」

「ほう、つまり我々の存在をハイラインは察知しているということか?」

 

 キュアンの問いかけにエリンは返答を考える。義父や武官たちの会話を思い返し、そしてエリンは正直に答える。

 

「……分かりません。私は何も聞かされておりません」

「我々が援軍に駆けつけなければ、ノディオンは窮地だ。お前の義父はそのような状況で、護衛もつけずに娘を送り出す男なのか?」

 

 当然の疑問だ。第三者から見れば、ラケシスの旧知である娘を間者として送り込んだと受け取る方が自然だろう。だが――。

 

「フィリップは、そんなことをする方ではありませんわ!」

 

 それを否定したのはラケシスだった。彼女はちらりと左手に控える騎士へと視線を向けた。

 

「そうよね、イーヴ」

「はい。私たちが知る限り、フィリップ殿はそのような策を進んで用いる方ではありません。ただ……」

 

 イーヴは一度言葉を区切った。そして、エリンを一瞥し、目を逸らす。

 憂いの表情を浮かべたまま、彼は左手を掲げた。その小指には指輪が嵌められていた。彼の家の当主の証だ。

 指輪に施された青の宝石が、蝋燭に照らされて冷ややかな光を放つ。

 

「元よりこの戦は、ハイライン王家の御意志によるもの。そうとなれば、話は別です。どんな手を使ってでも目的を果たそうとされるでしょう。たとえ……フィリップ殿の意思を捻じ曲げてでも」

 

 彼と同じ顔をした二人の騎士もまた、鏡写しのように頷いた。信頼する騎士の思わぬ反論に、ラケシスは声を震わせる。

 

「エリンがそんなことに従うわけ、ないでしょう……。フィリップだって、そんなこと許すはずがないわ……。あなたたちも、この子がそんな子じゃないって、わかってるはずよ……!」

 

 感情を込めて訴えるラケシスの姿は威厳ある姫君でも、城主代理としての責任者でもない、友人を庇う少女でしかなかった。自ら封じていた感情を露わにし、拳を強く握りしめて訴える。

 そんな彼女に向けて、同情を滲ませた視線をイーヴが投げかけた。

 

「姫様、あなたのお気持ちは分かります。ですが、今は渦中の時。キュアン様のお言葉通り、我々はエリンを無条件に受け入れるわけにはいかないのです」

「そんな……」

 

 ラケシスの絶望がエリンにも伝わってくる。今、エリンが思うのは無実を周囲が理解してくれないことではない。ラケシスが己の無力さに悲しむことが何よりも胸が締め付けられた。

 

(もう駄目だ。これ以上、ラケシス様を困らせたくない……)

 

 諦めがエリンの頭を過ぎる。

 床を映す視界がじわりと滲み始める。左手首を飾る形見の腕輪。その緑石が、かすかに光を宿していた。まるで「挫けるな」と励ますように。けれど今のエリンには、その光さえ遠く、淡く歪んで見えた。膝をついた石畳の冷たさよりも、彼女の指先は冷え切っていた。

 そして、ついにエリンが降伏の言葉を口にしようとしたまさにその時であった。

 

「私からも意見を述べさせてほしいが、構わないか」

 

 先ほどとは違った男の声であった。涼やかで張りのある声だ。

 

「今のやり取りを眺めさせてもらったが……私としては、このエリンという少女が企みを抱いているようにはどうにも見えない」

 

 思わぬ一筋の光に、エリンは弾かれるように顔を上げた。

 ラケシスの左手側に立つ偉丈夫が発言の主のようだ。深い青色の髪に湖畔の輝きを連想させる藍色の目。彼の精悍な顔立ちはエリンと視線が合わさると、彼女を安心させるように微笑みを浮かべた。

 

「シグルド!」

「シグルド様!」

 

 男の名を同時に呼んだのはキュアンとラケシスだ。ただ、それぞれ意味合いが違う。キュアンには批難の、ラケシスには感謝の響きがあった。

 名を叫ぶなり、キュアンは抗議を発した。

 

「相手が子供だから判断が鈍っていないか? 幼くとも、明日にでも剣を交える相手国の人間だぞ。そう易々と受け入れるものじゃない」

「私だってそれは理解しているさ。だが、この子はアレクが信じたんだ」

 

 喰らいつく勢いのキュアンをいなし、シグルドと呼ばれた男はアレクを見る。

 

「確かにアレクは女性に優しいが、誰彼にも甘いわけではない。しっかりと真偽を見分けられる男だ」

 

 シグルドの信頼に、アレクが小さく身を震わせていた。無言を貫いていた彼は、どうやらエリンを庇い立てする手段を練っていたらしい。他ならぬ主君による援護に感激しているようだ。

 シグルドは優しく頷くと、自身の傍らに控える少年へと顔を向ける。

 

「きみはどう思う、オイフェ?」

「私もシグルド様と同意見です」

 

 オイフェと呼ばれたのは声変わりもしていない少年だが、その外見に反して落ち着き払って自分の意見を述べ始めた。頷く彼の動作に合わせて肩口で切り揃えられた亜麻色の髪が揺れる。

 

「彼女はこちらに有利な情報を仄めかすことはありませんでした。自分が不利になった時、交渉の切り札としてハイラインの作戦をこちらに伝えることも出来るでしょうに、何も知らないと言い切りました」

 

 シグルドの傍らで影のように控えながらも、オイフェもまたエリンの挙動を冷静に観察していた。

 

「確かにハイラインの人間だということを伏せるしたたかさがありましたが、これはアレクさんの入れ知恵でしょう。この場での彼女の言動にしては小賢しすぎる」

 

 そしてオイフェはアレクを一瞥する。思春期特有の潔癖さからくる侮蔑の視線を携えて。

 

「私もあの人が女性に甘いのは知っていましたが、まさかここまで節操が無いとは……」

 

 どうやらノイッシュに引き続き、アレクはオイフェにまであらぬ誤解を受けてしまったようだ。オイフェめ、後で覚えていろよ……というアレクの苦々しい呟きがエリンの耳に届く。

 澄まし顔でオイフェはアレクを無視してシグルドへと向き合う。

 

「私の考えは以上です」

「ありがとう、オイフェ。きみの言う通りだと私は思う」

 

 子を褒める親のようにシグルドは頷くと、またエリンへと目をやる。

 

「エリンと言ったね。きみは私たち──ラケシスの剣となりたいのかい?」

「はい!」

 

 食い気味にエリンは即答した。その若さゆえの青さを好ましく受け取ったのか、シグルドの態度はあくまでも柔らかい。しかし、その口から出てきたのは厳しいものであった。

 

「きみはラケシスのために、義父を斬れるのか?」

 

 ヒュッとエリンは息を飲む。

 それはノディオン側に与すると選択した時点で受け入れるべき現実だった。敬愛する義父や、厳しくも優しい恩人たちの敵にエリンはなったのだ。

 親交を深めた間柄だから、そんなことは関係なく──戦場では等しく斬り捨てねばならない。たとえ、何者であっても。

 すぐには答えられなかった。シグルドが求めているのはエリンの肯定だ。しかし、すぐさまにそれを口には出来ない。

 それでも答えなくてはと言葉を探すたび、胸の奥で重く張りつく何かが喉を塞ぐ。

 

「出来るのかい?」

 

 静かに、だが確かに、シグルドは再び問いを投げた。黙り込むエリンを促すように。

 声はどこまでも優しい。聞き分けのない子供を諭すように。それでも現実の厳しさを突きつける、彼もまさしく武人であった。

 軍議室に集う人々は皆、二人のやりとりを注視していた。ある者は固唾を飲み、ある者は見定めるように。誰もがエリンの答えを待っていた。

 

「……私、は」

 

 絞り出すように溢れたエリンの声は小さく震えていた。それを咎めることなく、シグルドは沈黙のまま言葉の続きを待つ。

 怯えるような声を指摘もせず、嘲笑いもせずに、彼は静かにエリンの声を聞いていた。

 

「私は……分かりません」

 

 要領を得ない返答にわずかなざわめきが軍議室を波立たせる。どういうことか、と強く声に放つ者もいた。それらをシグルドは片手で制して、エリンの答えを待つ。

 緊張で乾いた唇を震わせながら、エリンは一言一言慎重に言葉を繋げる。

 

「戦場で……義父たちと対峙したら、私は……ためらってしまう、かもしれません」

 

 ポツリポツリとエリンは言う。自分の正直な気持ちを。

 騎士になりたい。そんな真白な憧れの裏に、踏み込めば返り血を浴びると知りながら……気付かないふりをしていた。

 

「義父を、みんなを、斬ることが恐ろしいと、悲しいと……想像をしただけでも、苦しい、です」

 

 ただただ正直な気持ちを吐き出す。けれど、胸の奥では──なんということを、と己を責める声が響いていた。

 

 今は嘘をついてでもシグルド様に取り入るべきだ! 己を偽れば、この苦境を乗り切れるのに!

 

 しかし、エリンの頭に浮かぶのは愛しい人たちとの思い出。

 

 亡き母が恋しくて眠れない夜、フィリップは何度も幼いエリンが大好きな本を読んでくれた。

 真面目な顔で児童書を朗読する義父の姿に、嬉しくて笑ったら「もう寝る時間だぞ」と額に手を当てられた。

 騎士としての実務で疲れているはずなのに、エリンが一人で眠れる日までずっと寄り添ってくれた。

 

 剣の重さを教えてくれたのは父の部下たちだった。

 肩に力が入りすぎていると、何度も何度も手を叩かれた。痛かった。でも、その分だけ、まっすぐに立てるようになった。

 手加減なしの練習相手に初めて一本を取ったとき、公式試合で勝ち上がったかのようにみんなが歓声を上げてくれた。

 

 丸い食卓。皆で囲んだパンの匂い。賑やかな語り合い。時折広がる笑い声。

 彼らと血の繋がりはないが、家族団欒とはこういう空気なのかとエリンは暖かいスープを含みながら実感した。

 

 ……そんな人たちを、私は――。

 

「斬れません」

 

 堰き止められていたざわめきが再び大きく波打つ。アレクですら、主君の前であることを忘れて顔に動揺の色を浮かべていた。

 エリンはラケシスを見る。彼女は目を大きく見開き、嘆きの声を抑えるように両手で口を押さえていた。

 

「ですが」

 

 真っ直ぐにラケシスだけを見つめたまま、エリンは続ける。

 他の誰にも届かなくてもいい。自分の偽りのない真心は、ラケシスにだけ届けばいい。

 

「私は決してラケシス様を裏切りません。たとえ何があろうと、ずっと……ずっとおそばでお守りいたします!」

 

 言葉だけじゃなくて、この心がラケシスに伝わればいいのに。そんな願いを込めながらエリンは力強く宣言した。

 どよめきを前にしても、取り乱すことなくエリンは己の本心を曝け出したのだ。

 

「きみの考えは、よく分かった」

 

 最初に話しかけてきたのはシグルドだった。彼は深く頷くと円卓を囲む面々へと視線を巡らせた。

 

「キュアンもみんなも聞いただろう。今の通り、彼女は嘘が付けない誠実な子のようだ。ラケシスの言う通り、彼女は信用に足る人物だと私は思う」

「では、シグルド様……!」

 

 期待を込めた眼差しを送るラケシスに、シグルドは軽く相槌を打つ。そして彼は改めてエリンに向き合う。

 

「我が軍に歓迎する。よく来てくれたね、エリン」

 

 その言葉にラケシスの歓喜の声が重なる。

 エリンは見た。ラケシスの喜びの顔を。

 その笑顔は、今にも光を放ちそうだった。

 彼女の姿に、エリンの強張った体から力が抜けていく。胸の奥に、じんわりと安堵が満ちていった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 軍議後、キュアンは渋い表情でシグルドに詰めた。

 

「本当にいつも甘いな、シグルド」

「そんなことないさ、キュアン。きみだって、エリンが悪い子ではないことを見抜いていたはずだ」

 

 その名に、キュアンの眉がわずかに動いた。

 彼の妻であり、シグルドの妹の名はエスリン。

 フィンから来訪者の――エリンの名を聞かされた時、ノディオンの者以外全員が驚いたのだ。知った名前に近しかったから。

 聞き間違えではないかと、キュアンが何度もフィンに確認をしたことを思い出す。

 愛する妻と似た名前であるがゆえだ。親友はエスリンのことになると、普段よりも感情を表に出す。義兄として微笑ましい限りだ。

 ふふ、と小さく笑ってシグルドは続ける。

 

「進んで悪役を買ってくれたのだろう?」

「……何のことやら」

 

 誤魔化すようにキュアンはそっぽを剥く。偶然か無意識か、彼の視線はラケシスとエリンへと向いていた。少女たちは改めての再会を喜び、手を取り合っている。

 微笑ましい光景に、思わず頬が緩みそうになるのをキュアンは堪えた。人の良い親友に忠告をするために。

 

「子供とはいえ、警戒しておくに越したことはないだろう。年齢で判断するのは危険だ」

 

 彼の頭に浮かぶのは故郷レンスター。隣国トラキアからの侵攻が絶えず、父や臣下たちの悩みの種となっている。

 トラキアの兵には少年だっている。ちょうど彼が面倒を見ているフィンと同じ年頃の。

 

「武器を握れば誰だって戦士となる」

「分かっているさ。それでも」

 

 シグルドもまた、キュアンと同じ景色を見つめていた。花咲くように囀る少女たちを眺めながら。

 

「ラケシスの寂しさを和らげてあげたかったんだ」

 

 囚われの親友を想い、シグルドはそう呟いた。

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