6-1 俺のこと、好きになっちゃった?
やはり長距離の移動するなら、馬が必要だ。エリンはつくづく実感する。
アレクの白馬はフィンの栗毛の馬よりも年上で、エリンの老馬よりも若い。まさに全盛期の年齢だろう。一息で駆ける距離の長さも、騎手への負担の軽さも、段違いだった。
この速さならば、すぐにでもアンフォニー城に辿り着くはずだ。しかし、快適さは代償として捨て置かれた。いくら白馬が気遣ってくれても、アレクはもっと速さを求める。結果として激しい振動がエリンの体を揺らす。
振り落とされそうな激しさ。しかし、アレクの左腕は、しっかりとエリンの腰を抱き止めている。決して落とすまいというように、その腕に込められた力は強い。
フィンの時よりもさらに密着して、エリンの背にアレクの胸甲が触れる。そのたび、鎧同士が揺れに合わせて微かな音を立てた。
「すまない。今は、この体勢で我慢してもらってもいいか?」
致し方ないとはいえ、さすがに年頃の娘に密着状態はよろしくないとアレクは思ったのだろう。囁くように謝罪される。
フィンよりも背丈のあるアレクの声は、エリンの耳よりも遠い。だから、安心してエリンも返事をする。舌を噛まないよう、慎重に。
「大丈夫です。我慢、出来ます」
それにアレクなら、きっと自分を落としたりはしない。そんな奇妙なほどの信頼が、いつのまにか芽生えていた。腰に添えられた彼の腕にも、不快感は覚えない。
フィンの時はあれほどまでに意識したのに、不思議なものである。
周りの風景の変化を堪能する余裕すらエリンにはあった。そして、ふと馬の背を見る。
「アレクさんの馬って、鹿毛では無かったのですか?」
ノディオン城で見かけたアレクの馬。あの馬は確か、一般的な兵士がよく使う鹿毛の馬だったはず。だが、今の馬は白馬だ。よくよく見やれば、以前の馬よりも体格も良く賢そうだ。
もしや、先の戦闘で鹿毛の馬は傷付き、この白馬に乗り換えることとなったのだろうか?
「あぁ。先日の戦いで成果を上げたってことで、シグルド様から恩賞で賜ったんだ」
位も上がり、ソシアルナイトからパラディンへと転じたという。言われてみれば、今のアレクの鎧は以前よりも真新しい物であった気がする。深緑色という色合いは変わらないが、鎧の造りは明らかに違っていた。以前よりも装飾が凝っており、どこか格式の高さを感じさせる。
アレクの話によれば、他にも何名か功績を上げたことによりそれに見合った恩賞を受けたそうだ。
「ノイッシュなんか、珍しく目を潤ませてたなぁ。私はシグルド様に生涯を捧げる! とか堅苦しいこと言ってさ」
「そうなんですか……」
他の人々は着実に成果を得ている。反してエリンは何も成し遂げてない。それどころか周囲に迷惑をかけてばかりだ。……フィンにだって、見放されてしまった。
「……フィンと喧嘩でもしたのか?」
不意にその名を出され、エリンの心臓が大きく跳ねた。瞬時にエリンの指先が強張る。
どうして、そう口にせずともアレクは悟ったようだ。少し声を和らげて言葉を続ける。
「さっき……別れ際、ちょっとギクシャクしてたろ? 気になってさ」
ああ、やっぱりアレクから見てもおかしかったのか。
第三者からの判断に、エリンはますます気を落とす。誰が見ても分かりやすいほどにフィンは怒っていた。エリンに対して許せないと思っていたんだ、と。
「へぇ……俺の知らないうちに、喧嘩するくらい仲良くなってたんだな」
感慨深げにアレクは言う。その安堵するかのような声音が癪に触って、エリンは唇を尖らせる。
「……仲良くなれてません」
一方的にエリンがまとわりついていただけだ。フィンの親切さを誤解して、調子に乗って馴れ馴れしくしてしまった。フィンの怒りは最もだと、エリンは思う。
今後、話しかけても返事すらしてくれなかったらどうしよう。そんなことを考えれば、たちまち視界が歪み始める。鼻を啜って涙を堪える。
落ち込むエリンに慌てたのはアレクの方だった。
「どうした、酷いことをフィンに言われたのか?」
むしろ酷いことを言ったのはエリンの方だ。いくらキュアンに促されたからと言って、可愛いだの好きだの大勢の前で発言すべきではなかった。
フィンの自尊心を大層傷つけただろう。
それでも、アレクにフィンのことを誤解されたくない。エリンは首を小さく振った。
「私の方が、酷いことしました。……色々と」
「そうか。俺は、エリンみたいに可愛い女の子になら、色々と酷いことされても構わないけどな」
何を言い出すのか、この人は。
思わず顔を上げて、背後のアレクをエリンは見た。アレクは、いつもと変わらぬ飄々とした笑みを浮かべていた。
その深碧色の目の奥は、どこか優しげだ。熱に浮かされたような甘い眼差し。幼子をあやすように、彼はエリンの顔を覗き込む。
ほんの少し、彼が顔を近づければ唇が触れ合いそうな距離。そのまま手を伸ばせば届いてしまう――それを、彼は知っている顔で眺めていた。エリン自らが先を促すようにと、彼は期待をしてるように彼女を見つめている。
だが、本気じゃないのだろう。さすがにエリンでもそれは分かる。アレクはそんなことをする人間ではないという信頼が彼女にはあった。
まるで宝物を抱えるように、エリンを抱くアレクの左腕の力が強くなった。
「可愛い顔して、どうした?」
吐息混じりにアレクが問いかける。
風に当てられて靡く彼の緑髪を眺めながらエリンは思う。
この人の「可愛い」は口癖なのだろうか。
多分そうなのだと、エリンは自然と頷いていた。アレクはそういう人だと、何故かエリンはしっくりとしてしまう。彼なら挨拶のように女の子を褒めるだろうと。
そういえば、先日アレクはシルヴィアを口説いていた。その時も彼女に向かって、可愛いと気軽に口にしていた。
対するシルヴィアはそれを素直に受け取り、二言三言彼に返答をした。何を言ったのかまでは、通りすがりのエリンの耳には届かなかったが、かなり大胆な発言だったようだ。このアレクをたじろかせていた。
エリンと同じ年頃なのに、シルヴィアは経験豊富なのだろう。きっと様々な出来事を味わって生きてきたのだ。アレクのような大人の男へのあしらいも慣れているのかも知れない。
フィンやデュー、オイフェだってエリンと同年代なのに。みんなそれぞれ、しっかりと自分の足で生きている。彼らの中で、エリンが一番未熟で子供なのだ。それが――つらい。
エリンがじっとアレクを見つめていると、彼は小さく笑う。
「……俺のこと、好きになっちゃった?」
「いえ、違います」
さすがに即座に否定した。そのままエリンは顔を戻す。なんだか沈んでいた気分がうやむやになってしまった。
アレクのわざとらしいため息が、エリンの髪を揺らした。
「つれないなぁ、エリンは。もう少し照れてもいいんだぞ」
さほどがっかりしてるような口調でもなかった。なんとなく、アレクがわざとこのような振る舞いをしているとエリンは感じた。
彼なりに励ましてくれたのだろうか。
お礼を言おうかと悩んで、エリンは止めた。きっとアレクはそれを望んではないだろう。礼を言ったとして、なんのことだ? と誤魔化すに違いない。
少し考えて、エリンは答えた。
「私は子供ですから……分からないです」
こういう時だけ子供のフリをするの、ズルいなと自分でも思った。
「子供かぁ……。なら、仕方ないな」
苦笑混じりにアレクは言う。
フィンとは違う、さりげない優しさ。それにエリンは救われたのかもしれない。おかげで気持ちを切り替えることが出来た。
「アレクさん」
呼びかけると、なんだい?と答えてくれた。
「ありがとうございます」
「……なんのことだ?」
やっぱりアレクは誤魔化してくれた。そう思い込んで、エリンは純粋に嬉しく思った。
◆ ◆ ◆
所々で崩落している城壁を抜けて、二人を乗せた白馬はアンフォニー城へ入城した。
戦の痕が色濃く残るが、アンフォニー城の絢爛さは失われていなかった。幼い頃、開拓村から遠目に見た時、悪趣味だなとエリンは思ったことがある。
アレクに連れられて広い廊下をエリンは歩む。改めて思う。ハイライン城と比べて段違いに金をかけている。
そこかしこに飾られた調度品。しかし、その多くが戦闘の結果、傷付いている。好事家が見たらさぞかし嘆くであろう。
城の外観もそうだが、内観も悪趣味だ。高価な物はとにかく買い集めた、という印象だ。見た目の豪華さだけにこだわったのが、マクベス王という人間だったのかもしれない。
しかし、一箇所だけは違った。
広い中庭。そこは花々が咲き乱れ、噴水が虹を描き出していた。緑葉をくぐり抜けるように飛ぶ小鳥達は囀る。緑と青、そして彩りで溢れた空間であった。
回廊を埋め尽くすように置かれた調度品は、中庭にはほとんど設置されていない。
過剰なまでの煌びやかな城内との落差が激しすぎる。幻想的な夢の中に迷い込んだという錯覚さえ抱いてしまう。
雇われた庭師の腕が良かったのか、もしくはマクベスが意外にも自然を愛する人だったのか……今となっては語る者は少ないだろう。
優雅に舞う蝶達を目で追えば、シグルド達の立ち姿が映る。数人で何やら話し合っている。
「あぁ、やっと来たか!」
和やかに声を発したのはレヴィンであった。友好さの表れか、エリンに向けて手を振っている。
しかし、エリンは逆に身構える。初対面の時の態度。あの時のレヴィンはあからさまにエリンを警戒し侮っていた。
それに、母の腕輪の出所を深く追及してきた。まるで盗人を咎めるような口ぶりでエリンに迫ってきたのだ。
だが、今は打って変わってエリンへ親しげに話しかけてくる。あの時、彼女を値踏みするように一瞥した瞬間からだ。レヴィンの空気が一変したのは。
そのせいか、笑顔を向けられてもどこか胡散臭さを感じる。
ベオウルフにレヴィン。新たにシグルド軍へ参入した人物に苦手意識をエリンは抱いている。他にも幾人かシグルドに与する兵達も増えたが、この二人は特にエリンは警戒した。人見知りという理由以上に。
身構えるエリンだが、このまま立ち止まっていることも出来ない。総大将シグルドの御前だ。エリンが不敬を行えば、ラケシスの評価まで下がる。
アレクは当たり前のように歩き出していた。ごく自然な動作で、エリンの腰に右手を回して。エリンはその手を振り払わなかった。それよりも、レヴィンに対する警戒心を優先したのだ。
渋々といった内心を表に出さないように努めて、エリンはアレクに伴われてシグルドの元へと進む。
「エリンをお連れしました」
跪くために、アレクはエリンの腰から手を離した。その直前に彼はエリンを見る。大丈夫だと言いたげに片目を閉じて微笑んだ。
エリンはそれに頷くと、アレクの隣で膝をつく。
二人の姿を確認すると、シグルドは優しげな口調で言った。
「ありがとう、アレク。きみは元の配置に戻ってくれ」
「はい」
一礼するアレク。立ち上がる前に彼はエリンに右手を伸ばす。
エリンの柔らかな頬を撫でるように右手を滑らせ、指先をその唇に当てる。一拍置いてから、這いずるようにゆっくりと――その輪郭をなぞる。
そして、そっと口付けるようにエリンに耳打ちした。
「……また後でな」
ねっとりとした話し方がくすぐったくて、エリンは身を捩らせる。
その様を堪能したかのようにアレクは悪戯めいた笑みを浮かべる。
「頑張れよ」
名残惜しむように彼はエリンの唇から指を離し、立ち上がる。
再び礼の姿勢を取ると、アレクは踵を返して歩き出す。その背中に向かい、明るい声が放たれた。
「アレクー! 待ったねー!」
相変わらずの露出の多い踊り子装束を揺らしながら、シルヴィアが大きく手を振る。彼女に向かいアレクは振り返って片手を上げる。
「ああ! またな」
気やすさを感じられるやり取りだった。例の口説きの一件以来、二人は交流を深めていたらしい。
軟派なアレクと懐っこいシルヴィア。仲良くなるのにそう時間がかからなかったのだろう。
特に嫌味もなくエリンは感心する。
アレクはそのまま退場したが、なぜかレヴィンがシグルドに突っかかった。
「シグルド公子! 何故、あの男を咎めない!」