剣呑さを露わにレヴィンは怒鳴る。
「公然での、あのような振る舞い……許すとでもいうか!」
その迫力に、シグルドはたじろぐ。
「いや、そういうわけでは……」
「じゃあ、どういうわけだと言うんだ!」
「アレクはエリンに気遣っているだけだ。軽薄に振る舞うのはアレクなりの優しさで――」
「お人好しにも程があるッ!」
レヴィンがここまで怒るとは……アレクの馴れ馴れしさはおかしかったのだろうか。エリンは小さく首を傾げる。
確かに最後唇を触れられたのは変だと思ったが、自分の口元に何か汚れでもあったのだろうと一人納得していた。
周囲を見通せば、シグルドとシルヴィア以外の全員が神妙な顔立ちをしていた。揃って顔を見合わせ、眉根を寄せている。レヴィンを止めようとする者は誰もいない。
特にオイフェは冷たい眼差しでエリンを見下ろしていた。エリンが承知のうえで応じたと、視線の強さが彼の推測を物語る。恐らく、そういうことにこそ敏感な年頃なのだ。潔癖なだけに、余計に。
なるほど、あの振る舞いは騎士としては不適切だったのかもしれない。けれど、アレクにそんな意図はなかったはずだ。皆が誤解しているだけに違いない。
「お前もだ、エリン!」
レヴィンの怒りがこちらにも飛んできた。
「何故、易々と受け入れた? あのようなふしだらな所作、意味を分かっていて黙っていたのか!」
周囲の反応を見て、エリンもようやく異常さを理解した。けれど、それをレヴィンに怒られる筋合いはない。
むしろ、なぜここまで彼が激怒しているのか分からなかった。
これが義父や副団長だったら、まだ納得できる。親代わりの彼らが りつけるのなら、それは躾として受け入れられる。
だが、エリンとレヴィンは出会ってまだ数日にも満たない。正しいことを言われているのは分かっていても、素直に受け入れるのは難しかった。
いや、そもそも以前にレヴィンは初対面の日に、エリンの肩を気軽に抱いてきたではないか。しかも、キュアンの前で。
そのせいで、夜はアルヴァに叱られて過酷な鍛錬をエリンは味わう羽目になったのだ。そのきっかけとなった人物が、どの口でエリンを責め立てるのだ。
とはいえ、エリンは言い返さない。怒鳴られても恐ろしいとは思わなかった。ただ、拗ねたように唇を尖らせるだけだった。
だって、別に悪いことをしたつもりはない。そう思ってしまったのだ。
「返事はどうした!」
レヴィンはさらに詰め寄る。普段のエリンなら萎縮して固まっていただろう。だが、彼への不信感からか、まったく怯えることはなかった。
黙ったままのエリンを見て、レヴィンはますます青筋を立てる。エリンは拗ねているだけなのだが、その態度が彼を舐めているのだと思ったのだろう。
聞き分けのない少女をさらに叱りつけようと、彼が口を開いたその時だった。
「エリン、お前は――」
「レヴィンったら、お父さんみたーい!」
はしゃいだ声が、ぴりついた空気を切り裂いた。
割って入ってきたのは、シルヴィアだった。
彼女は怯えるふりでもしているのか、シグルドの後ろに隠れて、その背中越しに様子をうかがいながらクスクスと笑っている。
「シルヴィア……お前は口を挟むな」
「えー? だってさぁ、レヴィンってば変だもーん」
するすると滑るように、シルヴィアはシグルドの背後から飛び出た。そのまま、ステップを踏むようにレヴィンのそばへと近寄る。
「そこまで怒ること、ないじゃん」
ねー、とシルヴィアはエリンに笑顔を向けてくる。まるで味方のような笑みだったが、どう反応してよいのか分からない。エリンは困ったように目を伏せた。
「怒ってはいない。コイツには慎みを持てと言ってるんだ!」
「ほら、やっぱりお父さんみたいじゃん」
「だから、俺は――」
「お話はそこまででよろしいでしょうか」
静かな声が会話を遮断させた。
声はまだ甲高い少年のものだ。シグルドの隣に控えていたオイフェは、騒ぐ二人を厳しい眼差しで見つめている。
「アレクさんの不適切行為の是非についてはとりあえず、置いておきましょう。……あの人は全く本当にしょうがない。節操なしに磨きがかかってるじゃないか。ノイッシュさんに後でバラしてやる」
後半の愚痴は、かなりの早口だった。言わずには居られなかったのだろう。
咳払いを一つして、オイフェはシグルドへと顔を向けた。
「事態は急を要します。早く話を進めましょう」
「そうだな、オイフェ」
助かった、とでも言いたげな表情をシグルドは浮かべていた。どうやら本題のきっかけを探ってたらしい。……押しが弱い人なのだろうかとエリンは思う。
「さて、エリン。こうして、しっかりと対面するのは久しぶりだな」
エリンがシグルドに話しかけられたのは、ノディオン城以来だ。二人の身分差ゆえに、それ以降は直接会話をすることはなかった。
……いや、そうではない。エリンは避けていたのだ。
シグルドはフィリップの仇だ。彼の剣が、義父の命を絶った。
恨みがないと言えば嘘になる。エリンや副隊長たちを受け入れるだけの温情があるのなら、なぜフィリップだけは助けてくれなかったのか――そう思わずにはいられなかった。
仕方のないことだと割り切るには、エリンは若過ぎた。未だに複雑な想いをシグルドへ抱いている。
眼前で微笑むシグルドは、歴戦の武人には見えない。親しみやすさを放つ公子だ。
彼の周囲に人が集うのは、その人柄ゆえだろう。少々人が良すぎなのが玉に瑕だが、それもまた彼の魅力ではあるのが分かる。
「護るべきラケシスと引き離してすまない。ただ、今は緊急事態なんだ」
シグルドの言葉を、オイフェが繋ぐ。
「我が軍の本拠地であるエバンス城が、何者かの襲撃を受けております」
驚きを声に出しそうになったが、エリンは堪えた。
現在、シグルド軍と敵対関係にあるのは二国。マッキリー領主クレメント司祭とアグスティ領主シャガール王だ。
クレメントは動乱当初事態を静観していたのだが、今はグランベルへの敵対を表明している。おそらくシャガールからの強い要請があったのだろう。
どちらも現在地であるアンフォニー城からは遠い立地となる。距離的には本拠地であるエバンス城の方が近い。
エリンの脳裏にベオウルフの言葉が蘇る。
――隙を見つければ、あの強欲王はすぐにでも行動を起こすだろうな。
ベオウルフの懸念の通りになっている。悔しいが、有力者同士の腹の探り合いは彼の方が詳しいのだろう。また密やかにエリンは劣等感に苛まれる。
「幸いにも、現状攻め込んで来ているのは少数ということです。しばらくは持ちこたえられるでしょうが、楽観はできません。マッキリー城にも動きがあると、物見から伝令もありました」
加えて、アグスティ城でも兵の集結が確認されているとのこと。
二国が揃って動き出せば、全面戦争は避けられない――不穏はすでに予兆ではなく、現実として迫っていた。
「主力兵は、こちらに割いています。すぐにでも援軍を向かわせないと城の守りは破られてしまうでしょう」
オイフェの言葉にシグルドは頷き、エリンを見つめる。
「そこでエリン。きみの力を借りたいんだ」
柔和な顔立ちに真剣さを携えて、シグルドは言った。エリンは、彼の言葉の裏にある意図をすぐに察した。
正しくはエリンではなく、義父の形見のリターンリングの力が必要なのだろう。
悔しいが、エリンは防衛の要となる動きは取れないだろう。見習いという枷を外したとしても、戦場の経験が少なすぎる。たとえエバンス城へ転送されても、何の役にも立たない。
だからこそ、リターンリングを他者に使わせるのだ。この指輪の魔術を使えば、装備者を即座に本拠地へと転移出来る。
ただし、あらかじめ指輪に本拠地を登録しておかなければならない。高位の術者によって指輪に飾られた魔石の情報を上書きさせる必要がある。
義父の形見は、すでにハイライン城からエバンス城へと本拠地の書き換えが完了していた。ラケシスがエリンにそう願ったのだ。費用は彼女が肩代わりしてくれた。それについて、エリンは未だに申し訳ない気持ちが薄れない。
しかし、そのおかげでリターンリングが今まさに役立つ。
この場に集められているのは戦闘に長けた者ばかりだ。
イザークの剣士アイラ王女。
剣闘士のホリン。
ヴェルダンの弓兵ジャムカ王子。
ドズルの斧騎士レックス公子にヴェルトマーの炎魔術師アゼル公子。
本人は吟遊詩人と名乗るが、風魔術師のレヴィン。
そして、ユングヴィの公女エーディン公女。彼女はワープの杖を手にしていた。これにエリンのリターンリングと併せれば、即座に二人をエバンス城に送れる。戦士としてではないが、彼女の力は間違いなく今回の鍵になる。冷静な目をした彼女の隣には、いつも通り近衛騎士ミデェールが控えていた。彼もまた、静かに覚悟を固めているようだった。
踊り子のシルヴィアは、恐らくレヴィンについて来たのだろう。緊迫した彼らとは違い、普段通りに朗らかな笑顔を浮かべている。軽やかに鼻歌を口ずさみ、今にも踊り出しそうだ。
周囲を見渡し、エリンは俯く。目線は自ずと自分の胸元へと注がれる。
エリンには、大き過ぎる義父の指輪。今は、首飾りになってエリンの胸甲の中に隠されている。
戦術的に必要とはいえ、これは養父の形見だ。絶対に手放したくない。
だが、その我を通せるほど、エリンはまだ強くない。判断を誤れば、ラケシスの危機に直結する。
奥歯を噛み締め、エリンはシグルドの発言を待った。いつでも指輪を渡せるよう、首元に右手を当てて。
「きみには、レヴィンと一緒にエバンス城へ転移して欲しい」
「え?」
予想外の命令にエリンは顔を上げた。
聞き間違いだろうか、と呆けているとシグルドが困ったように微笑む。
「きみが、ラケシスと離れることに不安なのは分かる。しかし、レヴィンがエリンを同行させると譲らないんだ」
何故。
エリンの脳裏に浮かんだのはそんな単語だった。意味が分からない。
緊急で戦力を要するのに何故わざわざエリンを――認めたくはないが、足でまといを連れて行こうと言うのだ。
疑問を抱いてレヴィンを見れば、彼はまだ怒りをたたえたまま、エリンを睨むように見ていた。
そんなレヴィンを見て、ため息を漏らすようにオイフェが言う。
「僕たちも、他の方を選出された方がいいとレヴィンさんに伝えたのですが……エリンさんが最適だと言い張るんです」
納得しているのはレヴィン一人だけのようだ。他の者はエリンのように顔には出さないが、腑に落ちない空気を発している。
気まずい雰囲気の中、レヴィンはエリンに近寄る。怒気を纏った彼の気配に、エリンはほんの少し身を強張らせる。
レヴィンは一度だけ、痛ましいものを見るような目をエリンに見せると、すぐに彼女の手を取り、立ち上がらせる。
「今まででリターンリングを使ったことは?」
「……いいえ、ありません」
「そうか。なら、ワープの杖で飛ばしてもらった方が確実だろう。魔力酔いを起こすかもしれない」
術者の力によって発動して効果を付与させる杖とは違い、魔術具は装飾者本人の精神力を消費させられる。慣れない人間はその反動で体力をも奪われる。例えるのならば酷い二日酔いのような倦怠感と聞く。いわゆる魔力酔いという症状だ。
「着いた先で倒れられたら大変だからな。……そういうわけだ。俺たち二人の分をまとめて頼んでもいいか、エーディン公女?」
レヴィンがエーディンに問いかけると、彼女は静かに首を横に振った。彼女の頭の動きに合わせて、柔らかな金糸の髪がふわりと揺れる。
「申し訳ないですが、二人同時の転移は出来ませんよ」
広範囲の対象に効果を与える杖も世の中には存在する。しかし、ワープの杖は単体の相手にしか効果を発揮できない。
そして全ての杖に言えるのだが、一度使用すれば術者は魔力を回復するために小休止を行わなければならない。短期間に連続で使用すれば、術者の生命も摩擦することとなる。
だからこそ、ジャムカが反発した。
「その娘に無理をさせたくないからと言った口で、エーディンを酷使させるのなら俺は許さない」
レヴィンに掴みかからんと言った勢いのジャムカ。その鷹のような瞳には、冷たい殺気が宿っていた。
エーディンとジャムカは、先の休戦の折に簡易的な婚式を挙げていた。今では夫婦の間柄だ。
そして、この時エリンは知らなかったがエーディンは身籠っていたというのだ。夫であるジャムカの怒りはもっともであろう。
凄まじいほどの敵意を受けてもレヴィンは怯まない。彼は、何故かシルヴィアに手招きを行う。彼女は、しなやかに手足を伸ばしてレヴィンに近寄る。
「シルヴィアを踊らせる。……原理は分からないが、コイツの踊りは気力を呼び起こす力がある」
レヴィンの説明でエリンは思い出す。
彼らと初めて遭遇した、あの開拓村救出戦。レヴィンはあの時、風魔法を立て続けに放っていた。その傍には、楽しげに舞うシルヴィア。
緊張感の無い子なのかと疑ったが、理由はあったのか。
感心するようにエリンはシルヴィアを見る。その視線に気付いたのか、シルヴィアは小さな胸を張って得意げに微笑んだ。そして、エリンに向かって細い指を差した。
「レヴィンを困らせたらダメだからね!」
「お前がそれを言うか」
呆れたようにレヴィンがツッコミを入れる。
緊迫した雰囲気も、シルヴィアの前では皆無に等しい。だが、不快には感じない。それどころか、空気を軽くしてくれるような、不思議な魅力のある子だ。
エリンはレヴィンの説明に納得をしたが、周囲はそうは思わない。
懐疑的な眼差しでジャムカが問う。
「踊りで、どうにかなる話か?」
それに対しての回答をしたのは、意外な人物からであった。
「あの男の言うことは、間違いでは無い」
堅苦しい口調で、黒髪の女性アイラが言った。