「先日の戦闘で私はあの娘の舞を見た」
イザーク王女でありながら、剣士として最前線に立つ彼女は、若くして軍随一の腕前を誇っていた。
そんなアイラがシルヴィアの能力に対して肯定したのだ。
「不思議な話だが、消耗したはずの体がたちまちに活力で満ちた。疲れなぞ、無かったと言うほどに。……そうだろう、ホリン」
傍に立つ金髪の剣闘士へと、アイラは同意を求めた。剣闘士の男――ホリンも頷く。
「ああ。何故だか体が軽くなった。気分的にはではなく、実際にそうなったんだ」
かつてアグストリア全土の闘技場で名を馳せたホリン。そんな彼はアイラに敗れ、そのまま彼女に従って軍へ加わった。
「……お前はアイラ王女の意見に同調しているだけではないのか?」
訝しむジャムカをホリンは否定する。
「確かに、俺はアイラに従う。だが、何でも肯定しているわけではないぞ。自分でも滑稽な話だとは思うが、事実なんだ」
「しかし――」
「もぉー! ジャムカ様ったら全然信じてなーい」
不服を声に上げるシルヴィア。無理矢理会話に割って入ってきた。
「一度見てよ、私の踊り。みーんな元気になっちゃうんだから」
「こんな子供の戯言をどう信じろと?」
「ひっどーい!」
きゃあきゃあと喚くシルヴィアの声に紛れて、大きなため息がつかれた。
「……話が進まないな、これは」
「レックス!」
「何だよアゼル、事実だろ? それよりシグルド公子、エーディン様の他にワープの杖を使用できる者はいないのですか?」
レックスの問いかけに、シグルドは首を横に振る。
「一通り声をかけたが見当たらなかった。……すまない」
「……なら、仕方ないですね」
魔術杖は、その用途によって使い手の力量を問われる。
例えば、ライブの杖は初級だが、ワープの杖は中級。わずかな難易度の違いで、使いこなせる者の数は一気に限られてしまう。
シグルド軍でワープの杖を使いこなせるのは現在二人のみ。
一人はエーディン。
もう一人は、シグルドの細君ディアドラ。
しかし彼女はここ数日、悪阻が酷く伏せっている。無理をさせるのは忍びない。
それを理解しているのだろう、レックスが追及することは無かった。
「ジャムカ、私はシルヴィアさんを信じます」
「エーディン!」
「アイラ様もホリンさんも、嘘をつくような方ではありません。だから、私は信じます。シルヴィアさんの力は本物だと」
女神のように、エーディンは柔らかに微笑む。
「心配しないで。きっと上手くいきます」
「………………分かった」
心情的には理解していないのだろう。ジャムカの表情は険しい。返事も渋々といった様相だ。
そんな彼を安心させるようにエーディンは普段通りに穏やかに振る舞う。
「レヴィンさんとエリンさん。どちらを先にワープさせましょう?」
「だったら俺を頼む。シルヴィア、舞の準備をしてくれ」
「はーい」
嬉しそうにシルヴィアはステップを踏み始める。彼女が跳ねるたびに足首の飾りがシャンシャラと音が鳴る。楽団なんて無いのに、賑やかな音楽が聴こえた気がした。
レヴィンがエリンを見る。その眼の輝きは強いが、怒りによるものではなかった。
長身のレヴィンは腰を屈めて、小柄なエリンに近寄る。
「もしもワープの杖が使われなければ、すぐにリターンリングを発動しろ。リングに向かって念じれば、すぐに効果は発揮される」
そしてレヴィンはエリンの耳元に小声で囁く。
「魔力酔いしても、俺が受け止めてやる。安心しろ……エリュー」
「……え?」
名前を呼び間違えられたのだろうか? しかしそれを訂正する前にレヴィンの姿は消えた。彼の立っていた位置には、白く細長い光の柱が立っていた。柱は、流砂のような音を立てて――ふっと、溶けるように消えていった。
残光を呆然と眺めるエリン。その心中は戸惑いが溢れていた。彼女の鼓動はまた忙しなく動き始めている。
(どうして……)
レヴィンに「エリュー」と呼ばれた時、心臓が跳ねた。まるで、自分のものではないように。
馴れ馴れしい響きに嫌悪感を覚えなかった。それどころか、別の感情がエリンの意思に反して湧き上がる。
――嬉しい、嬉しい! もっと名前を呼んで、もっと私のことを見て!
無邪気な子供のような声が、体の奥底から溢れ出す。
なんだこれは。誰かがエリンの思考を乗っといているという錯覚すらある。歓喜と恐怖が、エリンの中で渦巻いていた。
縋るように左手首に触れる。銀の腕輪の感触で、いつものように慰みを得るために。
しかし、すぐにエリンは形見の腕輪から右手を離した。まるで、気付かずに火へ触れたようだった。心の奥底に、何か決して触れてはならぬものがあると、身体が勝手に拒んだ。
腕輪は――その飾りである緑石が静かに輝きを放っていた。
――会いたい! もっとたくさん一緒にいたい!
そんな声が耳に届いた気がする。声が誰のものかは分からない。けれど、どこか懐かしく――胸の奥に、強く響いた。
呆然とするエリンに向かい、エーディンが声をかける。
「レヴィンさんの転送が完了しました。エリンさん、こちらへ」
「は、はい……」
エーディンに疲れた様子は無い。それどころか頬の血色が少し明るくなった気がする。
これがシルヴィアの踊りの効果だろうか。だとすれば、強力な力だ。
強大な能力は代償も大きいのがよくある話だ。考えられるとすれば自身の生命力を他者に与えているのだろうか? しかし、シルヴィアにも衰弱した様子は無い。今も歌を口ずさみながら軽快に舞っている。
彼女もまた、何者なのだろうか。レヴィンと行動していたのもそれに関係があるのだろうか。
レヴィンは何者なのだろうか。
今更ながらの疑問が、エリンの恐れと共にやって来た。これからエリンは彼と共に行動を共にせねばならない。……もしかしたら、恐ろしい何かに、自分から踏み込んでしまったのかもしれない。
わざわざ軍の中でも戦力とは言えない自分を、レヴィンは指名した。何か裏があるに違いない。
ためらうエリンに構わず、エーディンは杖を振るう。
たちまちエリンの体から重さが消えた。まばゆいばかりの煌めきに全身が包まれる。体はこのまま、天上へから伸びる光によって転送されるのだろう。
ワープの杖の効果を得たのは初めてだった。ほんの少しの恐怖心がエリンをつつく。
怯えながらも魔法に身を委ねる。その時、エリンはシグルドと目があった。
彼は心配するかのように、エリンを見守っていた。その美しい湖畔に似た瞳を見て、エリンは弾けるように叫んだ。
「シグルド様! この指輪……」
誰にも渡したく無い気持ちは変わらない。けれど、それを握りしめているだけでは、今は足りない。
一人でも多くの戦士を、エバンス城へ送らなくてはならない。
ラケシスに誇れる騎士には、子供のままでは成れない。
今ならまだ間に合う。焦りながら指輪を胸元から取り出そうしたエリンに、シグルドは手をかざす。
「それは、きみが持っているといい」
「ですが」
「大切な物なんだろう」
指輪に触れた右手が止まる。
エリンが見たシグルドの表情。
それは高貴ある人物が、下々に慈悲を与えるものではない。
幼い妹を案ずるような、優しい兄のような笑み。
嫌味でも同情でもない、そんな眼差し。
もしかしたら、彼はまだ悼んでくれているのだろうか。己の手で殺めてしまった、エリンの最愛の義父フィリップのことを。
「シグルド様――」
謝礼が声となる前に、エリンの体は光に消えた。
意識が暗転する――ことは無く、眩いばかりの光が消えた時、エリンは別の場所に立っていた。
天井が高く、壁を彩る装飾はどれも贅を尽くしたものだ。以前は夜毎に舞踏会が開かれていたのだろう。
今は、華やかな旋律の代わりに、外から怒声混じりの喧騒が押し寄せてくる。
騒乱の中、目の前に立っていたのは、レヴィンだった。
「上手く行ったようだな」
レヴィンは満足げに頷くと、するりと距離を詰め、腰を屈めてきた。整った顔立ちがすぐ目の前に迫る。
互いの鼻先の距離が近いが、レヴィンは別段照れた様子はない。
距離の近さにエリンは少し眉を顰めたが、あからさまな嫌悪感は湧き上がらなかった。ただ、やっぱり疑問は浮かぶ。
「なんですか?」
わざわざ顔を近付けてきたのだ。何か意味でもあるのだろうか。
レヴィンは薄く笑うと、右手の人差し指でエリンの額をつついた。油断していたエリンは、回避が出来なかった。
すぐさまレヴィンから距離を取り、額を押さえて抗議する。
「な、何をするんですか!」
「さっきの俺の話、全然頭に入ってないだろ」
アレクの件だ。
レヴィンはまだ怒っているのか。もう済んだ話だろうに、しつこいとエリンは感じる。
エリンの不服は顔に現れたのだろう、レヴィンは大きくため息をついた。
「どこまでも世間知らずなヤツだな……。そんなんでよく生き延びられてきたものだ」
それが心配からくる発言だとしても、レヴィンにここまで気に掛けられる謂れはない。出会ったばかりの他人のくせに、妙にお節介だ。シルヴィアが彼を「お父さんみたい」と称した理由が分かる。
そうだ、アルヴァが言っていた。あの吟遊詩人には気を許すなと。こんな自分勝手な人を信用してはいけない。
だからつい、エリンは口に出してしまった。
「あなたには、関係のないことです」
「……そうか」
予想に反して、レヴィンの声は静かだった。驚いてエリンは彼を見る。
レヴィンの表情に、ふと翳りが差した。寂しさ、落胆――そんな色が、影のように滲んで見えた。
なぜ、彼がそんな顔をするのかエリンには分からない。……分からないのに、それがひどく悲しいと思えた。
どうして?
レヴィンのことなんか信用できないのに。信用したら……いけないのに。
答えのない問いかけは、胸の奥でいつまでも反響をやめなかった。
黙り込む彼女にレヴィンが声をかける。
「気分は悪く無いか?」
「いえ、特には……」
そして、レヴィンは再びエリンの顔色をまじまじと見る。今度は近付くことはなかった。その距離になぜかエリンは切なさを覚える。
あの馴れ馴れしさが恋しいだなんて――自分はどうかしている。
だいたい、レヴィンも何なのだ。アレクに怒りをぶつけていたくせに、自分も似たようなことをしたじゃないか。身勝手すぎる。
内なる怒りは顔を現れたのだろう、レヴィンは鼻で笑う。
「嘘はついてないようだな。じゃあ、行こうか」
歩き出したレヴィンを、エリンは引き止める。
「他の方を、待たなくていいのですか?」
シルヴィアの力があれば、ワープの杖を連続で使用出来る。たった今、それが証明されたのだ。ならば、他の者もこれから転送されてくるばずではないか。
「いや、シルヴィアの休息も必要だろう。アイツは疲れ知らずな顔をしてるが、連続で舞っていれば息も上がる。それにエーディン公女もお休みになられるはずだ」
たとえ女性二人が継続を望んでも、他の者が止めるだろう。特にジャムカは率先して小休止を挟ませそうだ。
「だから待つ必要はない。それよりも、ここの連中の手助けに走ろう」
我が物顔で場内を闊歩するレヴィン。見知らぬ建物のはずなのに、彼の足取りは迷いがない。
威風堂々と歩を進めるその姿は、ふてぶてしくすら感じられる。だが、不思議と不快ではなかった。むしろその方が、彼らしいとすら感じられる。
この人は、一体何なのだろう。
エリンは疑問を通り越し、恐怖を覚えていた。
初対面の険しさ、それに反して今は気さくに接してくる。エリンの身辺を気にするお節介すらしてくる。
レヴィンが誰にでも世話を焼くような性格ならまだ納得できた。しかし、彼はエリンに対してだけ注視した。その言動はシルヴィアの言葉通り、娘に厳しい父親のものだ。
アレクと親しいのはシルヴィアだって同じなのに、彼女には怒ることはなかった。
何か目的があってのことだろうか。
レヴィンを前にするとエリンは得体の知れない不安感に包まれるのだ。どれだけ親しげに話しかけられても、反射的に距離を取ってしまう。まるで誰かに強く命じられたように、彼に近寄るのをためらってしまうのだ。
それなのに、離れると不安になる。もっと傍に寄りたいとも望んでしまうのだ。相反する二つの感情が気持ち悪い。
「どうした、エリュー?」
立ち止まったままのエリンにレヴィンが声をかける。彼の右手は広間の扉に触れている。わずかに開かれた隙間から戦闘の音が流れてくる。
けたたましい騒音に紛れてレヴィンの声が聞き取りづらい。しかし、間違いなく彼はエリンのことを「エリュー」と呼んだ。やはり、ワープ直前の呼びかけは聞き間違いではなかったらしい。
「レヴィンさん、私の名前はエリンです」
「ああ、知ってる」
悪びれも無く返されてエリンは面食らう。だったら何故そんな親しげに呼びかけてくるのか。
もしかしてシルヴィアと同じ感覚で接されているのだろうか? 彼女は自己紹介の時に、自分を愛称で呼んでくれと言っていた。
だからと言ってエリンにもそれを適用して欲しくない。
エリンの心中を悟ったのか、レヴィンがおどけるように肩をすくめた。
「おいおい。可愛い顔が台無しだぞ」
「そういう冗談、私は好きじゃないです」
少し強めに主張すれば、レヴィンはため息をこぼした。呆れ――ではなく、どこか哀愁を感じる表情を浮かべている。
だからなぜ、そんな顔をするのか。
そんなにも……まるで親しい人を失ったかのような、そんな表情を――。
「まぁいい。行くぞ、エリン」
エリンが何度も拒否したことで、さすがのレヴィンも折れてくれたのかもしれない。何にせよ助かった。
もしも先ほどのように、レヴィンから親しげに呼びかけられたら色々と困る。特にラケシスにだけは、彼との関係を疑われたくはない。……いや、レヴィンだけでない。異性同性関係なく、全ての人物だ。
相手が誰だとしても、エリンは特定の誰かと深い仲だとラケシスに誤解されたくない。
ラケシスを想うエリンの思考の中に、今は誰も入り込めなかった。……数刻前に彼女が心を寄せかけた青年のことすらも。