道中、エリンは謎の愛称を呼ばれることは無かった。しかし、レヴィンは何かにつけて話題を振ってきた。
――何故、騎士を志しているのか。
――お前の母は、それを了承しているのか。
――母はすでに亡くなっただと? いつ頃の話だ?
――その腕輪……そうか、形見か。お前の母は、どこでそれを手に入れたと言っていた?
――お前たち母子がアグスティに来る前は、何処にいたんだ?
根掘り葉掘りと、さながら身辺調査だ。
自身の生い立ちを探られるのは、エリンにとっては不愉快である。開拓村のあの女性を思い出すからだ。善意と思い込んで、人の秘密を暴こうとするその性根が醜い。
だが、不思議だ。レヴィンは彼女とは違うような気がした。好奇心からの質問では無いようにエリンは思えたのだ。どこか必死さすら感じ取れる。
そのせいなのか、エリンは彼への返答をはぐらかすのが難しかった。
ひとつ答えれば、また質問を投げかける。沈黙が気まずいわけではないだろうに、レヴィンの口は止まらない。
周囲の状況から、一刻を争う事態だと自然に分かる。二人の足取りも早まった。それでも、レヴィンはエリンへの質問を止めようとしない。
さすがにうんざりとして、エリンは逆に質問を投げつけた。
「レヴィンさんは、何故私を連れて来たんです?」
「それは……適任だと思ったからさ」
少し間があった。何か隠しているとエリンは直感を抱く。
レヴィンの顔は笑みを湛えたままだが、ほんの少しだけ目が泳いだ。はぐらそうとしている、そんな気がした。
散々こっちを追い詰めてしてきたのだ。少しぐらい図々しく仕返ししても許されるだろう。
「最初にお会いした時、口にされたでしょう。こんな子供、と。私が未熟だとレヴィンさんは理解されているではないですか」
エリンはまだ根に持っていた。たとえ事実だとしても憤りは覚える。自然と責めるような口調になってしまう。
何よりも、その夜にアルヴァから叱られたことがまだ納得できていない。レヴィンのせいで、エリンは理不尽な目に合った。
これらの怒りが先に現れたせいなのか、普段なら黙り込むエリンがレヴィンへの追撃を行う。
「誤魔化さないでください。本当は、別の理由があるんでしょう?」
「……剣の覚えがあり、ライブの杖を使える者はお前しかいなかったからだ」
「私は杖を使えません」
「は⁉」
驚きからか、レヴィンは立ち止まった。彼の目は見開かれ、心底驚愕している様子だった。
「嘘だろ?」
「本当です。私の役職は、ソシアルナイトですので」
「はぁ?」
レヴィンが困惑した。
ユグドラル大陸では男騎士はソシアルナイト、女騎士はトルバドールというそれぞれの役職に就く。それが常識であり、広く普及されている。
時代の変化により、その常識が覆ることもあるだろうが、現在はそう定義されていた。
エリンもそれに倣う予定ではあった。しかし、騎士を目指すには、多くのことを身につけなければならなかった。剣技だけでなく、礼儀作法、馬術、果ては祈りや儀式まで、多くの知識と技能を習得しなければならなかった。
目指す先は努力だけでは到達出来ない世界。適正がなければ報われない。不幸なことにエリンは騎士としての才覚に恵まれなかった。
疲労や知恵熱で倒れても挫けないエリンが心配になったのだろう。フィリップが杖の勉強を中断させた。少しでも義娘の負担を軽減させたかったのかもしれない。
「私ではなく、エスリン様に頼まれた方が良かったのでは?」
シグルドの妹エスリンの役職はトルバドール。まさしくレヴィンの求めた人材だ。
「無茶言うな。それこそキュアン様がお許しになるわけないだろう」
レンスター王子夫妻の仲は睦まじく、子供が産まれても新婚と変わらぬ愛情を互いに抱いている。それは人前であっても変わらない。
二人を見て微笑ましいと思う者、妬ましいと思う者、羨ましく思う者など軍内で様々な反応があった。
そういえば、フィンはどう思っているのだろうか……。親しくなる前は気にならなかったが、今は彼の考えが聞きたくなった。……もう教えてくれないかも知れないが。
エリンの心に影がさす。
それを振り払いたくて、レヴィンを睨んだ。八つ当たりなんかじゃない。ただ、ほんの少し意地悪を返したい――それだけだ。
「でも、戦略として必要ならば許可されるのではないでしょうか? キュアン様でしたら、きっとご理解していただけると思います」
開拓村で会話したキュアンの姿を思い出す。
公平で寛大な人だった。つまらぬことで悋気を起こすような人には見えない、エリンはそんな印象を受けた。
しかし、レヴィンは大きくため息を吐いた。これだから子供は……そんな声が聞こえた気がした。
「出会って日も経たない男と愛妻を二人きりにさせる。そんなこと、キュアン王子は嫌がるだろう。……いや、男なら誰であろうと断固拒否する。例え互いにその気が無くともだ」
「私はいいのですか?」
エリンだってレヴィンと出会って数日も経っていない。伴侶の有無は置いといて、年頃の娘をわざわざ指名すれば、邪推する者がいるはずだ。
レヴィンは目を逸らす。
「お前は……子供だから」
「逃げましたね?」
「本当のことだろ。ほら、すぐに不満を顔に出す。そういうところだ」
揶揄うような口ぶり。まだまだ初対面に等しいはずなのに、まるで旧知の仲のように振舞ってくる。そしてエリンもそれにつられてしまう。
人見知りのはずなのに、レヴィンとの会話が楽しいとすら思ってしまう。
女たらしという単語が脳裏をよぎるが、レヴィンがエリンを見る目は、どこか違う。友愛に似た慈しみの感情を放っているのだ。
アレクと似ている……と思ったが、違う。彼はもっと――。
その瞬間、全身に感触が蘇った。
馬上での接近。自分の腰を引き寄せる腕。近過ぎる鼻先。
公然での接触。唇をなぞる、硬い指先。耳元に吹き付けられた吐息混じりの甘い声。
背筋が逆立った。心地よいとすら思ったぬくもりが、おぞましいと感じてしまった。
エリンの右手が形見の腕輪を掴む。助けて、そんな想いから反射的に動いたのだ。
レヴィンが立ち止まった。
「おい、大丈夫か?」
様子が一変したエリンを心配したらしい。この男があまり見せないだろう、焦った表情をしていた。
その声に嘘は無かった。彼の表向きの仮面がズレた気がした。
まるで――妹を心配するような、そんな顔だ。
「無理するな。少し休むか?」
「……あ」
この人に心配をかけたくない。
エリンの中でそんな声が聞こえた。子供の頃の自分の声に似ている……そんな気がした。
――私は強い子だから、我慢できるもん。だから……嫌いにならないで。
「だいじょうぶ……です」
笑ってみせようとしても、口は強張っていた。体が寒くもないのに震えていた。
何故だろう。
あの時のアレクが、エリオットに重なってしまった。
エリンの大嫌いな男。エリンを物としか見なかった男。
あんな奴と、優しいアレクが同じなはずないのに……。
動揺するな。弱味を見せるな。
エリンは必死に自分を叱咤した。いくら気安い人とは言え、レヴィンはまだ警戒すべき人物だ。そんな相手に弱味を握らせてはならない。
耐えるように俯くエリン。そんな彼女の左手をレヴィンが取った。
「は、はなして……」
「駄目だ。少し休むぞ」
長い回廊には、休息用のソファが設置されていた。落ち着くためなのか、柔らかな白い色で造られている。
レヴィンはエリンを座らせると、その横に自分も腰掛けた。弾力のあるクッションがわずかにきしんだ音を立てた。
こんなことしてる場合ではないのに。そう抗議するためにエリンはレヴィンを見た。そして、それを口にすることはできなくなった。
レヴィンは肘掛けに手をつけることはなく、エリンを見つめていた。彼の手は未だにエリンの左手を握ったままだ。
男の人の手だ。大きくて、硬い。それなのに、綺麗な指先をしていた。爪も清潔に磨がれている。
エリンの小さな手は、レヴィンの手に覆い包まれている。その大きさに、どうしてだか安心感を覚えた。
だが、こうしている間にも時間は進む。被害は多くなる。不安に胸を痛めるエリンに、レヴィンは優しく言った。
「今はお前が大事だ。……まだ子供のくせに無理するな」
そうして、彼は左手でエリンの頭を撫でてくれた。ゆっくりと慈しむように。……アレクとは全然違う動きだ。
心地良くて泣きそうになる。目元に熱が籠るのを隠したくて、エリンは目を背けた。
「わたし、子供じゃないです」
「子供だろ」
レヴィンが小さく笑う。嘲笑の響きはない。エリンを甘やかすように、優しい笑い声だ。
「子供なんだから、不安定なのは仕方ない。恥じなくてもいいんだ」
「わたし、もう、大人です……」
レヴィンに年齢を教えただろうか? さっきの質問の時に答えた記憶はない。だから改めて、エリンは自分の歳をレヴィンに伝えた。
こうした誤解は何度もあった。容姿が幼いから、実年齢よりも下に見られる。
だから、エリンはなるべく表情を崩さず、硬く振る舞うようにしてきた。悪意ある者に侮られないように。
それなのに、ここ数日はすぐに怒って、泣きそうになる。――これでは本当に子供みたいだ。
エリンの頭を撫でるレヴィンの手が止まった。
「嘘だろ? そんなはずは――」
レヴィンの声がかすかに震えた。年齢を聞いて驚いたというより、何かを確かめていたように思えた。
「うそじゃないです……」
誕生日が近付くたびに、エリンは母に年齢を教え込まれたのだ。念入りに、何度も何度も。だから、間違えるはずはない。
しかし、いくらエリンが小柄だからとはいえ、実年齢よりも幼く見られるのは癪に障る。たった一歳でも大きな差だ。この一年の違いは、子供と大人のちょうど境界線なのだから。
左手を握るレヴィンの右手をエリンは、振り解いた。彼の手が離れた時、惜しむ気持ちが湧いたことに気付かないふりをする。
「もう大丈夫です」
レヴィンの返事も聞かずにエリンは立ち上がる。
「行きましょう。休んでる時間は有りません」
声を、いつも通りに取り繕う。
幼い子供っぽい声。この声がエリンは嫌いだから、わざと固く話している。少しでも侮られないように。
レヴィンは眉をしかめる。
「本当に大丈夫なのか?」
「くどいです。休まれたいのなら、お一人でどうぞ。私は先に行きますから」
言うなり、エリンはレヴィンに背を向けて早足で歩き出した。背後からレヴィンが慌てて追いかけてくる音が聞こえる。
我ながら可愛げがない台詞だ。だが、後悔はしてない。
じゃないとまた流されてしまう。レヴィンに心を開いてしまいそうになる。……それは許されないことだ。
――どうして?
また頭の中で声が響いた。小さなエリンが問いかける。
――私はもっと、この人のそばにいたいのに。
それを打ち消したのは、現在のエリンでは無かった。
――駄目。絶対に。
女の声だ。
あの魔女はまだ諦めていなかった。エリンの最愛の母の姿で誑かす、最悪の女。
眼前に迫る女の顔。鬼気迫るように彼女は小さなエリンに言いつけた。
――信用しては駄目。決して……シレジアの人間を!
「シレジア……?」
聞き馴染みのない国名に、思わずエリンの足が止まった。
女の声は途絶えていた。代わりに耳へ届くのは戦場の騒音。そして、レヴィンの足音だ。
「おいおい、勝手に行くなよ」
呆れるようにレヴィンは言う。どうやらエリンの呟きは聞こえなかったようだ。
見上げれば、レヴィンは額から汗を流していた。エリンが一人で動いたことに、かなりの動揺をしたらしい。
「お前、目的地がどこか分かって進んでるのか?」
「どこって……剣の音を頼りに進めば――」
そこでエリンは疑問が浮かんだ。
騒音を頼りに進んだつもりだった。だが、気がつけば二人は階段にいた。城外に出るのなら、必要のない経路だ。
敵軍が襲撃しているのならば、すぐにでも外に出なくてはならないのに。何故か城内の階段を登っていた。真っ直ぐに上へ上へと目指している。
そして、剣戟の音は階段の先――上から響いている。これはもうすでに敵の侵入を許しているということだろうか?
だとしたら、さっきまで休んでいた時間が惜しい。こんな事態になっているのに、レヴィンは一体何を考えているのだ。
エリンが心配だからとは言ったが、城が落とされたら元も子もない。