名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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6-4 私は杖を使えません

 道中、エリンは謎の愛称を呼ばれることは無かった。しかし、レヴィンは何かにつけて話題を振ってきた。

 

 ――何故、騎士を志しているのか。

 ――お前の母は、それを了承しているのか。

 ――母はすでに亡くなっただと? いつ頃の話だ?

 ――その腕輪……そうか、形見か。お前の母は、どこでそれを手に入れたと言っていた?

 ――お前たち母子がアグストリアに来る前は、何処にいたんだ?

 

 根掘り葉掘りと、さながら身辺調査だ。

 自身の生い立ちを探られるのは、エリンにとっては不愉快である。開拓村のあの女性を思い出すからだ。善意と思い込んで、人の秘密を暴こうとするその性根が醜い。

 だが、不思議だ。レヴィンは彼女とは違うような気がした。好奇心からの質問では無いようにエリンは思えたのだ。どこか必死さすら感じ取れる。

 そのせいなのか、エリンは彼への返答をはぐらかすのが難しかった。

 ひとつ答えれば、また質問を投げかける。沈黙が気まずいわけではないだろうに、レヴィンの口は止まらない。

 周囲の状況から、一刻を争う事態だと自然に分かる。二人の足取りも早まった。それでも、レヴィンはエリンへの質問を止めようとしない。

 さすがにうんざりとして、エリンは逆に質問を投げつけた。

 

「レヴィンさんは、何故私を連れて来たんです?」

「それは……適任だと思ったからさ」

 

 少し間があった。何か隠しているとエリンは直感を抱く。

 レヴィンの顔は笑みを湛えたままだが、ほんの少しだけ目が泳いだ。はぐらそうとしている、そんな気がした。

 散々こっちを追い詰めてしてきたのだ。少しぐらい図々しく仕返ししても許されるだろう。

 

「最初にお会いした時、口にされたでしょう。こんな子供、と。私が未熟だとレヴィンさんは理解されているではないですか」

 

 エリンはまだ根に持っていた。たとえ事実だとしても憤りは覚える。自然と責めるような口調になってしまう。

 何よりも、その夜にアルヴァから叱られたことがまだ納得できていない。レヴィンのせいで、エリンは理不尽な目に合った。

 これらの怒りが先に現れたせいなのか、普段なら黙り込むエリンがレヴィンへの追撃を行う。

 

「誤魔化さないでください。本当は、別の理由があるんでしょう?」

「……剣の覚えがあり、ライブの杖を使える者はお前しかいなかったからだ」

「私は杖を使えません」

「は⁉」

 

 驚きからか、レヴィンは立ち止まった。彼の目は見開かれ、心底驚愕している様子だった。

 

「嘘だろ?」

「本当です。私の役職は、ソシアルナイトですので」

「はぁ?」

 

 レヴィンが困惑した。

 ユグドラル大陸では男騎士はソシアルナイト、女騎士はトルバドールというそれぞれの役職に就く。それが常識であり、広く普及されている。

 時代の変化により、その常識が覆ることもあるだろうが、現在はそう定義されていた。

 エリンもそれに倣う予定ではあった。しかし、騎士を目指すには、多くのことを身につけなければならなかった。剣技だけでなく、礼儀作法、馬術、果ては祈りや儀式まで、多くの知識と技能を習得しなければならなかった。

 目指す先は努力だけでは到達出来ない世界。適正がなければ報われない。不幸なことにエリンは騎士としての才覚に恵まれなかった。

 疲労や知恵熱で倒れても挫けないエリンが心配になったのだろう。フィリップが杖の勉強を中断させた。少しでも義娘の負担を軽減させたかったのかもしれない。

 

「私ではなく、エスリン様に頼まれた方が良かったのでは?」

 

 シグルドの妹エスリンの役職はトルバドール。まさしくレヴィンの求めた人材だ。

 

「無茶言うな。それこそキュアン様がお許しになるわけないだろう」

 

 レンスター王子夫妻の仲は睦まじく、子供が産まれても新婚と変わらぬ愛情を互いに抱いている。それは人前であっても変わらない。

 二人を見て微笑ましいと思う者、妬ましいと思う者、羨ましく思う者など軍内で様々な反応があった。

 そういえば、フィンはどう思っているのだろうか……。親しくなる前は気にならなかったが、今は彼の考えが聞きたくなった。……もう教えてくれないかも知れないが。

 エリンの心に影がさす。

 それを振り払いたくて、レヴィンを睨んだ。八つ当たりなんかじゃない。ただ、ほんの少し意地悪を返したい――それだけだ。

 

「でも、戦略として必要ならば許可されるのではないでしょうか? キュアン様でしたら、きっとご理解していただけると思います」

 

 開拓村で会話したキュアンの姿を思い出す。

 公平で寛大な人だった。つまらぬことで悋気を起こすような人には見えない、エリンはそんな印象を受けた。

 しかし、レヴィンは大きくため息を吐いた。これだから子供は……そんな声が聞こえた気がした。

 

「出会って日も経たない男と愛妻を二人きりにさせる。そんなこと、キュアン王子は嫌がるだろう。……いや、男なら誰であろうと断固拒否する。例え互いにその気が無くともだ」

「私はいいのですか?」

 

 エリンだってレヴィンと出会って数日も経っていない。伴侶の有無は置いといて、年頃の娘をわざわざ指名すれば、邪推する者がいるはずだ。

 レヴィンは目を逸らす。

 

「お前は……子供だから」

「逃げましたね?」

「本当のことだろ。ほら、すぐに不満を顔に出す。そういうところだ」

 

 揶揄うような口ぶり。まだまだ初対面に等しいはずなのに、まるで旧知の仲のように振舞ってくる。そしてエリンもそれにつられてしまう。

 人見知りのはずなのに、レヴィンとの会話が楽しいとすら思ってしまう。

 女たらしという単語が脳裏をよぎるが、レヴィンがエリンを見る目は、どこか違う。友愛に似た慈しみの感情を放っているのだ。

 アレクと似ている……と思ったが、違う。彼はもっと――。

 

 その瞬間、全身に感触が蘇った。

 

 馬上での接近。自分の腰を引き寄せる腕。近過ぎる鼻先。

 公然での接触。唇をなぞる、硬い指先。耳元に吹き付けられた吐息混じりの甘い声。

 

 背筋が逆立った。心地よいとすら思ったぬくもりが、おぞましいと感じてしまった。

 エリンの右手が形見の腕輪を掴む。助けて、そんな想いから反射的に動いたのだ。

 レヴィンが立ち止まった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 様子が一変したエリンを心配したらしい。この男があまり見せないだろう、焦った表情をしていた。

 その声に嘘は無かった。彼の表向きの仮面がズレた気がした。

 まるで――妹を心配するような、そんな顔だ。

 

「無理するな。少し休むか?」

「……あ」

 

 この人に心配をかけたくない。

 エリンの中でそんな声が聞こえた。子供の頃の自分の声に似ている……そんな気がした。

 

 ――私は強い子だから、我慢できるもん。だから……嫌いにならないで。

 

「だいじょうぶ……です」

 

 笑ってみせようとしても、口は強張っていた。体が寒くもないのに震えていた。

 何故だろう。

 あの時のアレクが、エリオットに重なってしまった。

 エリンの大嫌いな男。エリンを物としか見なかった男。

 あんな奴と、優しいアレクが同じなはずないのに……。

 動揺するな。弱味を見せるな。

 エリンは必死に自分を叱咤した。いくら気安い人とは言え、レヴィンはまだ警戒すべき人物だ。そんな相手に弱味を握らせてはならない。

 耐えるように俯くエリン。そんな彼女の左手をレヴィンが取った。

 

「は、はなして……」

「駄目だ。少し休むぞ」

 

 長い回廊には、休息用のソファが設置されていた。落ち着くためなのか、柔らかな白い色で造られている。

 レヴィンはエリンを座らせると、その横に自分も腰掛けた。弾力のあるクッションがわずかにきしんだ音を立てた。

 こんなことしてる場合ではないのに。そう抗議するためにエリンはレヴィンを見た。そして、それを口にすることはできなくなった。

 レヴィンは肘掛けに手をつけることはなく、エリンを見つめていた。彼の手は未だにエリンの左手を握ったままだ。

 男の人の手だ。大きくて、硬い。それなのに、綺麗な指先をしていた。爪も清潔に磨がれている。

 エリンの小さな手は、レヴィンの手に覆い包まれている。その大きさに、どうしてだか安心感を覚えた。

 だが、こうしている間にも時間は進む。被害は多くなる。不安に胸を痛めるエリンに、レヴィンは優しく言った。

 

「今はお前が大事だ。……まだ子供のくせに無理するな」

 

 そうして、彼は左手でエリンの頭を撫でてくれた。ゆっくりと慈しむように。……アレクとは全然違う動きだ。

 心地良くて泣きそうになる。目元に熱が籠るのを隠したくて、エリンは目を背けた。

 

「わたし、子供じゃないです」

「子供だろ」

 

 レヴィンが小さく笑う。嘲笑の響きはない。エリンを甘やかすように、優しい笑い声だ。

 

「子供なんだから、不安定なのは仕方ない。恥じなくてもいいんだ」

「わたし、もう、大人です……」

 

 レヴィンに年齢を教えただろうか? さっきの質問の時に答えた記憶はない。だから改めて、エリンは自分の歳をレヴィンに伝えた。

 こうした誤解は何度もあった。容姿が幼いから、実年齢よりも下に見られる。

 だから、エリンはなるべく表情を崩さず、硬く振る舞うようにしてきた。悪意ある者に侮られないように。

 それなのに、ここ数日はすぐに怒って、泣きそうになる。――これでは本当に子供みたいだ。

 エリンの頭を撫でるレヴィンの手が止まった。

 

「嘘だろ? そんなはずは――」

 

 レヴィンの声がかすかに震えた。年齢を聞いて驚いたというより、何かを確かめていたように思えた。

 

「うそじゃないです……」

 

 誕生日が近付くたびに、エリンは母に年齢を教え込まれたのだ。念入りに、何度も何度も。だから、間違えるはずはない。

 しかし、いくらエリンが小柄だからとはいえ、実年齢よりも幼く見られるのは癪に障る。たった一歳でも大きな差だ。この一年の違いは、子供と大人のちょうど境界線なのだから。

 左手を握るレヴィンの右手をエリンは、振り解いた。彼の手が離れた時、惜しむ気持ちが湧いたことに気付かないふりをする。

 

「もう大丈夫です」

 

 レヴィンの返事も聞かずにエリンは立ち上がる。

 

「行きましょう。休んでる時間は有りません」

 

 声を、いつも通りに取り繕う。

 幼い子供っぽい声。この声がエリンは嫌いだから、わざと固く話している。少しでも侮られないように。

 レヴィンは眉をしかめる。

 

「本当に大丈夫なのか?」

「くどいです。休まれたいのなら、お一人でどうぞ。私は先に行きますから」

 

 言うなり、エリンはレヴィンに背を向けて早足で歩き出した。背後からレヴィンが慌てて追いかけてくる音が聞こえる。

 我ながら可愛げがない台詞だ。だが、後悔はしてない。

 じゃないとまた流されてしまう。レヴィンに心を開いてしまいそうになる。……それは許されないことだ。

 

 ――どうして?

 

 また頭の中で声が響いた。小さなエリンが問いかける。

 

 ――私はもっと、この人のそばにいたいのに。

 

 それを打ち消したのは、現在のエリンでは無かった。

 

 ――駄目。絶対に。

 

 女の声だ。

 あの魔女はまだ諦めていなかった。エリンの最愛の母の姿で誑かす、最悪の女。

 眼前に迫る女の顔。鬼気迫るように彼女は小さなエリンに言いつけた。

 

 ――信用しては駄目。決して……シレジアの人間を!

 

「シレジア……?」

 

 聞き馴染みのない国名に、思わずエリンの足が止まった。

 女の声は途絶えていた。代わりに耳へ届くのは戦場の騒音。そして、レヴィンの足音だ。

 

「おいおい、勝手に行くなよ」

 

 呆れるようにレヴィンは言う。どうやらエリンの呟きは聞こえなかったようだ。

 見上げれば、レヴィンは額から汗を流していた。エリンが一人で動いたことに、かなりの動揺をしたらしい。

 

「お前、目的地がどこか分かって進んでるのか?」

「どこって……剣の音を頼りに進めば――」

 

 そこでエリンは疑問が浮かんだ。

 騒音を頼りに進んだつもりだった。だが、気がつけば二人は階段にいた。城外に出るのなら、必要のない経路だ。

 敵軍が襲撃しているのならば、すぐにでも外に出なくてはならないのに。何故か城内の階段を登っていた。真っ直ぐに上へ上へと目指している。

 そして、剣戟の音は階段の先――上から響いている。これはもうすでに敵の侵入を許しているということだろうか?

 だとしたら、さっきまで休んでいた時間が惜しい。こんな事態になっているのに、レヴィンは一体何を考えているのだ。

 エリンが心配だからとは言ったが、城が落とされたら元も子もない。

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