「レヴィンさん、私たちはこれから迎撃に行くんですよね?」
不安になって尋ねてしまった。
レヴィンの風魔法なら奇襲になるだろう。しかし、エリンはどうだ?
回復杖も使えない、剣術も未熟だ。足手纏いでしかない。
レヴィンはエリンを補助役のつもりで選出したのだろうが、当てが外れた。こんなことなら、アンフォニー城できちんと説明しておけば良かった。
再び沈み込むエリンの頭を、レヴィンが軽く撫でた。馴れ馴れしいと振り払うことも出来るのに、彼女にはそれが出来なかった。ただ、縋るように彼の顔を見るために見上げた。
レヴィンは、やはり穏やかな笑みを浮かべている。まるでエリンを安心させるように。
「お前が使えるのは剣だけか?」
「槍も少し心得があります」
エリンは槍をフィリップから、剣を副隊長から習った。……ノディオンでは、時折アルヴァにも扱かれたが。
しかし、長槍は小柄なエリンが扱うには難しく、あまり得意とは言えない。
改めて己の不出来さを思い知る。落ち込むエリンの頭を撫でながら、レヴィンは何やら呟いてる。
「剣に槍……。あぁ、そうか。――ナイトに、なりたいってわがまま言ってたなぁ」
得心を得たような彼の声は、喧騒に紛れて上手く聞き取れなかった。
レヴィンが何を思いついたのかエリンには分からない。ただ、嫌な予感がした。
彼は何かをエリンにさせる気だ。
もしかしたら一緒に遠距離攻撃で敵を牽制するつもりだろうか? 確かにエリンも手槍の類は扱えるが、あまり投擲の精度が良いとは言えない。ますます不安が募る。
「そう怖がるな。大丈夫だ。俺がお前を守るから」
レヴィンの声はやはり優しかった。それにエリンは頷くことができなかった。
どうしてこんなにもレヴィンが親身になってくれているのか、理解できない。
怖いのに、怖くない。自分の感情すら、うまく掴めない。
今日一日で、まるで心がちぐはぐになってしまった気がする。――そんな感覚が、あまりにも多すぎた。
二人はまた階段を登り出す。屋上へ近づくに連れて行き交う兵達の数が増えてゆく。
負傷した兵たちが、壁にもたれかかるように座り込んでいた。
彼らを癒すために回復杖を振るう癒し手もいるにはいたが、手が足りてない。さらには、杖に埋め込まれた魔力の要石にヒビ割れが始まっている。そうほどなくして、その杖は使えなくなるだろう。
兵たちの合間をすり抜け、エリンとレヴィンがついに城の屋上へと出る。
そこはまさしく戦場であった。
攻撃を受け流し、攻撃を繰り出すもあっさりと敵に逃げられるシアルフィ兵。
弓を構えるも狙いを付ける前に、標的を見失う弓兵。
槍持ちは手槍を投げる。だが、飛距離が足りない。虚しい音を立てて手槍は屋上の石床に落ちる。
全ての武器が役に立たない。襲撃兵達は即座に間合いを詰め、また瞬時に距離を大きく離す。武器の間合いから即座に外れてしまう。
見えたと思った敵が、その瞬間には届かぬ場所へと消える。風を切る羽音だけが、彼らに敵の影を知らせる。
まさに一方的な戦場であった。シアルフィの兵たちは、なす術もなく翻弄されている。
「避けろ!」
兵の一人が叫んだ。それを合図に、弾けるように彼周辺の兵たちは散らばるように逃げる。
わずかに逃げ遅れた兵に目掛けて襲撃兵が急降下してくる。いななきを上げる白馬と共に。
哀れな犠牲者が押し潰される――その時だった。
青い鎧の大男が彼を庇う。
纏う厳つい全身鎧を盾にして、襲撃兵の剣を受け流す。
金属のぶつかる音。
飛び散る火花と共に、襲撃兵は手綱を振るう。さらなる追撃を行うために。
守った兵士を背にして庇い、大男――アーダンが剣を振るう。
空気ごと叩き潰すような重い一閃。
しかし、アーダンの一撃は重すぎた。対峙した相手には遅すぎたのだ。
襲撃兵は即座に剣筋を見切る。アーダンの剣が届く直前に突撃を中断し、手綱を強く引き上げる。それに応じるように白馬が再び高く飛び上がった。
大きく翼を広げて、大空へ。
瞬きをする間に襲撃兵は彼方へと消える。眼下の兵たちを嘲笑うように白い羽根が優雅にひらめく。
「あれは……」
エリンは目を見開いたままだ。襲撃兵達の操る白馬、あれはアグストリアでは存在しない馬だ。
兵書で……いや、御伽話で聞いたあの馬は――。
「ペガサス。北の地シレジアに生息する天馬だ」
レヴィンが言う。
「まったく、いいように振り回されてる。こいつら、ペガサスナイトを相手にしたのは初めてなんだろうな」
ようやくエリンにも屋上が戦地となった理由が理解できた。なるほど、階下に兵が少なかった理由はこれか。
「エリン! どうしてお前がここにいるんだ?」
青鎧をガシャガシャと音立ててアーダンが近寄って来た。
ソードアーマーである彼は本城の守りを任されていた。そして、この場の指揮を取ってるのも彼なのだろう。
アーダンの顔を見てエリンは申し訳なく思う。強面の彼が、あからさまに狼狽えた表情を浮かべていた。どんぐりのような目を丸くさせ、言葉に詰まったように口を固く閉じている。
無理もない。援軍を求めたら頼りない見習いが来たのだ。さぞかし落胆したことだろう。
謝罪の言葉がエリンの口から放たれる前にアーダンが言った。
「ラケシス様のお側にいなくていいのか?」
「え……あ、はい」
アーダンの低い声は、エリンを気遣う響きがある。
「すまない、俺が不甲斐ないばかりにエリンまで召集されるとは……」
本心から彼は己の無力を嘆いているようだった。そこにエリンに対する侮りはない。
粗野な顔立ちのこの男は、その外見に相反して他者を思いやる気質を持ち合わせているようだった。副隊長とは違う優しさを携えている。
副隊長のそれがぶっきらぼうな情愛なら、アーダンのそれは、素朴でまっすぐな温かさだった。
彼の鎧を見やれば、幾つもの太刀筋の跡がある。きっと率先して味方を庇ったのだろう。
「こんなことなら、ミデェールに弓術を習っておけば良かった。……全く、またアレクに馬鹿にされちまう」
アーダンが悔しそうにボヤいた。
ペガサスナイトは弓に弱い。鳥を射止めるように弓を入れば、たちまちペガサスはバランスを崩す。後は騎士と共に地面へと落下し、最悪それで果てる。
シグルド軍は、弓兵が多く無いようだ。幾人かこの場にもいるが、精度が甘い。
そもそも騎士たちが使うのは短弓だ。力も飛距離も足りない。扱いに長けた射手なら話は別だが――この場に、その姿は見当たらなかった。
思い返せば、アンフォニー城の中庭には弓兵や魔術師が集められていた。シグルドたちは、襲撃兵の兵種を前もって把握していたのだろうか。
弓の名手のジャムカ。
彼には劣るが正確な射手ミデェール。
彼らならこの戦況を覆すことが出来ただろう。
弓が駄目ならばと手槍を振るう兵もいるが、結局距離が足らずに地面へ音立てて落ちてくる。届いたとしても、ペガサスナイトたちは易々とそれを回避してしまうだろう。手槍の落下先に、味方兵がいればその攻撃を邪魔する原因にもなってしまう。
また、魔術師はそもそもこの場に配置されていなかった。
そもそも魔導を扱える者自体が、この軍には少ない。レヴィンやアゼル、ディアドラのように特別な才と装備を備えた者を除けば、戦場に立たせられる魔術師はほとんどいないのだ。
騎馬中心のシグルド軍――シアルフィの兵隊では、魔術師は貴重かつ移動に難がある。基本的に後方支援か、戦術的な火力支援に限って運用される。
戦況は防衛側が圧倒的に不利だ。
ふと、アーダンの視線がエリンの横に立つレヴィンへと向く。
「エリン、そいつは誰だ?」
そういえば、アーダンとレヴィンは初対面であった。
エリンが紹介をする前にレヴィンが大仰に礼を取る。まるで舞台の役者のようだ。
「レヴィンだ。旅の吟遊詩人をやっている」
「吟遊詩人⁉︎」
アーダンの驚きの声は大きく空に響いた。周囲の兵たちも反射的にこちらを見やる。
注目を集めてもレヴィンは堂々としている。腰に手を当て、どこ吹く風といった顔で空を見上げていた。旅芸人らしく、衆目を集めることには慣れているのかもしれない。
彼は大空を旋回するペガサスナイトたちを見て目を細めると、再びアーダンに話しかける。
「あぁ、そうだ。この場を収めにやって来た。……おいおい、そんな不安そうな顔をするなよ。俺が来たのはシグルド公子のご命令さ」
「それは……本当なのか?」
怪訝そうに顔を顰めるアーダン。
その気持ちはエリンにはよく分かる。だが、レヴィンがただの旅芸人ではないこともよく知っている。
だから自然とエリンはレヴィンを庇う発言を口にした。
「レヴィンさんは風の魔術使いなんです。私は一度しか見ていませんが、腕は確かかと」
「……エリンがそう言うならそうなんだろうな」
信じきれてはいない様子だが、納得はしてくれたようだ。アーダンはエリンが嘘をつくような人間では無いと判断してくれているようだった。
「だかな、見ての通り手の打ちようが無い状態だ。本当になんとかなるのか?」
「あぁ、出来るさ」
妙に自信満々にレヴィンは断言する。
それが逆にエリンを不安にさせた。確かにレヴィンの風魔法は凄まじい。だが、敵は上空。それにシルヴィアの力添えもない。
一体どうするのか?
エリンの心配をよそにレヴィンは石床に視線を移した。
「そうだな。そこの落ちてるヤツを貰ってもいいか?」
彼が指さしたのは足元に散らばった手槍だ。落下の衝撃で穂先が砕け、もはや使い物にもならない。
レヴィンがそれを拾い上げる。木製の柄の部分もヒビが入り、ちょっと衝撃で完全に砕けてしまいそうだ。
「構わないが、そんなんじゃかすり傷も期待できないぞ」
「これでいいんだ。……エリン、コイツを空へと投げてくれ」
「え⁉︎」
エリンが了承する前にレヴィンが元手槍を手渡して来た。思わず受け取ってしまったが、これでどうしようと言うのだ。
「レヴィンさん、これは無理です。投擲中に絶対壊れてしまいます。運良く命中したとしても嫌がらせぐらいにしかならないですよ」
「それで充分」
そのままレヴィンはエリンの肩を抱き、屋上中央へと足を進める。剣戟の中を堂々と歩くレヴィンに対し、エリンの口元は引き攣る。
耳元すぐそばで剣戟の音が届く距離。ペガサスの羽ばたきが直に身体に当たる。
反射的にエリンは身を震わせるとレヴィンが自らの胸元に引き寄せて来た。庇ってくれているようだ。咄嗟に身をこわばらせたが、レヴィンの腕は力強く、逃れる隙もなかった。
エリンの鼻先に清涼めいた香りが届く。レヴィンの香料だろう。鎮静効果でもあるのか、その香りに包まれると妙に落ち着く。
好きだな、と思った。それが香りに対してなのか、彼の腕の力強さに対してなのか、自分でもよく分からなかった。
背中越しに抱きしめられているに近い密着。静かなエリンとは逆にアーダンが照れたように視線を泳がせた。
目的地――屋上の中心に辿り着いたレヴィンは足を止めて空を指差す。
「いいか。真っ直ぐ天に向かって投げろ。命中するとかそういうことは考えなくていい。あとは風が拾ってくれるさ」
「いったい何を……」
「この場を収める。そう言っただろ」
ニヤリとレヴィンは笑う。悪戯を思いついた子供のように。
「心配するな。俺が助けてやる」
何をとか、どうしてとか、聞きたいことばかりだ。戸惑うエリンを急かすように、レヴィンが彼女の肩を叩く。
「大丈夫だ。お前なら出来る。……きっとな」
まるで妹を勇気付けるような声音だった。この間もレヴィンの左腕は、しっかりとエリンを抱きしめていた。まるで離す気がないように、全ての脅威から守るように。
馴れ馴れしいというより、もはや礼を欠いているとも言える振る舞いだったが、不思議とエリンは励まされた。
根拠もないのに、成功すると確信してしまった。
レヴィンを信じてはいけない。そんな警告めいた魔女の声は、まだエリンの耳に残っている。
それでも――。
エリンはレヴィンの顔を見た。彼は空を見上げていた。びろうどのように深い色の瞳が、光の加減で深緑にも見える。その色合いは、形見の腕輪の緑石によく似ていた。
力強い意志がその瞳を輝かせてる。そうだ、エリンはこの目が好きだった。……好き、だった? どうしてそんなことを思う?
知らない感覚が、またエリンの中で広がる。
(怖い)
(知らない自分が、私の中にいる)
怯えは震えとなって、エリンの体を揺らす。それを慰めるように、レヴィンは彼女を抱く腕に力を込めた。
「怖いことなんてない。俺がそばにいる。そうだろう? ……エリュー」
勝手につけられた愛称。今度はエリンは拒絶しなかった。
ヒビ走る柄を、壊れない程度に強く握り締め空を見上げる。
その間にレヴィンは懐から翡翠色の魔導書を取り出した。彼が本を広げれば、風がパラパラとページを捲る。ページの間から光が滲み、風の胎動が聞こえた気がした。小さな風が二人を中心にして吹き上がる。
微弱な風が空へと昇る。
灰色の雲が薄れて広がり、わずかな隙間から澄んだ青空が覗く。そこをエリンは的とした。
柄を握る右手に構えの動作を取らせる。目線を逸らさぬままで呼吸を整える。敵に当てるのではなく、飛距離を伸ばすことだけに意識を集中させる。
風が吹く。戦場の音が掻き回される。怒号、羽ばたき音、剣戟、崩壊音、叫び、叫び、叫び――エリンが一つ呼吸をする事に音は消えてゆく。感じるのはエリンを包むレヴィンの体温だけだ。
悠長している時間は無い。だがしかし、エリンは不思議と焦ることは無かった。
何故だろうか。騒がしいはずなのにエリンの感覚は研ぎ澄まされて集中力が増していく。
知っている気がした。
この熱を、この昂りを、この『遊び』を――。
そして――ヒュッと一呼吸をし、上空目掛けて手槍を投げ飛ばした。
「いいぞ! よくやった!」
レヴィンが興奮したように、エリンをさらに強く抱きしめる。
そして、左手の魔術書を上空へ高く掲げる。
瞬間、押し留められた強風が二人を中心にして吹き起こる。風は、大きく渦巻いて凄まじい勢いで天へと昇る。
魔力風を先導するのはエリンの放った手槍。
手槍の跳躍を後押しするかのように風は巻き上がる。
轟々と音を立てる突風に、崩壊しかけた手槍には耐えきれない。ヒビは瞬く間に全体へ広がり、やがて形を保てなくなった。
粉々のチリとなって、砕け散る。しかし完全に壊れるまでの間に、手槍はその役目を果たした。切込隊長となり風を引き連れ、雲間を引き裂いて青々とした空を作り出したのだ。
広がった蒼天から日差しが差し込む。天から差し込むその一点の光が、真っ直ぐにエリン達を照らす。その周りを砂のように細かくなった手槍の残骸がパラパラと舞い落ちる。
雪みたいだ。
そんなことを思った時、エリンの耳に声が蘇った。
――大成功だ! よくやったぞ、エリュー!
はしゃぐ少年の声。知らないはずの声なのに、なぜかとても懐かしくて胸が苦しくなった。
周囲からは神々しい光景として映ったのだろうか。剣を振るう手は止まり、誰もがエリン達に目を向けている。中には自然と両手を祈るように組んでいる者すらいた。
上空の襲撃兵たちもまた、同じように動きを止めていた。攻撃は行われない。ペガサスの羽ばたく音のみが周囲に響く。