「では、王子がお戻りになるその日まで、私もお傍を離れません」
「止めたって聞かないんだろうな。……分かった。お前の好きにしろ」
レヴィンはエリンを見て手招きした。だが、彼女はそれに応じようとしなかった。今更だが、彼に馴れ馴れしさに従う必要はない。
動かないエリンの顔を見て、レヴィンは何かに気付いたようにその手を止めた。先ほどまで自分を怒鳴りつけた覇気が、今は欠片も見当たらないことを悟ったのだろうか。
エリンを手元に呼ぶことは諦め、代わりに彼はフュリーに問いかけた。
「フュリー、上空に留まっているのはお前の部下たちか?」
上空では、いまだに警戒するように数機のペガサスが旋回していた。フュリー合図一つで、即座に攻撃を再開するつもりなのだろう。
フュリーは静かに頷いた。
「ええ、そうです」
「なら、お前の部下たちも合わせて力を貸してくれ。まずは、エリンを連れてアンフォニー城まで向かってくれないか」
「はい⁉︎」
思わずエリンが声を上げた。
レヴィンはまた、エリンを巻き込むつもりだ。まるでそれが同然とでも言うように。
「レヴィン王子! 私はあなたの所有物ではありません!」
堪らず抗議の声をエリンは上げた。取り戻しかけていた平静の仮面が、またもや怒りと戸惑いに揺れた。
レヴィンは愉快そうに笑った。
「改めて思うが、お前は切り替え早いな。すぐさまに俺を王子と認めた。別に今まで通りで構わないぞ。俺は堅苦しいのが苦手なんだ」
「絶対、嫌です! ……いや、そうじゃなくて不敬ですから。それに、私ではなくあなたがこの方たちと行動するべきでは?」
フュリー隊は、シレジアに属するペガサスナイト。
本来、それを指揮するのは王子であるレヴィンの方だろう。無関係なエリンが介入することはない。
レヴィンがエリンへ近寄る。あっという間に、また抱き込めるほどの距離まで詰まった。たじろぐエリンの鼻先を、レヴィンは指先で軽く突いた。
「お前の方が、俺よりもアグストリアの地理に詳しいだろう。フュリーたちを案内してやってくれ。シグルド公子との橋渡しも頼みたい」
レヴィンの作戦はこうだ。
アンフォニー城で待機しているシグルド軍にペガサスナイトたちを合流させる。主力兵をペガサスと相乗りさせてエバンス城へまた戻る。
ワープの杖よりも時間は必要だが、それでも騎馬よりもペガサスは機動力は段違いだ。エバンス城の戦力をすぐさまに補強出来るだろう。
「レヴィン王子は何をするんですか」
エリンが問うと、レヴィンは魔導書を見せびらかす。
「俺は、ここの守りを手伝う」
レヴィンは城壁の先に目をやる。彼の向く方向はシャガールが滞在するアグスティ城。そこに続く街道を歩む軍隊が姿を見せていた。統率が取れた足並みは、我らこそが正義だと誇示してるようであった。
迫る軍を確認したアーダンが、即座に号令をかける。
「全員守備に戻れ! 弓兵はこの場に待機、牽制のための準備を整えるんだ!」
瞬時に周囲が慌ただしくなる。アーダンの指示の元、兵たちは迎撃の体制に取り掛かる。
鎧の金属音を立てて、アーダンがエリンたちへと近寄ってくる。彼はフュリーに向かい、頭を下げた。
「さっきまで敵対していた相手から頼まれる心中は複雑だろうが、頼む。力を貸してくれ」
「そんな、頭を上げてください。こちらの勘違いで状況が悪化してしまったのですから」
フュリーは慌てた素振りで彼を宥めると、丁寧に騎士の礼を送った。
「お任せください。必ずお力添えを約束いたします」
「ありがとう」
次にアーダンはレヴィンを見る。
「王子、でいいのか? この城の防衛に、ご助力いただきたい」
「構わないが、お前は俺をあまり信用してない顔してるな」
鋭い指摘に困ったように、アーダンは手を後頭部にやって、わずかに目を逸らした。
「いえ、貴方の力は先ほど確認させてもらってますよ。ただ、まさかシレジアの王子とは……すぐには実感が沸かなくて」
「ははは! 正直な男だ」
実に楽しげにレヴィンが声を立てて笑う。どうやらアーダンの実直さが気に入ったらしい。その声に揶揄う響きは無い。
照れからか、頬を赤くしたアーダンは小さく咳払いし、それからエリンへと視線を移した。
「エリン、頼んだぞ」
勇気付けるようにアーダンはエリンに笑いかける。厳ついが笑うと愛嬌のある顔立ちだ。副隊長の笑みと、とても良く似ていた。
エリンはレヴィンの頼みに頷いた覚えはない。だが、もはや引き返す理由もなかった。
それに、レヴィンの言う通りエリンしか適任はいないだろう。
エバンス城へと迫る兵士の数は遠目から見ても甚大だ。
あれほどの人員、シャガール率いるアグスティのものだけではないだろう。アグスティとエバンスを繋ぐ道中にある、マッキリーの兵も含まれていそうだ。連合軍が総力をかけて、エバンス城を攻め落とさんと意気込んでいる。
ここで言い争いしている場合では無いのだ。
「了解しました。アーダンさん達もお気をつけて」
「ああ! 必ずここを守り通してやる」
そして、彼は別の笑みを浮かべた。戦士のものではない。親しい人を慈しむ、優しい笑顔だ。
「さっきの啖呵を切るエリン、カッコ良かったぞ」
アーダンは褒めたつもりなのだろうが、エリンは別だ。途端に顔が熱くなり、恥ずかしさに耐えかねて俯いた。
「わ、忘れてください……。あんな、みっともない……」
「そうか? シグルド様を叱るエスリン様のようで頼もしかったぞ。……エリンが元気そうで良かった」
アーダンもまた、フィリップとシグルドの一騎打ちの場にいた。そして、ハイライン戦後、彼はエバンス城の守りに付いた。
だから、アーダンが知るエリンの姿はフィリップに泣き縋る傷付いた少女だった。
ずっとエリンを気にかけてくれていたのだろう。それが、彼の最後に付け足された言葉に表れていた。
それにエリンが気付いた時には、アーダンは踵を返していた。青鎧が鳴らす金属音が彼女から遠ざかってゆく。
アーダンを見送るエリンの横で、レヴィンはフュリーに指示する。
「エリンを頼んだ。守ってやってくれ」
「……お任せください」
一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべたフュリーだったが、すぐに顔を引き締める。
「王子も無理なさらないよう」
「分かってる」
そして、レヴィンはエリンを見た。その表情がまた優しい。愛し子を慈しむような、そんな笑み。
しかし彼の口から出たのは警告だった。
「いいか? あのアレクとかいう男に気を許すな」
「なッ――あ、貴方には関係ないです」
忘れかけていたのに思い出させないで欲しい。これからシグルドたちの元へと行くのに、どんな顔をして現れれば良いのか。
不貞腐れたように俯くエリンの頭をレヴィンが撫でた。
「大勢の前で、俺に慎みを持てとお前は叱ったんだ。なら、当然お前もそうすべきだよなぁ?」
どうやらこっちも根に持ってたようだ。白い歯を見せて、レヴィンは笑みを見せる。まるで少年のようだ。
ぐうの音も出ないエリンにもう一度「分かったな」とレヴィンは念押しした。
そして、彼はエリンから離れると、アーダンを追わずその場に留まった。どうやら弓兵と共に屋上からの迎撃を行うようだ。
「エリンさん、こちらへ」
フュリーに手を引かれ、エリンは恐る恐るペガサスの背へまたがった。思いのほか安定していて、普通の馬と変わらない乗り心地だ。
鞍の後ろ辺りから生える鳥の羽根に似た翼が羽ばたくたびに、風がエリンの短い髪を揺らす。
フュリーはエリンの後ろに座り、手綱を握る。
「しっかりと捕まってください。落ち着いていれば、ペガサスは暴れたりはしませんから」
エリンが頷くと同時にフュリーは手綱を振るう。それを合図にペガサスの翼が大きく羽ばたいた。
助走するように屋上を駆け出し、そして迷うことなく城壁を飛び越えた。
――落ちる!
エリンは咄嗟に目を瞑る。しかし、落下時の浮遊感を感じられない。冷たい風が、鋭く肌をなぞる。
恐る恐ると瞼を上げればそこには大空が広がっていた。眼下にはアグストリアの地が一望出来ている。先ほどまでいたエバンス城がもう小さくなっていた。
初めての光景にエリンは感動すら覚えた。まさに絶景だ。
空が近い。雲が掴めてしまいそうだ。
連なる山脈の形が奥まではっきりと確認できる。この地はこんなにも美しかったのかと驚く。
遠目には開拓村が見えた。あそこにはまだ、ラケシスはいるのだろうか?
……フィンは、まだ怒っているのだろうか。
唇を噛んで、エリンは落胆の息を飲み込む。
ペガサスはさらに高く高く飛ぶ。そして、他のペガサスナイトたちと合流した。
「フュリー隊長!」
「さっきの風魔法は、やっぱりレヴィン王子で間違いなかったんです?」
「というか、その子! 誰なんです?」
ペガサスナイトたちが一斉に話しかけてきた。かしましいほどに賑やかだ。騎士というよりも、女子たちのお茶会のようだ。
しかし、全員の表情は怪訝なものだ。全員の視線はエリンへと集中している。場違い感を覚え、エリンは首をすくめた。
部下たちに向かい、フュリーは説明を始める。
「レヴィン王子は無事よ。今はシアルフィのシグルド公子と共に戦っているみたい。この子はエリンさん。シグルド公子の配下で……レヴィン王子が可愛がってるみたいなの」
「フュリーさん、違います!」
必死で否定した。可愛がられたつもりはない。むしろ、迷惑しているぐらいだ。
……確かにフュリーとの初対面で、エリンはレヴィンに背後から抱きしめられていた。だが、それは別にエリンが望んだわけではない。
「あの人が王子だってことも、私知らなかったんですよ」
「そ、そうなんですか?」
困ったように、細い眉を下げるフュリー。
しかし、今のエリンの反応がペガサスナイトたちの心をくすぐったらしい。きゃあきゃあと口々に囃し立てる。
「やだー、顔真っ赤! 林檎みたいになってるよ、かわいいー!」
「えー何それ、王子ったらまた女の子を誑かしてるの?」
「フュリー隊長の気持ち知ってやってるんだから、タチ悪いわよねぇ」
エリンの知る騎士とは、程遠い会話が繰り広げられている。彼女たちの笑い声は、まるで宿舎で繰り広げられる夜のおしゃべりのようだった。先ほどの鋭い攻撃を行っていた襲撃犯と同一人物とは思えない。
さすがにフュリーも耐えきれなくなったのだろう、声を張り上げた。
「みんな、急いで! 話は道中でするから、私について来て」
首を傾げつつもフュリー隊は隊長に従う。風を切りながらフュリーが事情を語れば彼女達も納得した様子だった。何人かはシャガールに対して憤っている。
「最悪! あんなのが王様だなんて信じられない!」
「隊長もですよ! 疑わず鵜呑みにするなんて」
「それは……ごめんなさい」
「もぅ! でも王子が見つかったのは良かったですよね。これでラーナ様もご安心でしょう」
部下達はフュリーを強く責めているわけでは無いようだ。怒っているように見えても、それは彼女たちのじゃれ合いの一種らしい。
現に彼女達はフュリーの指示通り、アンフォニー城目指して空を駆けている。シグルド軍に協力することはもう決定事項になっているみたいだ。
「エリンさん、大丈夫ですか?」
気遣ってくれたのかフュリーが話しかけて来た。
「ペガサスに乗るのは初めてでしょう」
黙り込んでいるエリンが高所による怯えが無いのか心配になったようだ。優しい人だとエリンは思う。
そして同時に申し訳なくなる。彼女がレヴィンを好いているのは間違いない。それなのに、レヴィンの腕の中でエリンは、彼女を追い詰めるような素振りを一瞬だけ見せてしまった。
思い出すたび、胸がちくりと痛む。あのときの自分の態度が、今でも心に引っかかっていた。
フュリーを傷つけないように、エリンは一語一語を慎重に選んだ。
「平気です。こんな景色初めて見たのでつい魅入ってしまいました」
「それなら良かった……。でも、確かにエリンさんは落ち着いていますね」
ペガサスに乗り慣れない人間は身体を強張らせることが多いのだとフュリーは教えてくれた。
普段なら到達できない高度。上空の冷えた空気。煽るような冷風。それらが人の恐怖を湧き立たせるという。
「エリンさんは、きっと柔軟な人なんですね」
「そうですか?」
初めてそんな風に言われた。エリンが振り返れば、フュリーが微笑んでいる。
彼女の髪が風に撫でられ、空の色と溶け合うように揺れた。
「対応力が優れているのでしょうね。だってレヴィン王子のこと、すぐに信じてくれたじゃないですか」
「そういえば……そうですね」
レヴィンの正体が実は王族だと知った時、何故だかあっさりと受け入れられた。
エリンの知る王族はその性質はともあれ、自らの身分に誇りを持つ人々ばかりだ。レヴィンはその真逆だ。己の責務も放棄しての放浪。そんな彼を慕って迎えに来た部下にすら帰郷を即決しない。
それなのにレヴィンが王子と発覚した時……不思議なことに、あのときはすんなりと腑に落ちたのだった。
王子と敬称して呼ぶことすら別段抵抗もなく発せられた。
ふとエリンは疑問が浮かんだ。
「レヴィン王子が上空へ放った風魔法って、フュリーさんたちへの合図だったんですか? 例えるなら、狼煙みたいな」
レヴィンはあの時、妙に確信を持ってエリンに手槍を投擲させていた。
もしあれがあらかじめ決めていた合図なら、納得もいく。恐らくシグルド達から襲撃者がペガサスナイトだと聞かされた時にこの符牒を示すことを考えたのだろう。
しかし、エリンの予想は外れた。
「いいえ、違いますよ。あれは、王子が幼い頃によくされていた遊びの一つだそうです。私は姉からそのことを聞かされていましたのでもしやと思って」
間近でそれを見たのは初めてだが、自在に風を操るその手腕でレヴィンに気付いたそうだ。
上空に投擲を行い、それに風を纏わせる。どんよりとした雪雲を散らし、陽光を差し込ませる。そんな遊びを繰り返して、レヴィンは魔術の腕を磨いていたそうだ。
そういえば、レヴィンはフュリーが降りて来て意表を突かれた言葉を発していた。彼が想像した人物では無かった、そのような反応を見せた。
(もしかしたら、フュリーさんのお姉さんが来ることを想定していたのかもしれない)
エリンはそんなことを思った。目的の人物ではなくその妹が現れたので虚をつかれたのだろう。
考え込んでいたエリンの耳に、風に乗ってフュリーの声が届いた。
「あれは……どこの軍でしょうか」
独り言のような声音に釣られて地上を見下ろせば、街道を駆ける騎馬隊が見えた。かなり遠目だが、エリンは彼らが何者なのか分かった。
「あの軍がシグルド様たちです、フュリーさん!」
エリンの言わんとすることを察したのだろう、フュリーは頷いて背後の部下達に号令を飛ばす。
「みんな、降りるわよ! シグルド公子にエバンス城の状況報告をします!」
「はい!」
声を揃えて部下達は了承する。そして、大きく旋回して着地の態勢へと移る。
「エリンさん! 大きく揺れます、気をつけて!」
フュリーの左腕がそっとエリンを抱き寄せた。エリンが頷く前にペガサスは大きく傾いて地上へ降下を始めた。
急降下の速さにエリンは怯むことなく、自然と両手はペガサスの鞍を掴んだ。そのまま身を丸くさせて風の抵抗を受けない体勢を取る。そして教わることなく口を閉じて舌を噛まないよう心がける。
何故だろう。
エリンは首を傾げたくなる。
初めてペガサスに乗ったはずなのに、身体が勝手に動いた。
それが――不思議で不気味に思えた。