子供用の白い日傘は小さく、少女二人が相合傘するには布地が足りなかった。そのため、赤髪の侍女が一回り大きな日傘を広げて影の範囲を広げてくれた。
城の外庭に、鍛錬所は設置されていた。一般兵の詰所とは別に作られている。
木製の囲いで仕切られ、設備も充実している。鍛錬用の道具が壁に整然と掛けられ、剣術指南のための木製人形や、稽古用の甲冑まで揃っていた。
ここは、位の高い王族や貴族専用に用意された剣術場だ。
ハイライン城にも似たような設備があることはフィリップや副隊長からエリンは聞かされたことがある。しかし、彼女には立ち入る権利がないため、初めてこのような場所を目にした。
足を進めれば、今まさに木製人形に木剣を振おうとする金髪の青年がいた。彼の周りには、赤髪の青年が三人揃っている。
ラケシスは彼らの姿を捉えると、大振りに手を振った。
「エルト兄様!」
感情の全てを露わにした声音だった。求愛する小鳥のような声に、振り向いたのは金髪の青年だ。
「ラケシス、来たのか」
そう言って細めた目は、ラケシスと同じ黄金の色だ。その眼差しは鋭く、まなじりがわずかに吊り上がっている。しかし、妹姫を眺める彼の瞳は慈しみを湛えていた。
エルトシャンの金髪は陽光を弾くような光沢を放っていた。
後ろに長く伸ばされた髪は、襟足で赤いリボンに結わえられている。それがまた、どこか儀礼的で、彼の気品を引き立てていた。
体格は引き締まり、訓練服の上からでも均整の取れた筋肉がうかがえた。
王族専用の白地に金糸の装飾が施された長袖の訓練用チュニックが、彼にはよく似合う。エリンは、それがまるで礼服のようにも見えてしまった。
黒の乗馬用ズボンに、硬質だが美しい銀の装飾が施された膝当て。
身につける手袋と剣帯は濃い焦茶。全てが王族らしい洗練を感じさせる。
まだ十代半ばであろう年頃だが、彼の美貌はすでに完成されていた。静謐さを纏い、冷徹な印象すら受ける。
しかし、エリンが釘付けになったのは、美貌の王子ではなかった。
エルトシャンの傍で控える三人の青年。
三人とも同じ訓練服を纏っていた。
動きやすさ重視の黒の詰め襟型チュニック。一部に刺繍が入っており、三人でそれぞれ青、緑、黄色の糸が別れて使用されていた。
ズボンとブーツは軽装だが手入れが行き届いており、使用感はありつつも品を失っていない。彼らもまた、貴族の身分を有しているのだろう。
体格もまたエルトシャンと同じく、隙のない鍛えられ方をしていた。
三人の赤髪は、濃く深い色。三人同色の髪質は柔らかく、短く整えられていた。
瞳も三人同様に赤銅色。よくよく見やれば、目元の雰囲気がそれぞれに違う。
訓練服に青い刺繍がある青年は、落ち着いた眼差しを。
緑の刺繍がある青年は、柔和に細めていた。
そして、黄色の刺繍がある青年は、険しさを隠そうとはしない。まるで睨むようにエリンたちへと視線を向けていた。
何よりも彼らがエリンの関心を引いたのは、その顔だった。
エルトシャンよりも美しいとは言えないが、三人ともすっきりと整ってはいた。
何よりもエリンが衝撃だったのは、その顔が、三人とも全く同じだったことだ。まるで鏡を合わせたような、不自然なほどの一致。
唖然とするエリンの耳に、ラケシスの囀るような笑い声が聞こえる。
「ふふ、やっぱり驚いたわね」
「あの子達は私の息子です」
日傘を持つ侍女が微笑む。
言われて見れば、三人の青年の髪色は赤髪の侍女に、その赤銅色の瞳は暗金髪の騎士に似ていた。
「三つ子なのよ、凄いでしょう?」
ラケシスが得意げに教えてくれた。
それでようやく、エリンは彼らの不可思議な一致を納得できた。しかし、同じ顔が三つ並んでいることに、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
特に黄色の刺繍を持つ青年は、今だにエリンを凝視している。自国の姫と自分の母が、見知らぬ子供を連れていることへの警戒だろうか。エリンの足が震える。
俯いた彼女を心配したのは、緑色の刺繍の青年だった。
「アルヴァ、目が怖すぎるって。その子、怯えてるぞ。こんな小さな子を睨むなよ」
呆れるような、揶揄うような口調だった。声質は、声変わりをとうに終えて、大人の男の声帯に変化しきった響きがある。
アルヴァと呼ばれた青年は、不機嫌そうに眉を寄せて、緑の刺繍の青年を一瞥した。
「睨んでない」
「いーや、睨んでるって! なぁ、イーヴ」
緑の刺繍の青年は、今度は青の刺繍を持つ青年――イーヴと呼ばれる青年に顔を向けた。
「アルヴァの目、やばいよな」
「まぁ……エヴァの言う通りだな」
イーヴは困ったように、自身の後頭部を右手で撫でる。そして、母親である赤髪の侍女に声をかけた。
「どうしたの、母さん。姫様だけなら王子に会いに来たのが分かるけど、その子は……誰?」
顔も同じなら、声も三人とも同じだった。性格により口調は違うが、全く同じように喋られたら聞き分けが難しいだろう。
話し方から察するに、イーヴが長男なのかも知れない。エリンはそう推測する。
イーヴの問いに、侍女は静かに答える。
「この方は、ハイラインのフィリップ様のお嬢様です」
「エリンというのよ、エルト兄様!」
歓喜に満ちた表情でラケシスが告げた。彼女の顔はエルトシャンだけに向けられている。キラキラと夏の陽射しのように輝き放つ瞳も、今はエリンを見ていない。それに気付くと、何故だかエリンの胸がチクリと痛んだ。
エルトシャンは、幼い妹を眺めて頷く。
「……なるほど。父上の言っていたハイラインの使者か」
そうして彼は木剣を剣帯に収める。殺傷力がない訓練用のはずなのに、流れるようなその動作が木剣を真剣のようにエリンの目には映る。
この人は強い人だ。――今の所作だけで、エリンはエルトシャンの武力を悟る。
エリンに剣の心得は無い。
しかし、フィリップの屋敷には小さな鍛錬所が作られている。そこで鍛錬をするフィリップや彼の部下たちを、エリンは見学させてもらうことが多々ある。
激しい剣戟には、幼いエリンは怯えることもある。しかし、鍛錬所に入ればエリオットの襲来があっても副隊長らが彼を追い払ってくれるのだ。むしろフィリップの方からエリンを鍛錬所へと避難をさせていた。
ともあれ、エリンは剣の心得はないが、誰が強いのかくらいは、自然と見分けがつくようになっていた。
鍛えられたせいで、エルトシャンが脅威としてエリンには映った。
エルトシャンの剣は冷徹だ。正確な太刀筋は迷いがない。
戦場では非情に徹することもできるだろう。彼の発する雰囲気が、獅子のような威圧を醸し出している。
しかし、ラケシスは無邪気にエルトシャンに懐く。まるで無垢な子猫のように、兄様兄様と甘えた声を出す。
彼女にとって、エルトシャンは理想の王子様なのだろう。……それが何故だかエリンは納得してしまった。
憧れる対象が身近にいるのだ、惹かれても仕方がないだろう。だって絵本でも、お姫様の隣にはいつだって王子様がいるから。
「エリン、こちらがエルト兄様よ。素敵でしょう?」
同意を求めるように、ラケシスが問いかけてきた。彼女の声で我に返ったエリンは、慌てて頷いた。
「は、はい。素敵です」
鸚鵡返しをしたところで、エリンは気付いた。王族を前にして、自ら名乗っていなかった。これは失礼な行いだ。
出立前にフィリップの屋敷の家政婦長に散々気をつけるようにと言われていたのだ。
――もしもお嬢様が粗相すれば、旦那様の信頼にも関わります。だからお気を付けてください。
幼い孫を心配するように、彼女はしゃがんでエリンに目線を合わせて教えてくれた。
すぐさま挽回すべく、エリンはお腹に両手を当てた一礼した。
使用人がするような一礼だった。エリンにはそれで十分だ。だって、カーテシーはお姫様の所作だから。
「ハイラインの騎士フィリップ様の……娘のエリンと申します」
娘と口にする時、エリンは少しためらってしまった。
このように名乗るようにと、家政婦長に教えてもらった。でも、エリンは自分がフィリップの娘だという実感が無い。
エルトシャンたちを欺いているような感覚すらある。
冷や汗がエリンの背中を伝う。
今ので良かったのだろうか? 声は変じゃなかっただろうか?
だって、エルトシャンは【王子様】なのだ。
あのエリオットと同じだ。
顔立ちは全然違っても、中身は同じかもしれないじゃないか。
王子という存在は、エリンにとって憧れではない。賤しい身の上であるエリンに危害を加えてくる者だと認識してしまっていた。
右手が助けを求めるように、左手首――母の腕輪に触れた。母の形見が、エリンを守ってくれるよう祈った。
「……エリン。構わない、面をあげよ」
エルトシャンの声だ。
彼の声もまた、声変わりを終えていた。まだ少し高さは残っているが、大人の声音をすっかり自分のものにしていた。発言の一つ一つが威厳に満ちている。
怯えで震える手を強く握りしめながら、エリンは頭を上げた。
エルトシャンはエリンを見ていた。その眼差しは冷たい。冷静に彼女を見据えている。
恐らくこれが彼本来の姿なのだろう。身内の情がなければ、冷酷と言って良いほどの理知的な性質を持っているのだろう。
今、エルトシャンはエリンを測っている。妹姫ラケシスに相応しい人間かどうかを。
顔を背けたくなるのを、エリンは必死に堪えた。ここで逃げたら、ラケシスと引き離されると思ったからだ。
唇を噛み、視界を潤ませながらもエリンは懸命にエルトシャンを見つめた。
エルトシャンは、微笑むことすらしない。子供をあやすような真似はしない。エリオットとはまた違った怖さをエリンは覚える。
やがて、エルトシャンの形の良い唇が開いた。
「俺は先に失礼しよう。使者殿が来られたのならば、俺も顔を合わせる必要がある」
そして、彼はラケシスへと視線を移した。途端にその凍てつくような空気が和らぐ。
「使者殿の娘に、あまり我儘を言ってはならないぞ」
「分かってますわ!」
忠言すら嬉しい、といった様相でラケシスは勢いよく答える。
エルトシャンは静かに頷き、そばに控えていたイーヴに剣帯ごと木剣を手渡した。そして、迷いなく背を向け、静かにその場を後にする。
その堂々とした足取り。真っ直ぐに伸びた背筋が、彼が生まれながらの王者であると思い知らされる。
エルトシャンの姿が完全に見えなくなって、エリンはようやく緊張を解いた。こっそりとため息を溢す。
しかしラケシスは、そんなエリンの安堵など露知らず、はしゃいだ様子を見せた。
「ね、素敵な方でしょう? エルト兄様のこと、エリンも気に入ってくれたかしら」
疑問的な問いかけだが、エリンは肯定するに決まっているとラケシスは思っている様子だ。どうも、ラケシスはエルトシャンに対して熱狂的というか、盲目的だ。
幼い姫君にとっては、自分に優しい王子は欠点すら見通せないという状態のようだ。
エルトシャンの発する冷ややかな威圧を、エリンはやはり怖いと思った。しかし、ラケシスにはそれすらも好意の対象らしい。もっとも、兄王子が妹姫を冷遇する素振りは見せていないのだが。
「エルト兄様は行ってしまわれたし、私たちも別の場所に行きましょうよ」
急かすラケシスに、エリンは頷く。
その背後で気怠げなエヴァの声が聞こえた。
「じゃあ、俺たちも今日はもう終わろうぜー」
「そうだな。昼飯もまだだから、一度休息しよう」
「えー。俺、もう剣を触りたくない。絵筆を握ってたいんだけど……」
「お前なぁ……。画家にでも転向する気か?」
諌めているのはイーヴだろうか。もしかしたら、アルヴァかも知れない。
しかし、今はどうでも良かった。エリンはラケシスの導きで進む城探検へと意識を向けていたからだ。
小さな足が一歩踏み出そうとした、その時だった。
「……お前は父親を敬称付けするのか?」
三つ子の誰かの声が、エリンを呼び止めた。
その声に気やすさは存在していなかった。咎めるような厳しい口調だ。
思わず振り返ったエリンは、黄色い刺繍の青年――アルヴァと目が合った。
瞬間、エリンは身を震わせた。
アルヴァの赤銅色の瞳。その奥に、何か黒い濁りのような感情を感じ取ったからだ。