名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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1-5 ……気が変わった

 傲慢が服を着たかのような男だった。そしてそれが彼の外見に滲み出ている。

 金糸の髪を丁寧に撫でつけ、やけに艶やかな鎧を身にまとった姿は、戦支度というより見せびらかしに近かった。鷲鼻の下に張りついた薄笑いは、常に人を見下すように形作られたものだ。

 真紅のマントを大仰に翻しながら、エリオットはまるで舞台にでも立つかのように執務室へ踏み込む。キザな所作のすべてが、彼自身にとっては『貴族らしい優雅さ』なのだろうが、その実、滑稽でしかなかった。

 閉まる扉の向こう側から、フィリップの部下達が申し訳なさそうに頭を下げていた。

 歓迎されていないことを察してもいないのか、エリオットは堂々とした佇まいで口を開く。

 

「話は、まとまったか?」

「……はい。エリオット様のご提案は大変光栄に存じます。ですが此度の戦、義娘はこの城に残します。出陣させるとしても、我が隊に。剣術も馬術も未熟ゆえ、あなたの足手まといとなるでしょう」

「構わん。元より戦力としての期待はしていないからな」

 

 二人の会話をエリンは口を挟まずに見守る。そして自分の置かれた状況を認識させられた。

 エリオットはどうやらエリンを自分の配下として連れて行きたいようだ。

 

「役立たずでも使い道はいくらでもある。この娘はラケシスと懇意だ。交渉の材料にもちょうどいい」

 

 反吐が出る。

 正直な感想が胸に浮かぶ。震える拳を背に隠してエリンは何でもない顔をする。

 フィリップも常時と変わらない表情で説得を続けている。

 

「ですが、相手はあの獅子王の妹。情には流されないと思われますが……」

「人質として使えないなら、俺のために尽くしてもらおう。フィリップ、お前にとっても悪い話ではないだろう? 運が良ければ、たった一夜でお前の地位がさらに上がる可能性があるからな」

 

 含みのある言い回し、その真意はエリンを舐め回すようなエリオットの視線が物語っている。

 不快感にエリンの全身が粟立つ。今すぐにでも逃げ出したい。そんなエリンに無慈悲にもエリオットが歩み寄る。

 エリオットはエリンの前に立ち、無作法に彼女の顎を掴んだ。冷たい指先が肌に食い込み、無理やりに視線を合わせさせる。情欲に濁った眼がエリンを舐めるように見つめ、彼女の背筋に悪寒が走った。唇が震えるのを抑えるので精一杯だった。

 

「ラケシスには遥かに劣るが悪くはない。お前も嬉しいだろう。この俺が可愛がってやるんだからな」

 

 瞬間、エリンの中で炎が上がる。ふざけるなと、その手を強く振り払いたかった。こんなケダモノに、自分のみならず親愛なる姫君を汚させるなんて許せなかった。

 さらに、この男はエリンに対して騎士としての働きを期待していない。都合の良い玩具だと見下しているのが見てとれた。

 エリンの怒りに満足したのか、エリオットは嘲笑う。彼女が己に反抗出来ないと知っていての狼藉だ。そのまま、エリンを突き飛ばすように手を離す。

 ふらつく身体をたたらを踏んで堪える。激昂を言葉にすることはせず、睨み付けて抵抗の意を示す。

 しかしエリオットは鼻で笑う。

 

「なんだ、つまらん。悲鳴も上げないのか」

 

 エリンを見下ろすエリオットの鳶色の瞳。その奥に暗い情念のようなぎらつきが揺らめく。

 

「昔のように泣いてもいいんだぞ。あの、甘ったるい声で……なぁ?」

 

 途端にエリンの顔が羞恥で歪む。

 この男だ。この男のせいで、エリンは自分の声が嫌いになった。

 過去に何度も何度も繰り返し、エリオットは彼女の声をからかった。

 

 赤子の声だ。

 親に甘える子猫のようだ。

 お前の声は胸焼けをする。

 

 少年期のエリオットは同世代の貴族子息達を引き連れて、エリンを指さして笑ったのだ。

 耳の奥に、今もあの笑い声が残っている。 エリオットの声。取り巻き達の嘲笑。エリンを責める声ではない、彼女を否定する音だ。

 かつての幼い少女が、己の言葉によって傷付く様を反芻したかのように、エリオットは満足げに薄ら笑いを浮かべた。

 

「出陣は早朝だ。ノディオンが落ちるまで待つのが惜しいのなら、軍議後すぐにでも俺の部屋に来るがいい。時間の限り構ってやろう」

 

 それは命令にも等しかった。侮辱に震えるエリンを守るように、フィリップが口を開いた。

 

「申し訳ございません、エリオット様。我々は戦の支度をしなければなりません。従軍するならば、義娘にとって初めての侵攻戦です。教えることも多々ありますゆえ、今宵はお諌めください」

「俺に口出しする気か?」

「滅相もありません。ですが、義娘は従騎士の位も得られていない身。戦場の殺気に飲まれるやもしれません。戦の心構えを教え込みたいのです」

 

 要するに、エリンは今のままでは戦いの邪魔になるとフィリップは訴えているのだ。エリオットの情欲から娘を守るための弁であろう。

 エリンもそのことを察している。しかし、改めて己の未熟さを晒されたという歯痒さも覚えた。

 フィリップの説得を聞き入れたのか、それても興が逸れたのか──エリオットは鼻を鳴らした。

 

「分かった、もういい」

 

 内心、安堵の色を浮かべたエリンたちにエリオットは下卑た笑みを見せつける。

 

「ラケシスを手に入れたら、その後にお前への褒美として、この娘にも寵を与える。それでいいだろう?」

「なっ……」

「この娘は騎士として役に立たん。今、お前がそう言ったのだぞ、フィリップ。鍛えても無駄だ。それよりも着飾らせて俺に媚びさせる方がまだ有意義な使い方だろう」

 

 絶句するフィリップをどう思ったのか……エリオットは愉快そうに笑い声を立てる。

 そして彼はエリンを視界に捉える。睨みつけるように見返してくる彼女に、エリオットは一瞬目を細め――やがて、口の端をにやりと吊り上げた。まるで悪魔のように。

 

「……気が変わった」

 

 その一言だけで、エリンの背筋を冷たいものが這い上がる。

 考えなくとも分かる。エリオットが何か碌でもないことを思いついたと――それだけで、恐怖は十分だった。

 

「じきに軍議が再開する。それが終わるまでに、この娘を飾り立てておけ。この俺が直々に手入れしてやろうというのだ。相応しい格好で寝室に連れてこい」

「お……お戯れを。開戦は明日です。そのような時間は――」

「ないから急げと俺は言っているんだ! 分かったな」

 

 狼狽するフィリップの言葉を命令で遮ると、エリオットは立ち去った。勝ち誇るような笑みをエリンに見せつけて。

 乱入者が消え、部屋には重苦しい空気のみが漂う。

 己の身体が震えていることに、エリンはようやく気付いた。怒りか、悲しみか……それとも憎悪か。あの男の元で剣を振るうのも、その身を捧げるのも御免だ。

 しかし、義父はこの国に忠誠を捧げるだろう。どんなに理不尽な命令でも騎士として命じられれば従うだろう。己の矜持よりも、黙して剣を取ることを選ぶ人だ。

 だが――それでも我が子を愛する父親だ。

 

「……ノディオンへ行きなさい、エリン」

 

 再び絞るように父は言った。先ほどよりも切実に、それどころか懇願に近い響きがある。

 義理とはいえ、愛娘を差し出すようにと命じられたのだ。しかもあったはずの猶予ですら短縮されてしまっている。もはや何があろうと、エリオットは今宵のうちにエリンを我が物にするつもりだ。

 

「お前はここに残ってはいけない」

「でも、お義父さん」

「騎士になりたいのだろう? お前はラケシス姫に仕えたいと願っていた」

 

 幼い頃からの夢。初めて出会った時より、可憐な姫君をお守りしたいという幼少の願いは今も強く輝いている。

 

「ここにいては、駄目だ。お前は剣を振るうことが許されなくなる。いや、思うままに剣を握ることすら出来なくなる」

 

 父は案じているのだ。血の繋がらない娘を。

 例え己の主家を裏切ってでも。

 敗北国に属せば、確かに悲惨な結末を迎えるかも知れない。しかし、騎士として誇りを抱いたまま死ねる。彼女の身に悲劇が訪れる前に、魂の尊厳を守ることもできる。あるいは、ラケシスと共に城を棄て、生き延びる道もあるかもしれない。

 そして信じているのだ。

 敵国の人間であろうと、ラケシスならばエリンを受け入れてくれるだろうと。

 

「行くんだ、エリン」

 

 詳細を聞いた義父の部下たちは、誰一人として反対の声を上げなかった。彼らもまた、エリンを幼少の頃より見知っている。騎士を目指すというエリンに武術を教えてくれた。娘のように、妹のようにと可愛がっていたエリンを、醜悪な獣の生贄にさせたくなかったのだ。

 エリンは、義父の屋敷にある自室へ戻ると手荷物を手早くまとめる。

 そんな時に訪ねてきたのは父の部隊の副隊長だった。傭兵上がりの彼の、岩のようにゴツゴツとした手には大きな包みが握られていた。

 

「お嬢、これを」

 

 この男は親しみを込めてエリンをお嬢と呼ぶ。

 彼もまたエリンとフィリップに血のつながりがないことを知っている。だが、二人の間にある父娘の絆を疑わなかった。それがどれほど嬉しかったか、エリンは感謝の言葉を彼にまだ伝えていない。

 迫る別れの悲しみに胸を締め付けながら、エリンが包みをそっと開く。その中には欠けがない細身の剣と、曇りひとつない空色の華奢な甲冑鎧があった。

 

「お嬢の騎士叙任式のために、フィリップ――隊長が用意してたものだ」

 

 副隊長の言葉にエリンは目元が熱くなる。

 義父は覚えていてくれたのだ。

 エリンが騎士になりたいと宣言した日。あれはこの鎧の色に似た、雲一つない鮮やかな青空だった。

 

「時間がねえ。悪いが、着せるのは侍女じゃなく俺が手伝う。……すまん、お嬢」

 

 少女の身体に男が触れることを気遣ってくれたのだろう。猛者に相応しく厳つい容貌の副隊長が、節度を持って接してくれる。その当たり前のように振る舞う優しさにエリンは込み上げるものを必死に堪えた。

 馴染みの馬丁にも話はすでに通っており、彼もまた快く馬を用立ててくれる。引退済みの老馬は厩戸の隅で余生を送っていた。行方をくらましても、すぐには気づかれないであろうと。

 義父と最後に別れの言葉を交わしたかったが、今は開戦前夜。再び軍議に参加している。エリンのために時間稼ぎをしてくると義父は言ってくれた。

 代わりに付き添ってくれた副隊長に義父への伝言を頼む。

 そして、エリンは日が落ちた夜道を駆け出したのだった。夜半にエリオット隊は動かない。彼らが出陣する前にノディオン城へと辿り着かなければならなかった。

 

  ◆ ◆ ◆

 

「義父は私が後悔しないよう後押ししてくれただけなんです」

 

 アレクは静かにエリンの話を聞いてくれた。ただ、憐れむような目でエリンを見つめている。実際、痛ましく思っているのだろう。成り行きとはいえ、エリンは身の上まで教えてしまった。

 気まずさから、エリンは顔を伏せた。

 

「ですので、ご安心を。私は決してラケシス様を裏切ったりしません」

「ああ、信じるよ」

 

 あっさりとアレクが言った。

 

「……いいんですか?」

 

 懐柔するための作戦ではないか? 警戒するエリンの耳に不安を吹き飛ばすような、アレクの陽気な声が返ってきた。

 

「当たり前だろう。こんなに可愛い子が必死で逃げてきたんだ。歓迎するのは当然さ」

「可愛いって……」

 

 カラカラと笑うアレクに対して、エリンは不安を覚える。そんな理由で大丈夫なのか?

 それこそ、彼好みの女性でも間者として潜り込ませたらあっさりと壊滅させられないだろうかと心配になる。

 いや、そうでなくとも彼の主君のシグルドだ。

 噂はラケシスから聞かされている。彼は戦場では的確な采配を振るう。彼女の兄エルトシャンとも渡り合える腕前だと聞いている。

 反して、その性格は温厚で寛大だ。現に敵方であったエリンですらすぐに迎え入れてくれた。有り難かったが、逆にその優しさによって足元を掬われないか心配になる。

 

「……あんた、本当に可愛いね。いじらしくて守りたくなる」

 

 冗談めかしたアレクの言葉に、エリンはふと胸の奥がざわめいた。言葉自体にどうという意味はない。ただ、彼の笑顔にどこか懐かしさを覚えてしまったのだ。――昔どこかで、こんな瞳に見つめられた……気がする。

 深緑色の瞳。雲間から差す月明かりに照らされて光輝く。木陰の下から見上げた緑葉に似ている。陽光に透かされ、鮮やかな色を放つ緑に。

 けれど思い出せない。夢の中で誰かを慕っていたような、そんな曖昧な記憶だけが残っている。

 エリンはそっと目を伏せた。

 

「……そういう言葉は、気軽に言いふらすものではありませんよ」

 

 エリンは努めて平静な声を出した。高鳴る鼓動に混乱しながら。

 けれど、アレクのからかうような笑みは変わることはなかった。

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