「アルヴァ……。エリンは毒を入れるような子じゃない」
いつの間にか立ち上がっていたイーヴが、嗜めるように声をかけた。その横では、困惑するように若い侍女がオロオロと佇んでいる。
「他国の人間を警戒するのは分かるが、相手は子供だ。露骨に威嚇するんじゃない」
どうやらアルヴァは毒味役を買って出たらしい。ならば、エリンを威嚇するような素振りを見せるのは分かる。
ハイライン王が、ノディオンに対してあまり良感情を抱いてないからだ。それを、ノディオン側も承知しているようだ。
だが、エリンはアルヴァが懸念するようなことは絶対にしない。したくもない。……それなのに疑われたことが、とても悲しかった。
落ち込むエリンに、優しく声をかけてくれたのはやはりエヴァだった。
「ごめんな、エリンちゃん。明日には帰るから、俺たちに挨拶しに来てくれたんだろう?」
俯くエリンの顔を覗き込んで、エヴァは微笑みかけてくれる。同じ顔、同じ声なのにアルヴァとは全然雰囲気が違う。もちろん、イーヴとも。
どれだけエリンが懐かなかったとしても、エヴァはめげずに話しかけてくれる。そんな彼と別れるのが寂しいとエリンは改めて想った。
だが、エリンが頷く前にラケシスが口を開いた。
「違うわ。あのね、エヴァたちにお願いがあるの」
「ん? なんです、姫様」
「あの剣を借りたいの!」
ラケシスが顔を向けた先には、先ほどの棚がある。そこには、鋼の剣が三つ置かれていた。三つ子たちの佩剣である。剣の柄には、彼ら三人の色分けに使われた色と同じ色合いの宝石が嵌め込まれていた。
エヴァの表情が強張った。
「えっと……それはちょっと、難しいですかね……」
三つ子が持ち歩いてる剣は、叙任式に授けられたものだという。その剣は武器ではなく、彼らの「騎士としての証」であるのだ。
易々と貸し出しする物ではない。
「少しよ、ほんの少しだけ借りたいの」
ラケシスが上目遣いでお願いするが、エヴァは苦笑いを浮かべたままだ。
「いや……姫様のお頼みでも難しいですね。というか、何に使うおつもりで?」
「エリンを私の騎士にしてあげるの!」
それでエヴァは合点したらしい。
「アコレードですか?」
騎士叙任式――アコレード。騎士の誓いを主君に捧げる儀式だ。
この日のために用意された名誉の剣。その平らな部分を使い、主君が騎士の両肩に触れて祝福を授ける。
この儀式を持って、見習いから一人前の騎士として認められる神聖なものだ。
「駄目だ」
アルヴァの低い声が空気を裂いた。
彼はラケシスを見ていない。ずっとエリンを睨んでいる。その視線は普段よりもさらに険しい。言葉よりも雄弁に、アルヴァの感情を伝えた。苛立ちや葛藤……怒り、その全てを混ぜこぜにしてエリンにぶつける。
怯むエリンに向かい、アルヴァは口を開く。
「お前は騎士には向かない」
断言された。
エリンは別段、悲しくは思わない。それは自分自身も分かっている。
フィリップや副隊長たちの鍛錬を間近で見ていた。戦いがあれば、幾日も戻らない。戦が終わっても帰れない者もいた。
怪我の治療は回復杖で行われるが、心の傷までは癒せない。歴戦を経験したフィリップや副隊長ですら、部下に死者が出れば心を痛める表情を見せる。
心身共に過酷な職種だ。憧れだけでは乗り越えられない壁がある。
今のエリンには、耐えられそうにない。
「ままごとで、私の剣に触れさせるつもりはない。そして、騎士を目標にするのも許さない。……間違いなく、お前は死ぬ」
エリンが息を呑んだ。隣に立つラケシスもだ。
幼い少女二人の動揺を、覚悟がないとでも言いたげにアルヴァは続ける。
「か弱い者が戦場に居ても足手纏いだ」
「アルヴァ!」
相変わらずの無遠慮な発言。それを咎めるのはイーヴとエヴァだ。
「お前、本っ当に言葉選べよ! エリンちゃんはまだ小さいんだぞ!」
目を吊り上げて怒るのはエヴァだ。
普段は穏やかな彼が、怒りを糧に立ち上がり、アルヴァの胸元を掴む。
滅多に見せないエヴァの激怒にも、アルヴァは変わらず鉄面のままだ。
「昨日も母さんに叱られたばかりだろう。反省しろよ、少しは……」
呆れたように嗜めるのはイーヴだ。
水分補給により体力は回復したようだ。額の汗を拭いながら、こちらへと近寄ってくる。その背後を、日傘を差したままの若い侍女が追ってきた。
まだ汗が止まらないイーヴを心配してるのだろう、侍女は日傘を彼に差している。自然と二人の距離は近いものとなっていた。侍女が頬を赤らめているのは、年頃の少女らしい恥じらいだろうか。
イーヴもそれを気にしてか、いつもよりも歩みが遅い。侍女の歩幅に合わせているようだ。しかし、彼の目は険しい。その視線の先にいるアルヴァを非難するように。
「本気に取らなくてもいいだろう。姫様も分かってらっしゃるはずだ」
「違うわ! ままごとなんかじゃない、エリンを私の騎士にしたいの!」
割り込んだラケシスに、イーヴとエヴァが目を丸くさせた。彼らは本当によく似てる。反応も同じだ。
ただ一人、アルヴァだけが違う。ますます不機嫌さを全面に押し出す。
「ならば、余計にお貸しすることは出来ません」
「どうして? エリンだって私のそばにいたいと言ってくれてるの!」
「その手段として騎士という役割をか弱き者に押し付ける気ですか? 我儘も大概になさってください」
ラケシスの表情が歪むと同時に、イーヴとエヴァが叫んだ。
「やめろ、アルヴァ!」
歩むことをやめて、イーヴはアルヴァへと駆け寄る。彼の後ろにいた若い侍女も駆け足で追うが、追いつけない。
「このアホ!」
アルヴァの胸ぐらを掴んだままでエヴァは罵倒した。
「言い方って物があるだろうが! そろそろ本当に不敬で謹慎させられるぞ!」
「毎回母さんたちに頭下げさせるなよ……。もうお前もいい年してるんだからさぁ」
目の前で同じ顔が揉めている。ノディオン初日では違和感を覚えた光景だったが、これも今日で見納めだ。明日の朝にはエリンはフィリップと共にハイラインに帰る。そう思えば、ほんの少し寂しい気がした。
そっとエリンはラケシスの様子を伺う。彼女は唇を引き締めていた。屈辱に身を震わせ、それでも涙をこぼすものかと耐えている。幼くとも一国の姫だ、取り乱す姿を見せることはプライドが許さないのだろう。
エリンの胸がざわめく。
――ラケシス様のそばにいたい。
一人で耐える姿がいじらしい。そして、出来るのならエリンがそれに寄り添ってあげたい。
ぐっと息を呑んで、顔を上げた。
「わたし、ラケシス様の騎士になりたいです」
エリンの声に、三つ子たちの動きがピタリと止まった。彼女が自分から主張してきたのは滅多に無いからだ。
一瞬、あたりに重たい沈黙が落ちた。
驚くイーヴとエヴァとは違い、アルヴァはますます眼光を鋭くさせる。視線を武器に出来るのならば、エリンは即座に切り捨てられている――そんな眼差しだ。
恐怖で足がすくむ。心臓が跳ねるように鼓動を繰り返し、気持ち悪い。しかし、エリンは震えるラケシスの手を強く握った。自分が守るんだという決意を伝えるように。
ラケシスがこちらを見たことにも気付かずに、エリンはアルヴァに向かって声を放つ。
「どんなに辛くても頑張ります。……ラケシス様をきっと、お守りできるように私は強くなります」
恐れで声が消えないよう、エリンは腹に力を込めた。以前の彼女だったら、最後まで言い切る勇気は出なかっただろう。
しかし、今は違う。
目標を得た。生きる目的を得た。
この人のために生きたいと思える相手と出会った。
ラケシスを守るためならば、どんな生涯だって乗り越えてみせる。
「お願いします。剣を貸してください」
頭を深々と下げた。
アルヴァは依然として険しい表情でエリンを見つめたままだ。ただ、赤銅色の瞳に浮かぶ光が揺れていた。頭を下げるエリンはそれに気付くことはない。
イーヴとエヴァは顔を見合わせている。そして、困ったような声でイーヴが言った。
「エリンの気持ちは分かった。だけど、あの剣を貸すことは出来ない」
三つ子たちの佩剣。彼らのアコレードに使用された鋼の剣。
叙任式に使用された剣は、その祝福を受けた騎士に贈られる。これはただの武器ではない。名誉の証でもある。
いわば、その騎士にとっての魂の形を言っても過言ではない。
それを示すように彼らの剣には、それぞれの色を象徴する宝石が嵌め込まれている。三つ子たちのために前々から専用に用意された物だ。易々と貸し出していいものではない。
「そうだったの……」
ラケシスが戸惑うように発言した。離宮暮らしだった彼女は、叙任式の詳しい流れを知らなかったようだ。だからこそ、騎士の誓いにかける想いをきちんと知らずにいたのだ。
エリンも剣による儀式があるというくらいしか知らず、ようやく三つ子たちが渋る理由を悟った。
意気込んでいた少女二人は、たちまち消沈した。
彼女たちと目線を合わせるために、イーヴは腰を屈めた。
「それに私たちの佩剣では、姫様には重すぎるでしょう。エリンに怪我をさせてしまいますよ」
それに追従するようにエヴァが頷いた。
「そうですよ、危険です。……どうしてもというのなら鍛錬用の木剣を使われてはどうでしょうか?」
「エヴァ、それも駄目だ。木剣でも姫様が持つには重さがある。仮に俺たちが手伝ったとしても、姫様は納得されないだろう」
イーヴの言葉にラケシスが頷いた。
「木剣は嫌よ。だって、特別な剣になるんでしょう? ……エリンのための剣を使ってあげたいの」
落ち込むラケシスの声は力無い。
佩剣の重要さを知った。ならば、妥協はしたくない。量産された模造剣は己の騎士に相応しく無い。しかし、新たに剣を新調するには時間が無い。それでも今日、絶対にエリンを自分の騎士にさせなくてはならない。……様々な気持ちがせめぎ合っているのだろう。
エヴァの腕から解放されたアルヴァは、自らの胸元を軽くはたく。そして、小さく息を吐いて冷たく言い放つ。
「……諦めた方がいい。お前は普通の娘として過ごすべき――」
アルヴァの口を、イーヴとエヴァの手が塞いだ。もはや説得することを放棄したのだろう。物理的に黙らせた。
それでも、彼の瞳による威圧止められない。
――本当にいいのか?
――お前は自ら茨の道へと進もうと言うのか?
そう訴えるように、アルヴァはエリンを見る。いや、睨みつける。
しかし、エリンは彼の瞳に隠された微かな焦りや苦しみを見た気がした。エリンのことを案じているように見えた。……アルヴァらしくもない。
「あ、あのぅ……」
重苦しい沈黙が辺りを支配した。そんな中、おずおずと口を開いたのは若い侍女だった。