名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

51 / 51
回想11 光に満ちたものであるように

 一斉に注目を浴びて、侍女は怯えたように肩を竦める。

 特にアルヴァの視線が鋭い。余計なことを言うな、とでも言うような殺気を孕んでいる。

 それにイーヴが気付くと、今度は左手でアルヴァの目を塞いだ。さすがにアルヴァも抵抗をした。両手で兄弟たちを振り払う。

 三つ子たちの戯れを横に、ラケシスが侍女に問う。

 

「何かしら?」

「その……剣の代わりに、姫様の日傘を使われてはいかがでしょう? それでしたら、危なくないですし……。剣を使用するのは姫様達が大きくなってからで――」

「だ、だめです!」

 

 侍女の提案に反対したのは、エリンだ。

 ラケシスの白い日傘は、彼女の母から贈られた物だ。エリンにとっての母の腕輪と同じように、ラケシスには大切な物であるはずだ。

 それをアコレードの剣の代わりに使ってしまえば、エリンに譲ることになってしまう。

 侍女は、ラケシスの元に就いて日が浅い。日傘の由来をまだ知らなかったのだろう。知っていたらきっと、彼女は提案しなかったはずだ。

 

「……そうね、これを使いましょう」

 

 繋いでいたエリンの手を離し、ラケシスは白い日傘を畳んだ。エリンは慌てて止める。

 

「だめ……だめです! だって、それはラケシス様の大切な――」

「大切だから、この日傘を使いたいの」

 

 穏やかに微笑みながら、ラケシスはエリンを見つめた。

 その瞳には慈愛と決意が宿っている。大切なものを、大切な人に託そうとする覚悟の光だった。

 

「だって、エリンは私の騎士になってくれるんでしょう? だったら、私もそれに見合う物をあなたに贈りたいの」

 

 ラケシスの白い日傘。傘の裾には花模様のレースが縁取られている。軸の飾り部分は金細工で造られており、繊細な模様が彫られている。

 その傘をくるくると回しながら、はしゃぐように彼女は教えてくれたのだ。

 

 ――この日傘を持って、お母様とお散歩をしたのよ。

 

 母との穏やかな記憶。その象徴である日傘。

 エリンにとって、母の形見の腕輪と同等の思い入れのある品に違いない。

 それを、ラケシスはエリンに譲ると言ってくれたのだ。改めて理解した時、エリンの身体が痺れるように震えた。

 もしも母の腕輪を誰かに譲らなければならない時――エリンは拒否するだろう。母の腕輪ほど大切な宝物は何も無いからだ。

 胸の奥が熱い。心臓だって大きく跳ねる。だけど、不快じゃない。この感覚は、嫌いじゃない。

 悲しくないのに涙が出そうだ。

 そんなエリンに、ラケシスは優しく言う。

 

「さぁ、エリン。屈んで」

 

 その言葉に頷き、エリンは静かに跪く。騎士の礼は知っていた。

 フィリップたちの姿をエリンはずっと見ていた。……いや、それより前から知っていた気がする。

 主君のために剣を捧げる。そんな騎士の志を、憧れを抱いて見上げた気がする。

 

(きっとラケシス様に出会うためだ)

 

 エリンの空っぽの心が満たされていく。生まれてきた意味を実感するように、彼女は感動を噛み締めた。

 静かにラケシスは日傘をエリンの右肩に当てた。それと同時に、雲間から光が差した。まるで少女たちの誓いを祝福するように。

 

「あぁ……」

 

 三つ子の中でも特に感受性の豊かなエヴァが、思わず感嘆の声を漏らした。

 他の者たちも、ただ静かにその光景を見守っていた。あのアルヴァでさえ、目を見張っていた。

 土の匂いが立ち込める鍛錬場。周囲には木人形や鍛錬用の武具が散らばり、空気は夏の湿気で肌にまとわりつく。神聖とは程遠い、無骨な場所だった。

 

 それでも、奇跡のような光景だった。

 

 日傘がエリンの左肩から離れる。ゆっくりと彼女が顔を上げた。

 目の前に立つのは、敬愛すべき姫君。畳まれた白の日傘を両手で包み込むように持ち、ラケシスはゆっくりと口を開いた。

 

「さぁ、エリン。立ち上がって」

 

 言われた通りにエリンは立ち上がる。跪いたせいでドレスの裾に土が付いてしまったが、二人ともそれを気にする様子はなかった。

 ラケシスは、日傘を差し出す。

 

「これで、貴女は私の騎士。……本物の剣は、大人になったときに贈るわ。エリンだけのために」

 

 返事をしなければ。そう思うのに、エリンの喉は震えて声が出ない。

 嬉しくて、幸せで……涙が溢れそうで、歓喜の感情がエリンの声を封じたのだ。大きく息を飲み込んで、喉の詰まりを押し込む。

 きっと変な声になる。掠れて、不恰好で――とても儀式にふさわしい声とは言えないかもしれない。

 昨日までのエリンならば、恥じらいと恐れで返事をすることはなかっただろう。しかし、今は違う。

 正式ではないが、エリンはラケシスに忠誠を誓ったのだ。彼女の騎士として生まれ変わったのだ。

 

「……はい」

 

 やっぱり変な声になった。それでも誰もエリンのことを笑うことはない。

 エリンはラケシスから静々と日傘を両手で受け取る。子供用の小柄な傘だ。エリンでも軽々と持てる。

 今のエリンにとって、この日傘は何よりも尊く、重いものだった。たとえ剣の形ではなくても、騎士の証であり――彼女の魂そのものだった。

 エリンの左手首を飾る銀の腕輪――その緑石が日差しに照らされて煌めく。新たな騎士の誕生を歓迎するように。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 翌朝。

 この日の空は青々と澄み渡り、白い雲が高く高く天目指して昇る。煌々と輝く太陽が、エリン達の出立を見守ってくれている。

 馬車の車輪が石畳をコトコトと刻む音を立てながら、ハイラインへの帰途についていた。

 名残惜しむように、エリンは馬車の窓から、何度も来た道を振り返った。すでにノディオンは遠く、城の全貌も彼女の手のひらよりも小さくなっている。

 エリンの隣に、小さな白い日傘と一冊の本が置かれていた。

 

 ――この本も、エリンにあげるわ。

 

 そう言って別れ際にラケシスが差し出したのは、彼女がエリンに読み聞かせてくれた本だった。

 表紙には若葉色の厚紙に、金糸の文字で題名が刺繍されていた。幼いエリンにはまだ、すべての文字を読みとることはできない。それでも胸が熱くなる。

 ラケシスと過ごした時間、その記憶が手元にある――それが、何よりも嬉しかった。

 ハイラインに戻ったら勉強をしよう。この本を一人で読むために。

 ……いや、それだけではない。

 騎士としての鍛錬も積まねばならない。だってエリンはラケシスの騎士となったのだ。

 姫付きを目指すのならば、形だけの肩書きは許されない。アルヴァの指摘は最もだ。

 窓に両手を押し当てつつ、エリンはちらりと対面に座るフィリップを見た。

 彼もまた、行きがけと同じようにエリンを見ていた。やはり、会話のきっかけを探していたようだ。

 

「どうした、エリン?」

 

 ほんの少し緊張しているようだ。フィリップの声は、わずかに上擦っている。

 エリンは悩む。

 ここでこの人に、騎士になりたいと伝えるべきかと。――もしも、反対されたらどうする?

 アルヴァのように強く厳しく、お前には無理だと突き放されたら。そんな我儘を言う子供は面倒だと、馬車から放り出されたら。

 ハイラインが近付くにつれ、また元の気弱なエリンに戻ってゆく。エリオットによる呪縛が再び彼女を蝕み始める。

 俯くエリンの目に、左手首の腕輪が映った。その装飾の緑石が、窓から差し込む日差しを受けて、淡くビロードのような光を宿していた。

 その光が、エリンを勇気付けた。

 深呼吸一つして、エリンはフィリップに向き合った。小さな手は拳を作り、痩せた両膝の上に乗せる。

 

「……騎士様」

 

 お義父さん――そう呼ぶべきかエリンは悩んで止めた。フィリップに怪訝な顔をされたくないからだ。

 それに今から頼み事をする。都合の良い時だけ義父と呼ぶのは、媚びているように思えたからだ。『お義父さん』と呼んでしまえば、お願いを聞いてほしいという甘えが混じってしまいそうで、エリンは踏みとどまった。

 そんなエリンの葛藤には気付かないのだろう。フィリップは目を瞬かせる。

 

「なんだい、エリン?」

 

 エリンからフィリップに話しかけることは滅多にない。義娘の人見知りの激しさを知る彼は、無理にエリンから言葉を強要することはしない。

 だから、エリンから話しかけた時、フィリップはその度に驚いた表情を見せるのだ。

 エリンは体を強張らせる。心臓の鼓動が全身に響き渡るようで、耳が痛くなるほどだ。

 

「お願いが、あります」

 

 聞き入れてもらえるだろうか?

 怒られたりしないだろうか、否定されないだろう……多くの不安がエリンを包み込む。

 確かめるように、横目で白い日傘を見る。これは騎士の証。ラケシスから与えられた、エリンの誇り。

 

「私、ラケシス様の騎士になりたいです」

「騎士……」

 

 フィリップの目が大きく開かれた。戸惑うような反応だ。

 やはり、アルヴァのように反対されるのかもしれない。

 恐れがエリンの顔を伏せろと指示する。見なければ、傷付くことはない。なんでもないと発言を取り消せば、無かったことに出来る。――だが、そうはしたくない。

 

 ――だって、私はラケシス様のための【剣】になると決めたのだから。

 

 膝の上の拳を震わせながらも、エリンはフィリップから目を逸らさなかった。

 馬車の揺れる音が、二人の沈黙を遮る。

 フィリップは何かを思案するように目を閉じて、口を開いた。

 

「騎士という役職は、想像よりも過酷なものだ。……心身共に深く傷付くことも多々ある。主君のために剣を捧げ、盾となって己の命を武器とする。――それが自分の意思でなくとも」

 

 義父の声は静かだ。自身の主ボルドーに対し、思うことがあるのかも知れない。

 エリンは黙ってフィリップの話を聞き入る。厳しい現実ですら、耐え抜いてみせるという志を表すように。

 

「私は……正直に言えば、反対だ。お前が傷付く姿は見たくない。ドナもきっと、そう言うだろう」

 

 母の名前を出されれば、エリンも胸が痛んだ。心優しい母も生きていたならば、フィリップの言う通りに反対しただろう。

 それでも、エリンは折れたりはしない。だって、エリンはもうラケシスの騎士となったのだ。

 義娘の瞳の奥に宿る決意の炎を見たのだろう、フィリップは肩の力を抜くように笑う。

 

「それでも、エリンが選んだ道だ。私が止めたところで、お前は決意を捨てたりしないだろう。ならば、せめて守れる位置から見守りたいと思う」

 

 ハイラインで騎士の娘として成長しても、エリンは迫害され続けるだろう。素性の知らぬ娘。貴族連中は今以上に厳しい目をエリンに突きつけるはずだ。

 王子エリオットの欲が、エリンの将来を閉ざす可能性だってある。

 ならば、戦う手段と生きる道を身につけさせた方がいい。――きっとフィリップはそう判断したのだ。

 息詰まるハイラインでの生涯を終えるよりもきっと、ノディオンで過ごす方がエリンは幸せだろうと信じたのだろう。

 フィリップの義娘に対する想いは、今ようやくエリンに伝わったのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 エリンの言葉はまだ、他人行儀のままだ。それでも、少しだけフィリップに歩み寄れた気がした。

 フィリップもそれを感じたのだろう。優しげな笑みをエリンに見せてくれる。

 

「ハイラインに戻ったら、専用の訓練道具を揃えよう。……屋敷の者たちにも、話を通しておかなくてはな」

 

 フィリップの屋敷の使用人たちは、エリンを主の娘として分け隔てなく迎え入れてくれた。

 エリンの母――衰弱するドナにも、誰ひとり嫌な顔を見せずに、彼女が亡くなるその日まで世話をしてくれた。

 だからこそ、エリンが騎士を志すと知れば、きっと彼らは心から案じて、止めようとするだろう。

 

 それでも、彼らなら、きっと受け入れてくれる。

 

 フィリップはそう言う。彼らはエリンの決意を、否定することなく受けとめてくれるはずだと。

 

「お前の進む未来が、光に満ちたものであるように。……そう願っているよ、エリン」

 

 慈しむような笑みを浮かべるフィリップ。つられるように、エリンは微笑みを返していた。

 子供らしい、無垢な微笑み――それは、彼女が初めて義父に見せた心からの笑顔だった。

 

 開かれた窓から、夏の陽光が降り注ぐ。影さえも焼き払うような、まばゆい光だ。

 どこまでも続く青空の下、馬車は、ゆっくりと街道を進んで行く。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

はーい、マユで~す! でもごめんなさい、いまマユは生体CPUになってるのでお話しできません(作者:何を書けばいいんだ)(原作:ガンダム)

CE71年、大西洋連合が実施したオーブ解放作戦によって発生した激しい戦闘の最中、マユ・アスカは流れ弾によって吹き飛ばされ絶命したかに思えた。▼だが彼女は死んでいなかった、瀕死の重傷を負いつつも生き残った彼女はブルーコスモスによって加工され、生体CPUメリー・ゴーランドとして生まれ変わったのだ。▼しかし、過去の記憶を抹消された彼女の脳内にはなぜかガンダムSEE…


総合評価:10076/評価:8.69/完結:32話/更新日時:2026年07月07日(火) 12:07 小説情報

魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ(作者:あのさぁBOT)(原作:Re:ゼロから始める異世界生活)

主人公スバルが座っていたかもしれない、大罪司教の空席『傲慢』。▼その席に一足早く座っちゃったTS僕っ子ロリの話。▼アニメ勢のにわかです。原作と違う点があっても許して▼(以下微ネタバレ注意)▼主人公描いてみました。少しでも想像の手助けになると幸いです。▼絵柄は合わせてないです(怠惰)▼↓▼【挿絵表示】▼


総合評価:13596/評価:8.9/完結:48話/更新日時:2026年08月05日(水) 12:06 小説情報

五線譜と密造酒 ――1920年のアメリカ世界で、百年先の音楽を弾く(作者:生サーモン)(オリジナル歴史/文芸)

むせ返るような安葉巻の煙と、密造ウイスキーの甘ったるい匂い。▼のり弁を食べていたはずのしがない現代のDTMトラックメイカーは、気づけば1920年、冬のニューヨークで目を覚ましていた。▼手元にあるのは47ドルの全財産と、調律の狂った安物のピアノ。そして「イタリア系移民の無名作曲家」という、社会の底辺の肩書きだけだ。▼強欲な出版社にわずかな小銭で曲を買い叩かれ、…


総合評価:20536/評価:8.3/完結:20話/更新日時:2026年07月07日(火) 20:03 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>