7-1 お前は姫様の騎士になるのだろう
アグスティ・マッキリー連合軍をシグルド軍が打ち破って半年が経った。
現在、アグストリア一帯はグランベルによって統治されていた。
先の戦いでは、フュリー隊の活躍がめざましかった。シャガール王の卑劣な偽証に、天馬騎士たちは憤激していた。エバンス城でシアルフィ兵を翻弄したように、彼女たちは敵軍の陣を揺るがせた。
シアルフィ兵がそうだったように、アグストリア兵も天馬騎士との戦闘に慣れていなかったらしい。フュリー隊が敵を翻弄した隙を突き、シグルド軍はシャガール軍を一気に崩した。
シャガールは惨めに敗走したが、その命は助けられた。ラケシスの兄エルトシャンが、かの王を救ったのだ。
戦闘の混乱の中、彼を慕う兵たちが動き、エルトシャンは自由の身となっていた。
――どんな人間であっても、あの方は俺の主君だ。
シグルドを前にして、エルトシャンはそう語った。普段の沈着な様相では無く、苦いものを吐き出すように。
そして、友との再会を喜ぶよりも前に、グランベルによるアグストリアの占拠に対して怒りを露わにしたという。
多少不穏な流れではあったが、シグルド軍の目的は達成された。
ラケシスの喜びは大きかった。涙を浮かべる妹姫を、美貌の兄王は優しく抱擁する。
絵画のような美しい光景を目の当たりにしたエリンも涙ぐむ。ラケシスの幸福は、そのままエリンの幸福でもある。
この時は、そう信じていた。
◆ ◆ ◆
エリンは、先の軍令違反の罰として謹慎処分を命じられた。それについては、彼女自身も仕方のないことだと納得している。
やはりラケシスがそれを反対したが、今度は覆すことが出来なかった。
エリンの違反はこれで二回目だ。さすがに見逃すことは、よろしくないとキュアンが断言をした。それでも軽い謹慎処分で済んだのは、総大将であるシグルドの温情も大きい。
「エバンス城の防衛が出来たのも、エリンの働きによるものだ。そこは考慮するべきだ」
それが表向きな理由であるのは、エリンも言われなくとも分かる。エバンス城を守れたのは、レヴィンの力が一番大きい。襲撃してきたフュリー隊を味方に引き入れ、本隊がエバンス城に辿り着くまでの間、風魔法で敵の進軍を食い止めていた。
エリンは、命じられるまま流されていただけだ。
では、シグルドがエリンに謹慎を命じた本当の理由は何か――それは、彼女の心身を休ませるためだった。
義父フィリップの喪に伏すことなく、エリンは戦いの場へと駆り出されていた。それが却って、哀しむ気持ちをかき消してくれていたのだが、やはり無理を強いたことには変わりない。徐々に精神が不安定になるエリンを、シグルドは密かに気にかけていたのだろう。フィリップを討ち取ったのはシグルドなのだから。
そして、エリンの謹慎と同時にフィリップ隊はハイラインへと帰国した。
ハイラインは現在、グランベルの役人によって統治されている。そのため、必要な情報等の引き継ぎ役としてフィリップ隊の面々が要望されたのだ。
かつてハイラインを治めていた王族はシグルド軍により滅び、政治を担っていた忠臣もその戦闘により多く亡くなった。わずかに残った文官たちが、せめてもの頼りにとフィリップ隊の救援を願い出たのだ。
フィリップ隊はエリンの護衛という名目でシグルド軍に加担していた。しかし、エリンが謹慎という名の静養に入ったこの機会にハイラインへ戻るという運びとなった。
「一仕事終えたら、俺はすぐに戻る。だから、お嬢はしっかりと休んでいてくれ」
帰国前日、副隊長はそう告げてから笑い、続けた。彼曰く、フィリップ隊の多くも同じ心構えであるという。
「政治のことは俺たちには分からねぇ。戻っても俺らにできる仕事も、そう多くはないだろうしな」
恐らく、彼らはグランベル役人への威圧枠として望まれたのだ。
ハイラインの武官は戦闘で全滅している。わずかな兵力はフィリップ隊の面々しか残されていない。残された唯一の対抗力として、頼られているのだ。
グランベルの役人たちは誠実な者もいるが、横暴な者も数多くいた。占拠地であるからという理由で、我が物顔でハイラインの街を闊歩しているという話もある。
これはハイラインだけの問題では無かった。シグルド軍によって制圧されたアグストリアの国々で同じような不満が持ち上がっている。
三つ子騎士たちもノディオンへエルトシャンと共に帰国する予定であった。ノディオンは元よりシグルド軍によって守られていたため損失は、ほぼ無い。
しかし、ノディオンはシグルドが抗議の声を上げる前に、グランベルの占拠地の一つとされていたのだ。そのためにエルトシャンたちは、シャガールの命によりノディオンから離れたシルベール城へと拠点を移した。
ラケシスはグランベルの命に従い、シグルド軍の保護下に置かれることとなった。最愛の兄と離れ離れとなることに、彼女は寂しそうな顔を見せたが、すぐに表情を引き締めて静かにそれを受け入れた。人質としての己の役割を。
エリンはノディオンに正式に属している騎士ではない。身を置いていたハイラインでは騎士として認められていなかった。そのため、ラケシスの私兵扱いとなりシグルド軍に身を預けることになったのだ。
「いいか、お嬢。身の回りには注意しとけよ。お嬢はもう子供じゃねぇんだ。弱ってるところをつけ込む輩が出ててくるだろうからな」
副隊長はやけに真剣にそんなことを言ってきた。子供じゃないからこそ気をつけろと、彼は強く念を押す。
年頃の娘を心配する父親のようだ。フィリップの代わりとして副隊長が気を払ってくれているのだろう。
強面をさらに険しくさせる彼を、安心させるようにエリンは微笑みを向けた。
「大丈夫だよ。そういう風に、私に言い寄ってくる人なんていないはずだし」
大人とみなされる年齢ではあるが、エリンの顔立ちは幼い。背丈も低く、小柄だ。色事の対象として見る者など皆無であろう。
しかし、ますます副隊長は眉間の皺を深くさせた。
「お嬢は可愛いんだ。だからちょっかいかけてくる奴は、これから間違いなく増えてくる。というか、アレクだ。アイツには気を許すな」
ついには、はっきりと名指しして警戒するよう言われた。副隊長は常々アレクを警戒していた。エリンにアレクが近寄ってきた時点で圧を発していたぐらいに。
「大袈裟だってば、副隊長。アレクさんは私を心配してるだけで……」
エリンの語尾が小さくなる。副隊長が怖い顔をしているから……だけではない。
その胸の奥に、かすかな引っかかりが芽生えていた。
アレクは優しい人だ。――そのはずなのに。
エバンス城防衛の際に抱いた不信感が、じわじわとアレクへの信頼を侵蝕していた。
馬上で語らい、マッキリー城でのシグルドたちの前での振る舞い……どれもが近過ぎる接触だ。
それに気付くと、エリンを見つめるアレクの視線に、友愛とは違う別の何かが含まれているようにも思えてしまう。まるで……そう、まるでエリオットがエリンを見る目付きに似て――。
「大丈夫だよ、アレクさんは……きっと」
背筋に冷たいものが伝う感覚に怯えながら、エリンは無理に笑ってみせた。
きっと気のせいだ。だって、エリオットとアレクは違うはずだ。アレクは誠実な人だからこそ、エリンは気を許したのだと信じ込むように。
副隊長はしばらくエリンを見つめていたが、やがて深々とため息をついた。
「ノディオンの同じ顔の兄ちゃんも心配してただろう。お嬢は気を許した相手には甘過ぎるんだ」
同じ顔の兄ちゃん――アルヴァのことだろう。
エリンは前日、彼にも同じことを言われていた。
――いいか、謹慎中とはいえ鍛錬を怠るな。
真っ先に言われたのが、それだった。か、すぐにアルヴァは怒りを露わにするように続ける。
――アレク殿とレヴィン王子には注意しろ。……それから、フィン殿にもだ。
なぜその面子にフィンの名が出るのか。エリンが訝しむと、アルヴァはますます目を細めて眉間に皺を寄せた。
――お前は未熟だ。優しくされれば、すぐに懐く……騎士を志す人間が情に流されやすいのは大きな欠点だ。
そして一度言葉を切り、何かを思案するように顔を俯ける。アルヴァが言い淀む姿は珍しく、エリンは首を傾げた。
――いっそ、共に……。
言いかけて、アルヴァは口を噤んだ。エリンが問い返す前に、彼はすぐに普段通りの厳しい視線を彼女に向ける。
――お前は姫様の騎士になるのだろう? ならば、それらしい振る舞いをせねばならない! 分かったら返事をしろ!
あまりの迫力に、エリンは跳ね上がる勢いで背筋を伸ばした。
その時の心境を思い出し、エリンは震える右手で左手首の腕輪に触れた。
副隊長は怒らない。しかし、困ったように自分の丸めた頭を撫でた。
「あと、レヴィン王子だ。……あいつは、なんだろうな。お嬢に対して馴れ馴れしいんだが……なんか違うんだよなぁ」
同じ違和感をエリンも抱いていた。
レヴィンは、旧知の中のように親しげに接してくる。
エリンもそれにつられてか、レヴィンに対しては気安く接してしまう。警戒しなくてはと頭では理解しているのに、彼の懐っこい笑みに触れると、つい甘えるように返事をしてしまうのだ。
レヴィンは天性の人たらしなのかもしれない。あるいは、シレジア王子としての威光ゆえだろうか。
だが、王子という肩書だけで安全が保証されるわけではない。亡きエリオットの存在は、王族という身分の神聖さを、エリンの中で未だに深く汚していた。
それは副隊長も同じなのだろう。王子という生まれなだけで高潔な精神を持ち合わせてはいない人間もいる。エリンよりも多く世間を見てきた彼はよく知っているはずだ。
そんな副隊長だから、レヴィンに対しては理由のはっきりしない不信感を持っている。しかし、それが何なのかまでは見つけられないでいるようだ。
「……まぁ、いい。すぐに戻るからな、お嬢」
この時、ふとエリンは副隊長に頼み事をしようか悩んだ。
エリンの部屋に飾られた白い日傘、そして本棚に納められた若葉色の本。――どちらもラケシスにより贈られた、エリンの宝物だ。
ハイライン出奔の際、エリンはそれらを持って逃げようとした。しかし部屋にエリオットが踏み込めば、不在を悟られてしまう。彼は姑息にもエリンの宝物の存在を把握していたのだ。
エリンがノディオンへ行く際は、必ず白の日傘を佩剣のように腰に下げていた。ラケシスへの忠義を示すためだ。
エリオットはそれを怪訝な目で見て、馬鹿にしてきた。
――騎士の真似事か?
それをエリンは無視した。一々反応すれば、また面倒になる。
あの時、誤魔化しておけば良かったと今更の後悔をした。
ハイラインを脱出した夜、エリオットがエリンの部屋に踏み込まれないという確証がなかったのだ。日傘が飾られてないことで、行先を悟る可能性を恐れた。
だから、後ろ髪を引かれながらも彼女は宝物を置いてきた。
そして今、宝物である日傘と本を副隊長に持ってきてもらおうかと考え、止めた。
副隊長がハイラインへと帰国したら、きっと忙しくなるだろう。彼は口では役割が無いとは言うが、無力のハイラインにとって副隊長ほど頼りになる男はいないはずだ。そんな彼の手を、エリンの私情のために煩わせるわけにはいかない。
それに、たった一年だ。
一年経てば、グランベルの関係者は帰国する。エリンも改めてノディオンへ移籍して、正式にラケシスの騎士となれる。その時にエリンは宝物を自分の手で持っていけばいいのだ。
それなら、まだ我慢が出来る。
エリンは大人だ。正式な騎士になる日も近いのだ。だったら忍耐を覚えなければならない。
副隊長やフィリップ隊と離れるのは寂しい。親しい人々と別れることに、不安を拭えない。……そして何より、義父の死に改めて向き合うのが怖かった。
それでもエリンは恐れを噛み締めて、副隊長たちを見送ったのだった。