「シルヴィは可愛い」
もう一度、エリンは強く言う。
シルヴィアは驚いたのか、何も言わない。呆けたように口を開けている。
そんな彼女が愛らしく見えて、エリンは自然に微笑みを浮かべた。
「シルヴィと一緒にいると楽しくて――嬉しい。話してると、心が暖かくなるの……私はシルヴィが好きだよ」
喋りながら、エリンは自然とシルヴィアと自分の額を重ね合わせる。互いの鼻先が軽く触れ、吐息が混じり合う。
愛おしいとエリンは思う。そして、レヴィンに怒りを覚える。こんなにも可愛らしい友人を傷付けたのだ。
(昔から、あの人の困った癖は変わらない……)
そんなことを思って、また驚く。
(昔からって……何?)
疑問がエリンを正気に戻した。ふと目の前を見れば、唇が触れそうな位置にシルヴィアの顔があった。
「わ、わ! ごめん!」
慌ててエリンは身を逸らした。しかし、繋がれた手は離れない。シルヴィアとエリンの指は絡み合うように手が繋がれていた。
己の発言を思い返して、エリンは目元を紅潮させる。友人として励ましたい気持ちからでた言葉だったが、直球過ぎた。流石にシルヴィアに引かれてしまうだろう。
恐る恐るとエリンはシルヴィアを見て、固まる。
シルヴィアの頬は薔薇色に染まり、潤んだ瞳でエリンをまっすぐに見つめていた。薄く紅が塗られた唇が何故だか艶かしく映る。エリンの心臓が跳ね、言葉が喉でつかえた。
「……エリィ、大好き!」
勢いよくシルヴィアに抱きつかれたため、エリンはそのまま押し倒される。
幸いにもアレクの手はエリンの背中に当てたままだった。彼はそのままエリンとシルヴィアを支えてくれる。結構な負荷がアレクの腕一本にかけられたはずなのだが、ものともしない。優男な風貌でも、彼も鍛えられた騎士なのだという証明だった。
動けないエリンに頬擦りしながらシルヴィアは上にのしかかる。そのため、彼女の温かい柔らかさがエリンの全身に伝わる。
身じろぎをしようものなら、それに合わせて互いの身体が擦れ合う。必死に押し返そうとするも、シルヴィアの体温と甘い香りが絡みついて、力が抜けそうになる。
「シルヴィ、お、落ち着いて――」
「やっぱり私と一緒に旅に出よ! 二人でならきっと楽しくやって行けるよー!」
どうやら本気にさせてしまったらしい。いや、エリンの先ほどの発言は嘘ではないのだが、まさかここまで心に響かせてしまうとは思いもよらなかった。
必死に逃げ道を探すように視線を動かせば、ノイッシュと目が合ってしまった。彼は頬を赤くさせつつも、半眼でエリンを見下ろしてる。
「……お前もアレクと同類なんだな」
呆れ気味にそんなことを呟かれてしまった。否定しようとエリンが口を開く前に、アレクの声がそれを遮る。
「女の子同士で盛り上がるのはいいんだけど、俺も混ぜて欲しいなぁ」
揶揄うような口ぶりだった。だけど、その目は細められて、にやにやとエリンを見下ろしている。この人の助けは期待出来ないと、エリンは瞬時に見限った。
ならばエスリンはどうだと、そちらへと目を動かして諦めた。彼女は目を輝かせてエリンたちを見守っている。恐らくその心は、観劇を楽しむ観客に近い状態だろう。
最後に頼れそうなのはフィンなのだが、エリンは敢えて彼を見なかった。というよりも、見たくなかった。
すでにフィンにはシルヴィアと同じようなことをした前科がエリンにあるのだ。彼の顔に浮かんでいるであろう呆れを想像するだけで、胸が苦しくなった。
やはり自分しか頼れる者はないのだ。シルヴィアの好意は嬉しいが……正直恥ずかしい。
「シルヴィ、あの……」
「ねぇ、エリィ。いつ出発する?」
目を期待で輝かせるシルヴィアが眩しくて、エリンは思わず顔を逸らした。なぜこんなに後ろめたい気持ちになるのだろうか。
「……ごめん、私は無理だよ」
「どうして?」
「だってその……」
歌が下手だから、とエリンは言えなかった。昨日までのエリンならそれを言い訳にしていただろう。しかし、今はもうそれを口には出来ない。
だから、エリンの立場を言い訳にしようとする。
「私は――」
ラケシス様の騎士だから。
声にならなかった。唇は震え、言葉にはならず、ただ息だけが漏れた。
今の自分は騎士と言えるのだろうか? そんな問いかけが胸に響く。
剣の技量も無く、ベオウルフへの寛容も無い。ラケシスを悲しませてばかりいる自分が、果たして彼女を守る騎士たりえるのか?
あの時、エルトシャンはエリンに見向きもしなかった。彼は親友であるベオウルフに、ラケシスを託した。
ならば、エリンはラケシスの何だ?
守ることが出来ない騎士なぞ、必要ないのではないのか?
黙り込むエリンにシルヴィアは可愛らしく小首を傾げてる。愛らしいその風貌に、その気がないエリンでも心をざわめかせてしまう。
先ほどから押し当てられているシルヴィアの柔らかさがまた気まずい。首筋がじっとりと湿るのを感じ、顔から熱が引かない。
「えと……歌は、あれぐらいしか知らないから」
なんとか絞り出した言い訳は、苦し紛れの嘘だった。
母が歌ってくれた歌は全て覚えている。戦歌、子守歌、恋歌、祝歌、遊歌――様々な歌をエリンは知っている。そのどれもを、かつては口ずさむことができた。
それでも、シルヴィアには申し訳ないが、エリンはやはりラケシスのそばにいたいと願ってしまう。たとえその資格が無いとしても。
「……ごめんね」
後ろめたい気持ちから、声は小さく掠れる。
申し出を断ったことで、シルヴィアに嫌われてしまうのではと恐れる自分がいた。俯きながら、自分の不誠実さに嫌悪する。
指先から力が抜ける――そのままシルヴィアの手を離してしまいそうになった。
けれど、手はまだしっかりと握られていた。温かさと力強さが、指先を通じて伝わってくる。
「大丈夫だよ、エリィ!」
シルヴィアの声は明るく、力強い。
「私が今から教えてあげるから!」
自信に満ちたシルヴィアを眼前にして、エリンは呆気に取られる。
自分は今、断ったはずだ。それなのにシルヴィアは何の問題ないと言いたげに胸を張る。
「じゃあ、さっそく始めよう! どんな歌にする?」
はしゃぎながら、シルヴィアは立ち上がる。手が繋がれたままなので、自然とエリンも引き寄せられた。
「やっぱり賑やかな歌がいいかな! そしたらノイッシュも踊れるでしょ」
「まだ忘れてなかったのか!」
逃げるように後ずさったノイッシュが、思わず吠えた。
「俺は嫌だからな!」
「いいじゃない、ノイッシュ。あなたのダンス、私は見てみたいわ」
にこやかに言い放つエスリンの瞳に、微かな悪戯の光が揺れた。
「あなたったら舞踏会でも、ダンスのお誘い断ってばかりだったし。せっかくだから見せて欲しいわ」
「それは警備を命じられていたからです」
「でも、アレクはお誘いに乗っていたじゃない」
それは騎士としてどうなのだ。エリンはつい、アレクへ非難めいた視線を送ってしまう。
アレクは易々と受け止め、それどころかエリンに色香を含ませた笑みすら返す。
彼は何か勘違いをしてるようだった。まるでエリンの非難を、嫉妬の証とでも受け取ったのか――勝ち誇るような表情だ。それがまた彼女の中でアレクの好感度を下げる。
「もう! エリンったらアレクばっかり見ないで!」
頬を膨らませてシルヴィアがエリンの両頬をその手で包み込む。そして、エリンの目線を自分へと強制的に向けさせた。
再びシルヴィアとの距離が近づき、エリンは体をビクリと震わせる。先ほどからシルヴィアが妙に情熱的だ。エリンが戸惑うぐらいに。
「一緒に歌って! 私が先に歌うからエリンはそれに続いて」
輪唱で歌詞を覚えさせたいようだ。
このままではなし崩しでまた歌うことになる。エリンの中で、歌うことへの忌避感は薄れたのだがまだ完全ではない。
ためらいから必死で回避方法を考える。
「で、でも……シルヴィアが歌ったらノイッシュさんと踊れないよ?」
胸中でノイッシュに謝罪しなからエリンは言った。
「ノイッシュさんと踊りたいんでしょう?」
「エリン、お前まで何を言い出すんだ!」
突然の裏切りに、ノイッシュはさらに取り乱す。彼の逃げ道は完全に塞がれた。味方はもう誰一人いない。
彼の後方ではエスリンが期待の眼差しを、前方ではアレクが至極愉快そうに眺めていた。
シルヴィアは彼のことを無視してる。彼女の目には、エリンしか映っていない。
「エリンは、私と一緒に歌うの……イヤ?」
潤んだ瞳と怯えるような声でそう問われれば、エリンの胸が痛む。
シルヴィアを傷付けたレヴィンの無責任な言動に対して怒りを覚えた。なのに、エリンが彼と同じような真似をするのは良心に反してる。
ああ、逃げ出したい。恥ずかしくて恐ろしい。
でも、覚悟を決めるしかない。
「……イヤじゃないよ」
「やったぁ!」
たちまちシルヴィアの表情が一変した。先ほどまでの泣きそうな顔はなんだったのか?
「女の武器だな……」
唖然とするエリンの背後で、アレクが感心したように呟いた。
それが耳に届いたのか、シルヴィアはにこやかな笑みを彼にぶつける。
「私はエリンと歌うから、アレクがノイッシュと踊ってね」
むさくるしい提案に、エリンは吹き出してしまった。
娘のアルテナを胸に抱いたまま、エスリンは堪えきれずに笑い声をこぼす。その揺れがまた心地よいのか、アルテナは未だに夢の中だ。
エスリンの横で、フィンも俯いていた。その両肩が小刻みにカタカタと震えている。
共に顔を青ざめたアレクとノイッシュは同時に叫んだ。
「絶対に嫌だッ!」