名も亡き少女の墓標   作:ねるねるねずみ

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2-2 お前は何をしに来たんだ

 太陽はいよいよ頂点へと昇り、燦々と日差しを落とす。さながら、道中に転がるエリオット隊の兵達を天へと導くように。

 街道を疾風のごとく駆け抜けるエリンには、彼らの個々を認識出来ない。しかし、見知った顔があることをどうしても気付いてしまう。

 彼らの名を思い出してしまうたびに、胃から競り上がる不快感を吐き出しそうのなる。血の匂いと、道を覆う死骸の群れ。踏み越えても踏み越えてもそれが続いて行く。

 

 行かなければ良かった。

 

 そんな気持ちが無いわけではない。知らないふりして、結果だけ聞いていたらどんなにか楽だったであろう。

 

 だけど、出来なかった。

 

 エヴァの言う通りだ。行かなければ、エリンは生涯後悔するという確信があった。だからこそ老馬を走らせる。義父が、副隊長が、愛しい家族たちが生きているうちに。──たとえ剣を交えることとなろうとも。

 やがて剣戟の音が耳に届く。間に合ったと安堵すると同時に、間に合ってしまったと思ってしまう。

 剣が弾き合わせる音は、老馬の蹄の蹄よりも小さい。

 これは妙だ。戦場にしては静か過ぎる。

 剣戟。兵達の号令。馬たちのいななき。その全てが全くと言っていいほどに聞こえなかった。ここまでの道中でずっと漂っていた鼻を刺すはずの匂いがないことに、ぞくりと恐怖を呼び起こす。

 やがてエリンの眼前には何かを囲うように整列する兵たちの姿が現れた。シグルド軍、フィリップ隊、彼らは揃って同じ方角を見つめている。剣が弾かれる音はそこから響いてくる。

 老馬から降りてエリンは兵たちの輪の方へと駆け寄る。

 

「あれ? エリンじゃないか!」

 

 戦場には似つかわしくない少年の声が彼女を呼び止めた。

 跳ねた金髪を無造作に一つに束ねた少年。鎧もマントもなく、飾り気のない服の袖と裾から、ひょろりとした手足がのぞいている。背中には場違いなほど大きな布袋を背負い、見るからに身軽な身なりだった。

 

「留守番してるって話じゃなかったの?」

 

 ぱちくりと大きな目を瞬かせ、少年はあっけらかんとエリンに問いかけた。

 少年の声で、近くに立つ男女達もエリンを見る。

 

「お前、どうしてここに来た」

 

 険しい表情でそう言う青年は獲物である弓を構えていた。

 その弓はアグストリアの騎士が扱うような短弓とは違い、異国の匂いがする長くしなやかな造りだった。

 青年の体躯からすると弓は大振りに見えるが、まるでそれが自分の一部であるかのように、彼は当然のように構えていた。矢先は輪の中心に向けられている。

 彼もまた軽装で鎧は着けていない。彼の深緑色の服の作りは少年と似ている。そこから、二人が同郷であると推測される。顔立ちは少年とは似ても似つかないから兄弟では無さそうだ。

 白い布を帽子のように頭上で縛り、焦げた栗色の髪を纏めている。

 彼の隣に立つ乙女がエリンに向かって言った。

 

「ノディオン城で、何かあったのですか?」

 

 その声には、責める響きはなかった。静かで、透き通るような声音が、ただ純粋にエリンの身を案じていることを伝えていた。

 乙女は、ライヴの杖を両手で握りしめている。赤玉には小さなひびが入り、彼女の疲労と心労を映すようだった。

 緩やかに波打つ柔らかな金髪が、白いマントにふわりとかかる。穏やかな金の瞳には、淡く栗の色がにじんでいた。まるで聖女のような気配を纏い、清楚な白の衣が彼女の気品を際立たせている。

 彼女の背後に控える長身の優男が、彼女の視線に倣うようにエリンへ目を向けた。警戒の色はないが、その身にほんのわずかな緊張を走らせている。

 明るい若葉色の髪を後ろで一つに束ねた彼の顔立ちは、女性と見まごうほど美しい。だが、その容貌に反して肉体は引き締まり、ゆったりとした赤い上着の半袖から覗く腕の筋肉がたくましさを物語っていた。

 彼は弓を構えることなく、ただ片手に静かに携えていた。こちらは短弓のようだ。左肩には小さな肩当てがついている。騎士にしては軽装だが、それは弓兵としての装いなのだろう。

 すぐ傍らには、栗毛の馬が大人しく佇んでいた。彼の愛馬なのかもしれない。

 エリンは三人に駆け寄った。蒼白する彼女の内心を慮ったのだろう、長身の優男がエリンに目線を合わせるように腰を屈めて言った。

 

「フィリップ殿が、シグルド様に一騎打ちを申し出たのです」

 

 長身の優男──ミデェールが静かにそう教えてくれた。

 曰く、待ち構えていたフィリップ隊と軍が遭遇したのはつい先ほど。戦闘が開始するかと緊張が走るその時、シグルドが一人、馬を進めたそうだ。止めるオイフェやキュアンの声を背にして。

 

「シグルド様は仰れました。フィリップ殿はおられるか、と」

 

 フィリップ隊は熟練の集まりだ。殺気を浴びせかける猛者たちを前にしても、シグルドは怯まず馬首を進めた。

 そして、彼は声を張り上げる。

 

 ──貴殿の義娘エリンは、ノディオン姫ラケシスと共にいる!

 

 シグルドはその言葉を、戦場に響き渡るよう発したという。

 その一言が戦場の空気を変えた。

 その時のフィリップ隊の表情は、ミデェールには印象的だったらしい。鋭い目を向けていたはずの兵たちは皆、一様に安堵の笑みを浮かべた。

 戦場でありながら、敵であるはずの彼らが穏やかな喜びを見せたのだ。

 

「それでさー、あっちの隊長さんが出てきたんだ。シグルド様と戦いたいって」

 

 身軽な衣装の少年──デューが説明を繋げる。

 曰く、大将での一騎打ちで決着を付けたい。もしも、自身が討ち破られることがあるならば降伏する。反対にシグルドを討ち取ることがあれば撤退をしてくれと。

 

「シグルド様は……それを了承したのです」

 

 清楚な乙女──エーディンが沈痛そうに目を伏せた。

 曰く、当然シグルド軍の兵達は反対した。罠の可能性もある。騙し討ちだって考えられる。

 それなのにシグルドはフィリップを信じると言うのだ。彼は武人だと。騎士であるフィリップを信じると。

 そして、フィリップも無理を承知で提案したのだろう。続けて宣言した。

 

「もしも自分の部下がシグルドに手を出すことがあれば、すぐさま自分を討っても構わないだと」

 

 弓を構えた青年──ジャムカがこちらを見ることなく言った。

 語られなくとも分かる。彼はこの場で最も信頼されている弓の使い手なのだろう。フィリップ隊の兵が不意打ちを仕掛けたらすぐさま矢を射る役目。彼が放つ殺気は凄まじい。こうして話をしていても和らぐ様子は無い。鷹のような眼光で矢先を見据えている。

 

「お前は何をしに来たんだ」

 

 ジャムカが静かに問う。

 殺気を帯びた声――彼はまだ、エリンを完全には信用していないのだ。彼女が奇襲役として送り込まれた可能性すら、排除していないのだろう。

 ミデェールはゆっくりと腰を戻し、エーディンの前に控える。その一連の動きからも、彼らにとってエリンが『外の者』であることは明らかだった。

 理解はできる。しかし、そうであっても、胸がズキリと痛む。だが、エリンは傷心を見せまいと懸命に表情を保った。

 彼らと会話するのは初めてだ。声を出すのが怖い。……それでも、エリンは真っ直ぐ前を見て言った。

 

「義父に、別れを告げに」

 

 それだけの言葉が、喉に棘のように引っかかる。震える声は、覚悟では押し切れなかった情の名残だ。恐れではない。死を選んだ人に、顔を向ける勇気の震えだった。

 そうしている間にも剣の撃ち合う音が耳に届く。その音が聞こえなくなることが怖かった。

 ジャムカは振り返らない。ミデェールとエーディンは憐れむような眼差しをエリンに注ぐ。

 沈黙を遮ったのはデューだった。

 

「だったら、おいらがエリンを前まで連れてってやるよ」

「おい、デュー!」

 

 すぐさまにジャムカが振り向いた。動揺からか、ほんの少し弓を握る手が緩んでいた。人の情に、戦場が揺らぎそうになるのを感じたのかもしれない。たった一人の介入により、勝敗が逆転することは戦の常だ。

 咎めるようにジャムカは目を細めたが、デューは悪戯を思いついたかのように笑った。

 

「心配すんなって、ジャムカ。シグルド様たちの邪魔にならないようにするからさ」

「そういうことじゃない。子供は下がってろと言いたいんだ」

 

 乱暴な口調だが、その裏はどこか嗜めるような響きがある。年離れた弟を咎める兄のような口ぶりだった。

 ジャムカに同意するように、エーディンが頷く。

 

「デュー、駄目よ。シグルド様はエリンを思って戦場から遠ざけたの。あの人の気遣いを無下にしてはいけないわ」

 

 そしてエーディンはエリンを見る。

 

「親しい人を失う痛みは……貴女が思うよりも深く突き刺さるものよ。貴女が苦しむ姿を、きっと……お義父様は望まないわ」

 

 憂うように瞼を下ろすエーディン。その仕草の奥に、彼女自身もまた、大切な何かを胸にしまっているように見えた。

 エリンの境遇、そしてシグルドとフィリップの対話を見て、彼女はきっとフィリップの人柄を察したのだろう。

 清廉な義父と、その義娘の間にある確かな愛情を。血の繋がりが無くとも結ばれている二人の絆を。

 確かに、エーディンの言葉は正しい。

 そして、シグルドもまた、彼女と同じ思いを抱いたのだろう。オイフェの提案通りにエリンを戦場から遠ざけたのだ。武人であるならば、親しき者同士が剣を交える姿も、その結末も多く見てきているはずだ。

 義父の気持ちは、痛いほど理解している。シグルドやエーディンたちの優しさが、苦しいほどに胸を抉る。見ないことを、逃げることを彼らは許してくれた。

 それでもエリンは顔を背けることだけは、どうしてもできなかった。

 彼らの口ぶりから、この一騎打ちの結果はすでに見えているのだろう。エリンが悲しむことになると、優しげなエーディンですら断言しているのだ。

 

 この勝負は――フィリップが敗れる。

 

 ならば、今は怯んでいる暇はない。こうしている間にでも、決着の時が迫っているかも知れないから。

 

「お願いします。私を義父に会わせてください。決して……戦いの邪魔はしません」

「……不審な動きを見せたら、容赦はしない。それだけは頭に入れておくことだ」

 

 それだけ言ってジャムカは意識を決闘へと向ける。

 エーディンとミデェールも困ったように顔を見合わせる。だが、もう彼らがエリンを止めることはなかった。少女の決意が、それだけ強く、悲しかったと分かってくれたのだ。

 

「ついておいでよ、エリン」

 

 デューが差し出した手を、エリンは躊躇いつつも取った。そしてその瞬間、驚いた。

 その手は鍛錬で培った自分のものより硬かった。誰の庇護も受けずに、生き抜いてきた者の手だった。

 彼はエリンよりも背が低く、振る舞いから見てきっと年下だろう。それなのにデューはエリンよりも多くを経験している。それが彼の手が物語っていた。

 手を引かれるがまま、エリンは兵たちの輪へと加わる。

 人垣を縫うようにどんどん間をすり抜けてゆく。道中、エリンに気付いた者たちから呼び止める声も聞こえた気がした。それらにエリンが反応する前に、どんどんデューは前へと進んでゆく。

 

 そして、決闘の場へとエリンは辿り着いた。

 

 長槍を振るうフィリップの姿にエリンは口を開いた。お義父さん、そう呼びかける声を抑えた。気を引くような真似は許されない。

 黒い重鎧に身を包むフィリップは鬼気迫る表情で迎撃をその身で受け流す。シグルドの剣筋は鋭く、確実にフィリップを追い詰めてゆく。剣が振るわれ、槍と交差する。刃がぶつかり、激しく火花が散る。目を背けたくなるような音が、耳を打つ。漆黒の鎧に、じわじわと傷が走る。

 槍と剣。

 その相性では槍が有利とされる。だが、そんな常識など存在しないかのように、シグルドは強かった。突かれた槍を剣でいなし、間合いを詰めて斬り込む。

 剣先がフィリップの鎧をなぞる。何度も繰り返された技なのだろう。義父の鎧には、幾つもの傷が刻まれていた。

 皆、固唾を呑んで見守っている。二人の一挙手一投足に、歓声ひとつ上がらない。ただ、己の大将の勝利を信じて願うのみ。

 エリンは、知らず右手で左手首に触れていた。そこにあるのは銀の腕輪――母の形見にして、自らの御守り。

 勝利も敗北も、どちらに与するかは決まりきっている。選ぶ余地など、初めからない。

 それでも、縋るように腕輪に触れてしまう。

 ……願ってしまったのだ。義父の生存を。

 

 やがて、決着の刻は訪れた。

 

 シグルドの渾身の一振りが、フィリップの足元を崩した。その刹那が、勝敗を分けた。体勢を戻そうとしたフィリップへと、無常にもシグルドの剣は振るわれた。冷たく煌めく銀の剣は、フィリップの重鎧の隙間を正確に突いた。くぐもった声と共に、肉を断つ音が兵たちの耳へ届いた。

 シグルドが剣を勢いよく引き抜く。剣の軌道に沿って、鮮血が空に飛び散る。

 悲鳴にも似たどよめきが、両軍から漏れた。

 膝を降り、そのままフィリップは握っていた槍を、静かに手放した。カラン、と乾いた金属の音が地に伝わる。

 

「見事……」

 

 首を垂れてシグルドの前で跪く。それは最期の一撃を受け止めるための姿勢。

 その姿を見た瞬間、エリンは弾けるように駆け出していた。

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