決闘騒ぎについては以下の処分を下された。
発起人であるエリンは、一定期間の謹慎及び長期の武装禁止処分。
追従したベオウルフは短期間の謹慎処分。
私闘を行った者に対しては甘すぎる采配だが、これを決定したのはシグルドではない。
エリン、ベオウルフの両名はラケシス付きの兵である。よって、罰を下す役目は彼女であるという判断となった。
無論、これはシグルドの温情によるものだ。厳しい処罰にさせないにはどうすればいいのか、という苦心からこうなったらしい。
オイフェを初めとする幾人かは、主君の甘さを責める。
一年に満たぬ間に三度も違反を重ねている。二度の独断行動、そして今回の決闘騒ぎだ。さすがに短期間に繰り返しすぎている。
真面目な外見の相反して問題児という烙印をエリンは刻まれていた。
シグルドが彼女に負い目を抱いてることは皆知っている。目の前でシグルドによって義父フィリップを討ち取られたエリンが、どれほどに嘆き悲しんだのかも知っている。しかし、だからといって贔屓めいた処分は軍の規律を損なう、という声も上がっていた。
特別扱いを作ってしまえば、軍内の規律が乱れる。エリンを疎ましく思う者も増えるだろうという懸念が提示された。
誰もが意地悪で厳しく言ってるわけではない。彼らなりにエリンを気遣ってもいるのだ。
そんなやりとりを、彼女はしばらく知ることはなかった。
決闘の際、ベオウルフからの一撃を防いだ左腕。
すぐに適切な処置をされなかったために、腫れ上がった左腕は触れるだけで鋭い痛みが走った。熱に焼かれるように、全身をじわじわと炙っていく。そのまま高熱となり、エリンは伏せってしまったのだ。
幸いにも骨折には至らなかったらしい。ベオウルフが瞬時に攻撃の勢いを削いだおかげだ。でなければ、エリンの左腕は使い物にならなくなっただろう。
しかし、大事にはならなかったとはいえ、回復まで時間を要することになってしまった。
回復杖は主に外傷を治癒する魔術具だ。内側の損傷を癒すのは難しい。
戦場では荒療治として損傷箇所を切り裂き、回復杖で無理に塞ぐ手法もある。しかし、エリンの治療にその選択を口にする者は一人もいなかった。
何より、ラケシスが許すはずもない。
彼女は床に付くエリンの看病を行った。アグスティ城で与えられた貴族の部屋でなく、簡素な兵の部屋――エリンの過ごす部屋に泊まり込んでまで献身を行った。
侍女たちが自分たちが代わると申し出ても、ラケシスは受け入れない。
――私がエリンを診てあげたいの。
そう言って、ラケシスは静かにエリンの額に手ぬぐいを当てた。
夜通し、彼女はエリンの呼吸を数え、口元に匙一杯のぬるめのスープを運ぶ。
汗ばんだ身体をラケシスは手ずから濡れた手拭いで清め、清潔な寝衣に着替えさせる。
朦朧とするエリンには、ラケシスの献身が分からない。
エリンは夢を見ていた。
幸せな夢――だったと思う。
夢の中でもエリンは微睡んでいた。眠りに落ちる直前の心地良いひととき。
そんな彼女を静かに見守る二人の人影。
長い黒髪の女性は――恐らく母ドナであろう。彼女はエリンを慈しむように頭を撫でている。
隣にいる男性は――誰か分からない。額を露わにするように蜂蜜色の髪を後ろへ撫でつけていた。
二人ともその表情までは分からない。霞がかったように細部がぼやけている。それでも、その男女がエリンを優しく見ているだと感じた。同時に、たまらなく懐かしい気持ちに包まれる。
女性が笑う。その声は歌うようになだらかで、やはり母のものに似ている。
男性が言葉を発する。
――俺たちの宝物……。
蕩けるような彼の声は、エリンに向けられたものだ。可愛くて仕方ない、そんな気持ちが込められている。
宝物という響きに、馴染みがあった。ドナが何度もエリンを指してそう例えたのだ。――私の宝物、と。
幸せだとエリンは思った。
胸が満ちて、温かくて……けれど、ふと寂しさが込み上げてきた。
閉じた瞼の端から涙が流れ落ちる。その涙を優しく拭き取ってくれる人物が誰なのかも知らずに、エリンは眠り続けた。
決闘から一週間が過ぎ、エリンの熱は下がった。そこでようやくラケシスがずっと看病してくれたことを知った。
謝るエリンに、ラケシスは肩の力を抜いて微笑んだ。
「あなたが無事ならいいのよ」
そう言うと、ラケシスはエリンを優しく抱きしめた。
瞬間、エリンは羞恥に包まれる。いくら身を清めてくれたとはいえ、一週間寝込んだままだ。そんな状態で抱きしめられれば、エリンの方が耐えられなかった。
体力が戻らない彼女は、ラケシスを引き剥がすことができない。だから、弱々しく声を放つしかできない。
「ラケシス様、ダメです……」
咎める声はラケシスの金糸の髪に沈んで耳には届かなかったようだ。彼女は身を震わせて泣いていた。
「エリン……エリン……」
ラケシスは縋るようにエリンを抱擁する。左腕に痛みを与えないようにと気遣うように。
「もうあんなこと、しないで……」
啜り泣くラケシスに、ようやくエリンは己の愚かさを思い知らされた。騎士であろうと固執した結果、大切な人を悲しませてしまった。
これまで子供扱いされるたびにエリンは腹を立てていたが、全くの見当違いであった。無鉄砲で考えなしで動く様は、子供と称されても仕方ない。
自覚した瞬間、氷解するようにエリンのしがらみは薄れていく。胸の奥に重くあった何かがするりと抜け、執着めいた激情が消えていくのを感じた。
左腕の痛みは未だ治ってはいない。ほんの少し力を込めれば、痺れと疼痛が筋肉を走る。
右腕を伸ばして、ラケシスの背中へと回した。鍛えられていない華奢な体。その細さを感じるたびに、エリンは罪悪感を覚える。
「申し訳ございません、ラケシス様……」
ラケシスの傷心を少しでも和らげるよう、エリンは声に力を込める。
「もう二度と、あのような真似はしません」
「絶対よ」
エリンの肩に顔を埋めたままで、ラケシスは言う。
「約束して、おねがい……」
ラケシスが落ち着くのを待ってから、エリンは自分に課せられた処分内容を聞かされた。さすがに甘過ぎると思ったのだが、采配したのがラケシスであると知って何も言えなくなる。
それに、たとえ異議を唱えようにもシグルドがすでに採用をしている。今更覆すのも却って迷惑であろう。……罰を受ける本人から、もっと厳しくしろと訴えても困惑されそうだ。
久しぶりに会話が出来たのが喜ばしいのか、ラケシスは顔を近寄せて言った。
「ねぇ、エリン。謹慎の間は私の部屋で過ごしましょう」
そもそもラケシスは熱にうなさらるエリンを自室へ連れ込んで看病するつもりだったそうだ。しかし、無理に動かせば余計に悪化させるかも知れないと周囲から止められ、代わりにラケシスがエリンの部屋に泊まり込んだという流れだったらしい。
改めてエリンが主君の手を煩わせたことを謝罪すれば、ラケシスが憤慨した。
「私がしたかったの。他の誰にも、エリンに触れさせたくなかったから」
やはりラケシスはエリンを守るべき対象として見ている。そのことにエリンは胸が痛むも、決闘の日のような深い嘆きには至らなかった。
ラケシスの寵愛を受けていることを嬉しく思う反面、彼女の足枷になっているのでないかという不安が過ぎる。
浮かない表情のエリンに、ラケシスは急かすように身を寄せた。
「ほら、まだ辛いでしょう? 一人で過ごさせるのは不安なの。だから、一緒にいましょう」
「……お気遣い、痛み入ります」
エリンは深々と頭を下げる。
「ですが、私はここで過ごします。ラケシス様はお部屋にお戻りください」
「どうして!」
断られるとは思っていなかったのだろう、ラケシスは声を張り上げる。
「熱は下がったけど、左手はまだ痛むでしょう? 熱だってぶり返すかもしれない」
最もらしい理由を並べてラケシスはエリンに迫る。今日の彼女はどこか不安定だ。まるでエリンから離れることを恐れているかのように。
「ねぇ、お願い。貴女の傍にいたいの」
心配してくれるのは嬉しい。だが、行き過ぎた加護は互いにとっても良くないはずだ。
「……ラケシス様のお身体が心配なのです」
太陽のように美しい姫君は、昼夜問わない看病のせいで疲れているように見えた。美しさは損なわれていないが、目の下に薄らと隈が出来ている。
きっと碌に寝ていないのだろう。申し訳なさでエリンの胸が痛む。
「私はもう大丈夫です。だから、ラケシス様に休んでいただきたいのです」
「だから、私の部屋で一緒に休みましょう。ここよりも快適に過ごせるはずよ」
エリンは首を横に振る。
「駄目ですよ。私は謹慎中の身。ラケシス様がお傍にいれば、それは罰にはなりません」
何よりも外聞が悪いだろう。
散々違反を繰り返したのに、謹慎とは名ばかりで姫君と共に過ごすのはおかしいと声が上がるはずだ。
そうなった時に悪く言われるのは、エリンだけでなくラケシスにも波及するに違いない。贔屓が過ぎれば、周囲の反感を招く。
「私はこの通り、病み上がりです。好き勝手に動くことは出来ませんから、ご心配をなさらないでください」
実際、エリンは寝台から起きれないでいる。上半身を起こし、枕を背もたれ代わりにして何とか座れる状態だ。
それに左腕の回復まで、まだ時間がかかるはずだ。このままでは、戦えない。
「……またラケシス様の騎士になるために頑張りたいのです」
「もういいの。貴女は戦わなくても」
ラケシスの両手が伸ばされ、エリンの頬を包み込む。
柔らかかった手は、剣を振い続けて皮膚が硬くなり始めていた。指先は震え、冷え切っている。
「騎士でなくても、私の隣にいてくれればいいのよ」
ハイラインという国はすでに滅んだもの同然だ。シアルフィ軍の勝利により、ボルドー王の一族は潰え、王家そのものが形を成していない。エリンの後ろ盾となる義父フィリップも亡くなっている。
故に、エリンを縛るものは何も無い。
だったら、ノディオンへ移住するために騎士という役職を目指す理由はとっくに消えている。ラケシスさえ望めば、エリンは侍女や学友として彼女の傍に侍ることが出来る。
辛く、痛い思いもしなくてもいい。
鍛錬のたびに増えてく傷に顔を顰めなくてもいい。
剣を振るために色んなことを我慢しなくてもいい。
髪を伸ばしたり、おしゃれを楽しんだり――少女らしい楽しみを味わうことが出来るだろう。
昔のように憧れのお姫様と共に甘く穏やかな日々を過ごせる――なんと甘美な誘いだろうか。
布団を握る右手に力が籠った。
「……騎士になってほしいとラケシス様が仰られた時、私は初めて生きる目標が出来たのです」
ハイライン王家に冷遇され、エリオットに見下され、さらには最愛の母ドナを失った幼き日のエリン。
義父フィリップを信頼出来ず、優しく接してくれる大人たちにも怯え続けたあの頃。
この世界で自分はひとりぼっちだと思い込んで絶望に沈んでいた。
そんな時出会ったラケシスは、まさにエリンの太陽だった。この人と出会うために自分は生まれたのだと信じ込むほどに。
「私は、私のためにラケシス様の騎士になりたいのです。……どうか、我儘をお許しください」
目を逸らすことなく、そう告げる。エリンの両頬に触れるラケシスの手は震えていた。
陽光を宿す瞳は大きく揺れ、じわじわと潤みが増してゆく。
泣かせたくないな、とエリンは思う。ラケシスには笑っていて欲しい。かつてエリンが魅了された、あの夏空のような晴れやかな微笑みを常に浮かべていて欲しい。
ラケシスが瞬きをする。それに合わせて、真珠のような涙が一つこぼれ落ちた。
「……ごめんなさい、エリン」
彼女の謝罪には、後悔するような響きがあった。きっと幼き日の言葉を悔いているのだろう。エリンを自分の騎士にしたいという、願いの言葉を。
だけど、エリンはそれに気付かないふりをした。でなければ、また未練が戻ってしまいそうだったから。