レヴィンとフュリーが退室して、そう間もなく新たな見舞い客が訪れた。
今度の二人は、レヴィンたちと違って部屋へは入らない。開かれた扉を挟み、回廊側に佇んでいる。
そして、そのまま彼はエリンに長々と説教を始めた。
「だいたい決闘など安易に申し込むものではない。騎士としてそれがどれだけ重大な意味を持つのかお前は知らないのか?」
相変わらず硬い口調でノイッシュは言う。眉を寄せ、腕を組んだまま、釈然としない視線をエリンに向けている。
エリンも言い訳はできず、俯きながら聞き入るしかなかった。
「あれほどの騒ぎを起こして謹慎で済んだのは、子供だからと見過ごされたのだろう。それでも、お前が見習いといえど騎士であるのなら、尚更反省を――」
「ノイッシュ、もういいじゃないか……」
アーダンは小さく息を吐き、視線を落としたままおずおずと口を開いた。
「エリンも充分に反省してるから。そろそろ許してあげよう」
「お前もアレクも甘い! まだオイフェの方がしっかりとしてるじゃないか!」
ノイッシュの怒りは収まる気配がない。目の端を吊り上げ、腕組みのまま微かに前傾し、まだ叱り足りないとでも言わんばかりの様子だ。
話し始めてから随分経つが、その眼差しはいまだ厳しいままだ。
それほどまでにノイッシュはエリンを気に掛けたのだろう。だから彼女も何も言えない。
神妙に黙り込むエリンを眺め、アーダンは困ったようにまなじりを下げる。
「エリンは病み上がりなんだから、それぐらいにしてあげよう。でないと、また倒れてしまう」
「アーダンさん、私は――」
もう体調は万全だと言おうとしたエリンの口を、アーダンは視線で制する。頼む、今は黙ってくれと。
その目があまりにも必死だったので、エリンは口を噤む。
アーダンの目には、エリンを気遣う光があった。けれど、あまりに真剣すぎて強面がいっそう険しくなっている。圧倒されるほどの威圧感に、エリンは思わず身を強張らせた。
彼本人は意図せずとだろうが、さすがシグルド軍の守りの要と称される男だ。こんな時なのにエリンは感心してしまう。
わずかの間、ノイッシュはアーダンと睨み合っていたが、やがて折れた。深々とため息を吐いて、エリンに釘を刺す。
「二度と軽率な真似はするな」
「はい」
説教の終了にエリンよりもアーダンのが安堵しているように見えた。彼はいそいそと手に持っていた小包をエリンに手渡す。
「これ、俺たちからの見舞いだ」
アーダンが持っていたから軽く見えたそれは、エリンの両手に乗せられればずっしりと重みがあった。
包みの隙間から様々な種類のお菓子の包装が見えた。飴にクッキー、干し果物……食べたことのない物もある。
「菓子を色々と見繕ってきた。日持ちするから安心してくれ」
「ありがとうございます。でも、貰いすぎて申し訳ないです」
「気にしないでくれ。他の連中からの分も混じってる」
アーダンたちがエリンの見舞いに行くと知り、シアルフィ兵の面々が自主的に託してくれたとのことだ。
「大勢で押しかけるのはエリンも困るだろうから。俺とノイッシュが代表として持ってきたんだ」
「そうだったんですか……」
エリンは未だにシアルフィ兵全員の名前は覚えきれていない。顔馴染みは幾人か増えたが、それでも深い付き合いは無い。
それなのに、シアルフィ兵の面々はエリンを気にかけてくれている。義父を討ち取られて泣き叫ぶエリンの姿を忘れられないのだろう。
――エリンが思う以上に、あなたを想う人たちは、たくさんいるのよ。
エスリンの言葉が脳裏に蘇る。
たまらなく胸が苦しくなって、エリンの目元が熱くなった。
再び包みの中を覗き込む。色とりどりの包装は、年頃の少女の好みそうな華やかなものばかりだ。兵たちが思い思いにエリンのために選んでくれたのだと分かり、また心が震える。
「……ん?」
可愛らしい菓子類の中に、無骨な物体があった。枯れた棒切れのような何か。
「干し肉……?」
懐疑的に首を傾げるエリン。見舞いに干し肉はあまり選ばれない物だ……と思う。
快気祝いにしても、何か違うような気がする。
考え込むエリンに、アーダンが気まずそうに言葉をかけた。
「干し肉は、その……非常食にでもしてくれ。それを入れたやつが、そう言ってた」
庇うような口ぶりだ。きっと、アーダンがよく知る人物がこれを選んだのだろう。
戦場での携帯食として干し肉は有難い。まだ武装禁止期間ではあるが、それが明けるまで日持ちはしてくれそうだ。
あるいは甘い物の口休めとして、塩辛いものは良いかもしれない。
そんなことを考えながらエリンは顔を上げて気付く。ノイッシュが目を逸らしていた。彼は怒ったように遠くを睨んでいたが、頬が林檎のように赤い。
その様子に、エリンは悟ってしまった。
「あの、この干し肉……ノイッシュさんからですか?」
ノイッシュはエリンを見ない。沈黙を貫いていたが、じっと見つめるエリンの視線に負けたように口を開く。
「違う」
簡素な答えだが、その声は若干上擦っている。もう正解を言ってるようなものだ。
エリンはノイッシュに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「違うと言っている!」
赤面してノイッシュが怒鳴った。
その怒鳴り声は明らかに照れ隠しが混じっており、エリンは恐怖を感じなかった。むしろ、おかしくて笑みすら浮かぶ。
くすくすと鈴のように笑うエリンを見て、アーダンもつられて笑った。
「ノイッシュ、もうバレてるから」
「余計なこと言うな、アーダン!」
「干し肉は美味しいですよね、ノイッシュさん」
「だからっ……俺じゃない!」
普段の堅物ぶりはどこへやら。ノイッシュは顔を真っ赤にして怒鳴っていた。よくよく見れば、彼の胡桃色の目は潤んでいる。
いつぞやの庭園での取り乱しようといい、ノイッシュという人は案外、面白い男なのかもしれない。
――そう思った途端、エリンの脳裏に、もう一人の騎士の姿が浮かぶ。
「あの、アレクさんは……?」
問い掛ければ、ノイッシュとアーダンがピタリと静止した。そして、互いに気まずそうに視線を合わせる。
「あー……アレクはな、ちょっと……」
言い淀むアーダンは、困ったように自身の頭を撫でる。彼が続きの言葉を選んでいる間に、ノイッシュが割り込んだ。
「病気が悪化してるだけだ」
吐き捨てるような声音だった。ノイッシュの表情が、一瞬で険しくなる。彼の爪先が床をトントンと叩き、苛立ちを隠しきれない。
「病気、ですか……」
胸の奥に冷たい痛みが走る。
決闘の日――八つ当たりでアレクに酷いことを言ってしまった。あれが原因とは思えないが、それでもエリンは罪悪感を覚えてしまう。
アレクをよく知る二人が言葉を濁らすのだ。もしかしたら、かなり酷い症状なのかもしれない。
「大丈夫なんですか?」
「いや……元気といえば、元気なんだが」
要領の得ない返答だ。アーダンはあからさまに困っている。まるでエリンに詳しく聞かせたくないような、そんな言い草だ。
「子供に余計な話を聞かせるな、アーダン!」
ノイッシュは怒りを露わにした。そこまで強く言わなくてもいいのではとアーダンに同情するほどに。
子供と称されたことに、エリンは不服を覚えない。ノイッシュが彼女を侮るために子供と言ったわけではないと察したからだ。
恐らく、アレクの症状は良くないのだろう。そしてそれは、エリンの耳に入れるのはよろしくない状態であるということだ。
もしくは、エリンが原因ということか――。
決闘後の別れ際、アレクに放った暴言を思い出してしまう。
あれほど酷く拒絶するつもりはなかった。ただ、あの時は彼の軽さを、からかいのように感じてしまったのだ。あからさまな嫌悪の情をぶつけてしまった。
(やっぱり、私のせいだ……)
アレクの体調不良を、エリンはそう結論付けてしまった。
大人だから、男の人だからという理由で心が傷付かないはずがない。言葉の刃がどれほど鋭いものなのか、エリンはよく知っていたはずなのに……。
黙り込むエリンに向かい、ノイッシュが言う。
「……気にするな。おまえのせいじゃない」
その言葉が慰めなのか、それとも別の意味を含むのか――エリンにはわからなかった。
◆ ◆ ◆
ノイッシュたちと別れる頃には、昼時になっていた。
だから、エリンはラケシスに会いに行く前に食堂へと向かう。昼食のためではない。会いたい人がいるのだ。
昼時は城下の食事処に向かう兵たちも多く、城内の兵士用食堂はわりと空いている。人が少ないため、すぐに目的の人物を見つけられた。
食事をする兵たちはエリンの姿を見て、その手を止める。そして、彼女の進路方向の先にいる人物に気付いて顔を青ざめた。
何人かはエリンの歩みを止めようと、話しかけてくる。
「大変だったな!」
「もう大丈夫なのか?」
「心配したよ、エリンちゃん」
彼らに一礼するも、エリンは歩き続ける。快気祝いに一緒に食べようと誘ってくれる兵に、笑みを乗せて断った。そして、彼女は辿り着く。
前と同じ、食堂の最奥の席――そこに、ベオウルフはいた。
相変わらずの気怠げな空気を纏いながら、彼は一人で食事をしていた。
昼だと言うのに、机の上には白ワインが注がれたグラスが乗っている。夕食とは違い、ボトルは無いのが一応彼なりの線引きなのかも知れない。
以前のエリンなら昼間からの飲酒に眉を顰めただろうが、今はそんな気は起きない。凪いだ心のまま、ベオウルフの前に立つ。
エリンの登場を、彼はとっくに察知していただろう。特に慌てる仕草もなく、切り分けた塩焼きの鶏肉を黒パンの上に乗せる。
しかし、エリンを無視するつもりもなさそうだ。ベオウルフは黒パンを皿の上に乗せて、こちらを見上げた。その目に敵意は無い。
彼が口を開く前に、エリンが声を放つ。
「お久しぶりです」
それを開戦の合図だと受け取ったのか、周囲の兵たちに緊張が走った。何人かはすぐに止められるように、さりげなくエリンたちの近くにまで席を移動し出す。
対して、ベオウルフは静かだ。
やはりこの程度で動揺する男では無い。軽く右手を上げてエリンへと話しかける。
「よぉ。怪我の具合はどうだ?」
「ええ、完治しました」
そう言ってエリンは左腕を晒す。銀の腕輪の先にある皮膚には、痣の一つもない。きめ細やかな肌があるだけだ。
左腕の痺れが消えた時から、エリンは再び母の腕輪を通していた。安心感のある重みが精神や肉体にも作用したのか……あれほど濃く広がっていた痣は、みるみると消え去ったのだ。
エリンの左腕を確認すると、ベオウルフはニヤリと笑う。
「そりゃ良かった」
からかうような声音の裏に、わずかな安堵が混じっていた。彼なりに気にしていたのだろうと、エリンは気付いた。
以前の彼女なら、きっとそれを見逃していた。嫉妬と嫌悪で目を曇らせていたから。彼の仕草や言葉使い、表情――全てを憎しみを持って受け取っていた。
今日のエリンはベオウルフを前にしても落ち着いている。思考を歪ませた偏見も無い。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
ベオウルフに向かい、深々と頭を下げる。
「これまでの数多くの無礼、お許しください」
エリンの謝罪が、食堂にざわめきを呼ぶ。周囲の兵士たちは、驚きの目を隠せなかった。呆気に取られる者、食い入るように見つめる者、夢かと疑ったのか頬をつねる者――様々な反応を見せる。
ベオウルフは何も言わない。黙ったまま、頭を下げるエリンを眺めている。やがて、大袈裟に息を吐いた。
「まぁ、座れ。こっちだ」
自分のすぐ隣の椅子を指差す。
「昼飯まだだろう。食ってから姫さんの所に行きな」
謝罪を受け入れたのか、それとも流したのか――はっきりとは、わからない。けれど、ベオウルフの声はいつも通りだった。
「嬢ちゃんが負けたら、俺が好きにしていい――そう言ったよな」
たちまちエリンの体が強張る。冷静でなかったとはいえ、とんでもない提案をしてしまったと後悔したのだ。
年頃の娘が、大勢の前で「好きにしていい」などと口にするなんて――はしたないにもほどがある。
けれど、エリンはそれを実行せねばならないのだ。たとえそれがどんなに理不尽な命令であっても。
表情を暗くさせるエリンを、ベオウルフは愉快そうに笑った。
「だから、一緒に飯を食おう」