最後まで見てもっと見たいとかあったらコメントください!
その時考えます
一応あと3〜5話くらいで一区切りの予定です。
ドーム公演を間近に控えたある日、苺プロダクションの社長室は、かつてない重苦しい空気に包まれていた。
机の上に置かれた一本の検査薬。そこに示された二本の線が意味する真実を前に、斉藤社長は頭を抱え、ミヤコは呆然と立ち尽くしている。
「……アイ、お前、これはどういうことだ」
社長の絞り出すような声。
その緊迫した空気の真ん中で、当事者である星野アイは、どこか他人事のように、隣に立つ栞のジャケットの裾をぎゅっと握りしめていた。彼女の瞳の星は激しく揺れ動いている。恐怖、不安、そして——。
「子供ができたの。私、産みたい。アイドルもやめないで、この子たちも隠して育てる。……ねぇ、栞くん、ダメかな?」
アイは社長ではなく、真っ直ぐに栞を見上げた。その瞳は、助けを求める迷子のようでありながら、同時に絶対に引き下がらないという強固な意志を宿している。
栞は深くため息をつき、眼鏡の位置を直した。彼の脳裏には、事務員としてこれから処理しなければならない山のようなトラブル、違約金、世間からのバッシングのシミュレーションが瞬時に浮かんでいた。普通なら、アイを説得して諦めさせるか、激昂する場面だ。
だが、栞はアイの震える指先をそっと自分の手で包み込み、社長に向き直った。
「社長。アイの意志は固いです。俺が責任を持って、事務方として全ての根回しを行います。活動休止の理由は『体調不良による静養』。極秘に出産できる病院の手配も、俺のツテで進めます」
「栞、お前……! これがどれほどのリスクか分かってんのか!?」
「分かっています。ですが、俺が彼女をサポートすると決めたあの日から、俺の最優先事項は『星野アイの幸福』です。彼女が産むと言うなら、それを現実にするのが俺の仕事です」
栞の淡々とした、けれど一切の迷いがない声。
その言葉を聞いた瞬間、アイの胸の奥で、ドクンと大きな鼓動が跳ねた。
(ああ、やっぱり。やっぱりこの人だ。世界中が私の敵になっても、栞くんだけは、私の味方でいてくれるんだ)
アイは心の中で、狂おしいほどの歓喜に震えていた。
子供の父親の男なんて、もうどうでもよかった。愛なんて求めてみたけれど、結局自分を本当に満たしてくれるのは、目の前にいるこの地味で、不器用で、誰よりも誠実な事務員だけなのだ。
数週間後。アイの活動休止が発表され、彼女は世間の目を逃れるために、栞が用意した田舎の隠れ家的なマンションへと移り住んだ。
安全のため、そしてアイの精神的なケアのため、栞もまた、その部屋で彼女と半同棲のような形で生活を始めることになった。
「しーおりくん! お腹、ちょっとぽっこりしてきたの、分かる?」
夕暮れ時。仕事を終えて隠れ家に帰ってきた栞を出迎えたのは、エプロン姿のアイだった。まだそれほど目立たないお腹を愛おしそうに撫でながら、彼女は玄関先で栞に飛びついた。
「危ないから走るな。……体調はどうだ?」
「栞くんが帰ってくるまでは、ちょっと寂しくてウズウズしてた。でも、今は満点! ほら、早く入って。今日ね、栞くんのためにご飯作ったんだよ」
アイは栞の腕に絡みつき、リビングへと引っ張っていく。
並べられた料理は、少し形が不揃いだったが、彼女が一生懸命作ったことが伝わってくるものだった。
嘘で固められた華やかな世界から、一転して、静かで狭い二人だけの空間。
テレビから流れるニュースも、SNSの声も、今のアイには届かない。ここにあるのは、栞の体温と、二人の呼吸の音だけだ。
「ねぇ、栞くん。私ね、今すごく幸せ」
食後、ソファで栞の膝の上に頭を乗せ、アイはとろけるような笑顔を浮かべた。
栞の手が自然と彼女の髪に触れ、優しく梳いていく。その心地よさに、アイは小さく喉を鳴らした。
「アイドルをお休みするのは悔しいけど……こうやって、毎日栞くんと一緒にいられるなら、ずっとこのままでもいいかもって思っちゃう」
「馬鹿なことを言うな。ファンが君を待っている。ドームのステージに戻るんだろう?」
「うん、戻るよ。でもね、私がステージで輝けるのは、ここに栞くんっていう『お家』があるって分かったからだよ」
アイは起き上がり、栞の首に両腕を回した。至近距離で見つめ合う。
彼女の瞳の星は、かつてないほど深く、そして妖しく煌めいていた。
「子供たちが生まれたら、私、もっともっと強くなる。だからね、栞くん。この子たちの父親は関係ない。私の本当の『家族』は、栞くんだけだよ。……ねぇ、私から離れたら、絶対に許さないからね?」
相手を自分に依存させたいと願いながら、その実、自分という存在の全てを彼に委ね、彼なしでは一歩も動けない身体になっている。
アイの放つ「構って欲しいオーラ」は、この閉ざされた部屋の中で、より濃密な、逃れられない『愛の契約』へと昇華していった。
栞は何も言わず、ただアイの華奢な身体を強く抱きしめ返した。
その温もりこそが、アイにとっての唯一の真実だった。