TCGで全てが決まる世界に転生した物語 作:国家公務員K
影は消滅した。
正確には消滅ではない。
闇遊戯に敗北した事によって、契約していた怪異との接続が断たれたのである。
黒い霧が崩れ、校舎裏を覆っていた異様な空気が薄れていく。
同時に、巨大な盤面もまた光の粒となって消散した。
神代文字が消える。
光輪が消える。
神域が閉じる。
それはまるで、最初から何も存在しなかったかのようだった。
「対象沈黙を確認」
公安職員の一人が淡々と告げる。
「侵食率ゼロへ移行」
「封鎖結界、通常状態へ復帰」
「現場安全確認」
「二次災害の可能性なし!」
飛び交う報告。
誰も騒がない。
誰も安堵しない。
まるで交通事故の処理でもしているかのような慣れた様子だった。
末子は呆然とその光景を見つめていた。
つい数分前まで。
世界の終わりみたいな光景が目の前にあったはずなのだ。
であるのに、公安の人間達は淡々と作業を続けている。
「回収班どうぞ」
「了解」
数名の職員が前へ出る。
地面に残った黒い染み。
影だったもの。
怪異の残滓。
呪物の破片。
それらを特殊なケースへ収納していく。
「……え」
末子は思わず呟いた。
「終わったんですか?」
怪異。
闇遊戯。
遊戯者。
末子にとっては、テレビの向こう側にあるはずのもの。
それらがすぐ目の前で起きていたのだから───
「失礼いたします」
声を掛けられ、末子は肩を震わせた。
振り返る。
公安の腕章を付けた男性職員だった。
年齢は三十代後半ほど。
落ち着いた様子で手帳を開いている。
「お怪我はございませんか」
「え……あ、はい」
「気分が悪い、頭痛がする、吐き気がある等の症状は」
「た、多分大丈夫です」
「かしこまりました」
職員は手帳へ何かを書き込む。
その動作は落ち着いていた。
まるで災害現場の確認作業をしているようだった。
「本件につきましては、後ほど事情をお伺いいたします」
「事情聴取……ですか?」
「任意でございます」
職員は穏やかに訂正した。
「ただし、本件は闇遊戯事案に該当いたしますので、可能な限りご協力いただけますと幸いです」
末子は曖昧に頷いた。
そして視線の先。
相変わらず気怠そうな顔で立つ牧間修司と、熱心に話し込むスネグーラチカの姿があった。
***
公安という組織に対して、末子が抱いていた印象は極めて曖昧なものであった。
ニュースでは聞く。
映画やドラマでもたまに登場する。
それこそ、何か大きな事件が起きた際には必ずと言って良いほど名前が挙がる組織である。
しかし、それだけだ。
市役所であれば住民票を取りに行く場所だと知っている。
警察署であれば落とし物を届ける場所だと知っている。
消防署であれば火事を消す場所だと知っている。
では公安とは何なのか?
そう問われた時、末子は何一つ答えられなかった。
だからこそ、車窓から見えた巨大な庁舎を前にしても実感が湧かなかった。
ここがその公安の施設である。
説明を受けているにも関わらず、どうにも現実味が薄い。
公用車が地下搬入口へ入る。
秘密のトンネルでもなんでもなく、
機能的な地下駐車場。
建物の中は外から見た時には分からなかったが、思っていた以上に広かった。
白色灯に照らされた空間。
整然と並ぶ公用車。
壁面へ埋め込まれた監視カメラ。
何処を見ても無駄な物が存在しない。
「降りてくれ」
先導していた職員───牧間修司が短く告げる。
末子は慌てて車外へ出た。
そこは空気が違った。
地下だからではなく、
冷房の効き過ぎでもない。
余りに静か過ぎるのだ。
人の気配はある。
忙しなく働く職員も沢山居る。
固定された電話が鳴っている。
端末を操作する音も聞こえる。
それなのに無意味な騒がしさというものが存在しない。
末子の知る設備の筆頭格、学校とは真逆だった。
誰も大声を出さない。
誰も突発的に走り回らない。
誰も無価値な雑談をしない。
まるで全員が自分の役割だけを果たすために配置された歯車のようであった。
末子は僅かに肩を竦める。
居心地が悪い。
別段、睨まれている訳ではない。
敵意を向けられている訳でもない。
それでも、自分だけが場違いな場所へ迷い込んでしまったような感覚が消えなかった。
エレベーターへ向かう途中、廊下で何人もの職員とすれ違う。その度に繰り返される挨拶。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
明らかに年上の職員。
制服警察官も居る。
事務職らしい者も居る。
技術職と思しき者も居る。
所属も年齢も立場も違う。
それなのに誰もが当然のように牧間へ頭を下げていた。
自然と声が飛ぶ。
向けられている先は末子ではなく、当然ながら牧間である。
もっとも、それ自体は不思議ではなかった。
先の一件を見ている。
怪異を前にして平然としていた男だ。
闇遊戯対策課という聞いただけでも物騒な部署に所属している。
かなり偉い人なのだろう。
だが、こういう人間関係のバランスにおいて、とても繊細なセンサーを持つ末子には感じ取れた。
その挨拶には僅かながらの違和感があった。
上司へ向ける敬意とも少し違う。
英雄を見る目とも違う。
強いて言うなら。
「ああ、今日も生きているな」
そんな確認に近かった。
末子は何となく理解する。
この男は公安の中でも異質な存在であるのだ、と。
それも恐らく、かなり悪い意味で。
そう考えていると、牧間が不意に振り返った。
「どうした」
「い、いえ」
「顔色悪いぞ」
「そりゃ悪くもなりますよ」
思わず本音が漏れた。
牧間は少しだけ笑う。
「安心しろ」
「何がですか」
「ここに居る連中は全員公務員だ」
「それ安心材料になります?」
「なるだろ」
ならない。
少なくとも末子にはならなかった。
むしろ余計に怖い。
市役所の職員ですら怒らせたくないのに、その上位互換みたいな人間ばかりが集まっているのである。
そんな事を考えている間に、エレベーターが停止した。
重い音を立てながら、鉄の扉が開く。
その先には長い廊下が続いていた。
窓は無く、落ち着きのある灰色の壁。
等間隔に並ぶ扉。
そして、静寂。
病院にも似ている。
刑務所にも似ている気がする。
だが、どちらとも違う場所。
それが公安だった。
国家が国家であるために存在する組織なのか。
と、末子は推測をし始めた。
やがて一枚の扉の前で牧間が足を止める。
「入れ」
短く告げる。
扉の向こうからは人の話し声が聞こえていた。
部屋の上部に取り付けられた事情聴取室の板。
恐らく人生で最初で最後になる部屋。
そう思いながら、末子は小さく唾を飲み込み、足を踏み入れた。
事情聴取室は末子の想像通り、無機質で冷たい場所だった。
蛍光灯に照らされた狭い部屋。
机が一つ。
椅子が二つ。
刑事ドラマでよく見るような取調室。
何も悪い事をしていないのに、酷く緊張した。膝の上に置いた両手を何度も握り直して気を散らせる。
机の上には湯呑が置かれていた。
香りの良い茶だったが、末子には味を楽しむ余裕は無い。
やがて扉が開いた。
入ってきたのは三十代後半ほどの男性職員だった。
牧間とは対照的に柔らかな笑みを浮かべている。
少なくとも威圧感は無い。
「お待たせしました」
職員は書類を抱えたまま向かいへ腰掛けた。
「それでは確認だけ済ませましょう」
その後の内容は末子が想像していた通りだった。
事件発生時の状況。
影を最初に発見した時の様子。
スネグーラチカとの接触。
牧間修司との会話。
どれも確認作業に近い。
既に現場映像や記録は残っているのだろう。
末子が答えるたびに職員は淡々と書類へ記入していく。
思っていたほど怖くはない。
そう思い始めた頃だった。
末子はずっと気になっていた事を口にした。
「……あの」
「はい」
「スネグーラチカ……さんは大丈夫なんですか?」
職員は少しだけ表情を和らげた。
「ええ、問題ありません。現在は病院で検査を終え、無事に保護されています」
「因みに、怪我も無かったようですよ」
末子は胸を撫で下ろした。
それだけ聞ければ十分だった。
少なくともスネグーラチカは無事らしい。
だが職員は続ける。
「もっとも、元々保護対象ではありましたが」
「保護対象?」
末子が首を傾げる。
職員は一度言葉を選ぶように視線を落とした。
「彼女には少々特殊な事情がありまして」
数秒の沈黙。
そして静かに続けた。
「穂刈家の「おい、早く進めろよ」」
後半部分は苛立った牧間の声で掻き消されたが、確かに聞こえた。
そして、末子は一瞬理解できなかった。
穂刈。
父の苗字だ。
「……穂刈?」
「はい」
職員は頷いた。
「ですが、もう時間が。私からは以上とさせていただきます。それでは牧間さん、戻りますよ」
末子の思考が止まった。
そんな話は初耳だった。
だが職員の様子を見る限り冗談ではない。
帰ろうとする職員の背中に向けて末子は声を投げかける。
「待ってください!スネグーラチカが保護って!それは……」
穂刈のと、とは続けられなかった。
自分も穂刈の……だろう。
それなのに、何かスネグーラチカとの間に格差がある。
その現状は理解出来る。
だが、自分の気持ちが分からない。
そんな言葉足らずな声掛けであったが、
運良く、職員は意図を取り込んでくれた。
「ええ。そのため、スネグーラチカさんは関係各所で警戒対象となっています」
「だから牧間さんが?」
「それも理由の一つです」
職員は頷く。
「もっとも、直接の理由は別件ですが」
「別件?」
「申し訳ありません」
職員は苦笑した。
牧間から発せられる威圧感はただですら強いものだが、この質問の際、更に激しく高まった。
「その件についてはお答えできません」
牧間をどうどうと宥める職員は、穏やかな口調で回答した。しかし、それ以上は絶対に話さないという意思も感じるものであった。
末子は僅かに唇を尖らせた。
追及しても無駄なのだろう。
実際、既に職員は次の書類へ視線を落としていた。
結局、その日の事情聴取はそこで終了した。
末子が帰宅を許された頃には、外はすっかり暗くなっていた。
***
同日。
東京都千代田区。
既に日付は変わろうとしていた。
執務室の窓から見える霞ヶ関の夜景だけが、まだ眠っていない。
蛍光灯の白い光。
積み上がった書類。
冷め切った缶コーヒー。
伸び切ったカップラーメン。
そして、机に突っ伏した男が一人。
「……帰りてぇ」
公安闇遊戯対策第一課課長。
牧間修司。
国内最強クラスの神札遊戯者として知られる男は、今まさに魂が抜けかけていた。
本日の勤務時間はなんと二十一時間三十二分。
流石に死ねる。
心の中でそう呟きつつ、机へ額を押し付けながら現実逃避していると、向かい側から紙束が飛んできた。
本来であれば、牧間程の神札に愛された男ならば紙束どころか戦車の砲弾すらもその身に届く事なく、強力な加護の力によって弾かれる。
が、今回は違った。
庇護者である処刑武者も素知らぬ顔でそっぽ向く。
紐で綴られた紙束が牧間の後頭部へ直撃した。
鈍い音が鳴る。
牧間は顔も上げずに呻いた。
「パワハラだ」
「違うよね」
「暴力だ」
「違うよね」
「じゃあアレだ」
「指導だよね」
牧間はゆっくり顔を上げた。
向かいには己よりも若く見えるスーツ姿の男───霞ヶ関官吏と、ソレに撓垂れ掛かる美女の姿。因みに、女の方はその体勢のまま片手で薄型ノートパソコンのキーボードを叩き、仕事をこなしている。
霞ヶ関官吏が言った。
「牧間くんさぁ、今日の例の件に関する報告書はまだ?」
国家安全保障局次長。
全世界に存在する神札遊戯関係者の中でも指折りの大物。
昔は憧れていた存在。
だが今の牧間にとっては昔から面倒事ばかり持ち込んでくる上司でしかなかった。
「報告書」
机をトントンと叩きながら煽るように言う。
霞ヶ関にとっても本日発生したスネグーラチカの一件は大事であったのだ。
「後で出す」
「今出してよね」
「嫌だ」
「なんで?牧間くんホント反抗期だよね」
「眠い」
霞ヶ関は深々と溜息を吐いた。
その様子を見ながら牧間も椅子へ深く身体を沈める。
しばらく沈黙。
やがて牧間が口を開いた。
「で」
「なに?」
「黒檀の魔女は死んだんじゃなかったんスか」
空気が変わった。
先程までの軽口が嘘のように消える。
霞ヶ関は数秒黙った後、静かに答えた。
「死んでいる。そのハズだったんだけどね」
「じゃあ何スか、アレ」
「残滓だろうね」
「希望的観測じゃなくて?」
「う〜ん、ぶっちゃけ、願望込みかな」
牧間は頭を掻いた。
嫌な予感しかしない。
こういう時の霞ヶ関は大抵外れる。
そしてその尻拭いをするのは現場か、世界最強の竜崎陸。
いつだってそうだった。
「いいですか、カンリさん」
牧間は机に肘をつく。
「俺はただの公務員なんスよ」
間髪入れずに霞ヶ関が吹き出す。
本当にジョークが上手いと笑いつつ、
「世界中の怪異が我々をそう認識してくれれば助かるんだけどね」
霞ヶ関は机の引き出しから一冊の分厚いファイルを取り出した。
無造作に机の上へ置く。
表紙には赤字。作成年度は30年前。
奇しくも、牧間が産まれた年だった。
『黒檀の魔女関連事案』
牧間はそれを見た瞬間、心の底から嫌そうな顔をした。
全てを察したからだ。
「嘘だろ……」
「残念ながら現実だね」
「明日は日曜日スよ」
「そうかぁ〜」
「そうかぁ〜じゃねぇ!はぁ……」
「安心しなよ」
霞ヶ関は珍しく穏やかに笑った。
「当然、私も休みじゃぁない」
「安心できる要素どこスか」
そのまま翌昼まで国家安全保障局の一室では、二人の疲れ切った公務員が揃って残業していた。
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