TCGで全てが決まる世界に転生した物語 作:国家公務員K
中学校での闇遊戯事件から一週間後。
人生で一度遭遇するかどうかも分からない出来事に巻き込まれたにも関わらず、日常というものは容易に元の姿へ戻るらしい。正直言って、驚きを隠せない。
校舎裏は以前と全く変わらない。
昼休みになれば運動部の生徒が走り回り、放課後になれば帰宅部の生徒が自転車置き場へ直行する。
怪異の気配など欠片も無い。
公安の姿も勿論無い。
あの日、確かに校庭を覆っていた黒い霧も、神代文字も、腐敗していく結界も、全て夢だったのではないかと思えてしまうほどであった。
もっとも、末子にとっては一部引き摺っている部分がある。とはいえ、致し方ないだろう。まだ中学生、それも初年度の十三歳なのだ。
夜、一人になると思い出す。
眠ろうとして目を閉じると、どうしても脳裏へ浮かぶ。
闇遊戯。
怪異。
そして、あまりにも慣れた様子でそれらを処理していた公安の職員達。
世界には自分の知らないものが存在する。
そんな当たり前の事実を、末子は初めて実感したのだった。
その日も学校から帰宅した末子は、玄関で靴を脱ぐなり、そのまま二階へ上がり自室へと向かった。
木製の扉を開けた先に広がっているのは、およそ中学生の部屋とは思えない空間だった。
壁紙は、一切の生活感を排した純白。
遮光性の高い厚手のカーテンは、静謐な淡い水色。
ベッドも棚も、すべて同系色の寒色調で統一されている。
同級生たちの部屋にあるような、可愛らしいぬいぐるみや流行のキャラクターグッズ、あるいは色鮮やかなスクールライフの断片は、ここには一切存在しない。
学生の象徴たる学習机すら見当たらない。
中学生特有の瑞々しさや子供っぽさは綺麗に削ぎ落とされ、どこか冷徹な美意識さえ感じさせるその部屋は、都心の高級ワンルームマンションで一人暮らしをしている女の部屋と遜色無い。
末子の城とも呼べる空間の中心には大型の三面鏡付きドレッサーがある。通学鞄を適当に放り投げた末子は、圧倒的な存在感を放ちながら鎮座する鏡に向かって、慣れた足取りで向かう。
三方向から向けられる鏡の視線の中心に、見慣れた少女の笑顔が佇んでいる。
父親から引き継いだ、鮮やかな勿忘草色の長い髪。
大人の女性を思わせる、すっきりと通った鼻筋。
陶器のように滑らかな白い肌。
十三歳という年齢を完全に置き去りにした、人形めいて完成された顔立ち。
母親は昔から、自慢げに笑って言っていた。
『女に嫌われるなんて、美人の勲章じゃない?』
小学生の頃から、否、それ以前からその言葉の真理を理解していた。他者との関わりが増えて以降、経験則に基いて割と正しいと本気で思っている。
実際、末子は学校という狭い箱の中で徹底的に嫌われている事を自覚している。
女子からも、男子からも、そして彼らを管理する教師からも、だ。
理由は至極単純である。
ただそこにいるだけで目障りだからだ。
平伏もしない、傷付きもしない、自分たちより遥かに『格上』の存在が教室に混ざっていることが、彼等には我慢ならないらしい。
だが、その悪意に満ちた孤立に、末子が傷付いたことはただの一度も無かった。
むしろ、これ以上ない極上の娯楽だとすら思っている。
自分という歪な異物を投入することで、人間という矮小な生き物がどれだけ醜く、どれだけ感情的に動くのかを特等席で観察できるからだ。
末子はドレッサーの引き出しを開け、一冊のノートを取り出した。
硬質な表紙の、分厚いリングノート。
表紙に題名や名前は一切無い。だが中身を開けば、それが何を意味するのかは一目で分かった。
彼女が構築したクラスの『人間関係図』だ。
誰と誰が繋がっているか。誰が誰を心の底で嫌悪しているか。
誰がどのグループのトップに立ち、誰がそのアバターに過ぎないか。
誰が誰に身の程知らずな好意を抱き、誰がいつ裏切りそうか。
そして、
───誰が一番、都合良く利用出来る駒であるのか。
おぞましいほどの執筆量で書かれたその情報群は、色分けされた細い線と几帳面な文字によって、まるで精密なデータベースのように整理整頓されていた。
末子は指先でペンを滑らかに回しながら、今日学校で収穫した新しい情報を書き加えていく。
スクールカーストの中層部にいるBグループの女子三人。自身の立ち位置を理解しないまま、末子のお気に入りであり、クラスカーストの頂点たるスネグーラチカと関わろうとした馬鹿共である。
仕込んだ通り、昨日から急激に内輪揉めを起こしていた。原因は一人の男子。
「やっぱりね。本当に、予想通り」
人間は本当に分かりやすい。自分の敷いたレールの枠から一歩も出ず、愚かに擦り切れていく。そう思うと、自然と人形のような口元が愉悦に緩んだ。
その刹那、
───ほんの僅かな一瞬。
たった一秒にすら満たない瞬間であった。
ふと、ペンを握る脳裏に、あの悍ましい黒い霧の残像がフラッシュバックした。
どす黒く腐敗していく校庭。
空に浮かんだ、見たこともない禍々しい神代文字。
内側からボロボロと崩壊していく結界の気配。
そして、
『貴様の知るルールは死んだぞ』
世界を嘲笑うような、あの異形の影の声。
カツリ、と末子の手が止まる。
静止したペン先が、ノートの白ページに小さな、しかし歪な黒いシミを作った。
「ハァハァ……チッ」
過呼吸を起こす脆弱な自分。
そんな弱者の如き無様な自身に対する不快極まりない舌打ちが、静かな部屋に木霊した。
気に入らない。実に気に入らない。
たかが一週間前の、一瞬の出来事だというのに、未だにこうして日常の隙間を縫って頭の中へ侵入してくる。
人間のドロドロとした感情なら理解出来る。
感情の整理だってしっかりと付く。
計算も、打算も、嫉妬も、すべて彼女の観察眼の範疇だ。
だが、あの空間だけは完全に違っていた。
自分が全く知らない世界。自分の精密な人間観察という外側の、更に遙か彼方。
そして何より───あの圧倒的な威圧感を放つ怪異の前で、自分はただ震えることしかできなかったという、絶対的な……そう、無力という事実。
その事実が、末子のプライドを激しく逆撫でし、猛烈に腹を立たせる。
末子は乱暴にペンを机に置いた。
苛立ちのままに彷徨った視線が、ふと、机の端で静かに佇む神札へ向いた。
そこに記載されているのは、勿忘草色の飲み物のイラストとたったの五文字。
『清涼飲料水』。
母が父から奪い、そして巡り巡って自分の手元にある、たった一枚の神札。
末子は細い指先でそれを摘み上げる。
どこにでもある、分厚い紙の無機質な質感を備えた、何の変哲もない神札。
少なくとも、あの日まではただの形見か玩具だと信じ込んでいた。
しかし、末子にとって世界は変わった。否、末子が世界を知ってしまったのだ。
怪異を法と手続きで淡々と処理していた、あの冷徹な公安の大人達。
世界の裏側で歴史を歪めてきたという怪異と闇遊戯の存在。
そして、その全ての根底にある神札遊戯という神事。
あの闇遊戯を境に、ただの玩具だったはずの『清涼飲料水』は、その玩具───否、神札に対する価値観は足元から揺らぎ始めていた。これは本当に、ただの玩具なのだろうか、と。
三面鏡の中の少女が、見たこともないほど不機嫌そうに眉を顰めている。
末子はその自分の顔を鏡越しに見つめ返し、肺の底に溜まった熱を吐き出すように、小さく息を吐いた。
思考を切り替えるように、机の上に積まれていた郵便物の束へ無造作に手を伸ばす。
大半は母親宛てのダイレクトメールか、自分への味気ない通知表の案内だ。
しかし、その無機質な紙の束の中に、一通だけ、明らかに異質な雰囲気を放つ見慣れない封筒が混ざっていることに気付いたのは、その直後のことだった。
差出人は神札遊戯連合会。
白地に青色のロゴが印刷された、何処にでもありそうな事務的な封筒である。
特別な装飾は無い。
公安から届く書類のような物々しさも無い。
裁判所からの通知のような威圧感も無い。
強いて言うならば、自動車保険の更新案内や健康保険組合から送られてくる書類に近い印象を与えるものであった。
とはいえ、まだ中学生である末子にはその絶妙なニュアンスをここまで言語として表現する事は不可能であるが。
「何これ」
どうしても中身を確認したい欲望に取り憑かれた末子は着替えるよりも先に封を切った。特に胸周りがパツパツの制服姿のまま封筒から紙を取り出す。
神札遊戯連合会。
名前くらいは知っている。
知らない日本人の方が少ないだろう。
神札遊戯を扱う番組を観ていれば嫌でも耳に入る。
全国大会。
プロライセンス。
世界ランキング。
神札遊戯に関する制度や競技運営を統括する巨大組織。
学校の教科書にすら載っているほど有名な団体である。
もっとも、それだけだ。
末子にとってはテレビの向こう側の存在でしかない。
少なくとも自分とは縁の無い世界の組織である。
そう思いながら封を切る。
中から現れたのは数枚の案内資料や小冊子であった。
『神域災害被害者支援制度のご案内』
『闇遊戯遭遇者向け相談窓口』
『心身ケア及び生活支援プログラムについて』
末子は何気なく表紙へ目を落とし、僅かに目を瞬かせた。口も半開きで固まっている。
最初は何のことか理解出来無かったからだ。
されど、暫くすると段々全体の容貌が見えてきた。
「なるほどね」
納得する。
先日の事件だ。
校舎裏で遭遇した怪異。
そこで行われた闇遊戯。
スネグーラチカのついでに末子も保護した公安。
その後に行われた事情聴取。
新聞に取り上げられ、連日、ニュースになる程、大騒ぎになったのだ。
一連の流れを時系列順に思い返しつつ、末子は頷く。
こうした案内が届く事自体は不思議ではない、と。
「結構ちゃんとしてるのね」
大人の組織を公安以外知らない末子は当たり前の事を呟く。
というのと、末子は連合会からのこういったパンフレットの文面すら、役所的な書類を想像していたのだから。
実際には違う。
文章は驚くほど柔らかかった。
挿入されたイラストは相談員らしき人物が被害者へ寄り添うように話を聞いているものばかりだった。
『この度は大変な経験をされた事と存じます』
『ご不安な事がございましたらお気軽にご相談ください』
『参加費は無料です』
『保護者の方とご一緒でも構いません』
『無理な勧誘等は一切ございません』
誰しもが知る印鑑と連合会のゆるキャラである『巫女にゃん』が無ければ、怪しい健康食品の通販と遜色無い程である。
「まぁ暇だから行ってあげてもいいかしら」
そんな感想すら浮かぶ。
末子は椅子へ腰を下ろしながら頁を捲る。
心理相談。
医療支援。
法律相談。
生活再建支援。
神域災害や闇遊戯事案へ巻き込まれた一般市民を対象とした共済制度についての説明が続いていた。
思っていたものと違う。
もっと競技団体らしい案内だと思っていたのだ。
大会。
プロ選手。
スポンサー。
そういった話ばかりだと思っていた。
しかし、書かれている内容は保険会社の事故対応窓口に近かった。
『一人で抱え込まないでください』
『私たちは被災者とそのご家族を支援します』
『相談は無料です』
どの文章も穏やかで、どこか温かい。
末子は自然と肩の力が抜けるのを感じた。
闇遊戯。
怪異。
公安。
そうしたものに触れて以来、自分でも気付かないうちに緊張していたのかもしれない。
少なくとも、この冊子を作った人間は被害者へ寄り添おうとしている。
それだけは伝わってきた。
そして最後の頁を開いた時だった。
末子は小さく首を傾げた。
『本部来訪のお願い』
そう書かれていたのである。
相談窓口の紹介ではない。
電話番号でもない。
東京本部での面談を希望する旨が丁寧な文章で記載されていた。
会場は東京都千代田区。
神札遊戯連合会本部。
開催日時は土曜日。
内容は被害者説明会及び個別相談。
参加費無料。
途中退席可。
そこまで読んだところで、末子は封筒へもう一度視線を落とした。
少し大袈裟ではないだろうか。
そう思わなくもない。
ただ、悪い気はしなかった。
むしろ驚いていた。
たった一度、事件へ巻き込まれただけの自分に対して、ここまで手厚い対応をしてくれるものなのか、と。
連合会という組織はもっと冷たい場所だと思っていた。
競技者だけを相手にする団体だと思っていた。
しかし実際は違うらしい。
神札遊戯に関わる人間全体を支えようとしている。
そんな印象を受けた。
故に、ほんの少しだけ。
あの日見た世界の事を知りたいとも思った。
テレビの向こう側にしか存在しなかった筈の世界。
牧間修司。
スネグーラチカ。
闇遊戯。
そして、穂刈という、自分の父親の名前が当たり前のように飛び交っていた世界。
末子は案内状を机の上へ置いた。
窓の外では夕陽に照らされた住宅街が橙色へ染まり始めている。
クローゼットを開けながら、何気なく思った。
少しだけ行ってみようかな、と。
その時の末子は知らない。
全国八千万超の競技人口を抱える巨大組織が、一介の中学生一人のためだけに本部面談を用意する理由など、本来どこにも存在しないという事を。
ましてや、この日、連合会本部で回覧されていた資料の表紙に、自分の名前が記されていた事など知る由もなかったのである。
【閲覧後の皆さまへ】
1 本作品を閲覧した際は、「お気に入り」及び「評価付与」を行う。
2 必要に応じて、「推薦」又は「感想」の投稿を行う。
3 継続して閲覧する場合は、閲覧箇所を記録するため、「しおり」を設定する。
上記の行動を推奨する。