TCGで全てが決まる世界に転生した物語 作:国家公務員K
扉の向こう側で待っていたのは、一人の男であった。
歳は40台半ば。
ストライプ柄の黒スーツと香煙の匂いを身に纏い、応接ソファにどっかりと足を組んで座っている。
熊のようにガタイのいい男だった。
男が末子を確認すると、その強面の顔で鬱陶しそうに睨み付け、そして、溜息を吐いた。
一方、末子は思わず吹き出した。
恐怖するのでもなく、首を傾げるのでもなく、笑ったのだ。
どう考えても役所の職員ではない。
同時に、自身がイメージする神札遣いにも合致しない。
寧ろ、犯罪者。
そう、それも凶悪犯にしか見えないのだ。
余りに場違いな悍ましいまでの威圧感に案内された場所を間違えたでは無いかと不安にすらなってきた。
「───おう、お嬢ちゃん。いや、穂刈の娘か。よく来たな」
「部屋は本当に合っているのですか?」
男は豪快に笑い、机の上に置いてあった高級な菓子をボリボリと貪りながら、末子の白と淡い水色の服をじろりと眺めた。
「……あなた、誰ですか。ここは被害者面談の場所のはずですが」
気圧されそうになる男の威圧感を末子は自身の傲慢なプライドで押さえつけ、冷徹に問い返す。男は面白そうに鼻を鳴らした。
「あぁ? オレ様も相談員だよ。……まぁ、あの赤髪のバカに『ピンッときたから様子を見てきてくれないか』とパシらされただけだがな」
「はぁ」
「あの野郎、他に駒なんて幾らでも居る癖に、昔のよしみでオレ様を便利屋扱いしやがる」
男に末子が問い掛けると、内容の大半が愚痴にまみれてはいたが、相談である旨を答えた。
目の前の男の言った事を信じるのであれば、赤髪のバカとやらは、こんな粗野な見た目の男を重宝するホンモノのバカのようだ。
「で、お嬢ちゃん。お前、神札は持ってねぇのか?嗚呼、適性が無いのか」
煽る様な口調で放たれたその言葉に、末子の目が冷たく据わる。だが男はそれを、最高のご馳走を見つけたかのように、ギラギラとした濁った目で笑い飛ばした。
「だが、その目つきはいい。合格だ。お前には社会のルール通りの綺麗な遊戯は似合わねぇ。オレ様の弟子になれ、お嬢ちゃん」
「あーー!もうほんっとイライラするわね。お嬢ちゃんじゃないわ。末子よ。名前で呼びなさい」
口調と表情だけは怒りに塗れているが、この表現こそ適切な距離感だと思った末子は、敢えて、素の状態を目の前の男に晒し……否、押し付ける。
案の定、男の瞳からは末子に対する評価がもう一段階上がっている事を示す輝きを確認出来た。
「ここだけの話だぜ。オレ様はよぉ、本当に飛び抜けたバケモンを発掘する能力は御国より赤髪の方が上だと思ってんだ。とは言え、あのバカの言う事は大半ノリと勢いだけだからこうしてオレ様が直に見なきゃいけねぇがな。兎に角、末子。お前は才能がある。御国が推してる雪女よりもずっと上だ」
男はそう言いながら、一枚の写真を指差した。
『第八十六回神札遊戯ヨーロッパ大会ジュニア部門』と記された真っ白な横断幕。その前に設置された表彰台の上で満面の笑みを浮かべる銀髪の少女。
男に視線を誘導されたまま写真を眺めた末子は思わず目を見開く。
───知っている。
そう、知っているのだ。
「スネグーラチカ……!?」
*****
「へクシュンッ……ううぅ」
一方その頃、スネグーラチカはというと、
全くもっての偶然であるが、
末子と同じく神札遊戯連合会本部に居た。
とは言え、それぞれの実力が違うように、用があるフロアも全然違う。
スネグーラチカが乗ったエレベーターは、静かな駆動音だけを残してゆっくりと地下へ向かった。
扉が左右へ開く。
張り詰めた空気が頬を撫でた。
地上の連合会本部とは空気が違う。
受付や講堂が持っていた行政施設らしい柔らかな雰囲気はなく、そこに広がっていたのは、競技施設として徹底的に整備された苛酷な世界だった。
白を基調とした長い廊下。
天井には等間隔に埋め込まれたLED照明が一本の線となって奥まで続き、壁には第一訓練室や第二解析室、映像記録室や医務室といったプレートが整然と並ぶ。
この廊下を歩くと、時折、ガラス越しに誰かの練習風景が見える。
今日は少し上の世代───高校生の日本ベスト5位の少年が神札を手に向き合い、職員らしき大人と共にタブレットを眺めながら何かを記録していた。
訓練室の床材は衝撃吸収仕様。
壁面には対神域障壁の刻印が施され、天井の至る所には観測用カメラが静かに首を巡らせている。
正式な競技施設。
その一言で片付けられるには、あまりにも金が掛かっている。
しかし、スネグーラチカにとっては、全て当たり前の日常風景と受け取っている。平然とした歩みで前へと進む。今日、スネグーラチカが呼び出された部屋は廊下の突き当たり。
そこには少しだけ模様が変わった自動扉がある。
厚い防音材を内蔵した大型スライドドア。
『特別訓練区画・第一シミュレーションルームと』いう控えめなプレートが僅かに光を反射していた。
スネグーラチカは首に掛けていた認証カードをかざす。
ピッという短い電子音。
ゆっくりと扉が左右へ開いていく。
その先は一段と本格的な室内競技場だった。
天井は三階分ほど吹き抜けになっており、中央には一辺二十メートルほどの正方形の競技フィールド。
白線で区切られた盤面の周囲には観測機材が並び、壁一面には巨大なモニターが設置されている。
現在表示されているのは神札遊戯の盤面解析。
カード使用履歴。
精神負荷。
共鳴率。
反応速度。
勝率推移。
実際に神札遊戯を始めれば、数値が絶えず更新され続ける機械郡。
それらを設置しても有り余る空間。
地下とは思えない程、広いフィールドの中央にスネグーラチカはぽつんと立って待っていた。
昔よりも手入れをするようになった銀色の髪。
最近、スキンケア用品を使用してもちもち感が増した気がする白い肌。
少し大きめの白いカーディガンを羽織り、袖を指先まで隠すように握っている。
誰かと話しているわけでもない。
神札を眺めているわけでもない。
ただ、静かに一人。
ぼんやりと天井を見上げていた。
スネグーラチカは廊下側の扉が開いた音に気付く。
ぱちり、と青い瞳が正面を見据えた。
そして、小動物のように少しだけ肩を震わせる。
「あっ……えっと……おはようございますデス」
小さな声だが、しっかりと挨拶をする。
欧州大会優勝経験者という肩書きから想像される傲慢さや、英雄らしい風格はスネグーラチカには一切無い。
そこにいたのは、人見知りで、誰かに話しかけられるだけで少し緊張してしまう、ごく普通の少女であった。
自動扉から入ってきたのは、白衣を着た解析官と、仕立ての良いスーツを纏った連合会の育成責任者だった。
彼らはスネグーラチカのその小動物のような態度に、どこか歪んだ満足感を覚えながら、手元の端末の数値をチェックする。
「体調は良さそうだな、スネグーラチカ。髪や肌のツヤもいい。ヨーロッパでの過酷な連戦から、日本の環境に順応できているようで安心したよ」
端末の画面には絶えず変化する数値。精神負荷、共鳴率、脳波の安定度───様々な要素を見つめながら、まるで高価な精密機械のコンディションを確かめるような、冷徹で硬質な視線をスネグーラチカに向けている。
大人の、どこか値踏みするような声に対して、スネグーラチカは一瞬だけ身を縮こまらせる。
それから、少し大きめの白いカーディガンの袖をきゅっと両手で握りしめ、消え入りそうな声で答えた。
「あ、はい……。その、お友達が、毎日私のことをすごく、気遣ってくれるので……。私、全然ダメダメなのに、その子がいつも、手を引いてくれて……」
恥ずかしそうに視線を落とすスネグーラチカの頬は、最近になって念入りにスキンケアを始めたこともあって、微かにチークが乗った人工的な血色の良さを帯びていた。
大人達は知らない。
彼女が毎晩、鏡の前で慣れない手つきで髪を梳かし、肌を整えている理由を。
それは、連合会とその利権者達が彼女に求めている、次世代の象徴としての美しさのためなどでは決してない。
ただ末子という新しい友人の為に。
中学校の教室という小さな水槽の中で、末子は誰よりも鋭い観察眼を持っている。そして、その能力を大いに発揮し、スネグーラチカがほんの少し気楽に過ごせるようにお膳立ててくれている───なんとなくそんな気がする末子の視線に応えたいから。
それだけの、あまりにも純朴で、ひたむきな理由だった。
スネグーラチカにとって、自分がヨーロッパのジュニア部門を制したことなど、ただの偶然か運が良かっただけのことだと常々思っている。
自分に対しては何の自信もなくて、だから、他人には興味があって。
それ以上に恥ずかしがり屋で、本当だったら今でも誰かの後ろに隠れていたいくらいなのに、周囲の大人たちは勝手に自分をバケモノだとかカイブツとして扱い、遠巻きに冷たい数字で測ろうとする。
けれど、末子だけは違った。
いつもオドオドしている自分の前に真っ直ぐ歩いてきてくれて、その格好いい声とプライドで、クラスの男の子たちから自分の事を『お気に入りのお人形さん』として完璧に守ってくれた。
クラスの女の子たちが何か良からぬ企みで近付こうとしたときも、意地悪なグループが不穏な空気を漂わせたときも、次の日にはなぜか、末子が後ろの席で小さなノートをカリカリと回しながら楽しそうにしているだけで、全部綺麗に解決していた。
(末子ちゃんは、きっと、私が困らないように、裏で一生懸命頑張ってくれているんだ……)
スネグーラチカは、それを確信していた。
末子が自分のことを「都合のいい神輿」として利用しているつもりだなんて、1ミリも疑っていない。
(末子ちゃんは私の手を引っ張って、漫画やアニメで観たような輝く青春の場に置いてくれているんだ……)
自分に対する自信が無く、女としての思考回路も無いスネグーラチカは末子のことを盛大に勘違いしている。
見当違いな感謝と末子に対する妄執的な愛おしさだけで胸がいっぱいになっていた。
だから、私はがんばらなきゃいけない。
大好きな末子ちゃんが作ってくれた、この暖かくて居心地のいい学校生活を壊さないために。
末子ちゃんが守ってくれる可愛いお人形さんの役を、完璧に演じきるために。
「そうか。馴染めているなら何よりだ。君はソブリンに成り得る黄金の卵だからね。有象無象にその繊細なメンタルを汚させるわけにはいかない。……では、今日も定期顕現レッスンを始めよう。神札を」
大人たちの指示に従い、スネグーラチカはカーディガンのポケットから、自身の神札の束を取り出した。
───その刹那。
ピピピピピピピ、と、周囲の観測機材が一斉に、過剰なまでの警告音を鳴らし始める。
中央のモニターに表示された共鳴率のグラフが、彼女がただカードを構えたというそれだけの動作で、大人の想定する限界数値を遥かに突き抜けて跳ね上がったのだ。
「……ッ!?ほう、中々素晴らしい」
スーツ姿の育成責任者は笑みを浮かべ、
白衣の解析官は顔色を変えてタブレットに縋り付く。
「バカな、まだ初期同調の段階だぞ!? 精神負荷は……ゼロ!? 負荷なしでこの出力を維持しているというのか!?」
室内の温度が急速に下がり始める。
空気すらもパキパキと音を立てて凍りはじめ、吹き抜けの天井からはうっすらと純白の結晶が舞い落ちてきた。
スネグーラチカの身に宿る本物の才能は、ただそこにいるだけで、連合会が誇る最高峰の人材ですら驚かせるに足りるものである。
しかしながら、本人にとっては真反対の評価でしかない。
なにせ、つい先日まで完全顕現を息を吸うようにこなしている牧間修司から保護されていたのだ。
実際、今でも、
「私なんて全然ダメダメなのにぃ……」
とおどおどしている。
周囲の大人たちが固唾を飲み、恐怖の色が若干混ざった目で自分を見つめていることなど、スネグーラチカの意識には入っていなかった。
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