一体何が起きているんだ。
「反抗しようなんて考えるなよ?」
4月。入学式。オレは学校に向かうバスの座席に身を預け、ゆらゆらと揺られていた。
道中、優先席の所有権を巡って小さな騒動はあったものの、これといって特別なこともない『よくある日常』を過ごしていたはずだ。
これから始まるであろう、新たな生活への期待で胸をいっぱいにしていたのだ。
「ほら、黙って携帯出せ」
覆面を被った男は、先頭の乗客から順番に携帯電話やその他端末を回収し大きな袋へと次々に入れていく。外部へと連絡させないためだろう。
男の右手に握られている黒光りする金属の塊に目を向けつつ、オレは溜息をついた。
バスジャック。
公共交通機関に対するテロ行為の一種であり、バス車両内で乗客や運転手を武器で脅迫する立派な犯罪だ。
乗客に突き付ける黒光りする金属の塊――拳銃。
こと日本において、まず拝めない代物だ。銃刀法が定められており、罰則は当然重い。製造自体も禁止され、輸入しようにも金属探知機という関門を突破するのは簡単ではないだろう。
数年前から、日本の犯罪が増えているとニュースで目にしたことがある。
少しネットをのぞけば、『殺人事件』『立てこもり事件』『爆破事件』など、物騒な記事はいくらでも出てくる。
犯罪率は上昇の一途を辿っている、らしい。
散々ニュースなどで目にすることはあるも、やはりどこか他人事のように扱ってしまう。実際に経験してみないと、実感が湧かないのだ。
そんな初めての経験が、まさか入学式の日、学校へ向かうバスの中で訪れるとは思いもしなかった。
「次はお前だ」
「じ、自分、携帯持ってない、です……」
目を向けてみると、オレと同じ制服姿の青年が怯えた様子で犯人と相対していた。
携帯を持っていないのは事実だろう。これから入学する高校では、原則私用携帯の持ち込みが禁止されている。
このバスに乗り合わせた同じ学校の生徒全員は、携帯を持っていない筈だ。
「んだよ、寂しい奴だな」
そうして、次の乗客へと声をかけていく。
随分とあっさりだな。隠し持っている可能性は考えていないのか? 武器を持つ自分に対して嘘をつく筈がないと思っているのだろうか。
いずれにせよ、オレの時もあっさりスルーしてくれるのはありがたい。事なかれ主義のオレとしては、面倒なことに関わって悪目立ちしたくないのだ。
犯人の目的は不透明だが、人質にそう易々と危害を加えない筈だ。黙って行く末を見ているだけでいい。
そこでふと、自分に向けられた視線に気づいた。
美しくも鋭い瞳が、隠す素振りもなくオレを観察するように注がれている。
彼女はたしか、先の優先席の騒動においても我関せずといった様子で読書していた筈だ。バスジャックという状況においても、不用意な行動は避けると思っていたが……。
「どうした?」
「いえ、随分と落ち着いていると思ってね。他の乗客は恐怖で怯えていたり、平静を取り繕っていても、細かな震えは隠しきれていない」
「言われてみればたしかに……いや、一人例外がいるみたいだぞ」
オレの視線の先にいる人物。
優先席にドッカリと腰を下ろしたガタイの良い若い金髪の高校生。優先席騒動の渦中だった男だ。
拳銃を握る凶悪犯がいるにも関わらず、イヤホンを耳につけ爆音ダダ漏れで音楽を聞いている。随分と肝が据わっているようだ。
「アレはそれこそ例外中の例外よ。私が言いたいのは、覇気のなく人畜無害に見えるあなたが、どうしてそうも冷静でいられるかを聞きたいの」
「酷い言われようだな……」
学生生活初めての会話、それも女の子との会話が罵倒だとは思いもしなかった。いや、まあ事実だから言い返せないのが辛い。
「これでもそれなりに恐怖している。表情に出にくいだけなんだ」
「あら、そう。なら――」
「おい! なにをコソコソと話してんだ!」
前方からの怒鳴り声にドキッとして、彼女は瞬時に口を閉ざした。
まさか、聞こえた?
男は運転手のすぐ後ろ、前扉の脇に立っていて、オレたちは車体の中央より少し後ろ。
エンジンの唸りとタイヤの路面音が重なり、窓枠はかすかに震えている。
――小声が届くはずの環境じゃない。
聞こえていたことを証明するように、男はまっすぐとオレたちを睨んでいる。
「余計なことすんじゃねぇぞ」
隣の彼女も納得がいかないといったふうに眉根を寄せた。
覆面の男は携帯の回収に戻り、通路を進む。やがて、爆音を漏らす優先席の前で足を止めた。
「おい、聞いてんのか!」
「今度はマスクマンか。今日の私は女性運があると思っていたが、奇っ怪な者からも好かれてしまうらしい」
「何訳わかんねぇこと言ってんだ! 黙ってその端末を寄越せ!」
「何故この私が、私の愛機を君に渡さなければならないんだい? どこにも理由はないが」
「この状況分かって言ってんのか?」
「貧弱な君がバスジャックを試みているのは理解しているさ。実に無謀で無意味な行為だと思っているがね」
犯人を刺激するんじゃない!
運転手も含め、車内の乗客全員が同じ気持ちを持った筈だ。
拳銃を握る手が僅かに震え、覆面で顔こそ見えないが、きっと青筋を立てていることだろう。
銃口が呼吸ひとつで跳ねそうな、いやな静けさが満ちた。
「どうやら死に急ぎたいらしいな。残念だが、テメェは校門を潜るまでもなくここでお終いだ」
「理解できないねぇ。君の目的はあくまでも外部への連絡を防ぐためだろう? この端末では音楽を聞くことはできても、ガールフレンドとの連絡なんて出来やしないのだがね」
正論だ。
たしかに、外部との連絡さえ防げればいい犯人からすれば、彼から端末を取り上げる必要性は皆無だ。
ただ、あの端末が音楽専用だという前提を犯人が知らない可能性を考えれば、拳銃を握りしめる相手に対してはあまりにも危うい言動。
「もういいかな? 私はモーニングルーティンを狂わされるのが嫌いでね。――それとも、そのオモチャを私に向けてみるかね?」
オモチャ、とは拳銃のことだろう。
鬼も黙る剣幕で男をにらむ金髪の高校生。実際に銃口を向けられようものなら、容赦しない――そう言外に告げている。
本来、武器を持った大の大人を前に、ただの高校生が優位に立てるはずがない。
だが、この金髪の高校生は本当にやってのけてしまいそうだ。そう錯覚させるだけの圧を感じる。
「お望み通り殺してやッ――!?」
銃口が金髪の胸元へまっすぐ上がった、その時。
視界の端から白黒のボールが滑り込む。通路の床すれすれを走り、男の手首にぶつかった。
カン、と乾いた音。手首が跳ね、銃口は天井へ。
握りがほどけ、黒い鉄が宙で一回転。シートの脚をかすめて床を転がる。
「今です。前の方、押さえてください!」
黒髪の少年の声がよく通る。
一瞬遅れて会社員風の男が飛びつき、別の乗客が腕を極めた。犯人はうつ伏せに倒れ、手首は背中で固定される。ここまで固められれば、もう抜け出せないだろう。
「くそが……!」
安堵の息を吐きかけた、そのとき。
後方の客――フードの男が跳ね起き、懐からナイフを抜いた。通路わきの女性へ腕を伸ばす。
「蘭、後ろ二列目のフード。女性の手前、右側だ!」
蘭と呼ばれた女生徒が半歩で間合いを詰め、体をひねって上段蹴りを打ち込んだ。
人間から発してはいけない鈍い音が響き、フードの男は通路に崩れ落ちた。見れば、白目を剥き泡を吹いている。女の子がしていい威力の蹴りじゃないだろ……。
なにはともあれ、これで一件落着というわけだ。
暇の与えない出来事に、ドラマのワンシーンでも見ているかのような気分だった。黒髪の少年の見事なシュートから始まり、阿吽の呼吸で2人目も制圧してみせた。
「ちょっと新一!? 大人しくしとけって言ってたのに、急にボールなんか蹴っちゃって、危ない目にあったらどうするつもりだったのよ!」
「しゃーねぇだろ? あの状況じゃ、本気で発砲しかねなかったからよ」
と思っていたら、次は夫婦漫才が始まった。
どうやらあの黒髪の少年は新一というらしく、オレと同じ学校の制服だ。
「にしても、相変わらずおっかねぇ蹴りだな……」
「し、仕方ないでしょ。それより、なんで2人目がいるってわかったの?」
「あん? それは単純だよ。さっき、そこの2人が小声で話していたのを注意されてただろ?」
そこの2人、とはオレと隣の少女のことだ。
新一と呼ばれた少年と目が合う。気まずいな。
「2人は小声で話していたのに、犯人はそれに気が付いた。前扉の脇にいた犯人からは距離があり、エンジン音と路面音が重なっているにも関わらずだ。普通は2人の話し声なんて届かないはずさ。たとえ地獄耳だろうとな」
少年は、乗客全員に説明するように語り口調で自身の推理を披露していく。
「なのに反応した。理由は単純、乗客を監視する別の人間がいたからさ。後方の仲間が乗客の動きを見張りもう一人に伝えた。覆面を取ってみれば、イヤホンが見つかるだろうぜ」
「ほんとだ!」
覆面を外してみれば、たしかに片耳にイヤホンがつけられていた。おそらく、泡を吹いて倒れている男の耳にも装着されているだろう。
「でもあのとき、この人は正確にあの2人を見ていたのよ? そんな正確に連絡を取れば怪しまれるんじゃないの?」
「あらかじめ決めていたんだろうぜ。マイクを2回叩けば2列目。3回叩けば3列目、なんてふうにな。発声できない場面での連絡手段として有名なものさ」
「ならどうして、あのフードの人が犯人の仲間だってわかったの?」
蘭の言葉に、新一はゆっくりと首を横に振った。
「あの時点ではわからなかったさ。怪しいと睨んではいたけど、断定するほどじゃなかった。本当なら、もう少し材料を集めときたかったんだが――」
新一の視線が横に流れ、金髪の少年で止まる。
金髪も気づき、こちらを見返した。
「この私に何かようかね? サッカーボーイ」
「あまり褒められた言動じゃありませんでしたよ。殺人を躊躇わない相手であれば、あなたは今頃ハチの巣だったでしょうから」
「フッフッフ、私はパーフェクトな人間なのでね。心配ご無用というやつさ」
「でも、新一が犯人にボールをぶつけないと本当に危なかったんですよ?」
「どうだろうねぇ。この空手ガールに教えてやったらどうかね? サッカーボーイ」
「ど、どういうことなの?」
「これだよ」
新一はポケットからハンカチを取り出し、床の拳銃をそっと包んだ。
指が金属に触れないよう、くるんだまま持ち上げ、側面だけをのぞかせる。
「セーフティがかかったままになってるんだ。このままトリガーをひいても発射できない」
たしかに、レバーは“安全”側を指していた。
だから、あの落ち着きか。納得はする。けれど、真似はできないな。セーフティなんて、親指ひとつで外せるはずだ。
「理解したのなら、さっさと去りたまえ。せっかくのクラシックに雑音が混ざってしまうのでね」
「……ひとつだけ言わせてください。たとえあなたが優秀であろうと、完璧なんてこの世にはありません。絶対どこかで歯車が噛み合わなくなる。あなたのその過剰な自信がいずれ、破滅の道へと辿ることになるかもしれない」
「フッフッフ、君の尺度で私を測らないでほしいものだね。だが、一応肝に銘じておくとするよ」
その言葉が彼の心に届いたのかはわからない。結局、堂々とした態度を終始崩すことはなかった。新一も蘭も深追いせず、そこで会話は途絶える。
彼らのやり取りを黙って聞いていたうちの一人から、安堵の息が漏れた。それを皮切りに、車内のあちこちがざわつき始めた。
「いやぁ〜、見事だったよ兄ちゃん!」
「君のおかげで皆助かったよ」
「本当にありがとうねぇ」
最前列の会社員風の男が肩を叩き、通路側の婦人が胸に手を当てて頭を下げる。先の老婆まで立ち上がって、ちいさく会釈した。運転手がハンドル越しに親指を立てているのが見えた。
「さっきの推理もそうだが、君は何者なんだ?」
「そうだ、あんたは命の恩人だから名前を覚えときてぇ!」
ひとしきり囲まれて、新一は後頭部をかきながら、気まずそうに笑った。
そしてゆっくりと口を開ける。
「工藤新一……探偵ですよ」
「工藤新一! 名前覚えとくよ!」
「本当にありがとうね!」
「よっ、名探偵!」
車内がわっと湧き上がった。
乗客からの盛大な拍手で名探偵工藤新一は称され、彼も満更でもない表情を浮かべている。
ふと気になって、オレの隣に座る少女に視線を向けてみた。他の乗客同様、名探偵に賛辞を送っているかとも思ったが、すでに読書を再開していた。
やがて警察が到着し、犯人は連行される。工藤と蘭が代表して事情聴取へと向かってくれた。
今日は入学式。二人は確実に遅刻だ。
オレ含め、同じ学校の連中は犠牲となってくれた彼らに感謝を抱いたことだろう。といっても、工藤はわりと進んで行っていたけど。
それにしても朝から事件続きだった。
事なかれ主義のオレには心臓に悪い。
優先席の小競り合いはまだしも、バスジャック事件が早期に解決されず、長引いていたと思うと、背筋が凍ってしまう。
せっかくの学生生活の門出がニュース沙汰。『本日未明、バスジャック事件発生――被害者は綾小路清隆1名』なんてテロップが流れていてもおかしくなかったのだ。
工藤には感謝しかない。
できれば友達になってもらおう。
一応前日、不慣れなりに色々とシミュレートしてきたのだ。
もし同じクラスなら、明るく教室に飛び込んで、積極的に話しかけてみよう。根拠のない自信だが、彼は良い人そうだし、きっと友達第一号になってくれるはずだ。
教室までは、目の前の校門からまだ少し距離がある。それまでに第一声をどうするか改めて考えておく必要があるな。
一度深呼吸しておこう。よし、行くか!
「ちょっと」
勇みの一歩を踏み出そうとした瞬間、真横から話しかけられ出鼻を挫かれた。
オレは先ほど隣に座っていた少女に呼び止められたのだ。
「さっきの彼の推理……あなたは気付いてたかしら?」
「いや、残念ながらさっぱりだ。2人目がいたのには驚いたよ。あんたは気付いてたのか?」
校門に向かう人の流れが横を切っていく。彼女は視線をそらさないまま、淡々と続けた。
「ええ、犯人が複数いることには気付いていたわ。でも、仲間が誰かなんて候補すら絞り込めなかったし、拳銃のセーフティなんて気付きもしなかった……」
遠くで新入生らしき笑い声。さっきまでの車内の緊張が嘘みたいだ。
「すごいよな。名探偵ってやつなんだろう」
「そうね。彼の観察力と洞察力に行動力、どれも目を見張るものがあるわ」
同感だ。乗り合わせた他の生徒を見れば明らかで、ただの高校生ではあそこまでの芸当は出来ないだろう。
「それにしても意外だったよ。老婆に優先席を譲る気のなかったあんたが、バスジャックのあの場面で話しかけてくるなんてな」
優先席を争う喧騒の中、大体は見て見ぬふり。あるいは迷っている素振りを見せる人たちの二極していた。
しかし彼女だけは違った。
まるで場に流されることなく無表情で過ごしていたのだ。
「話しかけてきたのはあなたよ。それに、たしかに私は譲る気なんてなかったけれど、それがどうかしたの?」
「いや、ただ同じだと思っただけだ。オレも席を譲るつもりはなかったからな。事なかれ主義としては、ああいうことに関わって目立ちたくない」
「事なかれ主義? 私をあなたと同じ扱いにしないで。私は老婆に席を譲ることに意味を感じなかったから譲らなかっただけよ。逆に、あの場面で冷静だったあなたを観察することに意味はあったけれど」
犯罪を目の当たりにする実感が無かったからこその落ち着きだったのだが、どうやら彼女には違う印象を持たれてしまったらしい。
「それ、事なかれ主義よりひどいんじゃないか?」
「そうかしら。自分の行動に信念を持って行動しているに過ぎないわ。ただ面倒事を嫌うだけの人種とは違う。願わくばあなたのような人とは関わらずに過ごしたいものね」
「……同感だな」
ちょっと意見を交わしただけなのに、こう言い返されて良い気分はしない。
願わくば彼女とは別のクラス。そして工藤とは同じクラスであってほしい。
オレたちは互いにわざとため息をついて同じ方角へと歩き出した。