あべこべ世界のいじめっ子(男)がいじめられっ子(女)に下剋上される話 作:フェルナンデス
「あ、あれ?なんで?...ない...ない...」
小さな声だった。授業前のざわついた教室では、ほとんど誰にも聞こえないくらいの。
けれど、その声に気づいた何人かがちらりと顔を上げる。
そして、何も言わずにニヤニヤと顔を見合わせる。
一人の女子生徒が、自分の机を必死に探していた。
小鳥遊 栞。
黒髪、眼鏡、真面目そうな顔。
制服はきっちり着ていて、髪もきちんと整えている。
別に醜にくいわけじゃない。
ただ、自分から目立とうとする気がまるでない。
まるで「私はここにいませんよ」とでも言いたげな見た目だった。
教科書をどける。
机の奥に手を突っ込む。
カバンの中を探る。
見つからない。椅子の下を覗く。床にしゃがむ。
その動きが少しずつ乱れていく。
焦っているのが分かった。
「あれ、小鳥遊さん?どうしたの?何かお困り?」
誰かが声をかけた。優しい声だった。
本当に心配しているみたいな。
けれど、小鳥遊の肩はびくっと大きく震えた。
「……筆箱……」
消え入りそうな声。
「なくて……」
一瞬だけ静かになる。
それから、くすりと笑いが漏れた。
「えー?またー?」「物なくしすぎでしょ(笑)」「かわいそー(笑)」
みんな笑っている。でも、大声じゃない。
あくまで軽く。冗談みたいに。それが余計に陰湿だった。
小鳥遊は助けを求めるような目で周囲を見た。
でも、誰とも目が合わない。
いや。
みんな見ている。見て見ぬふりをしているだけだ。
「ねぇ」
隣の男子が、媚を売るような顔で、僕の机に肘をついた。
取り巻きのひとり――朝倉だ。
空気を読むのが上手くて、僕の機嫌を損ねない距離感を知っている。
「蛇喰、何か知らないの~?」
その呼び方、嫌いなんだよね。
僕はわずかに眉をひそめた。
蛇喰 巳波。僕の名前。
名字のせいで、よく「蛇みたい」なんて言われる。
最悪だと思う。
もっとこう、可愛くて、綺麗で、僕に似合う名前がよかった。
なのに、蛇。ヘビって、執念深くて気持ち悪いイメージじゃん。全然可愛くないし。
だからみんなには、だいたい下の名前で呼ばせている。
「巳波、って呼んでよ」
そう言うと、朝倉は慌てながらすぐ笑った。
「あ.....ご、ごめんごめん。巳波」
女子たちは僕に憧れ、男子たちは僕に媚びる。
そして全員、少しだけ僕のことを恐れている。
僕は椅子に浅く腰かけたまま、小鳥遊を見た。
小鳥遊は震えながら僕の反応を伺っていた。すごく分かりやすい。
「さあ?」
そう答えると、女子たちが空気を合わせるように笑った。
「でもさ」
僕は頬杖をつく。
「ちゃんと持ってきたの?」
びくっ、と小鳥遊の肩が揺れる。
「あ......」
「忘れたのを人のせいにするのって、よくないよね」
柔らかく言う。
怒っているわけじゃない。責めているわけでもない。だからこそ逃げ場がない。
「......違い、ます.......」
「違う?」
少し首を傾げる。
教室の空気が張る。
「じゃあ」
微笑んだ。
「どういうこと?」
小鳥遊の唇は震え、目には涙が浮かんでいた。
隣で女子が笑う。
「ほんと巳波ってえぐい(笑)」
明るい声だが、顔は少しひきつっている。
半分、本音だ。
「その顔でそういうこと言うの反則でしょ!」
「優しく責めるの怖すぎ~」
「自分がやられたら泣くかも(笑)」
僕は軽く笑った。それだけで、周囲は露骨にほっとする。
……面白い。
みんな僕を持ち上げる。
でも本当は少し怖がってる。気に障ることをしたら、次の標的にされるんじゃないかと。
それが分かるから、なおさら心地いい。
「……返してください」
静かな声だった。教室が止まる。
小鳥遊が僕を涙で滲んだ目で見ていた。
「……筆箱……返してください……」
何人かが小さく息を呑んだ。
言っちゃった。
そんな顔だった。
僕はきょとんとする。
「え?」
無邪気に。
「何のこと?」
小鳥遊の顔から血の気が引く。
「え、だって……」
「僕がやったってこと?」
柔らかい声。責めていない。むしろ傷ついたみたいに。
「証拠あるの?」
その一言で、小鳥遊の口が止まる。
周囲がくすっと笑った。
でもその笑いは乾いていた。
みんな知っている。
やったのは僕だ。
でも僕が「違う」と言えば、それが正解になる。
「思い込みで疑うの、よくないよ?」
小鳥遊が俯く。
肩が震えている。
「ねぇ、小鳥遊さん」
名前を呼ぶ。
びくっと顔を上げる。その反応だけで満たされる。
この瞬間が好きだった。
相手の呼吸を奪う感じ。
周囲ごと支配している感じ。
「授業始まるよ?」
時計を見る。
「あ、ほんとだ」
誰かが慌てたように言う。
「先生来るじゃん」
「書くものないと困るねぇ(笑)」
笑い。
でもその奥にあるのは安堵だった。
自分じゃなくてよかった。
そんな安堵。
小鳥遊は唇を噛む。
そして、僕に向かって小さく頭を下げた。
「……お願いします……」
教室が静まり返る。
みんなが僕を見る。
男王様の判断を待つみたいに。
僕は少し考えるふりをして、それから笑った。
「どうしよっかな」
その瞬間、小鳥遊の顔から希望が消えた。
……最高だ。
その時の僕は知らなかった。
この、怯えて震えるしかできない弱者が。
数週間後。
僕に、もっと惨めな顔をさせることになるなんて。
〈小鳥遊視点〉
蛇喰巳波が嫌いだ。
……そう、ちゃんと言い切れたらよかった。
本当はもっと、ぐちゃぐちゃしている。
怖い。苦手。関わりたくない。
できれば視界にも入れたくない。
なのに、どうしても目で追ってしまう。
蛇喰は目立つ。
教室のどこにいても分かる。
綺麗だから。
蛇喰を初めてちゃんと意識したのは、入学式の日だった。
体育館から教室へ戻る廊下で、女子たちがざわついていて、何だろうと思って視線を向けた。
そこにいた。
窓から差し込む光の中で、誰かと話して笑っていた。
綺麗だった。
男子は愛でられる存在だ。
清楚で、可愛くて、美しくあることが価値になる。
だから、整った顔の男子が女子の視線を集めること自体は
普通のことだった。
しかし蛇喰は、ただ綺麗なだけじゃなかった。
空気ごと、自分のものみたいにしてしまう。
白くてきめ細かい肌。
細い首筋。
艶のある黒髪は、光が当たると絹みたいに見える。
長い睫毛に縁取られた目は、少し伏せるだけで妙に色っぽい。
すっと通った鼻筋。
制服の上からでも分かる、綺麗すぎる身体の線。
華奢に見えるのに、不思議と弱々しさはない。
姿勢ひとつ、指先の動きひとつまで、全部が洗練されていた。
まるで高級な人形みたいだった。
私はこう思ってしまった。
……こんな男子と付き合えたら、どんな感じなんだろう。
すぐに恥ずかしくなった。
私なんかが無理に決まってる。
住む世界が違う。
そう思った。
でも、きっとクラスの女子はみんな少しは思ったはずだ。
隣を歩けたら、とか。
名前を呼ばれたら、とか。
笑いかけてもらえたら、とか。
蛇喰は、それくらい綺麗だった。
だから、最初は分からなかった。気付くことができなかった。あんな顔で、あんな声で笑う人の正体を。
笑顔だった。あの人は、いつも笑っている。あのときもそうだった。
怒鳴らない。感情的にならない。優しい声で話す。
ただ、住む世界が違う人なんだと思っていた。
本性に気づいたのは、5月の終わり。
放課後、忘れ物を取りに教室へ戻った時だった。
中から話し声がして、私は扉の前で足を止めた。
覗くつもりはなかった。
でも。
そこにいたのは朝倉くんだった。
私の机を開けていた。
ノートを手にして笑っている。
その奥。
窓際に蛇喰がいた。
椅子に座って、頬杖をついて。
退屈そうに、それを眺めていた。
「それ、さすがに分かりやすすぎ」
柔らかい声だった。
怒っているわけじゃない。
ただ、少しつまらなそうに。
朝倉くんが笑った。
「ごめんって」
その時。
蛇喰がこっちを見た。目が合った。心臓が止まるかと思った。喰われると思った。まさに、蛇に睨まれた蛙とは私のことだ。
綺麗な顔だった。
なのに、蛇みたいだと思った。
じっと獲物を見るみたいな目。
そのまま、ふっと笑った。
「見つかっちゃったね」
優しい声だった。責めてもいない。怒ってもいない。
まるでちょっとした悪戯が見つかっただけみたいに。
でも、その瞬間に分かった。
ああ。
この人なんだ。
朝倉くんがやってるんじゃない。
この人が、やらせてるんだ。
それからだった。
プリントがなくなる。ノートに落書きされる。靴がなくなる。
でも、蛇喰はほとんど直接やらない。
ただ見ている。
時々、笑う。
それだけ。
それだけなのに、みんな動く。
蛇喰が面白がれば、誰かがやる。
蛇喰が退屈そうなら、終わる。
このクラスで、一番偉いのは先生じゃない。
蛇喰だ。
怖かった。
嫌いだった。
関わりたくなかった。
でも。
どうしても目で追ってしまう。
綺麗だからじゃない。
あの人が、次に誰を見るのか気になってしまうからだ。
そして、それが自分だった時。
全身の血が冷える。
蛇だ、と思う。
綺麗な花の陰に隠れてる毒蛇。
じっとこっちを見ていて、油断した瞬間に噛みつく。
そんな感じ。
実際、あの人は人を傷つける時、怒鳴ったりしない。
笑ってる。
だから余計に怖い。
高校に入ったら、少しくらい変われるかもしれないと思っていた。
中学の私は、目立たなかった。
友達はいたけれど、クラスの中心にいるようなタイプじゃない。
休み時間に騒ぐことも、誰かの恋バナで盛り上がることも、少し遠くから見ている側だった。
だから。
高校では、少しだけ。ほんの少しだけでいいから。
ちゃんと友達を作って。放課後に寄り道したり。
メッセージの通知が来て、誰だろうって少しわくわくしたり。
……できれば。
好きな人ができて。
もし、その人も私のことを好きになってくれたら。
そんな、ありふれたことを思っていた。
私には少し贅沢なくらいの、でも誰にでもあるような夢。
それが。
蛇喰巳波に壊された。
ひとつずつ。
丁寧に。
〈???〉
教室のざわめきの中、それを静かに見ている人物がいた。
小鳥遊が俯いたまま席へ戻る姿も、蛇喰が満足そうに笑う顔も全部。
「……なるほど」
小さな呟き。
誰にも届かない。
その視線は、まっすぐ蛇喰に向いていた。
「地を這う蛇が、ずいぶん高くまで登ったものだね」
蛇喰巳波。
この教室の男王様。
女子は憧れ、男子は媚び、誰も逆らえない。
本人も、それを疑っていない。
だからこそ。
「少し、勘違いしてるみたい」
くすり、と小さく笑う。
まるで、壊れかけた玩具を見つけた時みたいな目だった。
「かわいそうに」
その言葉が誰に向けられたものなのかは分からない。
小鳥遊か。
それとも。
蛇喰か。
しばらく黙って、その姿を眺める。
今はまだ、綺麗な顔で笑っている。
余裕たっぷりに。
人を見下して。
自分が見下ろされる日なんて来ないと、本気で信じている顔だった。
でも。
その顔が歪む瞬間を想像すると、少しだけ楽しくなった。
「その顔で、どこまで泣けるんだろうね」
静かな声。
誰にも聞こえない。
「どこまで壊れたら許してって言えるのかな」
ぞっとするほど穏やかな声音だった。
「楽しみだなあ」
男は美しく可愛らしく、女はかっこよくあることが基準です。