あべこべ世界のいじめっ子(男)がいじめられっ子(女)に下剋上される話 作:フェルナンデス
カフェをでたあと、私は一人と悪魔一匹で駅に向かった。
夜風が冷たい。いや、冷たいのは心かもしれない。
さっきまで蛇喰といたはずなのに、隣には誰もいない。あの蛇喰とデートみたいなことをしてたなんて夢みたいだった。
スマホを取り出すと、画面には新しい通知が一件。
蛇喰からだ。胸がどくりと鳴る。何度か躊躇いながら通知を開くと、ゲームセンターでとられた写真が送られていた。
ぬいぐるみを抱えた笑顔の蛇喰と、顔を真っ赤にしている私。
消そうと思った。でも指が動かない。迷いながらも、私は写真を保存した。
『未練たらたらだね(笑)』
「違う」
『じゃあなんで写真消さないの?保存までしちゃってさ』
言葉がつまる。返す言葉がなかった。
蛇喰の笑顔を思い出し胸が痛む。そう、分かっていたんだ。からかわれているだけだって。傷つけられるだけなんだって。
でも、もしかしたらと思ってしまった。
ぬいぐるみを抱えた姿、猫の動画を見せてきた時の顔、プリクラで嬉しそうな顔。
全部、全部嘘だった。
「…最低」
思わず呟いてしまった。
『でも、楽しかったんでしょ?』
「…うるさい」
『傷ついた?』
「…うるさいって」
『好きになりかけた?』
「うるさい!」
夜道に声が響いた。慌てて周囲に誰もいないことを確認して、私は深く息を吐いた。
蛇喰は最低だ。人を傷つけて楽しんでいる。利用して笑っている。それを分かっていたはずなのに。私は騙された。蛇喰が憎くて、それ以上に自分が情けなくて悔しかった。
そして同時に、別の疑問も残っていた。
「なんで効かなかったの?」
『ん?』
「…催眠が。私はちゃんと目をみて念じたよ?泣いて謝れって」
あの時、確かに私は蛇喰へ催眠をかけようとした。目をみて集中して念じた。
でも失敗した。なんで?
『ああ、その話?ごめんごめん、私も予想してなかったんだけどさ、蛇喰くんって思った以上にめんどくさいタイプだったみたい。多分、警戒心が強いんだろうね。いや、そもそも他人に興味がそこまでないみたい。そういう人間って催眠が効きにくいんだよね。まあ私がやったら間違いないんだけどね!』
「…警戒心?」
『催眠は心の隙間に入り込むものだから』
「…私がやっても効かないかもって、なんで始めに言わなかったの?」
『聞かれてないもん』
思わず額を押さえた。そうだった。こいつは悪魔だった。日常に溶け込みすぎて忘れていた。しかし、そんな大事な話をなぜ最初に言わない?
『でも、私は君を褒めてあげたいよ』
「え?褒める?どういうこと?」
『だってあの時、蛇喰くんに少し効いてたよ?ほんの一瞬だけね。君、気づかなかった?蛇喰くん、少しだけ君を怖がっていた』
その言葉に胸が跳ねた。怖がった?あの蛇喰が?警戒心が強い?じゃあ、少し警戒を解ければ?油断させることができれば?
…勝てるかもしれない。
『あ。』
悪魔が笑う。
『今の君、すごく良い顔した』
私は返事をしなかった。
それから数日、学校は地獄だった。
最初は机の中にゴミが、次は教科書への落書き。ロッカーには潰れた虫が入れられていた。上履きは隠された。体操服は隠されて見つからなかった。机にはマジックで落書きされた。
最初は腹が立ったし、怖かった。でも、私はなにも反応しない。反応したら喜ばせるだけだ。ただ受け流す。そうしてるうちに、逆にあいつらのほうが苛立ち始めた。
『つまんなさそうだねぇ』
昼休み。私は机に突っ伏したまま聞く。
「誰が?」
『いじめてる側だよ。だって反応がないじゃん』
確かにそうだった。
朝倉たちは露骨に苛立っていた。
もっと怯えてほしい。
もっと泣いてほしい。
もっと壊れてほしい。
そんな空気が伝わってくる。
でも、私は別のことを考えていた。
蛇喰巳波。
あいつは今日も取り巻きを侍らせている。
優しい顔をして笑っている。誰かの相談にのっている。誰かを励ましている。完璧な人気者で善人。
『蛇喰くんって、やっぱりすごいね。関係ない顔をするのがうまい』
悪魔が感心したように言うが、私は黙って蛇喰を見る。そのうち蛇喰と目が合い、奴はうっすら微笑んだ。
…くそ、やっぱり可愛い…。でも今に見てろ、余裕ぶることができるのも今のうちだ。
その時、机の横に影が落ちた。
「ねえ」
聞き覚えのある声だ。顔を上げると朝倉だった。その後ろにはいつもの取り巻きが、ニヤニヤしながら立っている。
「最近さ、反応薄くない?前はもっと面白かったじゃん?最近全然普通じゃん!つまんないって!」
周囲は笑うが私はなにも言わない。というのも、最初に朝倉くんの、ちょっと可哀想な姿を見てしまったから少し罪悪感がある。
しばらくして、朝倉くんはつまらなそうに舌打ちをした。
「ほんっとつまらないね」
朝倉くんはそう言って笑った。
私は何も言わない。
だって。
もう少ししたら、その顔は笑えなくなるから。
放課後、誰もいない渡り廊下の前方から声が聞こえてきた。朝倉くんがスマホで誰かと話している。私は反射的に足を止めた。
「だから大丈夫だって!小鳥遊なんて全然平気だし!いや、最近反応薄いけどさ、巳波も気にしすぎなんだって!」
その名前を聞いた瞬間、無意識に拳を握り込んだ。朝倉くんは私に気づかず話を続ける。
「もう少ししたら潰れるって!うん、平気だから任せといてよ!…分かった、じゃあね」
通話が終わったようだ。朝倉くんは面倒くさそうに頭を掻いた。
「…ちっ、めんどくせえな…ん?」
その時だった。朝倉くんが振り向き目があってしまった。
「あ」
一瞬空気が止まる。
「…聞いてた?」
私は答えない。
『ほら。誰もいない。せっかく向こうから目を合わせてくれたんだから』
悪魔の声に心臓が跳ねた。
怖い。失敗したらどうなる?…でも。
蛇喰の顔が浮かんだ。あの顔、あの嘘、あの言葉。
…悔しい。その瞬間、迷いが消えた。
朝倉くんの顔をはっきりと見て、静かに言った。
「…朝倉くん」
「なに?」
私は目をそらさない。ただ見つめる。
次第に、朝倉くんの顔がぼんやりとしてきた。
私は唾をのみ込み、思いきって言ってみた。
「…今から三秒後、笑って」
一秒。二秒。三秒。そして…
ふっ。
朝倉くんが笑った。なにも面白くないのに。ただ命令されたから笑ったように。
ぞわり、と鳥肌が立った。
『おー』
悪魔が楽しそうに声を上げた。
『かかったね。初催眠おめでとう』
そうか、これが催眠か。初めてかけることができた…!
ただ同時に恐ろしくなって慌てて言った。
「も、もういい!笑うのをやめて」
ぴたり。
笑顔が消える。
まるでスイッチが切れたみたいに。
本当に。
本当に効いている。
「あのね、朝倉くん」
「……なに」
「みんなをここに呼んで」
朝倉くんは迷わなかった。
スマホを取り出し、取り巻きたちへ連絡を始める。
私はそれを見ながら、小さく息を吐いた。
手が震えている。
怖い。
でも。
もう止まれない。
数分後。
使われていない空き教室に三人の取り巻きが集まっていた。
「なんだよ急に」
「珍しいな」
「蛇喰は?」
いつも通りの顔で何も知らない顔だ。
私は教室の奥に立っていた。
朝倉くんが振り返り、そして言った。
「目を見ろ」
三人が反射的に顔を向ける。
その瞬間、私は一人ずつ視線を合わせた。
心臓の音がうるさい。でも目は逸らさない。
朝倉くんの時と同じだけど、今度はもっと簡単だった。
数分後。
四人が並んでいた。
誰も喋らないし、誰も動かない。
ただ静かに立っている。
『へぇ。人間相手なら十分じゃん』
悪魔が感心したように言う。
私は四人を見た。
朝倉くん。
取り巻きA。
取り巻きB。
取り巻きC。
みんな無表情だった。
「明日」
私はゆっくり言う。
「明日の授業で――」
四人が静かに頷く。
私は命令を続けた。
四人の瞳は空っぽだった。私はゆっくりと、間違いのないように口を開いた。
明日。蛇喰の世界を破壊するために。