あべこべ世界のいじめっ子(男)がいじめられっ子(女)に下剋上される話   作:フェルナンデス

7 / 7
傷ついた蛇は引きこもる

 

 

〈佐伯視点〉

 

 

「うーん……少し深く切れてるね」

 

養護の先生はそう言いながら、手際よくガーゼを当てた。

 

「きれいに処置すれば大丈夫だと思うけど…場所が場所だからね、もしかしたら跡が残るかもしれない」

 

「……」

 

「あ、ごめんね!不安にさせたいわけじゃないの。ただ、念のため病院に診てもらおうか」

 

蛇喰くんは椅子に座ったまま、小さく頷いた。俯いて、膝の上に置いた手を、ただじっと見ていた。

 

「というわけで、頭部なんで念のため病院で診てもらう必要があると思います。今日中に。佐伯先生、お願いできますか?」

 

「…分かりました」

 

私は頷いた。自分の声が、かなり小さく聞こえた。

 

授業中にあんなことが起きた。朝倉くんが立ち上がって、蛇喰くんの名前を出した瞬間。私は止めなかった。いや、正確には--止めようとしたのに、足が動かなかった。何か、とても大事なことを言っている気がして、止めてはいけないと思ってしまったから。その判断が正しかったのかどうか、今でも分からない。

 

「佐伯先生」

 

養護の先生が振り返った。

 

「今日のこと、しっかり管理職の先生に伝えてくださいね。これは先生一人で抱え込むべきじゃないです」

 

「…はい」

 

私は頷いた。蛇喰くんは、ずっと俯いたままだった。

 

三浦先生の車は静かだった。

三浦先生が運転する車の助手席に私、後部座席に蛇喰くん。

病院まで15分の道。三浦先生がバックミラー越しに蛇喰くんを見て、穏やかな声で言った。

 

「蛇喰くん、今日のこと、少し聞かせてもらえる?」

 

返事はなかった。

 

「佐伯先生には話を聞いている。…朝倉くんたちが言ったこと、事実なの?」

 

返事はない。

 

「蛇喰くん」

 

三浦先生の声は優しかった。責めていない。ただ、聞いている。でも、蛇喰くんは俯いたまま、一言も話さなかった。

 

窓の外を、街並みが流れていく。

曇った空。制服姿の知らない学校の生徒たち。信号待ちで止まった時、横に止まった車の中で小さな子供が窓ガラスに顔を押しつけて笑っていた。

 

「……無理に今日じゃなくてもいいから」

 

三浦先生がそっと言った。

蛇喰くんの横顔は、窓ガラスに薄く映っていた。

綺麗な顔だった。こめかみに白いガーゼが貼られていなければ、何も変わらないように見えた。

 

でも、その目が。

 

何も映していなかった。

 

 

 

〈小鳥遊視点〉

 

 

 

騒動が収まったのは、昼前だった。

 

朝倉くんたちはぼんやりした顔で席に座っていた。催眠が解けたのだと思う。何人かは自分が何を言ったのか、全く覚えていないみたいだった。呆然としている。夢遊病から醒めたみたいに。私はずっと自分の席にいた。

 

『いやー痛快痛快!すっきりしたね!』

 

頭の中で悪魔が弾けるように言った。

 

『完璧だったよ!蛇喰くんの顔見た?あの表情が崩れた瞬間!傑作だったね!絵にしてずっと飾っておきたいくらい!蛇喰くん、もう学校に来れないんじゃない?』

 

「……」

 

『…あれ?おーい、聞いてる?もっと喜ぼうよ!君も望んでいたことじゃん!』

 

望んでいた。

確かに、望んでいた。

蛇喰が困る顔を。焦る顔を。笑顔が崩れる瞬間を。

 

でも。

 

頭の中から、さっきの音が消えない。

 

ごん、という鈍い音。床に赤い雫が落ちる瞬間。

 

あれは私のせいだ。

朝倉くんたちにかけた催眠が、あの流れを作った。蛇喰が朝倉くんの腕を掴もうとして、払いのけられて、倒れた。直接手を下したわけじゃない。でも。

 

『怪我させるつもりなんてなかった、って思ってるでしょ』

 

悪魔が少し呆れたように言った。

 

『でもさ、いじめっ子が転んで頭打っただけじゃん!自業自得だよ!』

 

「……うん」

 

昼休みになると、教室の空気が変わった。

最初は小さな声だった。

 

「…白井くん、今どうしてるんだろうね」

 

「……さあ。転校したって聞いたけど」

 

「伊藤さんもずっと言ってたよね。自分じゃないって」

 

「…信じてあげられなかったよね、私たち」

 

しばらく沈黙があった後、誰かがぽつりと言った。

 

「……蛇喰くんって、ずっとああだったんだね」

 

その一言で、何かが決壊したみたいだった。

 

「怖かったよ、ずっと。何か言ったら次は自分かもって。

でも言えなかった。蛇喰くんに睨まれたら終わりだから」

 

「朝倉くんも、あそこまで言うとは思わなかった」

 

「LINEの証拠出せるって、本当にあるのかな」

 

「あったらやばいよね」

 

「てかもう十分やばい状況じゃん……」

 

声はだんだん大きくなっていった。

まるで、ダムが決壊したように。

蛇喰がいないから。今なら言える、という空気が教室にじわじわと広がっていた。私はそれをずっと聞いていた。

正しいことだと思う。

みんなが怖かったのも、言えなかったのも、全部本当のことだ。なのに、なぜか。

胸のどこかに、小さな棘が刺さっているみたいだった。

 

蛇喰が教室に戻ってきたのは、午後の授業が始まる少し前だった。

 

「でも思うんだけどさ、先生も知ってたんじゃないの?なんか、特別扱いじゃなかった?」

 

「成績のことでしょ、あれ絶対おかしかったよね」

 

「今日の朝倉くんの話が本当なら——」

 

「あ」

 

一人の男子が声をあげた。

小さい声だった。でも、その声のトーンで、みんなが一瞬で黙った。

 

視線が、一斉に入口へ向いた。

 

蛇喰が立っていた。

こめかみにガーゼ。

制服は朝のままで、乱れていない。

俯いていた。

 

誰も何も言わなかった。

 

蛇喰は顔を上げないまま、まっすぐ自分の席へ歩いた。

椅子を引いて、座った。

机の上に鞄を置いて、そのまま動かなかった。

 

教室が静まり返っていたが、ヒソヒソ声が、遠くの方から聞こえた。蛇喰に近づこうとするやつは誰もいなかった。

 

そして、蛇喰は学校に来なくなった。

特に何か説明があったわけじゃない。ただ、来なくなった。

教室は静かになった。鞄がなくなることも、プリントに落書きされることも、なくなった。朝倉くんたちはしばらくぼんやりしていたけれど、それも少しずつ元に戻った。悪魔はすごく不満げだけど…。

 

平和だった。

本当に、平和だった。

 

なのに私は、素直に喜べなかった。

 

 

 

〈蛇喰視点〉

 

 

玄関のドアを開けると、パパの声が聞こえた。

 

「——だから、何でうちの子が怪我をしたんですか!学校側の管理責任は——」

 

電話だった。

リビングから聞こえる声は、いつもより高かった。ヒステリックな感じ。怒っているのか泣いているのか、よく分からない混じり方をしていた。

 

「先生方はいったい何を見ていたんですか!生徒が授業中に怪我をするなんて、そんなこと、普通ありえないでしょう!巳波がどれだけ——」

 

僕は廊下で靴下を脱いだ。

ゆっくり。

右足、左足。

 

「——傷が残るかもって、そんなこと、そんなこと許されるわけないでしょう!顔に!顔に傷が残るかもしれないって!それがどういうことか分かってますか!男の子なんですよ!?」

 

「巳波は何も悪くない!何も悪くないのに怪我をさせられて、それで謝罪の一つもないなんて——」

 

「誠意ある対応をしてもらえないなら、こちらにも考えがあります!教育委員会に連絡することも辞さないつもりです!それでもいいんですか!」

 

パパの声が遠かった。

同じ家の中にいるのに、すごく遠かった。

 

階段を上がり、自分の部屋に入った。そして鍵を閉めた。

 

鞄を床に落とす。制服のままベッドに倒れ込んだ。

 

部屋は静かだった。

パパの声は、床と壁を通してぼんやり聞こえた。

 

鏡が見えた。

勉強机の横に置いてある、縦長の全身鏡。

いつもなら必ず見る。

 

今日は見なかった。

 

夜になって、スマホを開いた。

最初は何を調べるつもりもなかった。

ただ、手が動いた。

SNSに学校名を打ち込む。

 

出てきた。

思ったより、すぐ出てきた。

 

タイトルを見ただけで、だいたい分かった。

 

(蛇喰巳波について知ってる人)

(白井くんのこと、覚えてる?)

(今日の朝倉の話まじだった件)

(瀬川先生がどこの風俗に行ったか予想しようや)

 

スクロールする。

 

(白井かわいそうすぎ被害者なのに)

(蛇喰マジでなんなん笑えない)

(あの顔でやってることがえぐすぎる)

(でも今日転んで怪我してて草)

(草生やすな一応怪我人 でもざまあ)

(顔に傷残ったらどうすんだろ)

(それ本人が一番つらいんじゃないの)

(大丈夫ワイのお婿さんにしてあげるから)

(キモすぎて草)

 

 

スマホを伏せた。

 

次の日、目が覚めた。制服に着替えなかった。ママとパパは心配して部屋の前まで来ていたけど「今日は休む」とだけ伝えて布団をかぶった。

 

そのまま、また一日が過ぎた。

 

それから一ヶ月が経った。

 

カーテンを開けなくなって、どのくらい経つだろう。

部屋の時間は止まっているみたいだった。ただ、時計の針の音だけが流れている。

パパが食事をドアの前に置いていく。半分くらいしか食べない。鏡には、タオルをかけた。

 

スマホだけが光っていた。最初はSNSを見ていたが、

途中から、違うものを調べるようになった。

 

集団催眠 実在

暗示 かかりやすい人 特徴

特定の人物を操る 超能力

催眠術 高校生 かける方法

他人を意のままに操る オカルト

 

おかしいと分かっていた。

こんなことを調べている自分がおかしいと思っていた。でも…

 

あの日のことを、何度も思い返した。

 

朝倉が立ち上がった。

感情のない顔で。まるで人形みたいに。

一人じゃなかった。何人もが、同じ顔で、同じように立ち上がった。

 

そして。

 

床に倒れた僕が顔を上げた時。

小鳥遊がいた。

 

騒然とした教室の中で、一人だけ静かに座っていた。

驚いていなかった。慌てていなかった。

まるで、こうなることを知っていたみたいに。

 

偶然じゃない。

そう思い始めたのは、いつからだろう。

最初は馬鹿げていると思っていた。小鳥遊ごときに何が出来る。でも今は。

 

催眠 無意識 集団 操作 可能性

 

スマホの画面が、暗い部屋に青白く光っていた。

 

小鳥遊。

 

あいつは、絶対に何かを持っている。

思い返せば、他にもおかしいことがあった。たしか小鳥遊の筆箱を捨てさせたとき、明らかに朝倉たちの様子がおかしかった。

 

証明できない。確かめる方法も分からない。

でも、否定もできない。

 

ただ一つだけ分かることは。

 

あの目だ。

教室の床から見上げた時の、あの目。

驚いていない目。知っていた目。

 

暗い部屋で、僕はスマホを握りしめたまま、天井を見ていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

あべこべ逆転異世界で孤児院の頼れるお兄ちゃんになるため奮闘する(作者:あに)(オリジナルファンタジー/日常)

身体がちょいとガタつくけど、大丈夫。▼僕はみんなのお兄ちゃんだからね。▼カクヨムの方にも投稿してます


総合評価:3380/評価:8.32/連載:20話/更新日時:2026年05月16日(土) 17:04 小説情報

貞操逆転世界でクールな先輩にオスガキムーブかましてたら普通に押し倒された(作者:しゃふ)(オリジナル現代/恋愛)

残念でもないし当然。


総合評価:4983/評価:8.68/連載:8話/更新日時:2026年03月24日(火) 12:04 小説情報

貞操逆転世界の中堅冒険者(作者:だいたいおおそよだいたい)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

貞操逆転世界に転生した男、フィル(29)▼フィルは自分の事をおじさんになりつつあるただの冒険者だと思っているが。▼しかし!!この男女比1対5の貞操逆転世界で無防備かつムチムチなフィルに劣情を抱かない女はいるか!?!?▼いや!いない!!!▼それはそれとして貞操逆転世界かつ中世な世界観かつ魔法もある属性テンプレもりもり世界で生きていく。▼そんな物語。


総合評価:937/評価:7.54/連載:26話/更新日時:2026年05月08日(金) 00:04 小説情報

貞操逆転した戦乙女学園の一般男子は、エロい目で見られていると気づかない(作者:マテリ-AL)(オリジナルファンタジー/恋愛)

ラノベとかでよくある学園に男は自分一人ってシチュ、▼あれ、主人公が女の子とラッキースケベするより先に……女の子たちが主人公をエロい目で見るのでは?▼これは、そんな発想から生まれた作品。▼魔力を持つ少女たち――戦乙女が通う学園に編入した唯一の魔力持ち男子・羽坂蓮が、周囲からエロい目で見られていることにまったく気づかないまま頑張る、現代ファンタジー入り貞操逆転系…


総合評価:311/評価:8.82/短編:1話/更新日時:2026年05月12日(火) 20:18 小説情報

あべこべ和風オスガキ剣士(作者:耳野笑)(オリジナル歴史/コメディ)

「僕に勝てたら、一晩抱かせてあげるよ♡」▼ 佐々木小次郎は、五十四の異能を持つ最強の少年剣士である。彼は、同門の女剣士・宮本武蔵との決闘に勝利した際、女を負かし、揶揄い、煽り、辱める喜びを知ってしまう。▼ そして、オスガキとして覚醒した小次郎は、武蔵を弄び始める。▼・貞操観念逆転ものです。▼・男女比は1:1です。▼・美醜観念は逆転していません。▼・時代の矛盾…


総合評価:1149/評価:8.72/完結:5話/更新日時:2026年01月25日(日) 11:05 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>