校舎のあちこちから聞こえる爆発音を耳にしながら、書類仕事に打ち込んでいた。流石はゲヘナ学園。自由と混沌を校風に掲げている事だけはある。
今日はゲヘナ学園で風紀委員会の事務仕事の手伝いだ。積み上がっていた書類を処理し終えるとおかわりと言わんばかりに書類の山が追加された。天雨アコ。風紀委員会の行政官だ。
「ほら! ヒナ委員長が普段こなす量に比べたら微々たるものなんですから、早くしてください!」
「アコ、うるさい」
「はい!」
僕の後ろで書類仕事をしていた空崎ヒナが天雨アコを咎めた。
「気にしないで」
「ああ」
直接、命の取り合いをした者同士だけに、少し気まずい。
「ねえ……貴方」
「ん?」
「よかったらコーヒー飲む? さっきから仕事しっぱなしだし、疲れるでしょ?」
空崎ヒナが小首を傾けて、尋ねて来た。そう言えばここに来てからろくに休憩を取っていなかったな。
「ああ、いただこう」
「わかった」
「ヒナ委員長! コーヒーなら私が!」
「アコ。おすわり」
「はい!」
空崎ヒナに命じられて、行政官は書類仕事に戻った。しばらくすると空崎ヒナが湯気が立ったマグカップを二つ持って、戻って来た。
彼女は僕の横に座り、コーヒーを啜り始めた。
「奉仕活動は進んでいるの?」
「まあ、そこそこには」
「そう。先生には会った?」
「最近は会ってないな。定期的に連絡は取っているけど」
先生と最後に会ったのは何週間か、前だ。向こうもキヴォトス中を巡っていて多忙の身だ。連絡こそすれど、会うことはほとんどない。
「君こそ最近シャーレには行ってないのかい?」
「うん。でも二週間後に当番だから」
「その、先生の事はどう思ってるんだ?」
僕はふと気になった事を尋ねた。彼女自身、先生から深い信頼を置かれているのは知っている。だけど彼女自身はどう思っているのか、気になったのだ。
「信頼できる大人ね。私だけじゃ解決できないこともあの人となら、超えられる。そんな気がするくらい」
空崎ヒナが頰を赤くした。小鳥遊ホシノと同じくおそらく信頼以上の感情を持っているのは間違いないだろう。
「今、変なこと考えてた?」
「なんでもない」
空崎ヒナが目を鋭くして、横目で僕を見た。小柄ながら凄い圧だ。小鳥遊ホシノといい、キヴォトスの強者は心を読めるのだろうか。
風紀委員での書類仕事を終えて、矯正局に帰る準備を始めた。今日は終わりとは言え、まだまだ回る学園は多い。気を引き締めていこう。
学園の正門に向かおうとした時、ある光景が目にはいった。小さな少女が木の上に手を伸ばしていたのだ。
僕はこの少女を知っている。万魔殿の議員の一人、丹花イブキだ。彼女が手を伸ばす方を見ると風船が引っかかっていた。
木に向かって、飛び跳ねて風船を掴んだ。丹花イブキに手渡すと僕の正体に気が付いたのか、目を見開いた。
「余計だったな。すまない」
僕は学園の外に向かって、足を向けた。
「あ、あの!」
足が止まった。彼女が僕の動向を伺うようにこちらを見ている。
「よ、良かったらお話ししない?」
僕は彼女の提案を呑んだ。近くのベンチに座り、腰掛けていた。
少しの沈黙が流れる。
「その、さっきはありがとう」
「いいよ。気にしないで」
「その、ユドルさんは先生の事嫌いなの?」
丹花イブキが不安そうな顔で僕に尋ねてきた。幼い子供とはいえ、彼女は万魔殿の議員。僕に関する情報は共有されているのだろう。
「もう、嫌いじゃないよ」
「そっか! よかった〜」
僕の答えに安心したのか、丹花イブキが花開いたような笑顔を作った。先生が溺愛する理由が分かった気がした。
「ねえ、ユドルさんはいつ先生に出会ったの!?」
「ちょうど君くらいの時かな?」
「どんな人だったの?」
「今と変わらないよ。お人好しで誰かの為にずっと頑張っている人だ」
「そっか〜昔から先生は先生だったんだ。イブキね。ユドルさんと先生。仲悪いままだったの嫌だな〜ってずっと思っていたんだ! でも今のユドルさんの顔見て、安心した!」
「君は先生が好き?」
「うん。大好き! だからシャーレのお手伝いもたくさんお手伝いするの〜!」
「君は賢いな」
僕が同じ歳頃の時はここまで出来た人間じゃなかった。この子みたいに賢ければ、こうはならなかったのかもしれないな。
「イブキ。離れてください」
視界の端から冷たい声音が聞こえた。目を向けると長い臙脂色の髪の少女が僕を睨んでいた。
「棗イロハ」
「知っているんですね」
「ゲヘナのトップ組織の面々は知っているさ」
「まあいいです。とりあえずイブキから離れてください」
彼女が銃に手をかけようとしている。ここは大人しく席を立つか。
「違うよ! イロハ先輩! この人。木に引っかかった風船を取ってくれたの。だからお話ししていたの!」
丹花イブキが警戒心をむき出しにする棗イロハを宥めた。
「本当なのですか?」
「本当だよ!」
「分かりました。イブキに免じて信じます」
彼女が引き金から指を離した。
「貴方と先生の事情は理解しています。だからと言って警戒しないわけじゃありませんよ?」
「分かっている。罰を受ける覚悟は出来ている」
反省したところで過ちそのものは消えない。僕自身、それは骨身に沁みて理解している。すると校舎にチャイムが鳴った。おそらく帰宅を促す知らせだろう。
「失礼する」
僕はベンチから立ち上がり、正門に向かった。
「ユドルさん!」
丹花イブキに呼ばれて、足を止めた。
「また会おうね!」
そう言って彼女は太陽のように明るい笑顔を作った。僕は手を振った後、踵を返した。今度、行く時はお菓子でも持っていくか。