野球、サッカー、バレーボール、テニス…様々な運動部が優勝経験のある、スポーツの強豪校「春原高校」。体育館は周辺の高校と比べて二倍大きく、トレーニングルームや緑豊かなグラウンドが完備され。放課後になれば校舎のあちこちからシューズが床に擦れる音と生徒の掛け声が聞こえてくるこの学校にも、僅かながら文化部というものが存在していた。
そんな五本の指に入るほど珍しい文化部の内の一つであり、更に最も部員数の少ない部活。
それこそ春原高校が誇る歴史研究部ー通称歴研部。部員数は驚異の四人、しかも全員二年生。
「大した成果を上げていない」という理由から生徒会から冷遇されながらも、ある時は歴史談議に花を咲かせ、またある時はテスト対策に少人数の歴史の授業を開いたりと、何だかんだで活動に勤しんでいた。
いつものように授業が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴り響く。
さあ、今日も校舎二階の奥にある教室で、かつてイギリスの男どもがコーヒーハウスで議論に明け暮れていたように、持ち寄ったソフトドリンクをラッパ飲みしながら日が傾くまで語り合おうじゃないか――
「歴研部を…廃部にしたいと……?」
歴史研究部部長 古島みくりと副部長は、校舎二階の部室――ではなく生徒会室にいた。
みくりは震えながらズレた眼鏡を押し戻し、生徒会長が口にした言葉をゆっくりと繰り返す。
「何とか…何とかならないッスか!?自分たちにできることなら何でもやりますから!」
「ボランティアとか地域のごみ拾いとか、学校の役に立てることなら並行してやります!!」
「僕もあんまりしたくないんだけど、運動部に予算を回せって周りがうるさくてねえ…」
艶やかな黒髪と筋肉質な体が特徴的な副部長―田中聖巳が必死に訴え、みくりもそれに乗った。
しかし会長の反応は変わらず、椅子に深く腰掛ける彼はばつが悪そうにため息をつくばかり。
これでは埒が明かない。そう思ったみくりと聖巳は顔を見合わせて頷くと、一斉に会長の眼前に詰め寄る。突然距離を詰められて会長はたじろぐも、そんなことお構いなしに声を張った。
「奉仕活動でしたら、保健委員と協力して取り組むことができるのではないですか?いずれにせよ、廃部は納得できません!」
「そうですよ!それに、歴研部は春原高校の建立当初から存在する由緒正しい部活ッス!長い歴史を簡単に捨てちゃうなんてもったいない!!」
みくりのかっぴらいた眼から放たれる力強い視線と聖巳の人一倍大きい声を受け、会長は飛び跳ねるように後ずさったかと思いきや、視界から急にフェードアウトした。…否、椅子ごと後ろに倒れてしまったのだ。
「「あ」」
まずいと思った時にはもう遅く、どんがらがっしゃんと激しい音が鳴り、二人は反射で目を細める。
―耳を塞ぎたくなるような轟音の後に、静寂が訪れる。
空中を虚ろに回転するキャスターの音と、床に打ち付けられた会長の呻き声がやけに耳に残る。二人は暫く口を噤んでいたが、先にみくりが聖巳の肩をつついた。
「…ちょ、ちょっとダメじゃん聖巳、あんなでかい声出したら。会長倒れちゃったよ」
「俺のせいなの!?みくりだってめちゃくちゃ会長睨みつけてたのに!?つーか元々詰め寄ろうっ提案したのはそっちだろ!」
「の、のった時点で共犯だし……そういえば、会長どうしようか」
「この間にずらかるのは?」
「うーん、賛成」
責任を擦り付け合った挙句見て見ぬふりに満場一致で賛成するという醜態を晒していると、生徒会室の扉が勢いよく開かれた。騒音を聞きつけて入ってきた副会長が、ひどく冷めた目で二人を見やる。
「廃部寸前だというのに生徒会室で馬鹿騒ぎとは、随分余裕なんですね」
「す、すみません…いきなり会長が倒れたもので…」
みくりの謝罪に副会長はため息で返事をし、目を回す生徒会長を一瞥する。そして、「いつものことですから」とそっけなく呟くと、脇に抱えていたファイルから一枚の紙を取り出した。
紙には「春原高校 前期部活動予算」と書かれており、その下には各部活動と与えられている予算が表になっている。
「これを見れば分かるでしょうが、歴史研究部は前期だけで五万円の予算が与えられています。ですがあなた方は、いつまでたっても金額に見合う成果を残さず、やることは教室で生産性のないお喋りだけ。はっきり言って金の無駄です」
「ちょっと…!」
抗議の声を無視し、副会長は続ける。
「この五万円を野球部やサッカー部に回せたら、彼らは今よりも良い環境で練習ができる。言うまでもありませんが資金は有限…私達生徒会としては、少しでも多く有効活用したいのですよ」
あまりにも失礼な物言いに言葉を失う。勝ち誇ったような顔を浮かべた副会長はファイルから廃部通告を突きつけようとするが、それよりも先に、俯いていたみくりが顔を上げた。
「歴史研究部は歴史の研究や討論だけでなく、テスト前には生徒を集めて模擬授業を実施しています。私たちの授業を聞いてテストの点数が上がった生徒もいるんです。…そこを無視して廃部にするのは、少し早計ではないですか」
普段は頼りないみくりが、怒りで肩を震わせながら副会長相手に真っ向から物申している。
見たことのない彼女の姿に、聖巳も語気を強めて続いた。
「そうッスよ。それに、先輩がお喋りだと思ってる研究や討論は全て部室のノートにまとめてるし、文化祭には冊子して売り上げを学校に寄付してます。…趣味だけでなく実利も兼ねた部活動を不当に廃止するなんて、生徒会の名誉を傷つけるだけッス!」
二人の視線が突き刺さる。いつもは口が回る副会長ですら、一瞬黙らざるをえなかった。
「…テスト前の講義や文化祭の売り上げで我が校に貢献していたことは認めましょう。ですが、それにしても予算に見合った活動をしていないというのが我々の見解であり、それを変えることはできません」
「…どうしても、ですか?」
「ええ」
なおも諦めないこいつらの希望を叩き割らんと、副会長はぴしゃりと言い放った。再び生徒会室に沈黙が充満する。さっきよりもずっと重く、居心地が悪くなるような空気。
不意に、副会長が窓を見上げながら歩きだす。
「いっそ、かつての大洗みたく戦車道を復活させるのはどうですか?先代の部員の方々が貯めた資金で、軽戦車一両なら買えると思いますが」
そろそろ全国大会が始まりますしね、と付け加え彼は笑った。
戦車道。華道や茶道と並ぶ、女子の嗜みとして親しまれてきた武芸。
第63回戦車道全国高校生大会で無名の大洗女子学園が王者黒森峰女学園を破って栄冠を手にしたことが契機となり、下火となっていた日本の戦車道に再び火が付いた。現在では様々なルールでの大会が開催され、新規参入のハードルも昔と比べてずっと低くなっている。
しかし、春原高校は大洗が黒森峰を下した伝説の戦いよりも前に戦車道を廃止していた。原因は人員の減少。廃止に伴って当時保有していた戦車は売りに出し、現存している車両はない。有り金をはたいてたった一両の戦車を買ったところで、早い話が「無理」ということだった。
部長が「わかりました」と言うか、自分が引導という名の廃部通告を突き出すのが先か。副会長はほくそ笑む。
「わかりました。やります、戦車道」
――しかし、彼女が出した答えはどちらでもなかった。予想と逆を行く回答に、副会長は思わず噴き出した。驚いたのは聖巳も同じようで、咄嗟にみくりの方を振り返る。
「みくり、さすがにそれは無理なんじゃ…!」
いつもは前向きな聖巳ですらも表情を曇らせる。しかし、みくりは副会長が述べた以外の廃部撤回のルートが奇跡的に思いついていた。
「大丈夫、何も全国大会に出る訳じゃないから」
みくりは副会長に向き直って尋ねる。
「ウチの学校の戦車道に関するデータって、まだ残ってますか?」
「そ、そんなもの――「ちょっとお借りします!」
副会長が答える前に、みくりは彼の持つ部活動のファイルを取り上げ、中のページを捲った。
「おっ、おい!返せ!!」
「聖巳!ホールド!!」
「おうよ!」
慌てて取り返そうと手を伸ばす副会長だが、その動きはたちまち聖巳によって封じられてしまう。日々の筋トレで鍛えに鍛えた聖巳のホールドから抜け出せられるのは、せいぜい現役のプロレスラーくらいだろう。
聖巳が副会長の動きを止めているうちに、みくりはお目当ての情報を探す。時折副会長の悶絶する声が聞こえる気がするがそんなことを気にしている暇はない。やがて、ファイルの奥にホッチキスで留められた十枚程度のプリントの束を見つけた。表紙には達筆の「春原高校 戦車道」のタイトル。
「これだ…!」
みくりは素早くそれを抜き取ると、咄嗟にシャツとセーターの間に隠した。同時に聖巳に目で「もう大丈夫」のサインを送る。確認した聖巳が腕の力を緩めると、副会長は力尽きたように脱力してドサリと床に突っ伏した。
椅子は倒れ、ファイルは散らばり、会長と副会長が気を失って倒れている生徒会室。改めて見るとひどい有様だな、とみくりは他人事のように思った。…当然、こんなところに長居などしたくないので、二人は早々に「失礼しました」と頭を下げてそそくさと撤収する。
部室に戻る途中、通りすがりの先生から「生徒会室ですごい音が聞こえた」と不審がられたが、よくわからないけど大丈夫です―と親指を立てて事なきを得た。
~夕暮れの生徒会室にて~
「…失礼って……レベルじゃ…ない……だろ……」
「う~ん……あれ、僕は一体何を…?どうして副会長君がこんなところに…!?」