ドスンという鈍い音の後に、木々の間から黒煙が立ち上る。もしかして―と思う間もなく、みくりは雑木林から抜け出してくる四号戦車と三号戦車の存在に気が付いた。
『すまない!今度はこちらがヴァルハラに送られてしまった…』
「速度と主砲が厄介なT25を倒してくれるなんて大戦果ですよ!怪我はないですか?」
『ああ、みんな無事だ。…検討を祈るぞ、大佐!』
無線越しのポルシェの声は悔しさが滲んでいたが、相手の中でも走攻守の揃った戦車を撃破してくれたのはありがたい。後を託すポルシェに任せてください、と力強く返したところで通信が切れた。
パンター偵察戦車が撃破された今、パンテーラは四号戦車と三号戦車による二両がかりの追いかけっこの餌食となっている。三号の砲撃を躱せば四号から砲撃が飛んできて、操縦手に指示を出すだけで精一杯だった。
「マザカちゃん!狙われないように、ふらふらした感じで走れる!?」
「やってみます!」
照準をしぼらせないように、緩急をつけて左右に不規則に走るパンテーラ。マザカが操縦桿を倒すのに車内も合わせて揺れるが、もはやパンテーラのクルーはそんなことを気にする余裕などなかった。
「3、2、1―回避ッ!」
四号から放たれた徹甲弾は間一髪で回避できたが、完全には避けきれず砲塔にかすり傷ができる。
相手もパンテーラの動きに慣れてきたのか、徐々に狙撃の精度を上げてきていた。これ以上同じ行動を取り続けていれば、いずれ戦況は振り出しに戻るだろう。冷汗がみくりの頬を伝う。
「聖巳!榴弾装填!サンガリアは四号目掛けて撃って!当たらなくてもいいから!」
「了解―だけど、榴弾じゃ相手にダメージ与えられないんじゃない?」
「地面を抉って土煙を起こすつもりでしょ。操縦手の近くを狙うわ」
ははぁ、と納得した聖巳は持ち前の筋肉で素早く榴弾を砲尾に持ち上げ握りこぶしで押し込む。重い榴弾も徹甲弾とほぼ同じ速度で装填する―という驚くべき能力を発揮し、間もなく装填が完了。
カチリという音を合図に、サンガリアは四号の操縦手席付近に狙いを定めてトリガーを引いた。
押し出された榴弾は四号の手前で炸裂し、その場に土煙を巻き上げる。突然視界を遮られたことで、追跡していた四号の動きが僅かに鈍った。
「よし!!今のうちに三号を―」
しかし、視界を覆われた四号はギアを全速にして土煙を迂回。ハルキ工業の技巧によって史実よりも強化されたパーツが、カタログスペックを超す速度で走ることを可能にしたのだ。
四号は何事もなかったかのようにパンテーラの前に躍り出ると、その長い7.5㎝の砲を向けた。
みくりの視界の中心に、四号の砲口が飛び込んでくる。
どこまでも深く暗い漆黒に、一瞬灯る閃光。
「ひぃぃぃぃやぁぁぁぁぁ!!!」
目の前で砲撃されたみくりは指示も忘れて恐怖に叫ぶ。勝負は決した――かのように思われたが、叫び声から攻撃を察したマザカが直前でブレーキをかけ、砲弾は的外れな方向へ飛んでいった。卓越した回避能力に、勝利を確信していたローゼマリーも目を見開いて驚く。
「セーフ!間に合いました!!」
「あ、な、ナイスかいひぃ、マザカちゃん…」
完全に気圧されて今にも意識を失いそうなみくり。そうしている間にも敵は次の手を打とうとしており、こちらも早く対応しなければならない。だというのに、肝心の車長は魂が抜けたまま硬直している。意を決したサンガリアは、呆けているみくりの腕を掴んだ。
「
力強い讃岐弁がパンテーラの車内に響く。サンガリアの激励を受け、虚ろな表情をしていたみくりは意識を取り戻したかのように目を見開いた。
「あ、や、今のは、その―」
「ありがとう…!そうだよね、イェーガー大佐ならこの状況でも勇敢に戦うはず…!!」
勢いで故郷の方言まで出てしまったことを耳まで赤くして恥じ入るサンガリア。だが、当の本人は全く気にしていない。それよりも、イェーガー大佐を話題に出されたことで大いに心が奮い立っていた。仮にも彼の名を名乗るものが、砲撃を間近に受けて悲鳴を上げるなどあってなるものか。
みくりは再度キューポラから半身を出し、敵の動きを観察する。
砲撃の為に照準の微調整を行っている四号。その一方で、すでに装填を終えているだろうに攻撃を仕掛けてこない三号。これまでの攻撃の仕方から考えると、今のタイミングで砲撃しないのは不自然だ。何か意図があってのことだろう。
パンテーラを斜めに挟むように位置取る二両は、互いに砲を向け合っている。ということは、双方向からの
「…私たちを中心に、射線が交わってる…だったら!」
みくりはマザカの肩を蹴った。前進の指示を受け、パンテーラは加速しながら走り出す。振り返ると、三号戦車は増速しつつもパンテーラの背後を狙える位置から動こうとしない。
みくりは確信した。
「マザカちゃん、合図でもう一度さっきみたいな急停止できる?」
「いけます!!」
マザカの言葉に頷き、視線を四号に移す。パンテーラの動きに合わせてゆっくりと動く四号の砲塔。合図のカギとなる砲撃の瞬間を見逃さないように、眼鏡越しに鳶色の瞳を大きく開いた。
微動だにしない砲身が、光る。
「今!!」
50㎞/h近い快速で走っていたパンテーラはみくりの声と共に急停止。時を同じくして、三号と四号は
三号戦車が放った弾は、四号戦車の砲塔前面へ。四号戦車の放った弾は、三号戦車の車体下部へ。
四号戦車は跳弾したが、味方からの砲撃を喰らった三号戦車は大きく揺れて白旗を上げた。
「友軍誤射を誘発された…!?」
ローゼマリーは目の前の光景を疑った。パンテーラを狙って放った砲弾は、予想外にも急停止されたことで倒すべき本来の相手を見失い、味方である三号戦車の車体下部へ吸い込まれていった。二両がかりで追い込む作戦を逆手に取られたのだ。
これで数的優位はなくなった。1vs1で戦い、勝利する。それがグロースクロイツに残された唯一の選択肢であることを、彼女は瞬時に理解した。
気付けばパンテーラは右に旋回して間合いを詰めようとしてきている。即座に操縦手の肩を蹴って前進を命じた。
「三号車の皆さん、まことに申し訳ないですわ。怪我はないですの?」
『大丈夫です!こちらこそよく見ずに砲撃してしまいました…申し訳ありません!!』
「あなた達は謝らないで。全ては指示を出したわたくしに責任があるの。…この不手際は勝利で取り返すと約束しますわ」
三号車との通信を終え、ローゼマリーはペリスコープから相手の様子を伺う。正面から食らいつくように突撃してきたパンテーラは、ローゼマリーが砲撃の指令を出す直前に左折し、通り過ぎながら左側面に砲撃。しかし衝撃を代わりに受けたトーマシールドが剥がれるだけで済んだ。
「通信手!履帯に向かって機銃を!」
「Jawohl!」
臆せずに真正面を突っ切ってきたパンテーラの履帯目掛けて、四号戦車の同軸機銃が火を噴く。バチバチと音を立てて連射されると、いくつかの銃弾が履帯の間に挟まり動きを悪くした。
「グデーリアン様の言葉を借りるならば、"絶望的な状況というものは存在せず、絶望する人がいるのみ"―ですわ。右に回り込んで!」
クルーを鼓舞しながら冷静に指示を出す。超近距離でのタイマンという局面でも、ローゼマリーの瞳の輝きは失われないどころか増していた。
一対一の状況でも仲間と戦車への思慮を忘れず、勝負を楽しむ度胸こそが、彼女が『ゲルマニアの騎士』と呼ばれる所以であった。勝利の女神に誘いかけるように、四号戦車は大胆にもパンテーラの右側面に回り込もうと動き出す。
両校の倒された生徒らが見守る中、二両の戦車は攻撃の端緒を開くべくグルグルと回る。しかし四号の機銃攻撃が災いし、パンテーラの動きは随分とぎこちなくなってしまった。ようやく離せた距離も縮められ、次第に近づいてくる四号戦車。
「履帯に弾が挟まりました!動きが悪いです!」
「機銃掃射のせいね…相手は近接戦闘での機動力の重要さを分かっているんだわ」
苦虫を嚙み潰したような顔でマザカは報告する。サンガリアの分析通り、敵はこちらの足を潰した上で仕留めにかかってきている。
「これ以上動き回って戦うのは難しいんじゃない?」
砲弾を抱えたまま聖巳は見上げる。暫し厳しい表情で悩んでいたみくりは、「―いや」と切り出した。
「マザカちゃん、最後の力を振り絞って四号の左側面に回り込める?」
「…確実に履帯は壊れます。それでも、いいですか?」
「大丈夫。砲塔旋回さえ
「…ふふ、いいでしょう。かつて"鹿児島の幽霊師団長"と恐れられたテクニック、お見せします!!」
小学生時代の戦車道の記憶が瞼の裏に蘇る。エンジンやギアボックスの不調といった全ての懸念を無視し、全速力で戦場を駆け回るあの快感。試合の後は必ず教官から怒られていたが、今や阻む者は誰もいない。マザカはカッと目を見開き、力強く操縦桿を握った。
接近する四号から逃げるように、速度を上げながら動き出すパンテーラ。揺れる車内でみくりは聖巳とサンガリアに向き合った。
「私たちは敵の左側面に回り込む訳だけど、きっと一筋縄ではいかないと思う。だから、陽動を仕掛けたい」
「よーどーって?」
「敵の注意を逸らすために、あえて違う行動を取る事よ」
聖巳の質問に素早くサンガリアが答え、みくりは頷いた。ただ左に回り込むだけでは確実に対策をされてしまうだろう。
「敵に接近しながら二発の攻撃を仕掛ける。一発目は徹甲弾で、ターレットリング辺りを狙って撃って。本命は二発目。一発目を撃った直後に徹甲弾を装填して、左側面に回り込んで停止したのと同時に砲撃してほしい。皆にはかなり負担がかかると思うけど…でも、そうでもしないと勝てないんだ」
「四号の側面にはトーマシールドがあるわよ。撃っても貫通できないと思うけれど」
「左側面のトーマシールドは、四号の目の前を通過しながら砲撃した時に壊した。私が狙ってるのはそこ」
「…なるほどね。いいわ、付き合ってあげる」
サンガリアが納得する一方で、聖巳は砲弾が収納されたラックを一瞥した。そこそこの重量がある砲弾を、重力がかかりっぱなしの車内で素早く装填できるだろうか。一抹の不安が胸の中を過る。だが、既に答えは決めていた。
「了解よ。筋肉に誓って、絶対に勝たせてやるぜ!」
聖巳は満面の笑みと共にみくりを見上げた。プレッシャーで強張っていた車長の顔に笑顔が戻る。
加速する戦車の中で、みくりはぎゅっと拳を握った。
逃げていたと思いきや、パンテーラは突然車体を反転させて四号の元へ突っ込んでいく。狩りをする獣のように突進するパンテーラは、距離を縮めていく最中に砲撃を繰り出した。
至近距離からの砲塔を狙った一撃に四号の乗員は物理的なショックを受けるも、体勢を崩さずに照準を合わせる。
「甘いッ!走りながらの120㎜の装甲を抜けるなどと思わないことですわ!」
まるで、主砲を向けられたことに驚き、慌てて砲撃したかのような芝居がかった砲撃。敵は何かを企んでいる―とローゼマリーは思ったが、思考するよりも先に指示を下す。
「この一瞬で仕留めてさしあげる!砲撃用意!」
四号の砲手は目を狭めながら、土煙を上げて近づくパンテーラに照準を合わせる。レンズの向こうのパンテーラは次第に大きくなり、レンズ越しに車体下部が映る。80㎜の装甲。貫通させるには十分すぎる距離。
「Feuer!!――あらッ?」
ローゼマリーの号令が響く。しかしパンテーラは砲手が引き金を引く直前で四号を迂回し、トーマシールドの剥がれた左側面へ、キツい旋回を敢行した。
「うおらぁぁぁッ!!!」
急旋回による重力が全身を襲うが徹甲弾を胸に抱く聖巳は何とか堪える。雄たけびをあげながら、聖巳は六秒間で装填を成し遂げた。平原で戦闘していた時よりも早い、正に異次元の装填速度。グローブのはまった拳が力強く砲弾を押し込んで、装填が完了する。
マザカも操縦手席のハッチを全開にし、四号の懐を目掛けて片方の操縦桿を引き倒した。開けたハッチから泥や土の飛沫が飛んでくる。鼻孔を擽る大地の香りに、マザカは気分が限界まで高鳴るのを感じていた。
「ひゃっほーーーい!!!」
ギャリギャリギャリ!!と履帯が悲鳴を上げながら四号の左側面に回り込むのと同時に急停止。指示通りの位置に陣取ったのを確認すると、マザカは小さく息をついた。数々の激甚な操縦が祟って履帯も壊れ、操縦手の役目はここまで。後は砲手であるサンガリアが決めてくれるのを祈るだけである。
「履帯上…違う、もう少し右。確実に倒せる場所を…」
急制動がかけられぐわんと車内が揺れるが、サンガリアは目の前の四号に意識を集中させ、露わになった側面の中でも最も貫通させられそうなところを狙っていた。
真正面での戦闘という予測が外れたローゼマリーは急いで砲塔旋回を指示する。シュマールトゥルム砲塔型四号戦車は砲塔の旋回が遅いが、ハルキ工業の修理のおかげでその弱点は大幅に改善されていた。
しかし、
「撃てッ!!」
みくりの号令と共に砲弾が炸裂。サンガリアが放った徹甲弾は四号の側面の砲塔基部に直撃した。噴き上がる煙が二両の間を包む。何十分にも感じられた数秒後に煙が晴れると、みくりの視界に白旗を上げる四号戦車が映った。
『グロースクロイツ高校、シュマールトゥルム砲塔型四号戦車走行不能!春原高校の勝利!』