戦車も人員も足りない中で考えついた策略とは―
生徒会室から足早に去ったみくりと聖巳が部室の扉を開けると、既にもう二人の部員が飲み物片手にくつろいでいた。
「珍しいわね、部長と副部長が遅れてくるなんて」
優雅に足を組みながら、ワイングラスに注がれたオレンジジュースに口付けるのは、銀髪とネイビーブルーの瞳のコントラストが美しい部員の三賀凛―通称、サンガリア。
古代ギリシア、とりわけ黒海の下に位置したビテュニア王国びいきな彼女は、自らをビテュニアに流れていた河川であるサンガリウス川から拝借した名前をソウルネームにしている。古代ギリシア好きならノンアルコールワインを嗜むのでは、と思った方もいるかもしれないが、サンガリアはブドウよりもミカンの方が好きなため、わざわざワイングラスに注いでまでオレンジジュースを飲んでいる。
「今日の議題は何にします?アレクサンドロスとカエサルとナポレオンなら誰が一番優れてるか、とか?」
その横でマサラチャイを一気に飲み干す、オレンジのロングヘアがチャーミングな部員の真木円香―通称マザカは、待ちきれないといった様子でみくりと聖巳に向き直った。彼女はサンガリアと同じく古代ギリシアに詳しいが、その中でもカッパドキア王国を推していた。ソウルネームの由来はカッパドキアの首都である「マザカ」から。
「それはこないだ話したし、途中でカエサルとアレクサンドロスの悪口大会になったからなあ」
「だってぇ…アレクサンドロスってカッパドキアのこと侵略してきたしぃ…」
「まあまあ、私たちがやるのはあくまでも議論だから」
唇を尖らせるマザカをみくりが窘める。この間のマザカの豹変ぶりといったらそれは物凄く、MG42の如くアレクサンドロスへの誹謗中傷を捲し立てていた。「跡継ぎヘタクソ世界大会優勝候補」「戦狂いの大酒飲み」など、思い出したらキリがない。
「しょうがないじゃない、ローマがビテュニアを傀儡にしたのが悪いのよ。にしたってあのハゲのヤカン頭は気に入らないわ…」
「なんだとテメー!!今カエサル様の悪口言いやがったな!!」
しかし、サンガリアが一度カエサルの悪口を零すと、今度はみくりの態度が豹変する。
古代史好きに偏重したこの歴史研究部で、古代ローマー特に共和政期のローマを推し、なおかつカエサルにガチ恋までしているこの女が、部長の古島みくりである。
「あら、やる気?私はいつでも受けて立つわよ」
「バリスタ!バリスタ持ってこい!すり潰して粉微塵にしてやる!!」
「はいそこまで。っていうかみくり、重大発表しなきゃでしょうよ」
「……ああ、うん、そうだったね」
みくりとサンガリアの間にバチバチと火花が散ったが、どうにか大事に至らずに済んだ。聖巳の口から発せられた"重大発表"という言葉を聞くなり、臨戦態勢に入っていたみくりがいきなり覇気を失う。そのただならぬ様子に、サンガリアとマザカは不吉な何かを感じ取った。
「先ほど、生徒会から呼び出しがありました。…要件は、歴史研究部の廃部についてです」
サンガリアもマザカも、自分の耳を疑った。
「そんな、いくらなんでも急すぎます!!」
「…廃部の理由は?」
マザカは勢いよく立ち上がり、そんなの認めたくありませんとばかりに声を張る。姿勢を崩さずに聞いていたサンガリアですら、ワイングラスを持つ白い手が小さく震えていた。
「予算の無駄だから。私たちに使う金があれば、運動部に回したいんだってよ」
「生徒会の連中は、私達がただお喋りをしているだけだと思っているの?」
「そう。だから私と聖巳はしつこいくらいに反論した。…でも、答えは変わらなかった」
サンガリアは絶句し、マザカは青ざめた表情で口元を覆う。
「しかし!私はある解決策を思いついた!!ずばり、それは―」
重苦しい空気を薙ぎ払うように机を叩き、息を吸う。
「戦車道を復活させて、大会で活躍すること!」
みくりが今日一番の大声を出す。
"戦車道"―その言葉を聞き、一人は顔をこわばらせ、もう一人は目を輝かせた。
「戦車もない、人員もいない、そんな中で出られる大会なんて…」
顔をこわばらせた一人であるサンガリアは首を横に振る。どこか悲しく不安気な面持ちは、何かを強く恐れているように見えた。
「私も最初はそう思ったけど、少ない人数で戦うルールの『宝珠杯』があることに気付いたんだ」
宝珠杯―試合に出せる戦車は最大で五両の、少人数で行われる戦車道の公式大会。
戦車道を始めた学校が増えたことを受け、戦力が不十分なビギナーでも活躍できる場を与えよう、ということで創設された比較的新しいこの大会は、春原高校にうってつけだった。
「この大会に参加して、最低でもベスト4入り…欲を言えば優勝までできれば、さすがの生徒会でも廃部を取り消してくれるんじゃないかなって」
「戦車はどうするんです?」
サンガリアとは対照的に満面に喜色を湛えるのは、目を輝かせたもう一人であるマザカ。
「副会長は『部費を全部使い切れば軽戦車一両は買える』って言ってたけど、なーんか怪しいと思ってさ。だから強奪してきたの、コレを!」
そう言って、みくりは誇らしげにセーターとシャツの間からプリントの束を取り出した。
「今から20年前に春原は戦車道を廃止したけど、当時のデータは残ってる。まずはこれを読んでから、戦車の購入とかメンバーの募集とかした方が安心じゃない?」
「確かに。もしかしたら昔の先輩方が校舎のどこかに戦車を隠してくれてるかもしれませんしね」
「そうそう!それが一番理想的なんだけどな~」
「どうせあるなら強くてデカいヤツに乗りたい…」
「スピードの出る戦車も捨てがたいですよ!」
わいわいと盛り上がる三人を傍目に、サンガリアは一人俯いていた。ふと違和感を感じたみくりが振り返ると、彼女は震えを隠すよう手のひらを強く握っている。
「…サンちゃん、どうかした?」
ソウルネームを短縮したあだ名の「サンちゃん」。普段ならこの名前で呼ばれるたびに嫌がっていたものだが、今の彼女は、ただ顔を険しくしながらその場に立ち尽くしていた。
「……もう一度、戦車道と向き合わなきゃいけない時が来たのね」
暫く黙っていたサンガリアが、意を決したように口を開く。
「実は私、中等部の頃まで戦車に乗っていたの」
「えっ、サンちゃんって戦車道経験者だったんだ!」
「マジか、今の今まで知らなかった」
「私も初耳です…!」
メンバーが口々に顔を見合わせる。部活動中、特に議論の最中に時折見せる彼女の勇ましさはここから来ていたのかと、皆が納得する。しかし、サンガリアの話はまだ終わっていなかった。
「―でも、三年生の夏に辞めた。人格が二つに分かれてしまったから」