人がすっかり静まり返った深夜。
町はずれの小屋の中で、ある男が動いていた。
「……危ない危ない。サーヴァントを呼ぶ前に殺せて良かった」
彼はたった今生まれた死体の服をまさぐる。
ナイフと財布以外何も持っていなかったが、財布の中の運転免許証が彼の素性を表していた。
「雨流龍之介……最近の冬木連続殺人は君のせいだったのかな?」
ぐるりと視線を巡らせれば、地獄とも言える様相が目に入る。
そこらにいる何人もの子供らは、その全員が自身の血で赤く染まり、その傷口から新たな血が流れることはない。完全に絶命している証拠だった。
彼は目を閉じ、静かに祈った。せめて、この子たちが天国へ行けますようにと。
「……それじゃ少し失礼して」
まだ温かい死体の手を撫でる。その甲に浮かぶ赤いアザのような紋様は、彼が触れた部分から消えていき新しい紋様が彼の右手の甲に刻まれていった。
彼は感嘆の息を漏らす。
「……これが令呪か。こんな緻密で綺麗な式、解析に何年かかるやら」
その小さな紋様に何百何千の式が編まれているのか。どれだけの才人が作り上げたのか。その執念と掛けた時間の密度は、彼の興味を引くには充分以上だった。
しかし彼の腕時計からピリリと無機質なアラームの音が鳴る。
「あぁ、そこまで時間の余裕はないんだった」
令呪に奪われていた意識を戻し、杖を使い床へガリガリと何かを書いていく。真円を外周として、その内へ線を組み込んでいく。全てに意味を持たせるその作業は、なかなか精神を削った。
決して短くない時間が経ったのち、杖をそこらに放り投げた彼は真円の縁に立った。
「———告げる」
彼は聖句を歌う聖職者のように、言葉を紡いだ。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
頭蓋を内側からなぞられるような違和感が脳を揺らす。彼が歌う。ぐるぐる魔力が巡り、その身体に負担を強いていった。
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ………っ!?」
薄い唇が、血臭の混じった吐息をこぼした。どこかの血管でも破裂したのだろうか。
——あぁ、くそ。このオンボロ身体め!!
最低限の治癒魔術を行使し、思考を目の前の魔術に戻す。
彼本人は魔術師としては、三流にもなお劣る。規模の小さな治癒魔術ですら自力で発動させるのはなかなかの労力を使う。
今行っている魔術はある程度の補助があるといえ、油断して良い訳ではない。
「我は常世総ての、善と成る者、我は………常世総ての悪を、敷く者!」
治癒された傷口が再び裂け、より多くの血が口から漏れ出す。
言葉を発するたびに、ぶわりと冷や汗が吹き出し、口の中が急速に乾いていった。眼球が痛いほどに熱を持ち、手足の末端はどんどん冷えていく。
それらは身体が発している拒絶反応。その全てを意思の力だけで断ち切り、彼は詠唱を結んだ。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ———!!」
網膜を焼くほどの魔力が煌々と励起し、体を成した。
真円の中央に立つのは1人の女性。紫のローブを羽織りフードで目元を隠した、それでもなお美女だと分かるその雰囲気。
「——貴方が、私のマスターかしら?」
聖杯を得るための小さな小さな大戦争。その4回目。
正史とは違う、別の可能性がここに生まれた。
◇ ◇ ◇
——まず、前提から行こう。
当時、
ありていに言えば才能があったのだろう。学校の勉強はもちろん、おおよそ目についた事は、日数をかければこなせてしまった。
研鑽さえ積めば、何処かの分野で第一人者となることも可能だっただろう。
しかしそんな情熱が生まれるはずもなかった。
自分に要求されるのは一定の日数。多少手こずろうとも、その回数は決して多くなく。それ以外は単純作業の繰り返し。ただ、興醒めする事が増えた。
世に絶望するほど無才でも、全能感に酔いしれるほど傲慢でもなく、なんとも中途半端な才能は、彼から本気を奪っただけだった。
生きていくための金銭を適当に運用しながら、何かに熱中できる人を少し羨ましいと思いつつ、それでも良いと達観していた。
身の丈にあった願いを叶えながら生きて、何処とない居心地の悪さに苦笑しながら過ごしていた。
そんな彼が、偶然、
偶然。
その後の行動は半ば必然と言える事象であったが、最初の最初だけは紛う事なき偶然だった。
同時に、嵐であった。積み重ねてきた常識を吹き飛ばし、何もかもを跡形もなく破壊する、暴風。
(初めて、
それは生まれて初めて、彼に突きつけられた事実であった。
(……魔術の世界で、私は凡人未満の存在だ)
魔術とは血の世界。
血統に潜在する『力』をどこまで引き出せるかこそ才能や努力によるものだろうが、
どこか遠い血縁に魔術師でもいたのか、魔術を使う権利だけはあったが、それがかえって魔術への執着を強めた。
(……魔術師として大成するのは不可能)
たとえ彼が天才であろうと、たとえ彼が尋常ではない努力を重ねようと。この厳然たる事実だけはひっくり返せない。
——
この世界は、自分が太刀打ちできないほどに広かった。
それこそ細胞の一つ一つから生まれ変わったような、体内での爆発にも似た一瞬。臓腑を全てひっくり返し、魂の奥から叫び出したいほどの興奮と衝撃を覚えていた。
残りは全て必然だ。
魔術に魅入られた彼は、魔術を極める事を許されず、だからこそ魔術そのものを知ろうとした。
その在り方が現代社会とまるで異なり、だからこそ真っ当な方法で幸せに成ることなど不可能に近い。誰にも顧みられない魔術師たちが、誰からも賞賛されない魔術を磨いて、押し潰されながら死んでいく。
そんな事を何十代も続けてきて、これからも続けていく。
それがとても悲しく思えてしまって——そんな魔術師たちへ、自己中心的な幸せを押し付けようと決めた。
だから彼は、アーキルという1人の男は、聖杯戦争へ参加を決めたのだ。
◇ ◇ ◇
「あぁ、私が君のマスターだ」
アーキルは令呪を彼女に見せつつ答えた。
「美しい人。君のクラスは、キャスター……でいいのかな?」
「……えぇ、そうだけれど」
アーキルは、その相貌を崩して嬉しそうに笑う。
「それは良かった!服装から見てギリシアか!?サーヴァントとなった魔術師の知識にどれだけの価値があるか考えただけで身震いが止まらな——ぉえ」
「あら」
1人で勝手に騒いでいたアーキルは真っ赤な血を吐いた。ただでさえ身の丈に合わない魔術を使い疲労した体。そんな状態で騒げば体のどこかは壊れるのが当然だ。
まぁ、すぐにキャスターが治したので後に引くような問題はないだろう。
「マスター、少しは正気を取り戻したかしら」
「……すまないね。まさか治療をしてくれるとは」
「ボロボロな体のマスターに仕えても不安なだけだもの」
それはそうだと、アーキルは少し笑った。砂埃と木屑で汚れたスーツとスラックスをはたき、軽く汚れを落とす。吐血で濡れた部分は後で洗うしかないだろう。
「さて取り敢えず……うん」
ちら、と周りに視線を動かせば目に入ってくるのは数々の死体。そのほとんどが子供であり、拷問された様な痕が残るものも複数ある。
何より足元に自分が殺した、連続殺人鬼らしき人物。
アーキルは一度頷いて、困った様に笑った。
「まずは通報して逃げようか」
思わず呆れた表情を浮かべたキャスターは決して悪くないだろう。