魔術師たちに幸せを   作:siyu

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神秘の観測

 

 自分の意志で息を吸えない。指が一本たりとも動かない。ただ彼女の事を考えるために思考の全てが使われる。

 

 そんな魂まで石化したような感覚。

 

「………魅入られるとはこういう事か」

 

「?」

 

 小さく首を傾げたメディアに、軽く肩を竦めてみせる。

 

「いや、なんでもない」

 

 だが自分の言葉とは裏腹に、視線は自然と彼女へ向かう。

 

 彼女は美しかった。

 

 単に容姿の話ではない。張り詰めた魔力、洗練された所作、存在そのものが纏う神秘。

 

 文字通り、神代の魔術師。

 

 それも、数多の英雄譚に名を残したコルキスの王女。伝承の中にしか存在しなかったはずの魔女が、今こうして目の前に立っている。

 

 その事実だけで、現実感が薄れていく。

 

「アルゴノーツのメディア……まさか、コルキスの王女その人を喚び出せるとはね」

 

 思わず笑みが漏れた。遥か神代に生きた怪物と、同じ場に立っているという昂揚。

 

「この出会いに感謝しよう、キャスター」

 

 メディアは数秒だけ私を見つめ、それから目を細めた。

 

「……変わったマスターね。普通なら、もう少し警戒するものだけれど」

 

「いやいや、私の能力の低さを舐めてもらっては困る」

 

 胸を張る事ではないが、きっぱり言い切る。

 

「君がその気になったら、私は1秒もかからず死ねるよ。苦痛がなくて良さそうだ」

 

「誇る事かしら、それ」

 

「残念だが事実でね。私に魔術の才があれば聖杯なんて頼らない」

 

 肩を竦めながら笑う。

 

 実際、警戒したところで意味などない。

 

 片や英雄(サーヴァント)。片や、多少小賢しいだけの魔術師崩れ。正面から敵対した時点で勝負にすらならない。

 

「だったら無駄な虚勢を張らずに協力関係を築いた方が建設的だ」

 

 数秒、メディアは黙ったまま私を見つめていた。値踏みするような視線は、なんとも恐ろしい。

 

 やがて彼女は、小さく息を吐いた。

 

「……本当に変わった人間ね、貴方」

 

「褒め言葉として受け取っておこうか」

 

「ええ、そうしなさい。少なくとも、無意味な誇りに縋る男よりは扱いやすそうだもの」

 

 その口調はどこか皮肉げだったが、拒絶感は薄かった。どうやら最低限、話は聞く価値がある人間程度には認識してもらえたらしい。

 

 なら上々だろう。

 

 椅子に深く腰を預けながら、今後の段取りを頭の中で整理する。

 

「予定より前倒しで喚んだから、聖杯戦争が始まるまであと数日はある」

 

「その期間で工房を整えろと?」

 

「それも必要だけど、先に片付けたい事がいくつかある。当面はこの家を仮の工房として機能させるよ」

 

 工房とは魔術師にとって自身の城であり命綱。工房の中であれば能力以上の実力を発揮し、敵の魔術を弱める。この家を建てるのに相当な費用と手間をかけた。

 

 かの魔女が作る工房とは天地の差があるが、臨時で使うなら十分な性能だ。

 

「……確かにその程度なら出来そうね。現代魔術師としては、丁寧に組まれていると思うわよ」

 

 メディアは壁面へ刻まれた術式へ視線を流し、軽く頷いた。

 

 まぁ、褒めてはいるのだろう。だが神代の魔女基準なので、現代にしては頑張ってる小屋、くらいの評価な気がしないでもない。

 

「それは光栄だね。君の褒め言葉なんて、来世まで自慢できそうだ」

 

「大袈裟じゃなくて?」

 

「本当だよ。時計塔でその台詞を録音して流したら、何人か感動で失神してもおかしくない」

 

 おどけながら笑えば、メディアは呆れたような目を向けてくる。

 

 その視線を受け流しつつ、机の引き出しから小箱を取り出した。黒檀で作られた重厚な箱。持ち上げるだけで中身の価値が伝わるような、嫌に存在感のある代物だ。

 

「協力してくれる君への先払い、あと万が一の保険だね」

 

 開ける様に促せば、メディアは箱に掛けられた施錠魔術を容易に解除し、蓋を開ける。

 

 箱の中に納められていたのは、小振りな宝石だ。

 

 深い青。海の底を閉じ込めたような色彩。その輝きの奥には単なる装飾品では終わらない歴史が宿っている。

 

 メディアの目が細くなる。魔術師としての感覚が、その小さな石一つに積み重なった年月と、人々の欲望を見抜いたのだろう。

 

「古くはヴァイキングの秘宝でもあった。英国博物館に飾られても遜色ない歴史を持つ逸品だ」

 

「魔術的にも相当……これを得るのにいくら掛かったのかしら」

 

「言う必要性を感じないね。君の手を借りられるなら億でも安い」

 

 何せ彼女はその魔術で海を割り、山を砕き、ゼウス(最高神)を退けたという逸話さえある。ことキャスターという分類であれば、最上位に位置するだろうほどの人物。

 

 流石にそのレベルの呪物はそうそう得られないが、奥の手は他にもある。下手に手札を増やすよりメディアに渡した方が上手く使ってくれるだろう。

 

「最近デカい買い物をしたから少し懐は寂しいが、残った金額でも大抵のものは買える。欲しい物があれば言うといい」

 

「あら太っ腹」

 

「私の生殺与奪は君が握っているからね。機嫌を取るためになりふり構ってられないのさ!」

 

「身も蓋もないわねぇ」

 

「恥を捨てる程度で聖杯戦争を勝ち抜けるならそれこそ安い。存分にせびってくれたまえ」

 

 表情筋の許す限りの可動域を使って全力で微笑むと、彼女は肩を抱いて身を引いた。失礼な。

 

「……これ以上貴方に貸しを作ると後が怖いわ」

 

「否定はしない。だからまずは、その宝石分の仕事を依頼しようか?」

 

 諦めたように息を吐くメディアを尻目に、長机の上に数枚の紙を滑らせる。

 

「聖杯戦争に参加するにあたって当然の事だが情報収集をしたんだ。聖杯戦争、それを作った御三家とその現状、冬木という土地。他にも色々ね」

 

 メディアは紙へ目を落としながら、静かに続きを待っている。冷え切ったコーヒーを手に取り、小さく肩を竦めた。

 

「その途中で妙な話を耳にしてね。私の理念上知らないフリも出来ないんだけど、下手に手を出せなかった」

 

 裏切り。

 

 それはメディアという女性にとっての逆鱗だ。

 

 ある古典劇には、自分をを裏切った(イアソン)への復讐として我が子を殺したとさえある。その裏にあっただろう葛藤や真偽はさておき、復讐のためにそれだけ出来る人間だ。

 

 そんな彼女がこの話を聞いた時、どんな魔術を使うのか。

 

 知れば後味の悪い結末しか見えない予感。

 

 その過程で、現代では失われた神秘がどのような形で現れるのか。不快感と探究心は、頭の中で完全に別の場所へ切り分けられている。

 

 怒るのか。冷笑するのか。あるいは合理だけで切り捨てるのか。その結果を見届けたいという純粋な知的欲求。

 

「———間桐家の養女について、少しね」

 

 顔に出そうなそれごと、コーヒーを飲み干す。

 

 コップの底には黒い珈琲粕が沈澱していた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 鼠が、猫が、犬が、鴉が——世界が見ていた。

 

 そこは地下室。長い月日によって古ぼけた、円形のだだっ広い空間。暗く、澱んだ、魔術師の工房。

 

 空気には不快感のある臭いが満ち、壁にはシミか汚れか分からない何かが浮き、床にはかさかさと音を立てる虫が無尽蔵に沸き続けている。

 

 その工房を訪れる者は、2人だけだ。

 

 藤色の髪を持つ少女と、着物を羽織る妖怪じみた老人。

 

「今日の分は終わりだ」

 

「はい」

 

 儚い声。少女はいつも疲れたように生きていた。老人の命令に従い、何も考えず、考えもしようとせず、そうやって苦痛を遠ざけていった。

 

 老人はいつも目を細めていた。家を存続させるためだけの子供に、自らの秘術を惜しげもなく費やした。それは野心と嗜虐心が内混ぜになった行動であり、愛は無かった。

 

 小さな地下工房は、魔術師に相応しい悲劇に満ちていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 視点とともに、時間も変わる。

 

 ステンドグラスの採光窓から日光が降りしきる、よく晴れた日。その日差しの下に、ある少女はとその姉はいた。

 

 姉は難しそうな顔で本を開き、得意げに読み聞かせている。

 

「だからね、この騎士は姫のために王様を———」

 

 途中で言葉に詰まる。難しい漢字が読めなかったらしい。すると隣の桜が、くすくすと小さく笑った。

 

「離反。裏切ることだよ、お姉ちゃん」

 

「………分かってたわよ。桜のために言い直そうとしただけ!」

 

 姉はむっと頬を膨らませる。けれど桜は怖がる様子もなく、ただ楽しそうに目を細めていた。その笑顔は年相応に幼く柔らかい。虫も、痛みも、絶望も、何一つ知らなかった頃の、幼い表情。

 

 そこに、1人の男がやってきた。

 

 黒いスーツを纏ったその男———遠坂時臣は、静かに二人の娘を見下ろしていた。

 

 凛はすぐに背筋を伸ばす。桜もまた、本を抱えたまま小さく居住まいを正した。

 

 厳格な父だ。決して声を荒げる訳ではないが、その立ち姿だけで空気を変えてしまうような威圧感がある。

 

「桜、話がある」

 

「………なんですか?お父様」

 

 父と呼ばれたその男は、桜の疑問に少しの間答えなかった。

 

 ほんの少しだけ眉を顰め、唇を引き締めた。それは娘達の知る彼からすると珍しい表情だ。まるで言葉を選んでいるような。

 

 その普段からは考えにくい不思議な動作をした父に、少女たちは首を傾げた。

 

 やがて時臣は、静かに口を開いた。

 

「……お前には、魔術師として類い稀な才がある」

 

 その声音は淡々としていたが、どこか硬い。

 

 桜は父の言葉の意味を測りかねたまま、小さく瞬きをする。凛もまた、不安げに父の顔を見上げていた。

 

 時臣は娘たちから視線を逸らさず、続ける。

 

 虚数属性。それは彼女に宿った魔力の形。

 

 余りにも特異なそれは、条件さえ揃えば万能に近い。しかし必要な魔力の膨大さから机上の空論の域を出ず、鍛錬法も確立されていない。

 

 遠坂家では、その才を十全に活かしきれない。

 

「だから、お前を間桐家に出す事にした」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 また、時間が変わった。

 

 その工房は、濁り切った黒に染まっている。

 

 桜の精神が引き裂かれ、引き破られ、噛み千切られ、全てがバラバラになって工房に落ちていた。

 

 血が、血が、血が、血が、血が、骨が、骨が、骨が血が血が髪が血が血が血が歯が血が血が血が耳が血が血が腑が血が血が血が———絶望が、工房を濡らしていた。

 

「………お姉ちゃん」

 

 彼女の声を聞く人間はいなかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「———マスター、目を覚ましなさい」

 

 魔女の魔術が、彼の身体に意識を呼び戻す。

 

「………っ、ぅえ゛……ぅ」

 

 彼の口から出てきた液体が、ぱちゃぱちゃと音を立てる。嗚咽が部屋中に響き、それと同時に酸っぱくて鼻につく匂いが部屋中に充満した。

 

「貴方、精神まで引き摺られてたわよ」

 

「………他人、の記憶、を…扱える、とは…ぁ、…すごい、な」

 

「無駄話するぐらいなら、袋に吐き切って楽にしなさい」

 

「すま…な、………ぅ、ぐ」

 

 浅い呼吸の合間に、湿った嗚咽がこぼれる。

 

 彼は床に手をついたまま、荒く息を繰り返していた。吐いた直後の涙で目元は濡れている。それでも、呼吸だけは少し楽になったらしい。

 

「………別に貴方も()()必要はなかったのよ?」

 

「は……はは、冗談きつい、ね……魔術を体験できる機会を、私が見過ごすとでも?」

 

「変というより、馬鹿ね。貴方」

 

 彼は喉の奥でくつくつ笑った

 

 吐いたばかりで顔色は悪いし、濡れた睫毛が瞼に張り付いている。まともな姿とは言い難い。なのに、その笑みだけは妙に穏やかだ。

 

「……遠坂……今は間桐、桜か。この歳で、なんとも数奇な人生を辿っている、子だ」

 

 まだ息は乱れている。だが吐く前よりは喋れるようになったのか、彼は途切れ途切れに言葉を繋いだ。

 

「えぇ……そうね」

 

 間桐家。それは聖杯を作り上げた御三家の一つ。

 

 その家の中に彼らはいた。

 

 薄いレースのカーテンが、山風でわずかに揺れている。異人館特有の高い天井には照明が吊られ、磨かれた木床には青白い月光が落ちている。

 

 その光を取り込む窓の側、白く広い寝台の上に少女が眠っている。

 

 紫髪が枕へ流れ、伏せられた睫毛は影を落としていた。呼吸は浅く穏やかで、そのたび胸元の薄布がかすかに上下する。

 

 閉じた瞼の線や白皙の頬は年齢に似合わない気品が感じられる。あと十年もすれば、目を引くほど美しい女性になるのだろう。

 

 だからこそ余計に、彼女の扱いが許し難く思えてしまう。

 

 

 メディアの耳奥に、つい数時間前の会話が蘇る。

 

 

『———間桐家は、遠坂家から預かった子を虐待している可能性がある。加えて言えば、まだ幼い少女を胎盤として改造しているかもしれない』

 

 その言葉に、思わず顔が歪んだ。

 

 世間一般の人権なぞゴミ箱に捨てているような魔術師とて、魔術師なりの常識がある。アーキルが語ったそれは、メディアの常識とは外れた軽蔑するべきものだった。

 

『………受けてあげるわ。だからそう考えた理由を言いなさい』

 

『ありがとう』

 

 アーキルは目を伏せ、机の上に置かれていた書類へ視線を落とした。

 

 そこには間桐家の家系図、冬木市の地図、そして何枚もの調査記録が散らばっている。相当な手間と時間をかけて集められたのだと、一目で分かる量だった。

 

『そうだね………初めは、間桐家の戦力分析程度だった。間桐家が聖杯戦争に参加する動きは無かったが、交流のある遠坂家に助力するくらいは不思議でもないからね』

 

 紙を一枚手に取り、彼は淡々と続けた。

 

『調べて不思議に思ったのは、間桐家が弱すぎたんだ。間桐家の長男を調べた限り、魔術師としての才は無いようだったし外部の弟子もいない。つまり後継がいなかった』

 

 魔術師の家系において、後継が存在しない、というのは死に等しい。ましてや聖杯なんて代物を作り追い求めた御三家。その異常なまでの執念は、想像して余りある。

 

『だというのに、当主の臓硯に動く気配が無い。御三家の一角がこんな状態で終わるのか不思議に思った』

 

 カツン、と指で机を弾いた。乾いた音が妙に響く。

 

『それで、今から……一年くらい前かな?遠坂家から桜という少女が養子として入ってきた。だから納得したよ、この子を次の当主として育てるんだってね』

 

 後継不足の間桐家に遠坂家の血統を入れて、より優秀な魔術回路を残す。そうするのだと納得した。

 

『だが間桐家は何故か、この少女を表に出さなかった。遠坂家の次女で、幼少期に間桐家へ養子入り。そんな立場に反して異様なまでに存在感が薄かったんだ』

 

 誰にも知られないよう、徹底的に管理して隠されている。そう感じるほどに。

 

『そこからは、改めて徹底的に調べたさ。魔術師を次期当主として鍛えるなら、その跡は必ず残る』

 

 例えば、魔術訓練の記録。使用した礼装に呪物。社交の参加。

 

 そんなもの、全部無かった。代わりに見えたのは、まだ幼い少女の慢性的な疲労や精神の衰弱。

 

『魔術と金にモノを言わせて、間桐桜の血液も何度か手に入れた』

 

 書類をもう一枚抜き出す。恐らくは、その検査結果を記したもの。

 

『驚いたよ。彼女の魔術属性が後天的に変わっていたんだ。恐らく元々持っていた虚数属性を、水属性が塗り潰すような変化だった』

 

———あぁ、なんて事を。

 

 魔術属性とは、魔術師の才能だ。生まれた瞬間に決まり、成長途中で変化することなど本来はあり得ない。だが事実、そんなあり得ない事が起きている。

 

 アーキルは数秒だけ黙り込み、それから肩を竦めた。冗談を言う時のような仕草だったが、その目だけは笑っていない。

 

『遠坂時臣は格式に異常なほど拘るとの評判だ。彼が娘を間桐に送ったのは理解できる。血統を保存し、後継者争いを解決するためだろうね。元々両家でそういう契約でも結んでいたのかも知れない』

 

 遠坂時臣。魔術師らしく狡猾で、合理的で、誇り高い男。彼の取った選択は我が子たちに生きる道を残すためであり、父親としての愛情だったのだろう。

 

 だが、と彼は続けた。

 

『今の間桐桜は、肉体が消耗し、精神が破壊され、魔術属性が塗り替えられている。明らかに魔術師として育てられていない現状を、遠坂時臣が許す訳がない。だからとことん隠した』

 

 推測を重ね調査の果てに行き着いた結論。

 

 虐待されている可能性がある、と初めは濁していたのは彼本人もそう信じたく無かったからだろうか。

 

『これを聞いて、君はどうする?』

 

 アーキルはそう言って、私を見ていた。

 

 初めから返ってくる答えを知っているかの様な、そんな顔だった。

 

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