また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
春麗は、朝から少しだけ機嫌が悪かった。
理由は、夢だ。
昨日の夜、春麗は別ルートの自分たちと会議をした。
裏ルート・通常救済版。
裏ルート・黒ドレス特化版。
自分が面倒な女と自覚する前。
未来の時間軸の行き遅れも恐怖する版。
裏ルートでグランドフィナーレを迎えた春麗。
全員が好き勝手なことを言っていた。
本編だから一番面倒。
一番動く。
一番続けられる。
一番言い訳が上手い。
「……好き勝手言ってくれたわね」
春麗は青い武道服の袖を整えながら、低く呟いた。
特に腹が立つのは、全員が妙に納得していたことだ。
本編春麗が一番面倒。
それをまるで確定事項のように扱われた。
納得できない。
いや、自覚はある。
自分が面倒な女であることは、もう認めている。
だが、それでも、自分が一番面倒という扱いは納得しきれない。
黒ドレス特化版の方が重い。
行き遅れ恐怖版の方が焦っている。
自覚前春麗の方が否認が強い。
通常救済版は安定していて逆にずるい。
グランドフィナーレ版は落ち着きすぎていてずるい。
つまり、全員それぞれ面倒だ。
なのに、なぜ自分が本編代表として面倒を引き受ける流れになっているのか。
「……検証が必要ね」
春麗は鏡の前で腕を組んだ。
そう。
感情論ではなく検証だ。
会議で出た結論が妥当かどうかを確認する必要がある。
本編春麗が本当に一番面倒なのか。
リュウは本当に、黒でも青でも、面倒でも、全部春麗だと見るのか。
その回答は、会議に提出する価値がある。
春麗は頷いた。
「これは調査よ」
言い訳ではない。
たぶん。
「春麗別ルート会議への提出資料作成」
声に出してから、少しだけ顔が熱くなった。
何をしているのか。
だが、もう決めた。
今日はリュウを試す。
リュウは会議のことを知らない。
知らないまま、答える。
だからこそ、使える。
無意識の回答。
本編リュウの自然反応。
サンプルとして非常に価値が高い。
春麗は青い袖を払った。
「……訓練の一環ね」
最後にいつもの言い訳を添えて、部屋を出た。
リュウは修行場にいた。
当然のように。
春麗はその姿を見て、少しだけ足を止める。
今日のリュウは、何も知らない。
春麗たちの会議も知らない。
黒ドレス特化版春麗が七十点で苦戦したことも知らない。
自覚前春麗が九十点をつけかけたことも知らない。
本編春麗が会議に提出する気でいることも知らない。
何も知らずに、いつも通り立っている。
それが、少しずるい。
「春麗」
リュウが顔を上げた。
春麗は近づく。
「リュウ」
「ああ」
「今日は、いくつか確認することがあるわ」
リュウは少しだけ首を傾げた。
「確認」
「ええ」
「訓練か」
春麗は一瞬詰まった。
先に言われた。
「……そうよ。訓練も兼ねているわ」
「ああ」
「ただし、今日は戦闘だけではない」
「ああ」
「質問に答えてもらう」
リュウは頷いた。
「わかった」
「即答ね」
「質問なら答える」
「答えられるならね」
春麗は腕を組んだ。
「第一問」
リュウは静かに春麗を見る。
春麗は、会議で使う報告項目を頭の中に並べた。
通常救済版への確認。
黒ドレス特化版への確認。
自覚前春麗への牽制。
本編春麗の地位保全。
よし。
「黒の私と青の私」
春麗は言った。
「どちらが春麗だと思う?」
リュウはほとんど迷わなかった。
「どちらも春麗だ」
春麗は、わかっていたはずなのに止まった。
即答。
あまりにも即答。
あまりにも通常救済版の春麗が満足しそうな答え。
春麗は眉を寄せる。
「……そういう正解をすぐ出すから困るのよ」
リュウは首を傾げた。
「困るのか」
「困るわ」
「なぜだ」
「会議に提出した時、通常救済版が得意げな顔をするからよ」
リュウは黙った。
一拍。
「会議?」
春麗は止まった。
まずい。
「何でもないわ」
「そうか」
「深く考えないで」
「ああ」
リュウは本当に深く考えない顔をした。
春麗は内心で息を吐く。
危ない。
会議の存在は秘匿するべきだ。
リュウだけ知らないから意味がある。
春麗は気を取り直す。
「では第二問」
「ああ」
「黒いドレスの私は?」
「春麗だ」
即答。
春麗の胸が少し跳ねる。
「青い武道服の私は?」
「春麗だ」
「どちらでもない私は?」
「春麗だ」
春麗は、腕を組んだまま目を細めた。
「あなた、雑に答えていない?」
「雑ではない」
「全部春麗と言えばいいと思っていない?」
「違うのか」
春麗は固まった。
違わない。
違わないから困る。
「違わないけれど、説明が足りないわ」
リュウは少し考えた。
春麗は待つ。
会議提出用に記録する。
リュウは言った。
「黒は、俺を惑わせてくる春麗だ」
春麗は息を止めた。
「青は、先へ行く春麗だ」
リュウは続ける。
「どちらでもない時は、構えの外にいる春麗だ」
春麗は何も言えなくなった。
本当に。
時々、この男はひどい。
普段は鈍いくせに、急に言葉の芯を突いてくる。
春麗は青い袖を握った。
「……八十五点」
リュウが見る。
「点数?」
「何でもない」
「そうか」
「何でもないと言ったでしょう」
「ああ」
春麗は内心で記録する。
提出資料。
項目一。
リュウは黒・青・通常状態をすべて春麗と認識。
加えて各フォームの違いも理解している。
通常救済版が得意げになる可能性あり。
本編春麗への心理効果、大。
春麗は小さく咳払いした。
「次」
第三問。
春麗は少しだけ近づいた。
「面倒な私は?」
リュウは春麗を見る。
「春麗だ」
即答。
また即答。
春麗は内心で頭を抱えた。
「……あなた、本当に」
「何だ」
「少しは迷いなさい」
「なぜだ」
「面倒なのよ?」
「ああ」
「面倒でも?」
「ああ」
「重くても?」
「ああ」
「言い訳ばかりしても?」
「ああ」
「訓練と言いながら甘い言葉を言わせようとしても?」
リュウは少しだけ考えた。
春麗はしまった、と思った。
言いすぎた。
しかしリュウは真面目に言った。
「それも春麗だ」
春麗は、完全に止まった。
心臓が一拍、遅れる。
これはまずい。
会議に提出するどころではない。
自分に刺さっている。
「……あなた」
「何だ」
「そういうところよ」
「違ったか」
「違わないわ」
春麗は視線を逸らす。
「違わないから困るのよ」
リュウは黙る。
春麗は内心で記録する。
項目二。
面倒な春麗への回答。
「春麗だ」即答。
補足:「それも春麗だ」。
本編春麗へのダメージ甚大。
会議提出時、自覚前春麗に対する有効打として使える。
ただし提出者本人も被弾。
春麗は深く息を吸った。
落ち着け。
これは訓練だ。
会議資料だ。
個人的な甘さではない。
「第四問」
リュウは頷く。
「ああ」
「私が、リュウの鈍感力を改善するために、甘い言葉を考えてきなさいと言ったとする」
「言われた」
春麗は止まった。
「……そうだったわね」
「ああ」
「では、その宿題は?」
リュウは黙った。
春麗の胸が跳ねる。
本当に考えてきたのか。
来たのか。
会議に提出できるのか。
いや、提出以前に、自分が受け止められるのか。
リュウは言った。
「まだ途中だ」
春麗は少しだけ肩の力が抜けた。
「途中」
「ああ」
「考えてはいるのね」
「ああ」
春麗は、思わず口元が緩みかけた。
すぐに引き締める。
「そう」
「難しい」
「でしょうね」
「だが、考えている」
春麗は青い袖を握った。
「……そう」
それだけで、かなり効く。
言葉そのものではなく、考えているという事実が効く。
リュウが、自分のために甘い言葉を考えている。
訓練として。
宿題として。
たぶん、本人は本当にそう思っている。
だからこそ効く。
春麗は内心で記録する。
項目三。
甘い言葉の宿題は継続中。
リュウは本当に考えている。
本編春麗、想定以上の心理反応。
危険。
ただし会議提出価値は極めて高い。
「では」
春麗は言った。
「途中経過を聞かせなさい」
リュウは少し困ったようにした。
「まだまとまっていない」
「未完成でいいわ。訓練だから」
「ああ」
リュウは考える。
春麗は待つ。
待つな。
待ってはいけない。
でも、待ってしまう。
リュウはゆっくり言った。
「春麗が来ると」
春麗は息を止めた。
「次を考える」
春麗は少しだけ目を細めた。
「それは前にも聞いた系統ね。六十五点」
「そうか」
「続けなさい」
リュウは続ける。
「春麗が来ないと」
春麗の胸が少し跳ねる。
「構えが残る」
春麗は黙った。
「構えが残る?」
「ああ」
「どういう意味?」
「春麗が来ると思っていた構えが、そのまま残る」
春麗は動けなくなった。
これは。
これは、かなり危険だ。
リュウは甘い言葉が下手だ。
でも、たまに変な方向から核心を突く。
春麗が来ないと、構えが残る。
つまり、待っている。
来ると思っていた。
春麗が来る前提で、身体が準備している。
本人はたぶん甘いことを言っている自覚が薄い。
それが余計に効く。
春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……八十八点」
リュウが見る。
「高いのか」
「かなり高いわ」
「そうか」
「ただし、言い方がわかりにくい」
「ああ」
「でも、悪くない」
春麗は視線を逸らす。
「会議に提出する価値があるわ」
「会議?」
春麗はまた止まった。
「何でもない」
「そうか」
「本当に、何でもない」
「ああ」
リュウは深追いしない。
助かる。
しかし、そういうところも、少しだけ腹立たしい。
第五問。
春麗は、少しだけ意地悪をしたくなった。
会議提出用の資料はかなり集まった。
だが、もう一つ確認したい。
自覚前春麗を黙らせる材料。
黒ドレス特化版を唸らせる材料。
通常救済版が微笑む材料。
そして、本編春麗自身が次へ進む材料。
「リュウ」
「何だ」
「もし、私が面倒な会議をしていたとして」
リュウは黙る。
春麗は続ける。
「その会議で、あなたについて話していたとして」
「ああ」
「それをあなたが知らないまま、私に試されていたとしたら」
春麗は自分で言って、かなり危ないことをしていると思った。
だが、もう聞く。
「あなたは、どう思う?」
リュウは少し考えた。
「春麗らしい」
春麗は目を細めた。
「……それだけ?」
「ああ」
「怒らないの?」
「なぜだ」
「あなた、知らないところで採点されているのよ?」
「そうなのか」
「仮によ」
「そうか」
リュウはまた考えた。
「なら、次はもっと良い答えを考える」
春麗は完全に固まった。
「……あなた」
「何だ」
「採点されていることに対して、そこに行くの?」
「駄目か」
「駄目ではないわ」
春麗は、こめかみを押さえたくなった。
「駄目ではないから、また困るの」
リュウは静かに言った。
「春麗が必要なら、考える」
春麗の胸が強く鳴った。
これは、宿題の時と同じだ。
春麗が望むなら、考える。
リュウは知らない。
春麗別ルート会議も知らない。
採点表も知らない。
それでも、春麗が必要だと言うなら、考える。
春麗は、内心で記録する。
項目四。
会議の存在に近づいても、怒らず。
むしろ「次はもっと良い答えを考える」。
リュウの鈍感力、相変わらず強い。
ただし誠実さが強すぎる。
本編春麗、かなり被弾。
春麗は腕を組んだ。
「……九十点」
言ってしまった。
リュウは少し驚いたように見る。
「九十」
「復唱しない」
「すまない」
「謝らない」
春麗は指を立てる。
「ただし、満点ではないわ」
「ああ」
「満点を取ったら大変だから」
「大変なのか」
「私が」
リュウは黙った。
春麗は言ってから、顔が熱くなる。
「……今のは忘れなさい」
「無理だ」
「なぜ?」
「忘れないと言った」
春麗は頭を抱えたくなった。
本当に。
本当にこの男は、知らないまま会議に提出する材料を増やしていく。
訓練は、結局ほとんど戦闘にならなかった。
春麗は何度か踏み込んだ。
リュウも受けた。
だが、中心は会話だった。
会話戦闘。
鈍感力測定。
甘い言葉の宿題進捗確認。
別ルート会議提出用回答収集。
リュウは最後まで何も知らなかった。
春麗は、それが少しだけおかしくなった。
「今日はここまで」
春麗が言うと、リュウは頷いた。
「ああ」
「かなり有益な訓練だったわ」
「そうか」
「ええ。資料も取れた」
「資料」
「何でもないわ」
「ああ」
リュウは、本当に何でもないように受け止める。
春麗はその顔を見て、少しだけ言いたくなった。
あなた、今夜あたり、私たちの会議で議題になるわよ。
でも、言わない。
言ったら面白さが減る。
リュウだけ知らない。
その構図が、たぶん重要なのだ。
春麗は背を向ける。
「次までに、宿題を進めておきなさい」
「ああ」
「甘い言葉の件よ」
「ああ」
「今日の“構えが残る”は悪くなかったわ」
「そうか」
「でも、まだ改善余地がある」
「わかった」
「次は九十二点以上を目指しなさい」
リュウは真面目に頷いた。
「やってみる」
春麗は足を止めそうになった。
本当にやるのか。
九十二点以上を。
春麗のために。
春麗は振り返らない。
「……期待はしていないわ」
「ああ」
「訓練だから」
「ああ」
「会議に提出するためでもない」
「ああ」
沈黙。
リュウが言った。
「何の会議だ?」
春麗は、少しだけ足を止めた。
危ない。
「秘密よ」
リュウは頷いた。
「そうか」
「聞かないの?」
「春麗が秘密と言った」
春麗は、また被弾した。
本当に。
会議に提出する資料が増える一方だ。
「……それも八十五点」
「何がだ」
「何でもないわ」
春麗は歩き出す。
背中にリュウの視線を感じる。
黒でも青でもない。
今日は青。
だが、黒も残っている。
会議も残っている。
別ルートの春麗たちも、たぶんどこかで見ている。
本編春麗は小さく呟いた。
「これは提出しないとね」
通常救済版は、きっと微笑む。
黒ドレス特化版は、少し悔しがる。
自覚前春麗は、まだ「私は違う」と言う。
行き遅れ恐怖版は、「次があるならいいわ」と言う。
グランドフィナーレ版は、静かに笑う。
そして本編春麗は、議長のような顔で言うのだ。
リュウは、やはり何も知らないまま、正解を出してくる。
しかも、時々九十点を取る。
「……本当に、困る男ね」
夜道で、春麗はそう呟いた。
でも、その声は少しだけ楽しそうだった。
なぜなら、次の会議に提出する資料ができたから。
そして、次の訓練の約束もできたから。
リュウは何も知らない。
知らないまま、来る。
知らないまま、見る。
知らないまま、春麗たちをざわつかせる。
それが一番厄介で。
一番、リュウらしかった。