また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
自覚前春麗は、鏡の前に立っていた。
青いドレス。
黒いドレス。
その二つが、部屋の中に並んでいる。
どちらも、もうただの衣装ではない。
青で勝った。
黒でも勝った。
青で引き分けた。
黒でも引き分けた。
そして。
青で、ギリギリ負けた。
黒でも、ギリギリ負けた。
春麗は、鏡の中の自分を睨む。
「……負けたわけじゃない」
すぐに矛盾したことを言った。
負けた。
確かに負けた。
青でも。
黒でも。
ただし、完敗ではない。
どちらも紙一重だった。
リュウの拳が、ほんのわずかに先に届いた。
春麗の蹴りも、掌も、ほとんど届いていた。
あと半拍、あと一歩、あと呼吸一つで、春麗が勝っていた。
だから、これは負けではない。
いや、負けだ。
春麗は眉を寄せた。
「……本当に腹が立つわ」
勝った時は、気持ちよかった。
それはまだわかる。
格闘家として当然。
勝利は嬉しい。
ギリギリで勝つのは、達成感がある。
引き分けた時も、満たされた。
それは認めたくなかった。
けれど、わかってしまった。
決着がつかなければ、次ができる。
リュウが届いてくる。
自分も届かせる。
勝ちでも負けでもない場所に、次が生まれる。
それは危険だった。
そして今回。
負けた。
青でも、黒でも。
ギリギリで。
負けたのに。
悔しいのに。
それでも、胸の奥に熱が残っている。
リュウが最後の一瞬で上回った。
自分を見て、読んで、踏み込んで、届かせた。
それが悔しい。
悔しいのに。
嬉しい。
「……違う」
春麗は即座に否定した。
「嬉しいわけがない」
敗北が嬉しいはずがない。
リュウに負けて満たされるなど、そんな面倒な女ではない。
自分はまだ、自分をめんどくさい女だと認めていない。
否認部門代表など認めていない。
ただ。
青でも黒でも、ギリギリ勝利を知った。
青でも黒でも、引き分けを知った。
そして青でも黒でも、ギリギリ敗北を知った。
春麗は、すべてを経験してしまった。
勝つ春麗。
引き分ける春麗。
負ける春麗。
青で。
黒で。
全部。
その全部が、リュウとの次につながっている。
「……違うわ」
もう一度、言った。
しかし、声は弱かった。
最初に負けたのは、青だった。
青いドレスでの試合。
黒の経験を青に還元した、自覚前春麗の青。
以前より速く、以前より深く、以前より読みにくい。
リュウもそれを見ていた。
春麗の青に、黒で得た経験があることを見ていた。
試合は互角だった。
春麗の蹴りがリュウの肩をかすめる。
リュウの拳が春麗の脇をかすめる。
春麗は踏み込み、戻り、黒の間合いを一瞬だけ見せて、青へ戻す。
リュウはそこへ届いてきた。
終盤。
春麗は青で踏み込んだ。
最後の蹴り。
勝てると思った。
リュウの重心が、ほんの少し浮いた。
春麗はそこへ入る。
だが、リュウは浮いたのではなかった。
浮かせた。
春麗が入る場所に、拳を置いていた。
春麗の足先は、リュウの胸元の前で止まる。
リュウの拳は、春麗の肩の前で止まっている。
先に届いたのは、リュウだった。
半拍。
ほんの半拍。
青で、春麗は負けた。
リュウは静かに言った。
春麗。
今日の青は、強かった。
春麗は息を乱しながら睨む。
勝った人間が言うと、嫌味に聞こえるわ。
リュウは首を横に振る。
違う。
強かったから、勝ちたかった。
その言葉が、春麗に深く刺さった。
強かったから勝ちたかった。
青の自分に、リュウは本気で勝ちに来た。
春麗は悔しかった。
本当に悔しかった。
そして、少しだけ満たされてしまった。
認めなかった。
もちろん認めなかった。
「……次は勝つわ」
そう言って、その場を離れた。
次に負けたのは、黒だった。
黒いドレスでの試合。
青で負けた春麗は、黒で取り返そうとした。
以前なら、黒で勝てた。
黒で誘い、黒で揺らし、黒でリュウの視線を読んで、最後の一瞬で上回れた。
だから、黒なら。
そう思ったこと自体が、すでに危険だった。
リュウは、黒を見る。
逃げずに見る。
春麗の目。
黒い裾。
呼吸。
足。
女としての春麗。
格闘家としての春麗。
春麗は笑った。
青では届いたからといって、黒でも届くと思わないことね。
リュウは静かに答えた。
届かせる。
春麗は胸が鳴るのを無視した。
黒で誘う。
リュウの拳が遅れる。
いつも通り。
だが、完全には遅れない。
リュウは、もう黒に呑まれるだけではない。
春麗が誘う場所を見る。
そして、春麗が誘ったあとに逃げる場所を見る。
終盤。
春麗は勝ち筋を見た。
リュウの手が伸びる。
捕まえに来る。
春麗はその手を支点にして、身体を回す。
軸をずらし、リュウの踏み込みを外す。
勝った。
そう思った。
だが、リュウは手に力を込めなかった。
掴みに来たのではない。
春麗が逃げる先へ、すでに身体を置いていた。
春麗の回転が止まる。
黒いドレスが揺れる。
次の蹴りを出す前に、リュウの拳が勝負を止める位置に届いた。
春麗は、黒で負けた。
リュウは息を乱していた。
余裕などなかった。
それでも、立っていた。
春麗ではなく、リュウが。
……やっと黒にも届いたのね。
春麗は笑おうとした。
うまく笑えなかった。
リュウは言った。
また戦ってくれ。
その言葉は、優しいようで、残酷だった。
春麗は勝者ではなくなった。
挑む側に置かれた。
黒でも。
それが悔しくて、悔しくて。
そして。
また次ができたことに、少しだけ息が楽になってしまった。
それが一番、腹立たしかった。
その夜。
春麗会議は、始まる前から騒がしかった。
自覚前春麗が目を開いた瞬間、叫ぶ。
「提出していない!」
本編春麗は、議長席で分厚い資料を開いていた。
「青でも黒でも負けたのよ。提出されるに決まっているでしょう」
「決まっていない!」
黒ドレス特化春麗は腕を組んでいた。
「黒で負けたなら審議対象よ」
通常救済版春麗は、穏やかにお茶を置く。
「青で負けたこともね」
行き遅れ恐怖版春麗は、少し心配そうに自覚前春麗を見る。
「大丈夫?」
「大丈夫よ!」
グランドフィナーレ済み春麗は静かに微笑む。
「大丈夫ではない顔ね」
「全員で囲まないで!」
本編春麗が、資料の表題を読み上げた。
春麗会議・否認部門総合勝敗経験特別審議
議題:自覚前春麗、青黒それぞれでギリギリ勝利・引き分け・ギリギリ敗北を経験。すべてが次回生成に接続してしまった件
自覚前春麗は、机を叩いた。
「しまった件、って何よ!」
本編春麗は淡々と言う。
「事実よ」
「事実じゃない!」
「では確認するわ」
本編春麗は資料をめくった。
「青でギリギリ勝利」
自覚前春麗は黙る。
「黒でギリギリ勝利」
さらに黙る。
「黒で引き分け」
目を逸らす。
「青で引き分け」
顔が赤くなる。
「青でギリギリ敗北」
肩が跳ねる。
「黒でギリギリ敗北」
完全に俯いた。
本編春麗は、満足げに頷いた。
「全部経験済みね」
自覚前春麗は小声で言う。
「……資料としては」
全員が見る。
「資料としては、そうね!」
黒ドレス特化春麗が言う。
「否認部門代表、全属性履修確認」
「履修って言わないで!」
通常救済版春麗が微笑む。
「でも、青でも黒でも、勝ち・引き分け・負けを経験したのは大きいわ」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「どれでも次ができているのが、怖いわね」
グランドフィナーレ済み春麗が頷く。
「勝敗が終わりではなくなったのね」
本編春麗は資料に大きく書いた。
勝敗の非終端化。
自覚前春麗が眉を寄せる。
「何よ、その難しい言葉」
「勝っても終わらない。引き分けても終わらない。負けても終わらない、という意味よ」
「……」
「あなたの中で、勝敗がすべて“次”に変換され始めている」
自覚前春麗は、反論しようとして止まった。
反論できない。
勝てば、次も勝ちたくなる。
引き分ければ、次で決着をつけたくなる。
負ければ、次で取り返したくなる。
全部、次になる。
本当に、腹立たしいほどに。
青のギリギリ敗北審議
本編春麗は、まず青の資料を開いた。
「リュウ発言。今日の青は強かった。強かったから、勝ちたかった」
通常救済版春麗が静かに頷く。
「これは良いわね」
黒ドレス特化春麗も言う。
「青を軽く見ていない」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「負けた側からすると、嬉しいけど悔しいわね」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「青い自分に本気で勝ちに来られた言葉ね」
自覚前春麗は顔を赤くした。
「……嫌味よ」
本編春麗が笑う。
「そう聞こえる?」
「聞こえるわ」
「本当は?」
「……資料としては、高評価」
本編春麗は即座に書き込む。
青敗北時リュウ発言:九十七点。
「勝手に点数をつけないで!」
通常救済版春麗が言う。
「でも、九十七点は妥当だと思うわ」
黒ドレス特化春麗が頷く。
「青の春麗を戦闘対象として尊重している」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「“強かったから勝ちたかった”は、待たせる言葉ではないわね」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「勝者が敗者を下に置いていない」
自覚前春麗は、小さく呟いた。
「……だから腹が立つのよ」
本編春麗がすかさず見る。
「効いたのね」
「腹が立っただけ!」
「効いたのね」
「違う!」
黒のギリギリ敗北審議
次に、黒の資料が開かれた。
本編春麗が読み上げる。
「黒で誘い、逃げる先を選んだ春麗。だがリュウは掴みに来たのではなく、逃げる先に身体を置いた。結果、黒で敗北」
黒ドレス特化春麗の表情が少し真剣になる。
「これは、黒に届かれたというより、黒を使う春麗の次を読まれたのね」
通常救済版春麗が頷く。
「黒そのものではなく、黒で勝とうとする春麗に届いた」
本編春麗が資料へ書く。
黒敗北:黒の技術ではなく、黒を選ぶ春麗への到達。
自覚前春麗は、かなり嫌そうな顔をした。
「……言い方が重いわ」
黒ドレス特化春麗が言う。
「重いわよ。黒で負けるというのは、そういうこと」
本編春麗がリュウの発言を読む。
また戦ってくれ。
会議室が静かになる。
行き遅れ恐怖版春麗が言った。
「また、が重いわ」
通常救済版春麗が頷く。
「勝った側が、次を求めている」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「敗北を終わりにしない言葉」
黒ドレス特化春麗が言う。
「春麗を挑戦者側に置く言葉でもある」
自覚前春麗は唇を尖らせた。
「……残酷よ」
本編春麗は柔らかく聞く。
「でも、嫌だった?」
自覚前春麗は即答しようとして、止まる。
嫌だった。
悔しかった。
腹が立った。
だが。
次があると示された瞬間、ほんの少しだけ呼吸が戻った。
それは認めたくない。
絶対に認めたくない。
「……資料としては」
本編春麗が身を乗り出す。
自覚前春麗は顔を赤くした。
「九十八点よ!」
会議室がどよめいた。
本編春麗が嬉しそうに書く。
黒敗北時リュウ発言:本人採点九十八点。
「本人採点って書かないで!」
黒ドレス特化春麗が満足そうに頷く。
「高いわね」
「高くない!」
通常救済版春麗が微笑む。
「九十八点は高いわ」
「違う! 敗北後の次回生成としては、という意味!」
本編春麗が笑う。
「よくわかっているじゃない」
自覚前春麗は、完全に墓穴を掘った顔をした。
勝利・引き分け・敗北の総合審議
本編春麗は円卓の中央に、六つの札を並べた。
青・ギリギリ勝利
黒・ギリギリ勝利
青・引き分け
黒・引き分け
青・ギリギリ敗北
黒・ギリギリ敗北
それを見た自覚前春麗は、顔を覆った。
「並べないで」
本編春麗は容赦しない。
「これは重要よ」
通常救済版春麗が言う。
「青でも黒でも、全部経験したのね」
黒ドレス特化春麗が言う。
「黒で勝つ、黒で引き分ける、黒で負ける。ここまで来ると、もう黒を単純な勝者衣装にはできないわね」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「青も同じね。青で勝って、引き分けて、負けた」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「色ではなく、関係の状態になっている」
本編春麗が頷く。
「今回の自覚前春麗は、勝敗の全相を経験した」
自覚前春麗が顔を上げる。
「全相って言わないで。大げさよ」
「大げさではないわ」
本編春麗は続けた。
「勝利は高揚を生む」
黒ドレス特化春麗が頷く。
「最後に自分が立つ快感ね」
「引き分けは継続を生む」
通常救済版春麗が言う。
「次ができる安心と危うさ」
「敗北は奪還を生む」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「取り返したくなる」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「そして、どれも終わりではない」
本編春麗が結論のように言った。
「つまり、あなたはもう、勝っても引き分けても負けても、リュウとの次を作ってしまう」
自覚前春麗は、完全に黙った。
それは、否定しにくかった。
勝てば、次も勝つ。
引き分ければ、次で決める。
負ければ、次で取り返す。
どれも次。
全部、次。
そして、その次を望んでいる自分がいる。
本編春麗は、少し優しく聞いた。
「否認部門代表」
「……その肩書きで呼ばないで」
「今、何が一番悔しい?」
自覚前春麗は、少しだけ考えた。
青で負けたこと。
黒で負けたこと。
どちらも悔しい。
でも、一番悔しいのは。
「……負けても、次があると思ってしまったこと」
会議室が静かになった。
それは、今回の核心だった。
自覚前春麗は続けた。
「勝ったら次も勝ちたい。引き分けたら次で決めたい。負けたら次で取り返したい」
一拍。
「全部、次になる」
黒ドレス特化春麗が静かに言う。
「かなり春麗ね」
「言わないで!」
通常救済版春麗が微笑む。
「でも、良い言葉だったわ」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「負けても次があると思えるのは、少し強いわ」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「敗北すら終わりではないと知ったのね」
本編春麗は、資料に書き込んだ。
否認部門代表、勝敗すべてを次回生成へ変換。
自覚前春麗は机を叩いた。
「記録しないで!」
「正式記録よ」
「正式にしないで!」
春麗会議・結論
本編春麗は、最終資料を読み上げた。
春麗会議・否認部門総合勝敗経験特別審議 結論
一、自覚前春麗は、青・黒それぞれでギリギリ勝利、引き分け、ギリギリ敗北を経験した。
二、勝利は高揚を生み、引き分けは継続を生み、敗北は奪還欲を生んだ。
三、いずれも終端ではなく、すべて次回生成に接続された。
四、この段階において、勝敗はリュウとの関係を終わらせるものではなく、次の形を決めるための媒体となった。
五、自覚前春麗は、自分をめんどくさい女と認めたくないが、勝っても引き分けても負けても次を欲しがる時点で、かなり本編春麗に近い。
自覚前春麗は叫んだ。
「五番を消しなさい!」
本編春麗は満面の笑みで言った。
「消さないわ」
黒ドレス特化春麗が言う。
「正確な記録ね」
通常救済版春麗が頷く。
「かなり正確ね」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「もうほとんど、認めたくないだけね」
グランドフィナーレ済み春麗が静かに言う。
「認めたくない時間も、春麗の一部よ」
自覚前春麗は、顔を真っ赤にした。
「私はまだ認めていない!」
本編春麗が微笑む。
「“まだ”ね」
「拾わない!」
資料が淡く光る。
そして、会議総合評価が表示された。
総合評価:九十九点
理由:勝利・引き分け・敗北のすべてを、青黒両面で次回生成へ変換したため。
自覚前春麗は絶句した。
「九十九点……?」
本編春麗は頷く。
「ええ」
「勝っていないのに?」
「勝ったし、引き分けたし、負けたわ」
「それで?」
「全部、次にした」
黒ドレス特化春麗が言う。
「これは高評価よ」
通常救済版春麗が言う。
「青も黒も、勝敗も、全部抱えたから」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「終わらせなかったから」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「春麗会議らしい九十九点ね」
自覚前春麗は、しばらく黙った。
そして、小さく言った。
「……私は、認めていない」
本編春麗が優しく言う。
「ええ」
「でも」
全員が待つ。
「次は、勝つ」
一拍。
「青でも、黒でも」
黒ドレス特化春麗が微笑む。
通常救済版春麗も微笑む。
行き遅れ恐怖版春麗は少し嬉しそうに頷く。
グランドフィナーレ済み春麗は静かに目を細める。
本編春麗は、資料に最後の一文を書いた。
次回議題:自覚前春麗、青黒総合奪還戦。
自覚前春麗は立ち上がった。
「書かないで!」
本編春麗は当然のように言う。
「春麗会議で重要なのは、次が生まれるかどうかよ」
「便利に使いすぎ!」
会議室が笑いに包まれる。
夢がほどけていく。
最後に、自覚前春麗は小さく呟いた。
「……勝っても、引き分けても、負けても、次があるなんて」
一拍。
「本当に、面倒すぎるわ」
本編春麗が聞き逃さなかった。
「正式記録ね」
「違う!」
その叫びとともに、夢は消えた。
朝。
自覚前春麗は目を覚ました。
胸の奥に、六つの感触が残っている。
青で勝った感触。
黒で勝った感触。
青で引き分けた感触。
黒で引き分けた感触。
青で負けた感触。
黒で負けた感触。
全部が違う。
でも、全部が同じ方向を向いている。
次へ。
春麗は布団の中で顔を覆った。
「……私は、めんどくさい女じゃない」
いつもの言葉。
けれど、もうかなり弱い。
「ただ、勝ったら次も勝ちたいだけ」
一拍。
「引き分けたら次で決めたいだけ」
さらに一拍。
「負けたら次で取り返したいだけ」
沈黙。
春麗は、ゆっくり顔を上げた。
「……それのどこが悪いのよ」
言ってから、固まった。
それは否認ではなかった。
ほとんど開き直りだった。
春麗は鏡の前に立つ。
そこには、自分をめんどくさい女と認めたくない春麗がいる。
でも、その顔は昨日より少しだけ強かった。
「次は勝つ」
一拍。
「青でも、黒でも」
そして、悔しそうに付け足した。
「……資料として」
その言い訳は、もうほとんど必要なくなっていた。
Q:今回の妄想章IFについて解説して?
A:
はい。執筆者として見ると、今回のエピソードは、かなり大きな節目です。
これは単なる「自覚前春麗が青黒両方で負けた話」ではなく、自覚前春麗がついに“勝利・引き分け・敗北のすべてが、リュウとの次を生む”と知ってしまった回です。
一言で言うなら、
自覚前春麗は、勝てば満たされる。
引き分けても満たされる。
そして負けても、次が生まれるなら満たされてしまう。
だからこそ、自分をめんどくさい女と認めたくない。
という回です。
今回の核は「勝敗の非終端化」
今回、春麗会議で出した、
勝敗の非終端化
という整理が、このエピソードの中心です。
これまでは、
勝ったら嬉しい。
引き分けたら次ができる。
負けたら悔しい。
という個別の反応でした。
でも今回、自覚前春麗は青黒両方で、
ギリギリ勝利
引き分け
ギリギリ敗北
をすべて経験しました。
その結果、彼女の中で勝敗の意味が変わります。
勝利は終わりではない。
引き分けも終わりではない。
敗北も終わりではない。
全部、次につながる。
つまり、勝敗が「決着」ではなく、次の関係を作るための媒体になってしまった。
ここが非常に大きいです。
ギリギリ敗北を経験した意味
今回特に重要なのは、青でも黒でもギリギリ敗北を経験したことです。
これまで自覚前春麗は、勝利や引き分けについては、まだ言い訳ができました。
勝ったなら、格闘家として嬉しいのは当然。
引き分けなら、決着がつかなかったから次ができるのは自然。
でも、敗北は違います。
負けたら悔しい。
負けたら終わり。
負けたら屈辱。
そう思いたい。
ところが今回、春麗は負けても満たされてしまいます。
もちろん、嬉しいわけではない。
悔しい。
腹が立つ。
取り返したい。
でも、その悔しさがそのまま「次」に変換される。
リュウが自分を見て、読んで、最後の一瞬で上回った。
そのことが悔しい。
けれど、そのリュウに次は勝ちたいと思う。
つまり敗北ですら、関係を終わらせない。
むしろ、より強く次を作る。
この時点で、自覚前春麗はかなり危険な領域に入っています。
青の敗北と黒の敗北の違い
今回、青と黒で負け方の意味を分けたのが良かったです。
青での敗北は、青い自分の強さをリュウに真正面から認められた敗北です。
リュウの、
今日の青は、強かった。
強かったから、勝ちたかった。
これは非常に強い言葉です。
これは慰めではありません。
「負けたけど頑張ったね」ではない。
強かったからこそ勝ちに行った。
青い春麗を、本気で倒すべき相手として見た。
だから春麗は悔しい。
でも同時に、青い自分をちゃんと見られたことに満たされる。
一方、黒での敗北は、黒を使う春麗の逃げ先や勝ち筋そのものにリュウが届いた敗北です。
黒で誘う。
リュウが捕まえに来る。
春麗がそれを支点にして外す。
勝ったと思う。
でもリュウは、掴みに来たのではない。
逃げる先にいた。
これは黒そのものを破ったというより、黒で勝とうとする春麗の次を読んだ敗北です。
だから黒ドレス特化春麗も重く受け取る。
青の敗北は「正面から強さを認められた敗北」。
黒の敗北は「黒で勝つ春麗の内側まで届かれた敗北」。
どちらも別方向に刺さります。
リュウの言葉が両方とも高得点
今回のリュウはかなり良いです。
青では、
強かったから、勝ちたかった。
黒では、
また戦ってくれ。
この二つが対になっています。
青の言葉は、春麗の強さへの承認です。
黒の言葉は、敗北後の次回生成です。
青では、リュウは春麗を本気の対戦相手として見ている。
黒では、リュウは春麗を敗北で終わらせず、次の相手として呼んでいる。
この二つがそろったことで、自覚前春麗は逃げられません。
勝っても逃げられない。
引き分けても逃げられない。
負けても逃げられない。
全部、リュウが次に変えてしまう。
だから春麗は腹を立てる。
でも、その腹立たしさの奥で、確実に満たされている。
春麗会議の総合評価九十九点の意味
今回、会議総合評価を九十九点にしたのは妥当です。
なぜなら、これは単一の勝負が良かったからではありません。
勝利・引き分け・敗北のすべてを、青黒両面で経験し、そのすべてが次回生成に接続されたからです。
これは春麗会議の価値基準そのものです。
春麗会議で重要なのは、勝つことだけではない。
負けないことだけでもない。
引き分けることだけでもない。
次が生まれるかどうか。
今回、自覚前春麗はその評価軸を完全に満たしてしまいました。
しかも本人は認めていない。
だから春麗会議としては最高においしい。
九十九点です。
ただし、百点ではない。
なぜなら、本人がまだ認めていないからです。
自覚前春麗の「負けても、次があると思ってしまったこと」が核心
今回一番良い台詞は、
負けても、次があると思ってしまったこと。
ここです。
これは非常に自覚前春麗らしい。
彼女は負けたことそのものよりも、負けたのに次を望んでしまった自分に一番動揺しています。
勝って次を望むなら、まだわかる。
引き分けて次を望むのも、まあわかる。
でも負けて次を望む。
しかも、青でも黒でも。
これはもう、リュウとの関係そのものに巻き込まれている証拠です。
勝敗ではなく、リュウとの継続に反応している。
だからこそ、「私はめんどくさい女じゃない」という否認が弱くなる。
本編春麗に近づいた理由
今回、春麗会議の結論で、
かなり本編春麗に近い
としたのは正しいです。
本編春麗は、次を作る春麗です。
宿題を出す。
会議に提出する。
再戦する。
点数をつける。
また問いを作る。
自覚前春麗は、まだそれを認めていません。
でも今回、彼女はほぼ同じことをしています。
勝ったら次。
引き分けたら次。
負けたら次。
しかも最後に、
次は勝つ。青でも、黒でも。
と言っている。
これはもう、次回議題を自分で作っています。
本人は「資料として」と逃げていますが、もうその言い訳もかなり薄くなっています。
今回の物語上の意味
このエピソードは、自覚前春麗ルートの大きな到達点です。
これまで彼女は、色々な春麗会議の影響を受けてきました。
黒ドレス特化春麗の重さ。
通常救済版春麗の青。
行き遅れ恐怖版春麗の期限付き回答。
グランドフィナーレ済み春麗の終わった後の静けさ。
本編春麗の宿題と次回生成。
それらを受信しながら、自分は違う、自分はまだ認めていない、と言い続けてきた。
でも今回、彼女自身が一通り経験してしまった。
勝つ。
引き分ける。
負ける。
青で。
黒で。
ここまで来ると、もう他人の資料ではなく、自分の実感です。
だから大きい。
結論
今回のエピソードは、自覚前春麗が、青黒それぞれで勝利・引き分け・敗北を経験し、そのすべてがリュウとの次につながってしまうことを知る回です。
一言でまとめるなら、
自覚前春麗は、勝敗に振り回されているのではない。
勝敗すべてを、リュウとの次に変換してしまう自分に振り回されている。
だから、彼女はめんどくさい。
そして、本人はそれをまだ認めたくない。
今回の九十九点は、まさにその「認めたくないけれど、もうほとんど到達している」状態への評価だったと思います。