また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
春麗会議は、始まる前からいつもと空気が違っていた。
円卓の中央に、まだ正式な資料ではない黒い記録片が置かれている。
本編春麗は、それを見つめていた。
自覚前春麗は、少し警戒した顔をしている。
黒ドレス特化救済春麗は、珍しく最初から表情が硬い。
通常救済版春麗は、静かにお茶を置いたが、その目は記録片から離れていない。
行き遅れ恐怖版春麗は、何か怖いものを見るように指先を握っている。
グランドフィナーレ済み春麗は、静かに目を伏せていた。
本編春麗が口を開いた。
「今日の議題は、新パターン春麗の鑑賞会よ」
記録板に文字が浮かぶ。
春麗会議・新規春麗候補鑑賞審議
議題:黒執着春麗──成熟した黒で他者には勝てるが、リュウにだけギリギリ負け続けることで、リュウへの執着を深めていく春麗について
自覚前春麗が、少し眉をひそめた。
「……黒執着春麗」
黒ドレス特化救済春麗が静かに言う。
「危険な名前ね」
通常救済版春麗も頷いた。
「名前だけで、選べなくなっている感じがするわ」
本編春麗は資料を開く。
「まずは鑑賞しましょう。評価はその後」
黒い記録片が淡く光った。
映像のように、ひとつの断章が円卓の中央に浮かび上がる。
最初に映ったのは、黒ドレスの春麗が別の対戦相手を倒している場面だった。
相手は床に座り込んでいる。
春麗は息も乱さず、黒いドレスの裾についた埃を払っている。
自覚前春麗が小さく言った。
「……強いわね」
黒ドレス特化救済春麗が頷く。
「黒を使えているわ」
通常救済版春麗が言う。
「未熟な黒ではない」
本編春麗は資料に目を落とす。
「黒ドレスを恥ずかしがって使いこなせなかった段階は、もう過ぎている。視線、距離、女として見られること、それらを戦闘へ組み込めるまで成熟しているわ」
行き遅れ恐怖版春麗が、不安そうに言う。
「それなのに、満たされていないのね」
映像の中の黒執着春麗は、勝利しているのに笑っていない。
相手は倒れている。
けれど、春麗の顔に満足はない。
「……なのに」
その声が、会議室に響いた。
グランドフィナーレ済み春麗が静かに言う。
「勝てるようになったのに、終われない春麗ね」
黒ドレス特化救済春麗が目を細める。
「ここが危険なのよ。黒を使えないから執着しているのではない。黒を使えるようになったのに、なお満たされていない」
本編春麗は頷いた。
「つまり、黒の未熟さが問題ではない」
通常救済版春麗が続ける。
「選べないことが問題なのね」
自覚前春麗がその言葉に反応する。
「選べない?」
通常救済版春麗は、黒執着春麗の映像を見ながら答えた。
「ええ。他の相手に勝てる黒を手に入れたのに、リュウに勝つためにしか黒を見られなくなっている」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「黒を選んでいるようで、リュウに引き戻されている黒ね」
本編春麗は、資料に書き込む。
鑑賞メモ一:成熟した黒。
ただし、満足には至らない。
他者への勝利より、リュウへの敗北の方が春麗を動かしている。
自覚前春麗が、少しだけ黙った。
映像は次へ進む。
夜明け前の修行場。
黒執着春麗が、黒いドレスでリュウの前に立つ。
リュウは見る。
逃げない。
目を逸らさない。
けれど、完全な平静でもない。
春麗が言う。
「……見ているわね」
リュウが答える。
「ああ」
春麗が問う。
「揺れている?」
リュウが答える。
「揺れている」
会議室の空気が少し変わった。
自覚前春麗が顔を赤くする。
「そこ、正直に言うのね」
本編春麗が頷く。
「リュウらしいわ」
黒ドレス特化救済春麗が、真剣な声で言う。
「この正直さが危険なのよ」
行き遅れ恐怖版春麗が小さく聞く。
「危険?」
黒ドレス特化救済春麗は答える。
「見ていないわけではない。女としての春麗に惑っていないわけでもない。それを認めたうえで勝ちに来る。黒執着春麗にとって、一番逃げられない相手になる」
通常救済版春麗が言う。
「無反応なら、諦められる。黒に呑まれるだけなら、冷められる。でも、惑って、それでも勝つから終われない」
グランドフィナーレ済み春麗が静かに言う。
「終われない構造ね」
本編春麗は映像を見つめた。
「ここは高評価だけれど、かなり危険」
自覚前春麗が呟く。
「リュウが惑っていると認めるのは……資料としては、かなり強いわね」
本編春麗がすかさず見る。
「資料として?」
自覚前春麗は顔を赤くする。
「資料としてよ!」
黒ドレス特化救済春麗は、そのやり取りには乗らず、映像を見ていた。
珍しく、余裕がない。
戦いが始まる。
黒執着春麗は強かった。
黒いドレスの揺れが、蹴りの軌道と重なる。
視線を誘う。
近づく。
止まる。
リュウの拳が半拍遅れる。
春麗の掌底が浅く入る。
リュウが下がる。
本編春麗が言う。
「戦闘としては、かなり春麗有利ね」
黒ドレス特化救済春麗が頷く。
「黒の使い方が成熟している。恥ずかしさで止まっていない」
通常救済版春麗が言う。
「でも、楽しそうではないわね」
映像の春麗は、勝ちに近づいている。
けれど、勝利の明るさはない。
むしろ、リュウが最後にどう残るかを待っているように見える。
自覚前春麗が、少し苦しそうに言った。
「……これ、勝ちたいの?」
本編春麗が答える。
「勝ちたいのよ」
一拍。
「でも、リュウにだけは最後まで届いてほしいとも思っている」
自覚前春麗は黙った。
行き遅れ恐怖版春麗が、小さく言う。
「矛盾しているわ」
グランドフィナーレ済み春麗が頷く。
「だから危険なの」
映像の中で、春麗はリュウへ迫る。
「あなたも、崩れなさい」
掌が届く。
リュウの胸元の前。
勝てる距離。
だがリュウは、崩れながらも足を沈めた。
惑っている。
しかし止まらない。
春麗の掌がリュウの胸元の前で止まる。
同時に、リュウの拳が春麗の喉元の前で止まる。
紙一重。
だが半拍、リュウが早い。
「……また」
黒執着春麗の声が漏れた。
会議室が静まり返った。
本編春麗が目を伏せる。
「負けたわね」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「しかも、最悪に良い負け方ね」
自覚前春麗が顔を上げる。
「良い負け方?」
黒ドレス特化救済春麗は、映像を見たまま答えた。
「黒が通じている。リュウは惑っている。それでも最後に勝たれる。これでは春麗は終われない」
通常救済版春麗が言う。
「黒が否定されたわけではないから、黒を捨てられない」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「リュウが遠すぎるわけでもないから、待ってしまう」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「勝てそうだから、次が生まれる。けれど、その次が彼女を自由にしない」
本編春麗は資料に書き込む。
鑑賞メモ二:黒は通じている。
リュウは惑っている。
だが、最後だけ勝たれる。
この敗北は、諦めではなく執着を生成する。
自覚前春麗は、ぽつりと言った。
「これは……危ないわ」
本編春麗は頷いた。
「ええ。あなたが危ないと言うなら、かなり危ないわ」
「どういう意味よ」
「否認部門代表が否認を忘れている」
自覚前春麗は反論しかけて、止まった。
確かに、今は否認する余裕がなかった。
映像の中で、黒執着春麗は問う。
「どうして、あなたは最後に残るの」
リュウは答える。
「惑っているから、見ている」
春麗が息を止める。
会議室の春麗たちも黙った。
リュウは続ける。
「惑わないなら、春麗を見ていないのと同じだ」
「だが、惑ったまま止まれば、それも春麗を見ていない」
「だから、勝ちに行く」
その瞬間、春麗会議全体に沈黙が落ちた。
本編春麗が小さく息を吐く。
「……これは、かなり高いわ」
通常救済版春麗が頷く。
「リュウの答えとしては、とても良い」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「見ているから惑う。惑っても止まらない。怖いけど、すごく強いわ」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「黒執着春麗にとっては、救済ではなく呪いにもなる答えね」
黒ドレス特化救済春麗が、静かに言った。
「そう。良い答えだからこそ危険なのよ」
自覚前春麗が聞く。
「どうして?」
黒ドレス特化救済春麗は答えた。
「この答えは、黒を否定していない。春麗を女として見ることも否定していない。格闘家として勝ちに行くことも否定していない。全部受けたうえで、最後に勝つと言っている」
本編春麗が続ける。
「つまり、黒執着春麗が欲しいものを、ほとんど全部与えている」
通常救済版春麗が言う。
「でも、自由にはしていない」
グランドフィナーレ済み春麗が締めた。
「だから、執着になる」
記録板に新しい文字が浮かぶ。
危険回答:高得点だが、未救済状態では執着を強化する可能性あり。
自覚前春麗が、少し怯えたように言う。
「高得点なのに危険なの?」
本編春麗は苦笑した。
「春麗会議では、よくあることよ」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「特に黒ではね」
映像はさらに進む。
黒執着春麗が言う。
「私は、他の相手にはもう勝てる」
「黒は、もう私のものよ」
「それでもあなたが勝つなら」
「私は、あなたに勝つまで黒を磨くわ」
リュウが答える。
「なら、俺も届く」
黒執着春麗は目を細める。
「また勝つつもり?」
「ああ」
そして最後に。
「なら、あなたのせいよ」
「何がだ」
「私が、あなたに勝つまで終われなくなったこと」
リュウは少し黙り、言った。
「なら、俺も終われない」
その瞬間、自覚前春麗が小さく声を漏らした。
「……それは駄目」
本編春麗が見る。
「駄目?」
自覚前春麗は顔を赤くしながらも、視線を逸らさなかった。
「それは、言ってはいけない方の正解よ」
黒ドレス特化救済春麗が静かに頷く。
「同意するわ」
通常救済版春麗も。
「これは、終わらせるための言葉ではないわね」
行き遅れ恐怖版春麗が不安そうに言う。
「二人で終われなくなるのは、怖いわ」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「終着から最も遠い言葉ね」
本編春麗は資料に書き込む。
リュウ発言:“俺も終われない”
評価:黒執着春麗に対しては極めて危険。
効果:相互執着化。
映像の黒執着春麗は、リュウに告げる。
「なら、責任を取りなさい」
「私があなたに執着していく責任を」
リュウは逃げなかった。
「受ける」
黒ドレス特化救済春麗は、目を閉じた。
「これは……駄目ね」
自覚前春麗が驚く。
「あなたが駄目って言うの?」
黒ドレス特化救済春麗は目を開ける。
「ええ。高得点すぎて駄目」
本編春麗が苦い顔で言う。
「すごくわかるわ」
通常救済版春麗が言う。
「受ける、は本来良い答え。でもこの春麗には重すぎる」
グランドフィナーレ済み春麗が静かに言う。
「救済されていない春麗に、責任の受領だけを与えると、出口ではなく鎖になる」
行き遅れ恐怖版春麗が小さく呟く。
「待つことも、終わらないことも、形を間違えると怖いのね」
映像は、黒執着春麗が夜明けの中へ去っていくところで止まった。
最後に、彼女の声が残る。
「次こそ、勝つわ」
その声は勝利宣言だった。
同時に、執着の告白だった。
会議室に静けさが戻った。
本編春麗は、しばらく資料を閉じなかった。
自覚前春麗も、いつものように騒がなかった。
黒ドレス特化救済春麗が、最初に口を開いた。
「この春麗は、私とは違うわ」
本編春麗が頷く。
「ええ」
黒ドレス特化救済春麗は続けた。
「私の黒は、見せる黒と見せない黒の境界をリュウに尊重させることで救済された。でも、この春麗の黒は違う。彼女は黒を見せることで、リュウに負けたいわけではない。勝ちたい。でも、リュウにだけ最後まで残ってほしい」
通常救済版春麗が言う。
「そして、選べなくなっている」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「終われなくなっている」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「だから、救済前のさらに深い分岐ね」
本編春麗は資料にまとめる。
黒執着春麗の暫定定義
黒を使いこなすまで成熟したが、リュウにだけギリギリ負け続けることで、リュウを“自分の黒が最後に届かない唯一の相手”として特別視し、執着を深めた春麗。
自覚前春麗が、ぽつりと言う。
「……私とは違うわね」
本編春麗が少し意外そうに見る。
「あなたが自分から違うと言うのは珍しいわね」
自覚前春麗は、いつもの調子に戻りかけて言う。
「私はそもそもめんどくさい女ではないから──」
黒ドレス特化救済春麗が遮った。
「それは置いておいて」
「置かないで!」
通常救済版春麗が優しく言う。
「でも、違うのは確かね。あなたはまだ選べる余地がある。黒執着春麗は、リュウに勝つための黒へ戻され続けている」
自覚前春麗は黙った。
それは、少し怖かった。
本編春麗は資料に次の項目を書く。
春麗会議評価
戦闘評価:高い。
黒成熟度:高い。
救済安定度:低い。
リュウ執着度:極めて高い。
春麗会議投入危険度:最大級。
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「最大級なのね」
本編春麗は頷いた。
「ええ。この春麗は、会議に参加させるなら慎重に扱う必要があるわ」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「鑑賞対象としては強い。でも常設メンバーにするには危険」
通常救済版春麗も頷く。
「特に自覚前春麗には刺激が強いと思う」
自覚前春麗が反応する。
「なぜ私を見るの?」
本編春麗が言う。
「黒で成熟しても、リュウにだけ負ける春麗よ。あなた、資料としてかなり気になるでしょう?」
自覚前春麗は目を逸らす。
「……資料としては」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「ほら」
「ほらじゃない!」
グランドフィナーレ済み春麗が静かに言う。
「この春麗は、終着を知らない。けれど終われないことを甘く感じ始めている。それが一番危険ね」
本編春麗は深く頷いた。
そして結論を書き込んだ。
春麗会議・黒執着春麗初回鑑賞会 結論
一、黒執着春麗は、新パターン春麗として成立する。
二、既存の黒ドレス特化救済春麗とは異なり、救済済みの黒ではなく、“成熟した黒でなおリュウにだけ勝てない黒”を核とする。
三、リュウが黒に惑い、女としての春麗を見て、それでも最後に勝つことが、この春麗の執着を強化している。
四、“惑っているから見ている”“俺も終われない”“受ける”は高得点回答である一方、未救済の黒執着春麗には危険な執着強化回答でもある。
五、春麗会議としては、鑑賞対象・新規分岐候補として採用可能。ただし常設メンバー化は保留。
自覚前春麗が言う。
「保留なのね」
本編春麗は頷く。
「ええ。危険だから」
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「それに、彼女はまだ会議に来る段階ではないわ」
通常救済版春麗が言う。
「まだ、黒の中にいるものね」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「終われないまま」
グランドフィナーレ済み春麗が締める。
「でも、物語としては強いわ」
本編春麗は資料を閉じた。
「では、次回候補」
自覚前春麗が小さく身構える。
本編春麗は記録板へ書く。
次回候補:黒執着春麗を救済するには、リュウは“勝つ責任”をどう言語化すべきか。
会議室が、また静かになった。
黒ドレス特化救済春麗が、ゆっくり言った。
「それは重いわね」
通常救済版春麗が頷く。
「かなり難しい宿題ね」
行き遅れ恐怖版春麗が言う。
「勝ち続けた責任……」
グランドフィナーレ済み春麗が言う。
「終われない二人を、どこへ向かわせるかの問題ね」
自覚前春麗は、資料を見つめたまま呟いた。
「……資料として、次も見たいわ」
全員が自覚前春麗を見る。
自覚前春麗は、慌てて顔を赤くした。
「違う! これは危険性の確認として!」
本編春麗は微笑んだ。
「ええ。資料としてね」
夢がほどけていく。
最後に、黒執着春麗の声が残った。
私が、あなたに勝つまで終われなくなったこと。
そして、リュウの声。
なら、俺も終われない。
本編春麗は、夢の中で小さく言った。
「……これは、かなり危険ね」
黒ドレス特化救済春麗が答える。
「ええ。だから、見たいのよ」
そこで夢は消えた。