また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
長い黒執着春麗エピソードの裏でログを春麗会議室で観測していた本編・自分がめんどくさい女と自覚する春麗の重い話が続くことに対する息抜きのエピソードです。
春麗会議室は、珍しく静かだった。
記録板AIも、すぐには何も表示しなかった。
円卓の上には、黒いログが積まれている。
黒執着春麗。
黒ドレス特化救済春麗。
リュウの返す拳。
返される黒。
空になる恐怖。
勝利だけに預けない黒。
どれも重い。
重いどころではない。
春麗会議室の空気まで、少し黒く沈んでいる気がした。
その沈黙の中で、本編春麗は腕を組んでいた。
青い武道服のまま。
背筋を伸ばして。
表情は落ち着いている。
けれど、眉間には小さな皺がある。
自覚前春麗が、横目で見る。
「……何か言いたそうね」
本編春麗は即答しなかった。
通常救済版春麗が、静かにお茶を置く。
「言ってもいいのよ」
本編春麗は、少しだけ視線を落とした。
「言っていい内容なら、もう言っているわ」
自覚前春麗が目を細める。
「つまり、言いにくい内容なのね」
「そうよ」
「珍しく素直ね」
「素直にならざるを得ないくらい、状況が面倒なのよ」
記録板AIが、控えめに点灯する。
『本編春麗:発言前葛藤を検出』
本編春麗が顔を上げる。
「検出しないで」
『検出済みです』
「取り消して」
『ログ処理上、取り消し不可』
「本当に融通が利かないわね」
自覚前春麗が少し笑う。
「それで? 何に文句を言いたいの?」
本編春麗は沈黙した。
それから、ゆっくりと言った。
「最近」
「ええ」
「黒の話が、重いの」
会議室が静かになった。
記録板AIも、表示を出さない。
本編春麗は続けた。
「もちろん、必要な話なのはわかっているわ」
指を一本立てる。
「黒執着春麗の救済ルートは大事」
二本目。
「黒ドレス特化救済春麗の役割も重要」
三本目。
「リュウがただ受けるだけでは駄目だと気づく流れも必要」
四本目。
「返される黒が消える黒ではないという整理も、かなり綺麗」
そこで、彼女は深く息を吐いた。
「わかっているのよ」
自覚前春麗は、少しだけ口元を緩めた。
「わかっているから文句が言いにくいのね」
「そう」
本編春麗は、少し悔しそうに言った。
「私は、文句を言いたい」
記録板AIが点灯する。
『本編春麗:主人公出番不足不満を再検出』
「言い方」
『補足:再々検出』
「増やさないで」
通常救済版春麗が、微笑んだ。
「でも、今回は少し違うのでは?」
本編春麗は頷いた。
「そう。今回は違うのよ」
彼女は黒いログの山を見る。
「相手が、自分なのよ」
静かだった。
「黒執着春麗も、黒ドレス特化救済春麗も、通常救済版も、自覚前も、あなたたちも、全部、私から分かれた私でしょう」
自覚前春麗は肩をすくめる。
「資料上はそうね」
「資料上って言わないで」
「でも事実でしょう」
「ええ。だから面倒なのよ」
本編春麗は、額に手を当てた。
「普通に考えたら、私はこう言いたいの」
少し間を置く。
「最近、私のメイン回が少なくない?」
記録板AI。
『本編春麗:主人公性確認要求』
「要求ではないわ」
『主人公性再確認希望』
「希望でもない」
『主人公出番再配分提案待ち』
「待ってない」
自覚前春麗が小さく笑った。
「でも、だいたい合っているわね」
「合っているから腹が立つのよ」
本編春麗は黒いログを指差した。
「でも、今それを言うとどうなると思う?」
通常救済版春麗が答える。
「黒執着春麗の救済中に、主人公が出番を要求したように見えるわね」
「そう!」
本編春麗が勢いよく頷く。
「ものすごく空気が読めない女に見えるの!」
自覚前春麗が首を傾げる。
「もともと、結構めんどくさい女では?」
「自覚しているわ」
「では問題ないのでは?」
「自覚しているめんどくさい女にも、限度があるのよ」
記録板AI。
『本編春麗:空気を読めるめんどくさい女状態』
本編春麗は黙った。
数秒。
「……それ、嫌な分類ね」
『精度:高』
「もっと嫌ね」
黒ドレス特化救済春麗が、静かに口を開いた。
「あなたが黙っているのは、助かっているわ」
本編春麗は、少しだけ目を細める。
「それ、褒めているの?」
「ええ」
「本当に?」
「ええ」
「勝った側の黒の春麗から言われると、妙な重さがあるわね」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ目を伏せた。
「今の黒執着春麗に、軽い言葉は届かないわ」
「わかっているわ」
本編春麗はすぐに答えた。
そして、少し間を置く。
「わかっているから、黙っているのよ」
その言葉には、ほんの少しだけ寂しさがあった。
「私は、文句を言いたい」
もう一度、彼女は言った。
「主人公なのに」
記録板AI。
『本編春麗:主人公自己申告』
「自己申告ではないわ」
『過去実績により主人公属性は維持されています』
「そこはありがとう」
『ただし、直近黒関連イベントの密度により、本編春麗メイン稼働率は低下傾向』
「そこは言わなくていい」
自覚前春麗が頷く。
「確かに、最近は黒の密度が高いわ」
「あなたもかなり稼働していた側よ」
「資料として」
「その言い訳、だいぶ黒くなっているわよ」
自覚前春麗は目を逸らした。
通常救済版春麗が穏やかに言う。
「でも、本編春麗が空気を読んでいるのは、悪いことではないわ」
本編春麗は、やや不満げに見る。
「悪いことではないけれど、納得はいかないのよ」
「どうして?」
「だって、私は主人公なのよ」
少し沈黙。
本編春麗は、自分で言ってから小さく咳払いした。
「……構造上」
自覚前春麗が即座に反応する。
「今、自分で言ったわね」
「構造上と言ったでしょう」
「主人公なのよ、と先に言ったわ」
「聞かなかったことにして」
「無理ね」
記録板AI。
『本編春麗:主人公自己認識の明確化』
「明確化しないで」
『補足:照れ隠しとして“構造上”を使用』
「補足しないで!」
会議室に、少しだけ笑いが戻った。
重かった空気が、ほんの少し緩む。
本編春麗は、その空気を感じて、少しだけ肩の力を抜いた。
「……こういうのが、たぶん必要なのよ」
通常救済版春麗が頷く。
「息抜き?」
「ええ」
本編春麗は黒いログを見る。
「黒執着春麗の話は、ちゃんと重く扱うべきだと思う」
誰も茶化さなかった。
「返されたら空になるとか、勝利だけに預けない黒とか、あれは軽く扱ったら駄目な話よ」
黒ドレス特化救済春麗が静かに頷く。
「ええ」
「だから、本編春麗が出番不足で騒ぐのは違う」
自覚前春麗が口を開く。
「でも、騒ぎたい」
「そう」
本編春麗は即答した。
「騒ぎたいの」
記録板AI。
『本編春麗:理性と主人公補正欲求の衝突』
「主人公補正欲求って何?」
『最近、主人公補正による偶然遭遇が発生していないことへの潜在的不満です』
「潜在ではなくなったわね」
『顕在化を確認』
「確認しないで」
自覚前春麗が肘をつく。
「でも、リュウへの宿題も残っているでしょう」
本編春麗の表情が、一瞬だけ変わった。
「……ええ」
記録板AIが即座に点灯する。
『本編春麗:甘い言葉の宿題正式回答待ち』
本編春麗は記録板AIを睨む。
「それを今出す?」
『本編春麗メイン回復帰導線として有効です』
「有効だけど、今出すと私が露骨に待っているみたいでしょう」
自覚前春麗。
「待っているのでは?」
「待っていないわ」
通常救済版春麗。
「待っているように見えるわ」
「あなたまで」
黒ドレス特化救済春麗。
「待てるのは、悪いことではないわ」
本編春麗は、少し黙った。
「……それ、黒返却ルートの文脈で言っていない?」
「少し」
「重いのよ」
「でも、合っているわ」
本編春麗は額を押さえた。
「本当に、最近みんな発言が重いわ」
記録板AI。
『春麗会議室:シリアス過多による軽量回挿入を推奨』
本編春麗が顔を上げる。
「軽量回?」
『はい』
「それは、つまり」
『本編春麗による出番不足申告、主人公補正待機不満、甘い宿題正式回答待ちの確認を含む息抜き回です』
「今やっているわよ、それ」
『はい』
「まさか、これが?」
『ディレクターズカット扱いが妥当です』
自覚前春麗が笑った。
「投稿予定がないから好き勝手言える回ね」
本編春麗は咳払いした。
「そういう言い方はよくないわ」
「でも、気楽でしょう?」
「……少し」
通常救済版春麗が微笑む。
「なら、今日はそれでいいのでは?」
本編春麗は、黒いログの山を見た。
その重さは変わらない。
黒執着春麗は、まだ救済の途中にいる。
リュウも、まだ返し方を探している。
黒ドレス特化救済春麗も、まだ答えを押しつけていない。
重い話は、まだ続く。
でも。
だからこそ、少し息を吸う場所が必要だった。
本編春麗は、深く息を吐いた。
「では、正式に言うわ」
記録板AIが点灯する。
『発言記録準備』
「準備しなくていい」
『準備済み』
「……最近」
彼女は、少しだけ胸を張った。
「私のメイン回が少ない気がします」
自覚前春麗が拍手した。
「言ったわね」
通常救済版春麗も小さく笑った。
「言えたわね」
黒ドレス特化救済春麗は頷く。
「よかったわ」
本編春麗は顔を赤くした。
「重い話の合間に、こんなことを言う自分が嫌になるわ」
記録板AI。
『本編春麗:空気を読んだ上での主人公性回復申告』
本編春麗は、少しだけ動きを止めた。
「……それなら、少し許せるわ」
『承認しますか』
「しないわ」
『未承認仮分類として保存します』
「保存しないで!」
自覚前春麗が笑う。
「でも、かなり本編春麗らしいわ」
「どこが?」
「自分の出番不足に文句を言いたいのに、IFの自分の救済中だから空気を読んでしまうところ」
本編春麗は、少しだけ視線を逸らした。
「……それは、仕方ないでしょう」
「ええ」
自覚前春麗の声が少しだけ柔らかくなる。
「仕方ないわ」
通常救済版春麗が続ける。
「文句を言える場所があるのは、悪くないわ」
黒ドレス特化救済春麗も言う。
「黒の話が重いからこそ、青が息をしている必要もある」
本編春麗は、少し驚いたように彼女を見た。
「……あなたがそれを言うのね」
「ええ」
黒ドレス特化救済春麗は、静かに言った。
「黒だけでは、会議室が沈むもの」
沈黙。
それから、本編春麗は小さく笑った。
「そうね」
青い袖を見下ろす。
「私も、少しくらい空気を入れていいわよね」
記録板AI。
『本編春麗:会議室換気担当』
「担当にしないで」
『表現を修正します』
「しなくていい」
『本編春麗:青の換気役』
「悪化しているわ」
自覚前春麗が笑いをこらえる。
「青の換気役、いいじゃない」
「よくないわ」
通常救済版春麗。
「でも、今の会議室には必要かもしれないわ」
本編春麗は、少しだけ頬を膨らませた。
「私は換気のために主人公をしているわけではないのだけど」
記録板AI。
『注記:主人公性と換気機能は両立可能』
「両立させないで」
会議室に、柔らかい笑いが広がった。
黒いログの山は、まだそこにある。
消えていない。
軽くなったわけでもない。
けれど、その隣に青い空気が少し入った。
本編春麗は、それを見て、少しだけ納得したように息を吐いた。
「黒執着春麗の話は、続けていいわ」
自覚前春麗が見る。
「いいの?」
「いいわよ」
本編春麗は、少しだけ真面目な顔になる。
「だって、あれも私でしょう」
誰も茶化さなかった。
「それに」
一拍。
「黒から戻ってくる春麗がいるなら、ちゃんと見届けたい」
黒ドレス特化救済春麗が、静かに頷いた。
「ええ」
通常救済版春麗も頷く。
「それがいいわ」
本編春麗は、そこでふっと表情を崩した。
「ただし」
記録板AIが点灯する。
『条件提示を検出』
「検出しなくていい」
『継続してください』
本編春麗は、少しだけ顔を赤らめながら言った。
「黒返却ルートが一区切りしたら」
少し間を置く。
「私のリュウへの宿題正式回答回を、ちゃんと戻してちょうだい」
会議室が静かになった。
自覚前春麗が、ゆっくり笑う。
「やっぱり待っているじゃない」
「待っていないわ」
通常救済版春麗。
「楽しみにしているのね」
「違うわ」
黒ドレス特化救済春麗。
「それは、返される言葉ではなく、受け取りに行く言葉ね」
「重くしないで」
記録板AI。
『本編春麗:甘い宿題正式回答回への復帰希望を確認』
「確認しないで!」
『希望強度:高』
「高くない!」
『精神HP反応:上昇および動揺』
「測定しないで!」
自覚前春麗が笑った。
「大丈夫よ。本編主人公」
本編春麗は、目を細めた。
「その呼び方、何?」
「裏主人公候補からの敬意よ。資料として」
「絶対に敬意ではないわね」
通常救済版春麗が微笑む。
「でも、少し元気になったわ」
本編春麗は、少しだけ黙った。
そして、小さく頷いた。
「……ええ」
黒いログの山を見る。
青い袖を見る。
会議室の空気を見る。
「少し、息ができたわ」
記録板AIが、最後に表示する。
『ディレクターズカット記録』
『黒返却ルート本筋への直接干渉:なし』
『本編春麗の主人公性:維持』
『出番不足不満:一時緩和』
『甘い宿題正式回答待ち:継続』
『青の換気役:未承認仮分類』
本編春麗が即座に立ち上がる。
「最後の項目!」
『未承認です』
「未承認なら出さないで!」
『仮分類です』
「なお悪いわ!」
会議室に笑いが戻る。
黒はまだ重い。
救済はまだ途中。
けれど、その合間に、本編春麗は青い袖を揺らして文句を言えた。
主人公として。
空気を読めてしまう、めんどくさい女として。
そして、IFの自分を見捨てられない春麗として。
最後に彼女は、ぽつりと言った。
「……まあ、今回は譲ってあげるわ」
記録板AI。
『本編春麗:譲歩ログ保存』
「保存しないで」
『保存済み』
「だから!」
黒ドレス特化救済春麗が、少しだけ笑った。
通常救済版春麗も、静かに笑った。
自覚前春麗は、楽しそうに頬杖をついた。
本編春麗はため息をつく。
けれど、その顔は少しだけ明るかった。
黒い話は、まだ続く。
でも、青もまだここにいる。
それだけは、春麗会議室の全員が確認した。