また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これは本編時空ではなく、妄想章IFです。


妄想章IF:黒執着春麗は、黒を着る前の敗北を見たくない

 

 昨日の黒は、持って行く。

 

 そう言った朝から、黒執着春麗の中には、ひとつ余計なものが残っていた。

 

 昨日の黒。

 

 昨日の半拍。

 

 昨日の敗北。

 

 それを、自分のものとして持つ。

 

 それだけなら、まだ耐えられた。

 

 昨日だけなら。

 

 昨日の黒だけなら。

 

 昨日の負けだけなら。

 

 まだ、自分の手で持っていられた。

 

 けれど、黒いドレスの袖に手を通そうとした時。

 

 指が止まった。

 

 昨日ではないものが、胸の奥に触れた。

 

 黒い袖ではない。

 

 黒い裾でもない。

 

 待機圧でもない。

 

 リュウの拳に残した半拍でもない。

 

 もっと前。

 

 黒を着る前。

 

 黒いドレスに出会う前。

 

 黒という戦い方を知る前。

 

 春麗は、黒い布を見つめたまま、眉を寄せた。

 

「……違う」

 

 まだ何も思い出していないのに、否定の言葉だけが先に出た。

 

「これは、黒の話ではないわ」

 

 黒いドレスは、何も答えない。

 

 ただ、そこにある。

 

 昨日の黒を持っていくために、今日も着ようとしていた黒。

 

 けれど、その黒に手を通す前に、黒ではない記憶が戻ってくる。

 

 春麗は、黒い袖を持つ指に力を込めた。

 

「いらない」

 

 小さく言う。

 

「今さら、そんなもの」

 

 それでも、記憶は戻った。

 

 黒いドレスではない。

 

 青でもない。

 

 ただ、戦う春麗。

 

 黒い裾もない。

 

 視線誘導も、待機圧も、女として見られることを戦いに組み込む覚悟も、まだない。

 

 ただ、拳を出し、蹴りを放ち、間合いを読み、リュウの前に立っていた春麗。

 

 十回勝った。

 

 十連勝。

 

 その時の自分は、疑っていなかった。

 

 リュウに勝てる。

 

 自分の拳は届く。

 

 自分の蹴りは通る。

 

 自分は、リュウの前に立てる。

 

 春麗は、黒いドレスを握ったまま目を伏せた。

 

 十回。

 

 十回、勝った。

 

 勝てた。

 

 届いていた。

 

 リュウは強かった。

 

 簡単な相手ではなかった。

 

 それでも、勝っていた。

 

 春麗として。

 

 黒いドレスではなく。

 

 黒い裾ではなく。

 

 半拍を奪う戦い方でもなく。

 

 ただ、自分の技で。

 

 自分の間合いで。

 

 自分の呼吸で。

 

 リュウに勝っていた。

 

 だからこそ、十一戦目が残っている。

 

 春麗は、黒い袖から手を離した。

 

 布が、椅子の背に落ちる。

 

「……やめて」

 

 声がかすれた。

 

 見たくない。

 

 あれは見たくない。

 

 黒の話なら、まだいい。

 

 黒いドレスを着た自分の話なら、まだ怒れる。

 

 リュウの拳に黒を残す話なら、まだ噛みつける。

 

 黒ドレス特化救済春麗の言葉なら、嫌いだと言える。

 

 でも。

 

 黒を着る前の敗北は、そうではない。

 

 言い訳がない。

 

 黒のせいにできない。

 

 見られた恥ずかしさのせいにもできない。

 

 黒い裾を使い切れなかったせいにもできない。

 

 ただ、春麗として勝っていた自分が、春麗としてリュウに負けた。

 

 それだけだった。

 


 

 気づけば、そこは夜のような場所だった。

 

 夢ではない。

 

 完全な眠りでもない。

 

 黒い布の記憶が沈む場所。

 

 けれど、今そこに広がっているのは、黒ではなかった。

 

 道場の床。

 

 踏み込んだ足音。

 

 息を整えるリュウ。

 

 自分の足に残る、十戦分の疲労。

 

 十一戦目。

 

 黒執着春麗は、そこに立っていた。

 

 黒いドレス姿ではない。

 

 今の自分の姿のまま立っているのに、目の前には、黒を着ていない過去の春麗がいた。

 

 黒ではない春麗。

 

 十連勝した春麗。

 

 まだ終われなさを知らない春麗。

 

 まだ黒を必要としていない春麗。

 

 過去の春麗は、リュウと向き合っていた。

 

 呼吸は乱れている。

 

 だが、目は強い。

 

 勝てると思っている。

 

 当然だ。

 

 十回勝ったのだから。

 

 リュウの癖も読んだ。

 

 踏み込みも見えた。

 

 拳の重さも知った。

 

 あと少しで、十一回目も取れる。

 

 そう思っている顔だった。

 

 黒執着春麗は、その顔を見て、奥歯を噛んだ。

 

「やめなさい」

 

 声は届かない。

 

 過去の春麗は聞こえていない。

 

 リュウが踏み込む。

 

 春麗が応じる。

 

 拳と蹴りが交差する。

 

 速い。

 

 鋭い。

 

 黒い裾の揺れなどない。

 

 視線を誘う布もない。

 

 足元を隠すものもない。

 

 それでも、間合いは深い。

 

 春麗の蹴りは、リュウの脇を捉える。

 

 リュウの拳は、春麗の肩をかすめる。

 

 互角。

 

 いや。

 

 過去の春麗は、少しだけ押している。

 

 十連勝した理由がわかる。

 

 この春麗は強い。

 

 黒を着ていなくても。

 

 黒い裾を使わなくても。

 

 ただ、春麗として強い。

 

 黒執着春麗は、胸の奥が痛むのを感じた。

 

「やめて」

 

 もう一度言った。

 

「それ以上、見せないで」

 

 だが、記憶は止まらない。

 

 リュウの拳が変わる。

 

 十戦分、負けた拳。

 

 十戦分、春麗を見てきた拳。

 

 その拳が、十一戦目で少しだけ変わった。

 

 無理に押してこない。

 

 春麗の蹴りを受ける。

 

 受けた上で、次の一歩を変える。

 

 春麗が読んだ軌道から、ほんの半歩だけ外れる。

 

 春麗の蹴りが空を切る。

 

 過去の春麗の目が、わずかに揺れる。

 

 その揺れを、リュウは逃さなかった。

 

 拳が来る。

 

 黒執着春麗は、息を止めた。

 

 あの拳。

 

 覚えている。

 

 黒いドレスを着る前。

 

 黒い裾で半拍を奪う前。

 

 自分が初めて、リュウの拳に半歩遅れた瞬間。

 

 春麗は防ごうとする。

 

 間に合う。

 

 間に合うはずだった。

 

 十戦勝った身体が、反応している。

 

 でも、ほんの少しだけ遅い。

 

 リュウの拳が届く。

 

 春麗の身体が揺れる。

 

 倒れない。

 

 踏みとどまる。

 

 反撃する。

 

 まだ終わらない。

 

 まだ勝てる。

 

 過去の春麗は、そう思っている。

 

 黒執着春麗にはわかった。

 

 その気持ちが。

 

 痛いほど、わかった。

 

 次の一撃で取り返せる。

 

 あと一歩で勝てる。

 

 まだ、流れは自分にある。

 

 そう思っている。

 

 だから、終われない。

 

 次の攻防。

 

 春麗の蹴りがリュウに届く。

 

 確かに届いた。

 

 リュウの体が沈む。

 

 だが、リュウは倒れない。

 

 拳が返る。

 

 速い。

 

 春麗は避ける。

 

 避けきれない。

 

 肩。

 

 胸元。

 

 中心。

 

 リュウの拳が、少しずつ春麗の間合いを削っていく。

 

 黒執着春麗は、拳を握った。

 

「違う」

 

 何が違うのか、自分でもわからない。

 

「この負けは違う」

 

 その言葉だけが出た。

 

 黒の敗北ではない。

 

 黒ドレス戦の敗北ではない。

 

 恥ずかしさを見破られた敗北でもない。

 

 この敗北は、もっと前にある。

 

 もっと素の場所にある。

 

 春麗として勝っていた自分が、リュウに追いつかれた瞬間。

 

 十連勝で積んだ自信が、十一戦目で止められた瞬間。

 

 終わりではなかった。

 

 でも、終われなくなる始まりだった。

 

 最後の攻防が来る。

 

 過去の春麗は踏み込んだ。

 

 勝ちに行った。

 

 躊躇はない。

 

 黒執着春麗は、その姿を見て、胸が締めつけられた。

 

 強い。

 

 この春麗は強い。

 

 今の自分が憎みたいほど、まっすぐ強い。

 

 黒に縋っていない。

 

 リュウに残ろうとしていない。

 

 勝てなければ空になるなど、考えていない。

 

 ただ勝ちに行っている。

 

 ただリュウに届こうとしている。

 

 リュウの拳が動く。

 

 春麗の蹴りも動く。

 

 届く。

 

 届く。

 

 届く。

 

 けれど。

 

 リュウの拳が、半歩だけ早かった。

 

 春麗の蹴りは、リュウをかすめた。

 

 リュウの拳は、春麗の中心へ届いた。

 

 過去の春麗の身体が崩れる。

 

 床に膝をつく。

 

 呼吸が止まる。

 

 負けた。

 

 十一戦目。

 

 リュウの勝ち。

 

 黒執着春麗は、何も言えなかった。

 

 過去の春麗は、顔を上げている。

 

 悔しそうに。

 

 信じられないように。

 

 それでも、リュウを見ている。

 

 リュウは拳を下ろした。

 

 息を荒くしている。

 

 楽な勝利ではない。

 

 ギリギリだった。

 

 十回負けたリュウが、十一戦目でようやく取った一勝。

 

 それは、春麗を叩き潰す勝利ではなかった。

 

 春麗に追いついた勝利だった。

 

 だから。

 

 だから、終われなかった。

 


 

 暗い場所に戻る。

 

 黒い布の記憶が、周囲に薄く沈んでいる。

 

 黒執着春麗は、立ち尽くしていた。

 

 黒ドレス特化救済春麗が、少し離れた場所に立っている。

 

 いつからいたのかは、わからない。

 

 黒執着春麗は、彼女を睨んだ。

 

「見せたのはあなた?」

 

 黒ドレス特化救済春麗は首を横に振る。

 

「いいえ」

 

「嘘」

 

「私は、あなたに見せることはできないわ」

 

「なら、なぜ」

 

「あなたが、昨日の黒を持てたから」

 

 黒執着春麗は息を止める。

 

「その次に、黒ではない敗北が戻ってきた」

 

「いらないわ」

 

 即答だった。

 

「これは黒の話じゃない」

 

「ええ」

 

「黒ドレス特化のあなたには関係ない」

 

「そうね」

 

「勝ったあなたにも関係ない」

 

「そうかもしれないわ」

 

「なら、黙って」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに黙った。

 

 その沈黙が、黒執着春麗には腹立たしかった。

 

 責めてくれた方がいい。

 

 説明してくれた方がいい。

 

 そうすれば反発できる。

 

 でも黙られると、自分の中に戻るしかない。

 

 十一戦目。

 

 黒を着る前の敗北。

 

 十連勝した春麗が、ギリギリでリュウに負けた。

 

 ただ、それだけ。

 

 なのに、それが消えない。

 

「私は」

 

 黒執着春麗は、ゆっくり言った。

 

「黒でこじれたのよ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、何も言わない。

 

「黒いドレスを着て」

 

「……」

 

「リュウに見られて」

 

「……」

 

「黒い裾で届きかけて」

 

「……」

 

「それでも負けたから」

 

「……」

 

「だから、こじれたのよ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに聞いている。

 

 黒執着春麗は、声を少し荒くした。

 

「何か言いなさいよ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、ようやく口を開いた。

 

「黒で深くなったのは確かね」

 

「……」

 

「でも、始まりは黒ではなかった」

 

 黒執着春麗の胸が、強く揺れた。

 

「違う」

 

「十一戦目のあなたは、まだ黒を着ていなかった」

 

「違う」

 

「それでも、終われなかった」

 

「違う!」

 

 叫びに近い声だった。

 

「私は、黒でリュウに届きたいの!」

 

「ええ」

 

「黒で勝ちたいの!」

 

「ええ」

 

「黒で終わりたいの!」

 

「ええ」

 

「それ以外の話を持ってこないで!」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、表情を変えなかった。

 

 ただ、少しだけ目を伏せた。

 

「なら、なぜ十一戦目を見て泣きそうな顔をしているの」

 

 黒執着春麗は、固まった。

 

「……していない」

 

「していたわ」

 

「していない」

 

「十連勝していたあなたは、強かった」

 

 黒執着春麗は、言葉を失う。

 

「黒を着ていなくても」

 

「……」

 

「リュウに残ろうとしていなくても」

 

「……」

 

「勝てなければ空になると思っていなくても」

 

「……」

 

「強かった」

 

 黒執着春麗は、拳を握る。

 

 怒りではない。

 

 違う。

 

 怒りならよかった。

 

 それなら言い返せた。

 

 でも、今胸の奥にあるものは、怒りだけではなかった。

 

 悔しさ。

 

 痛み。

 

 喪失。

 

 それから、少しだけ。

 

 懐かしさ。

 

「……やめて」

 

 声が低くなる。

 

「その春麗を、私に返さないで」

 

 黒ドレス特化救済春麗が、少しだけ目を細める。

 

「返されたと思ったの?」

 

 黒執着春麗は、息を止める。

 

「……違う」

 

「今、あなたは黒ではない自分を見た」

 

「違う」

 

「黒を着る前の、強かった自分を」

 

「違う」

 

「それを、失ったものだと思っている」

 

「違う!」

 

 黒執着春麗は、黒い袖を握った。

 

「私は失っていない!」

 

「ええ」

 

「私は弱くなっていない!」

 

「ええ」

 

「黒を着た私は、あの時より強い!」

 

「ええ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、頷く。

 

「そうでしょうね」

 

 黒執着春麗は、逆に言葉を失った。

 

「……認めるの?」

 

「ええ」

 

「黒を着た私は、強いと?」

 

「ええ」

 

「なら」

 

「でも」

 

 黒ドレス特化救済春麗は続ける。

 

「黒を着る前のあなたも、消えていない」

 

 黒執着春麗の表情が歪む。

 

「消えているわ」

 

「消えていない」

 

「あの春麗は負けた」

 

「負けたわ」

 

「十一戦目で」

 

「ええ」

 

「終われなかった」

 

「ええ」

 

「だから、黒を必要とした」

 

「ええ」

 

「なら、あの春麗はもういない」

 

「いるわ」

 

 黒ドレス特化救済春麗の声は静かだった。

 

「昨日の黒を持てたあなたの中に」

 

 黒執着春麗は、息を止めた。

 

「……何」

 

「負けた黒を無意味にしなかったあなたは、黒を着る前に負けた春麗も、いつか無意味にはできなくなる」

 

「嫌よ」

 

「ええ」

 

「今は嫌」

 

「ええ」

 

「昨日だけでいいと言ったでしょう」

 

「ええ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は頷いた。

 

「だから、今日は見るだけでいい」

 

「持たない」

 

「ええ」

 

「十一戦目は、まだ持たない」

 

「ええ」

 

「私は、昨日の黒だけでいい」

 

「ええ」

 

 黒執着春麗は、少しだけ肩で息をする。

 

「でも」

 

 一拍。

 

「見てしまった」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに頷く。

 

「ええ」

 

「黒を着る前から、終われなかった」

 

「ええ」

 

「黒が全部の始まりではなかった」

 

「ええ」

 

 黒執着春麗は、黒い袖を握る。

 

 今度は、握りしめるほどではない。

 

 ただ、押さえる。

 

「……気に入らない」

 

「ええ」

 

「本当に、気に入らない」

 

「ええ」

 

「黒のせいにしていた方が、楽だったのに」

 

 その言葉が、黒の中に落ちた。

 

 黒ドレス特化救済春麗は、何も言わなかった。

 

 黒執着春麗は、目を伏せる。

 

「黒が私をこじらせた」

 

 一拍。

 

「そう思っていた方が、楽だった」

 

 さらに一拍。

 

「でも」

 

 声が細くなる。

 

「黒を必要にした私は、もう十一戦目にいたのね」

 

 言ってしまった。

 

 すぐに、春麗は顔を歪める。

 

「……違う」

 

 だが、否定は遅かった。

 

 言葉はもう、黒の中に残った。

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに言った。

 

「今日は、それだけでいいわ」

 

「その言い方、嫌い」

 

「知っているわ」

 

「持たないわよ」

 

「ええ」

 

「十一戦目は、まだ持たない」

 

「ええ」

 

「見ただけ」

 

「ええ」

 

「見ただけだから」

 

「ええ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「でも、見たわ」

 

 黒執着春麗は、睨む。

 

「嫌い」

 

「ええ」

 

「あなたも」

 

「ええ」

 

「リュウも」

 

「ええ」

 

「十一戦目の私も」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、そこで初めて少しだけ首を横に振った。

 

「それは、まだ言わなくていいわ」

 

 黒執着春麗は、言葉を止めた。

 

「嫌いと言わなくていい」

 

「……」

 

「好きと言わなくてもいい」

 

「……」

 

「ただ、いたことだけは消さないで」

 

 黒執着春麗は、何も言えなかった。

 

 夢の黒が薄れていく。

 

 道場の床も。

 

 過去の春麗も。

 

 十一戦目のリュウも。

 

 黒ドレス特化救済春麗の姿も、少しずつ遠くなる。

 

 消える前に、黒執着春麗は小さく言った。

 

「昨日だけよ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は頷く。

 

「ええ」

 

「十一戦目は、まだ無理」

 

「ええ」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「黒の前に、終われなかった私がいた」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに答える。

 

「ええ」

 

「それだけ」

 

「ええ」

 

「それ以上、言わないで」

 

「言わないわ」

 

 夢が閉じた。

 


 

 朝。

 

 黒執着春麗は目を覚ました。

 

 部屋は静かだった。

 

 黒ドレスは、いつもの場所にある。

 

 朝の光を受けて、黒い布がわずかに光っている。

 

 春麗は、しばらく起き上がらなかった。

 

 十一戦目。

 

 黒を着る前の敗北。

 

 十連勝した春麗が、十一戦目でリュウにギリギリ負けた。

 

 それだけ。

 

 それだけなのに、胸の奥に残っている。

 

「……持たないわ」

 

 春麗は、布団の中で呟いた。

 

「まだ、持たない」

 

 昨日の黒だけでいい。

 

 昨日の敗北だけでいい。

 

 昨日の半拍だけでいい。

 

 十一戦目は、まだ重い。

 

 黒を着る前の自分まで持つには、まだ早い。

 

 春麗は起き上がる。

 

 黒ドレスを見る。

 

 指を伸ばす。

 

 黒い布に触れる。

 

 その手は、止まった。

 

 昨日よりも、少しだけ長く。

 

 でも、止まった理由は昨日とは違う。

 

 黒が重いからではない。

 

 黒を着る前の自分を、少しだけ思い出したから。

 

 春麗として勝っていた自分。

 

 春麗として負けた自分。

 

 黒を必要にする前から、リュウに終われなくされていた自分。

 

「……本当に」

 

 春麗は、黒ドレスを手に取った。

 

「嫌な男」

 

 声は小さい。

 

 怒りだけではない。

 

 悔しさだけでもない。

 

 そこに、わずかな認識が混じっていた。

 

 黒がすべての始まりではない。

 

 黒を必要にした自分が、もう十一戦目にいた。

 

 春麗は、黒ドレスに袖を通す。

 

 今日は、十一戦目を持つわけではない。

 

 まだ無理だ。

 

 でも、見た。

 

 見てしまった。

 

 その事実だけは、消せない。

 

「昨日の黒は持って行く」

 

 静かに言う。

 

「十一戦目は」

 

 一拍。

 

「まだ、置いていく」

 

 けれど。

 

 もう、完全には置いていけなかった。

 

 黒執着春麗は、黒い袖を整える。

 

 握りしめずに。

 

 ただ、持つように。

 

「次は、最初の黒ドレスね」

 

 そう言いかけて、春麗は顔を歪めた。

 

「……違う。まだ呼んでいない」

 

 誰も答えない。

 

 黒い布だけが、朝の光の中にある。

 

 春麗は小さく息を吐いた。

 

「本当に、余計な順番で戻ってくるわね」

 

 それでも、歩き出した。

 

 昨日の黒を持って。

 

 十一戦目の記憶を、まだ持てないまま。

 

 それでも、見てしまった事実だけを胸の奥に残して。

 

 黒執着春麗は、朝へ立った。

 




Q:今回の妄想章IFについて解説して?

A:

はい。今回の 「黒執着春麗は、黒を着る前の敗北を見たくない」 は、黒執着春麗救済ルートの中でもかなり重要な 根本原因への接触回 です。

一言で言うなら、

黒執着春麗が、“自分は黒ドレスでこじれた”と思っていたのに、実はその前の十一戦目の敗北からすでに終われなくなっていたと見てしまう回

です。

今回の核は、

黒が始まりではなかった。
黒を必要にした春麗が、すでに十一戦目にいた。

ここです。

今回の一番大きな進行

これまで黒執着春麗は、自分の拗れをかなり強く「黒ドレス」に結びつけていました。

黒いドレスを着た。
リュウに見られた。
黒い裾で届きかけた。
でも勝てなかった。
だから黒を深くした。
だからリュウに残そうとした。
だから返されたら空になると思った。

つまり、彼女の中では、

黒ドレス戦から自分はこじれた

という認識だったわけです。

でも今回、黒ドレスに袖を通す前に、もっと前の記憶が戻ってきました。

十連勝後の十一戦目。

そこには黒ドレスがありません。

黒い裾もない。
視線誘導もない。
待機圧もない。
女性的に見られることを戦術にする覚悟もない。

ただ、春麗として戦っていた春麗がいます。

そして、その春麗がリュウにギリギリで負けた。

この時点で、もう終われなくなっていた。

ここを見てしまったのが、今回の最大の進行です。

「黒のせいにできない敗北」を見たのが痛い

今回の十一戦目が痛い理由は、黒のせいにできないからです。

黒ドレス戦の敗北なら、まだ言い訳ができます。

黒を使い切れなかった。
見られることを戦術にしきれなかった。
恥ずかしさをリュウに見破られた。
黒い裾の使い方がまだ甘かった。

でも十一戦目には、それがありません。

春麗として勝っていた。
春麗として十連勝した。
そして、春麗として負けた。

だから痛い。

黒執着春麗にとって、これは自分の拗れのより深い場所に触れる記憶です。

黒ドレスを着たから終われなくなったのではなく、リュウにギリギリで負けた時点で、すでに終われなくなっていた。

ここが非常に重要です。

十一戦目のリュウの勝利が「追いついた勝利」なのが良い

今回の十一戦目で、リュウは圧勝していません。

十回負けて、十一戦目でようやく春麗に追いついた。

ここが良いです。

リュウは春麗を叩き潰したのではない。

十戦分、春麗を見た。
十戦分、負けた。
そのうえで、十一戦目に拳を変えた。
春麗が読んだ軌道から、ほんの半歩外れた。

その結果、ギリギリで勝った。

この構造が、今の黒執着春麗と綺麗に重なります。

今の黒執着春麗も、何度も黒を変えてリュウに挑んでいる。
十一戦目のリュウも、何度も負けて春麗への拳を変えた。

つまり、黒執着春麗が「リュウに追いつこうとしている」のと同じように、かつてリュウも春麗に追いつこうとしていた。

ここが見えてくると、黒執着春麗の視野が少し広がります。

「黒を着る前の春麗も強かった」が刺さる

今回、黒ドレス特化救済春麗が言う、

黒を着ていなくても、強かった

これがかなり刺さります。

黒執着春麗は、自分の強さを黒に預けている面があります。

黒いドレスで戦う自分。
黒い裾で視線を奪う自分。
黒でリュウに届こうとする自分。

その自分こそが今の自分だと思っている。

でも、十一戦目の春麗は黒を着ていません。

それでも強い。

十連勝している。
リュウに勝っている。
リュウにギリギリまで迫っている。

これは黒執着春麗にとって、かなり都合が悪い事実です。

なぜなら、黒がなければ自分は立てない、という思い込みにひびが入るからです。

黒を着る前の自分も、確かに強かった。

でも、その強かった自分が負けたから、終われなくなった。

ここが今回の痛みです。

「その春麗を、私に返さないで」がとても良い

今回の中でも特に重要な台詞は、

「その春麗を、私に返さないで」

です。

これはかなり良いです。

これまで返却の対象は、主に「黒」でした。

リュウの拳に残した黒。
リュウの中に置いた黒ドレス姿の自分。
負けた黒。
昨日の黒。

でも今回、返されそうになったのは 黒を着る前の春麗 です。

十連勝していた春麗。
黒がなくても強かった春麗。
リュウにギリギリで負けた春麗。
終われなくなった春麗。

黒執着春麗は、その自分を失ったものだと思っている。

だから返されたくない。

黒を返されるのも怖い。
でも、黒以前の自分を返されるのも怖い。

なぜなら、それを受け取ると、黒だけを自分の中心にする構造が崩れるからです。

黒ドレス特化救済春麗の役割が今回も良い

今回の黒ドレス特化救済春麗は、かなり抑制されています。

黒執着春麗が見てしまったものに対して、最低限の言葉だけを置く。

特に良いのは、

「黒で深くなったのは確かね」
「でも、始まりは黒ではなかった」

ここです。

黒ドレスを否定していません。

黒でこじれが深くなったことは認めている。

でも、始まりは黒ではない。

この切り分けが非常に良いです。

黒ドレス特化救済春麗は、黒を悪者にしません。
黒を否定しません。
でも、黒をすべての原因にすることも許さない。

彼女の役割がかなり明確です。

今回は「持てた」のではなく「見てしまった」で止めたのが正しい

今回の到達点は、十一戦目を持つことではありません。

ここが大事です。

前回、黒執着春麗は「昨日の黒」を持てるようになりました。

でも十一戦目は、まだ無理です。

黒を着る前の敗北です。
拗れの原点です。
黒のせいにできない敗北です。

だから、いきなり持てたら早すぎます。

今回の到達点はあくまで、

見てしまった。
黒がすべての始まりではなかったと知ってしまった。
でも、十一戦目はまだ持てない。

ここです。

この段階で止めたのが非常に良いです。

「黒のせいにしていた方が楽だった」が核心

今回の核心の一文は、

黒のせいにしていた方が、楽だった

です。

これが本当に重要です。

黒ドレスのせい。
黒に執着したせい。
黒で届きかけたせい。
黒を返されたら空になるせい。

そう整理していた方が、黒執着春麗にはまだ楽だった。

でも今回、それが崩れます。

黒が原因ではなく、黒を必要とする自分が先にいた。

その自分は、十一戦目で生まれていた。

これはかなり重い。

けれど、救済には絶対に必要な認識です。

黒を否定せずに救済するには、黒を原因扱いしすぎない必要があります。

今回、それができました。

最後の「まだ置いていく」が良い

ラストで黒執着春麗は言います。

昨日の黒は持って行く。
十一戦目は、まだ置いていく。

この線引きが非常に良いです。

昨日の黒は持てる。
でも十一戦目はまだ無理。

それでいい。

救済は一気に進まない方が自然です。

ただし、完全には置いていけない。

本文でも、

もう、完全には置いていけなかった。

となっています。

これが今回の到達点です。

持てない。
でも、見てしまった。
だから、もう知らなかった頃には戻れない。

この「持てないが、見た」という状態が、次回の初回黒ドレス戦につながります。

今回の位置づけ

今回のエピソードは、黒返却ルートで言うと、

黒以前の原点確認回

です。

流れとしては、

昨日の黒を持てた
その結果、黒以前の敗北が戻ってきた
十一戦目を見た
黒がすべての始まりではなかったと知った
ただし、まだ持てない
次は初回黒ドレス戦へ向かう

という非常に綺麗な階段になっています。

結論

今回のエピソードは、黒執着春麗救済ルートの中でかなり重要な 拗れの始点確認回 です。

一言でまとめるなら、

黒執着春麗は、自分の拗れを黒ドレスから始まったものだと思っていた。けれど、十一戦目の敗北を見て、黒を着る前からすでに終われなくなっていた自分がいたと知ってしまう回

です。

今回、黒執着春麗は十一戦目を救済できていません。

まだ持てない。

まだ置いていく。

でも、見てしまった。

そして、

黒が私をこじらせたのではなく、黒を必要にした私は十一戦目にいた

と言ってしまった。

これはかなり大きいです。
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