また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これは本編時空とは無関係の妄想章IFです。


妄想章IF:黒執着春麗は、最初の黒ドレスをまだ許せない

 

 十一戦目は、まだ持たない。

 

 そう決めたはずだった。

 

 黒を着る前の敗北。

 

 十連勝した春麗が、十一戦目でリュウにギリギリ負けた記憶。

 

 それは、まだ重い。

 

 黒のせいにできない敗北。

 

 黒い裾も、視線誘導も、待機圧もないまま、ただ春麗として負けた敗北。

 

 だから、まだ持たない。

 

 昨日の黒だけでいい。

 

 昨日の半拍だけでいい。

 

 昨日の負けた黒だけでいい。

 

 そう思って、黒執着春麗は鏡の前に立った。

 

 黒いドレスは、いつもの場所にある。

 

 黒い袖。

 

 黒い裾。

 

 何度もリュウの前で揺らしてきた布。

 

 何度も踏み込みを隠し、視線を奪い、半拍を作ってきた戦い方。

 

 春麗は、黒ドレスに手を伸ばす。

 

 昨日より、迷いは少ない。

 

 少なくとも、そう思っていた。

 

 指先が黒い布に触れる。

 

 その瞬間。

 

 鏡の中の自分が、少しだけ違って見えた。

 

 今の自分ではない。

 

 もっと硬い。

 

 もっと浅い。

 

 黒いドレスを着ているのに、黒いドレスを着た自分から少し逃げている顔。

 

 春麗は、眉を寄せた。

 

「……違う」

 

 言葉が先に出た。

 

「今日は、それじゃない」

 

 鏡の中の春麗は、何も答えない。

 

 けれど、姿は消えなかった。

 

 黒いドレスを初めて着た春麗。

 

 髪をいつものように結わず、少しだけ下ろしている春麗。

 

 目元を整えようとして、途中で手を止めた春麗。

 

 これは戦術よ、と鏡に言い聞かせていた春麗。

 

 リュウの反応を見るため。

 

 あの男の拳に何が出るかを見るため。

 

 女として見てほしいわけではない。

 

 黒が似合うと思われたいわけでもない。

 

 リュウが一瞬でも遅れれば、それを取る。

 

 それだけ。

 

 そう言い聞かせていた春麗。

 

 黒執着春麗は、鏡を睨んだ。

 

「やめて」

 

 低く言う。

 

「その顔で、黒を着ないで」

 

 鏡の中の春麗は、消えない。

 

 黒いドレス姿で立っている。

 

 強く見える。

 

 けれど、乱されている。

 

 戦えるように見える。

 

 けれど、戦う前から呼吸が少しずれている。

 

 リュウに見られることを考えて、ほんの少しだけ肩が硬い。

 

 それを隠すように、黒い裾を持ち上げて足を動かしている。

 

 動ける。

 

 踏み込める。

 

 蹴りも出せる。

 

 回転にも耐える。

 

 問題はない。

 

 問題は、身体ではない。

 

 心の方だ。

 

 黒執着春麗は、奥歯を噛む。

 

「わかっているわよ」

 

 鏡の中の春麗へ向けて言う。

 

「そんなこと、今さら見せなくても」

 

 わかっている。

 

 最初の黒は、未完成だった。

 

 黒いドレスを着ているのに、黒を引き受けきれていなかった。

 

 リュウに見られることを戦いに使おうとしているのに、見られることを怖がっていた。

 

 黒で勝ちたいのに、黒で見られる自分を認めきれていなかった。

 

 だから負けた。

 

 だから、あの黒はまだ私の黒ではなかった。

 

 そう片づけたはずだった。

 

 今日の黒は、まだ私の黒じゃない。

 

 あの夜、鏡の前でそう言った。

 

 春麗は、今もその言葉を覚えている。

 

 それで終わりだったはずだ。

 

 最初の黒は未完成。

 

 最初の黒は失敗。

 

 最初の黒は、まだ自分のものではない。

 

 だから、もっと深くした。

 

 もっと見せた。

 

 もっと裾を使った。

 

 もっとリュウの視線を奪った。

 

 もっと半拍を作った。

 

 もっと黒で届こうとした。

 

 そうしてきた。

 

 なのに。

 

 鏡の中の初回黒ドレス春麗は、消えない。

 

 消えずに、黒い裾を握っている。

 

 黒執着春麗は、息を吐いた。

 

「あなたは、使い切れなかった私でしょう」

 

 鏡の中の春麗を見る。

 

「リュウに見抜かれた私」

 

 一拍。

 

「黒を着たのに、黒から逃げていた私」

 

 胸の奥が痛む。

 

「だから、負けた」

 

 鏡の中の春麗は、何も言わない。

 

 ただ、こちらを見ている。

 

 その沈黙が腹立たしかった。

 

 否定すればいい。

 

 私は失敗ではない、と言えばいい。

 

 でも、鏡の中の春麗は何も言わない。

 

 それが余計に、過去の自分らしかった。

 


 

 空気が変わる。

 

 鏡の中の部屋が、修行場へ変わった。

 

 黒執着春麗は、息を止めた。

 

 見たくない。

 

 見なくていい。

 

 十一戦目だけでも重かったのに、初回黒ドレス戦まで見る必要はない。

 

 そう思う。

 

 けれど、もう始まっていた。

 

 黒いドレス姿の過去の春麗が、修行場に現れる。

 

 リュウが足を止める。

 

 驚く。

 

 見る。

 

 黒いドレス。

 

 下ろした髪。

 

 いつもの青ではない春麗。

 

 過去の春麗は、その視線を受けて胸を跳ねさせる。

 

 黒執着春麗は、見ているだけで腹が立った。

 

「そこで揺れないで」

 

 声は届かない。

 

 過去の春麗は笑おうとする。

 

「どうしたの、リュウ」

 

 声が少し硬い。

 

「今日は驚いた?」

 

 リュウは静かに答える。

 

「驚いた」

 

 過去の春麗が一瞬詰まりそうになる。

 

 黒執着春麗は、顔を歪めた。

 

 知っている。

 

 ここだ。

 

 リュウが正直に見た。

 

 逃げなかった。

 

 驚いたと認めた。

 

 そのうえで、目を逸らさなかった。

 

 過去の春麗は笑って言う。

 

「そう。なら、その分だけ遅れることね」

 

 リュウは首を横に振る。

 

「遅れない」

 

 黒執着春麗は、拳を握った。

 

 遅れた。

 

 確かに遅れた。

 

 あの黒い裾は効いた。

 

 リュウの目は、追った。

 

 一拍は取れた。

 

 でも、リュウは逃げなかった。

 

 見たうえで、来た。

 

 そこが、怖かった。

 

 過去の春麗は、それを蹴り飛ばすように踏み込む。

 

 黒い裾が揺れる。

 

 リュウの目が、一瞬だけそこを追う。

 

 春麗はそれを取る。

 

 掌底。

 

 浅い。

 

 回り込む。

 

 裾の揺れで視線をずらす。

 

 足の角度を隠す。

 

 青ではないリズムで入る。

 

 リュウは遅れた。

 

 ほんの一拍。

 

 春麗の蹴りがリュウの肩を打つ。

 

 リュウの身体が揺れる。

 

「遅いわ」

 

 過去の春麗が言う。

 

 しかし、その声には余裕が足りない。

 

 黒執着春麗は、その声を聞いて顔をしかめる。

 

「……本当に、下手」

 

 言った瞬間、自分の胸も痛んだ。

 

 下手。

 

 未完成。

 

 使い切れていない。

 

 そんなことは、今ならいくらでも言える。

 

 今の自分は、黒い裾の使い方を知っている。

 

 待機圧も知っている。

 

 リュウの視線をどこで止め、どこで外し、どこで踏み込むかも知っている。

 

 でも、最初の自分は知らない。

 

 知らないまま、それでも戦っている。

 

 黒を使おうとしている。

 

 リュウを遅らせようとしている。

 

 リュウに見られながら、それでも踏み込んでいる。

 

 過去の春麗は弱くない。

 

 未完成でも、強い。

 

 黒執着春麗は、それが嫌だった。

 

 失敗だったと言い切りたい。

 

 あれは私の黒ではなかったと言いたい。

 

 でも、見ればわかる。

 

 効いている。

 

 届いている。

 

 浅いが、届いている。

 

 未完成でも、黒はリュウの拳を揺らしている。

 

 リュウは黒を見ている。

 

 だが、黒だけを見ない。

 

 春麗を見る。

 

 過去の春麗が動揺する。

 

 そこが、敗因だ。

 

 リュウは言う。

 

「黒だな」

 

 過去の春麗は目を細める。

 

「見ればわかるでしょう」

 

「いや」

 

 リュウは構える。

 

「黒を着ている。でも、まだ迷っている」

 

 黒執着春麗の呼吸が止まった。

 

 過去の春麗と同じように。

 

 見抜かれた。

 

 何度見ても、そこだけは痛い。

 

 黒の技術ではない。

 

 黒い裾の揺れでもない。

 

 足の角度でもない。

 

 その奥にある、春麗自身の迷い。

 

 黒を着ているのに、黒を引き受けきれていないこと。

 

 リュウはそこを見た。

 

 過去の春麗は笑おうとする。

 

「負け惜しみにしては、ずいぶん失礼ね」

 

「負け惜しみじゃない」

 

「なら何?」

 

「お前は、その黒を全部使えていない」

 

 黒執着春麗は、歯を食いしばった。

 

 過去の春麗も、同じように震えた。

 

 その言葉は、当たっていた。

 

 だから許せなかった。

 

 リュウに言われたからではない。

 

 リュウに言われる前から、わかっていたから許せなかった。

 

 黒いドレスを着た時から。

 

 鏡の前に立った時から。

 

 見られることを考えて呼吸が乱れた時から。

 

 自分は、黒を全部使えていなかった。

 

 わかっていた。

 

 だから、見抜かれたくなかった。

 

 黒執着春麗は、低く呟く。

 

「黙っていなさいよ」

 

 過去のリュウへ。

 

 過去の自分へ。

 

 あるいは、今の自分へ。

 

「そんなこと、あなたに言われなくても」

 

 過去の春麗が踏み込む。

 

 怒りを乗せて。

 

 悔しさを乗せて。

 

 リュウの言葉を消すために。

 

 攻撃は鋭い。

 

 黒ドレス春麗は、未完成でも強い。

 

 リュウの腕に打撃が入る。

 

 肩を削る。

 

 呼吸を乱す。

 

 リュウは揺れる。

 

 けれど、揺れながら来る。

 

 黒を見ている。

 

 黒に反応している。

 

 でも、その反応を拳に変えてくる。

 

 過去の春麗が焦る。

 

 黒執着春麗には、わかる。

 

 その焦りが。

 

 黒を使っているのに、完全には遅れないリュウ。

 

 見ているのに、逸らさないリュウ。

 

 見抜いたうえで、まだ来るリュウ。

 

 それが怖い。

 

 腹立たしい。

 

 だから、過去の春麗は言う。

 

「リュウ」

 

 声が少し低い。

 

「見ているなら、最後まで見なさい」

 

 リュウは答える。

 

「見る」

 

 黒執着春麗は、その短い返事に胸を刺された。

 

 見る。

 

 リュウは、そう言った。

 

 最初から。

 

 黒ドレス初戦の時点で。

 

 リュウは黒だけでなく、春麗を見ようとしていた。

 

 今になって突然そうなったわけではない。

 

 最初から、その芽はあった。

 

 春麗は、それが怖かった。

 

 見てほしい。

 

 でも、見られるのが怖い。

 

 届いてほしい。

 

 でも、届かれたら困る。

 

 勝ちたい。

 

 でも、黒を認められないまま勝ちたい。

 

 矛盾が、黒い裾に絡む。

 

 終盤。

 

 過去の春麗はリュウを追い込む。

 

 黒い裾が大きく揺れる。

 

 リュウの視線がそこへ行く。

 

 春麗は、勝ったと思う。

 

 黒執着春麗も、当時の感覚を思い出す。

 

 勝った。

 

 今度こそ。

 

 この黒で。

 

 しかし、リュウの拳が来る。

 

 裾ではない。

 

 肩でもない。

 

 春麗の踏み込みの前。

 

 迷いが生まれた場所へ。

 

 体幹の中心。

 

 深く入る。

 

 春麗の掌底もリュウに入っていた。

 

 二人とも崩れる。

 

 リュウも倒れかける。

 

 それでも、最後に立ったのはリュウだった。

 

 過去の春麗は、片膝をつく。

 

 黒いドレスの裾が、石畳に落ちる。

 

 黒執着春麗は、目を逸らせなかった。

 

 負けた。

 

 黒で。

 

 リュウに負けた。

 

 しかも、黒を使いきれなかったと言われたうえで。

 

 リュウは肩で息をしている。

 

 勝者の余裕などない。

 

 本当にぎりぎりだった。

 

 それでも、立っている。

 

 過去の春麗は、リュウを見上げる。

 

 リュウは言う。

 

「強かった」

 

 過去の春麗は目を細める。

 

「慰め?」

 

「違う」

 

 リュウは息を整える。

 

「だが、まだ強くなる」

 

 黒執着春麗は、胸を押さえた。

 

 その言葉も、覚えている。

 

 身体の痛みより残った言葉。

 

 黒を着た自分を見られたこと。

 

 迷いを見抜かれたこと。

 

 負けたこと。

 

 それでも、まだ強くなると言われたこと。

 

 全部が混ざった。

 

 過去の春麗は片膝のまま笑う。

 

「当然でしょう」

 

 声は震えない。

 

 意地で止めている。

 

「今日の黒で、私をわかったつもりにならないことね」

 

 リュウは頷く。

 

「わかっていない」

 

「なら、次はもっと苦労するわ」

 

「そうか」

 

「そうよ」

 

 過去の春麗は立ち上がる。

 

 黒い裾についた土を払う。

 

 その手に、悔しさがこもっている。

 

 リュウは春麗を見ている。

 

 過去の春麗は、その視線を受ける。

 

 今度は、逃げなかった。

 

 逃げられなかった。

 

「次も黒で来るわ」

 

 黒執着春麗は、息を止める。

 

 始まり。

 

 ここが、始まりだった。

 

 黒を使い切れなかった。

 

 負けた。

 

 見抜かれた。

 

 それでも、捨てなかった。

 

 いや。

 

 捨てられなくなった。

 

 過去の春麗は言う。

 

「青じゃない。逃げない。今日の黒を、このまま終わらせるつもりはないもの」

 

 リュウは答える。

 

「待つ」

 

 過去の春麗は、胸を跳ねさせる。

 

 待つ。

 

 その言葉が腹立たしい。

 

「待たないで」

 

 過去の春麗は言う。

 

 黒い裾を握る。

 

「来なさい」

 

 声は低い。

 

「次は、待っているあなたごと黒で倒すわ」

 

 リュウは頷く。

 

「行く」

 

 黒執着春麗は、何も言えなかった。

 

 このやり取りが、今の自分に続いている。

 

 待つな。

 

 来い。

 

 黒で倒す。

 

 次も黒で行く。

 

 今日の黒を終わらせない。

 

 ここから、自分は始まった。

 

 黒に迷い。

 

 黒で負け。

 

 黒を見抜かれ。

 

 黒に執着し始めた。

 


 

 修行場の景色が薄れる。

 

 鏡の前に戻る。

 

 黒執着春麗は、鏡の前で立っていた。

 

 鏡の中には、今の自分が映っている。

 

 そして、その奥に、初回黒ドレス春麗が重なっている。

 

 土のついた黒い裾。

 

 リュウの拳の跡。

 

 胸に残る痛み。

 

 そして、あの言葉。

 

 お前は、その黒を全部使えていない。

 

 春麗は、鏡を睨んだ。

 

「……言われなくても、わかっていたわ」

 

 低く呟く。

 

「最初から」

 

 鏡の奥の初回黒ドレス春麗は、何も言わない。

 

「あなたは、黒を使い切れなかった」

 

 一拍。

 

「あなたは、黒で見られることを怖がった」

 

 さらに一拍。

 

「あなたは、負けた」

 

 言葉が胸に刺さる。

 

「でも」

 

 続きが、出てしまった。

 

「届いていなかったわけじゃない」

 

 春麗は、自分の口を押さえた。

 

 言ってしまった。

 

 最初の黒が届いていた。

 

 未完成でも。

 

 迷っていても。

 

 リュウに見抜かれていても。

 

 届いていた。

 

 リュウの視線を止めた。

 

 拳を遅らせた。

 

 肩を削った。

 

 片膝寸前まで追い込んだ。

 

 そして、リュウに「強かった」と言わせた。

 

 それは、ただの失敗だったのか。

 

 黒執着春麗は、すぐに否定しようとした。

 

「違う」

 

 声が震える。

 

「失敗よ」

 

 鏡を見る。

 

「あれは失敗だった」

 

 でも、続けられなかった。

 

 失敗。

 

 それはそうだ。

 

 負けたのだから。

 

 使い切れなかったのだから。

 

 見抜かれたのだから。

 

 でも。

 

 失敗だけではない。

 

 その言葉が、胸の奥に残る。

 

 黒ドレス特化救済春麗の声が、背後から聞こえた。

 

「最初の黒は、届かなかった黒ではないわ」

 

 黒執着春麗は振り向かない。

 

「来たのね」

 

「ええ」

 

「呼んでいない」

 

「ええ」

 

「今日は、特に呼んでいない」

 

「ええ」

 

「なら帰って」

 

「まだ一言だけ」

 

「いらない」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに言った。

 

「使い切れなかった黒でも、使おうとした黒ではあった」

 

 黒執着春麗は、息を止めた。

 

 言葉が深く入った。

 

 使い切れなかった黒。

 

 でも、使おうとした黒。

 

 黒いドレスに迷いながらも。

 

 見られることを怖がりながらも。

 

 リュウの視線に揺れながらも。

 

 あの春麗は、黒で戦おうとした。

 

 リュウを遅らせようとした。

 

 リュウに届こうとした。

 

「……うるさい」

 

 春麗は低く言う。

 

「そんな言い方をしないで」

 

「なぜ?」

 

「あの黒を、許さなければならなくなる」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、すぐには答えなかった。

 

 黒執着春麗は、鏡を睨む。

 

「私は、あの黒を許せない」

 

「ええ」

 

「見られることを怖がった私を許せない」

 

「ええ」

 

「リュウに見抜かれた私を許せない」

 

「ええ」

 

「黒を着たのに、黒を全部使えなかった私を許せない」

 

「ええ」

 

「だから、あの黒はまだ私の黒じゃない」

 

「そう言ったのね」

 

「ええ」

 

 黒執着春麗は、黒い袖を握る。

 

「そう言わなければ、次へ行けなかった」

 

 沈黙。

 

 その言葉は、自分でも予想していなかった。

 

 そう言わなければ、次へ行けなかった。

 

 今日の黒は、まだ私の黒じゃない。

 

 それは、失敗を切り捨てる言葉だった。

 

 同時に、次へ行くための言葉だった。

 

 あの黒はまだ完成していない。

 

 だから次も黒で行く。

 

 だからもっと深くする。

 

 だからリュウを倒す。

 

 そのために、最初の黒を置いてきた。

 

 黒執着春麗は、胸を押さえる。

 

「……違う」

 

 否定しようとする。

 

「私は、置いてきたんじゃない」

 

 でも、言葉は続かない。

 

 黒ドレス特化救済春麗が静かに言う。

 

「まだ持てないのね」

 

「持たない」

 

「ええ」

 

「最初の黒は、まだ持たない」

 

「ええ」

 

「十一戦目もまだ持っていない」

 

「ええ」

 

「昨日の黒だけでいい」

 

「ええ」

 

「だから」

 

 黒執着春麗は、鏡の中の初回黒ドレス春麗を睨む。

 

「あの黒は、まだ無理」

 

 黒ドレス特化救済春麗は頷いた。

 

「それでいいわ」

 

「また、それ」

 

「ええ」

 

「本当に嫌い」

 

「ええ」

 

「でも」

 

 春麗は、黒い布に触れる。

 

「最初の黒を、ただの失敗だったとは」

 

 一拍。

 

「……今日は、言わない」

 

 黒ドレス特化救済春麗の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「それで十分よ」

 

「十分じゃない」

 

「今は十分」

 

「その言い方、嫌い」

 

「知っているわ」

 

 鏡の中の初回黒ドレス春麗が、少しだけ薄れていく。

 

 土のついた裾も。

 

 硬い笑みも。

 

 見られることを怖がった目も。

 

 消えていく。

 

 完全には消えない。

 

 けれど、今は遠くなる。

 

 黒執着春麗は、目を伏せた。

 

「最初の黒は、まだ持たない」

 

 小さく言う。

 

「でも、捨てたことにはしない」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに頷いた。

 

「ええ」

 

「十一戦目も、まだ無理」

 

「ええ」

 

「最初の黒も、まだ無理」

 

「ええ」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「あれも、私がリュウに届こうとした黒だった」

 

 言ってしまった。

 

 黒執着春麗は、すぐに顔を歪める。

 

「……今日はそれ以上言わない」

 

「ええ」

 

「言わせないで」

 

「言わせないわ」

 

 黒ドレス特化救済春麗は、静かに後ろへ下がった。

 

 夢なのか。

 

 残響なのか。

 

 鏡の中なのか。

 

 境目は曖昧だった。

 

 ただ、彼女の声だけが残る。

 

「最初の黒を、失敗だけにしないこと」

 

 黒執着春麗は、低く答えた。

 

「まだ、持たない」

 

「ええ」

 

「でも、捨てない」

 

「ええ」

 

 黒ドレス特化救済春麗の姿が消えた。

 


 

 朝。

 

 黒執着春麗は、目を覚ました。

 

 鏡の前ではなかった。

 

 自分の部屋。

 

 黒ドレスは、いつもの場所にある。

 

 朝の光が、黒い布に落ちている。

 

 春麗は、しばらく動かなかった。

 

 十一戦目。

 

 黒を着る前の敗北。

 

 そして、最初の黒ドレス戦。

 

 黒を着て、迷い、見られ、見抜かれ、負けた敗北。

 

 どちらも、まだ持てない。

 

 昨日の黒だけでいい。

 

 昨日の半拍だけでいい。

 

 昨日の負けだけでいい。

 

 それでも。

 

 十一戦目を見てしまった。

 

 最初の黒も見てしまった。

 

 もう、ただの失敗とは言えなくなった。

 

 春麗は起き上がる。

 

 黒ドレスに触れる。

 

 昨日より、手が止まる。

 

 止まる理由が、また増えた。

 

 黒を着る前の自分。

 

 最初に黒を着た自分。

 

 使い切れなかった自分。

 

 それでも、リュウに届こうとした自分。

 

「……本当に」

 

 春麗は、黒い袖を持ち上げた。

 

「余計なものばかり戻ってくるわね」

 

 声は苦い。

 

 けれど、捨てる声ではなかった。

 

「昨日の黒は持って行く」

 

 一拍。

 

「十一戦目は、まだ持たない」

 

 さらに一拍。

 

「最初の黒も、まだ持たない」

 

 黒い袖を整える。

 

「でも」

 

 言いたくない。

 

 言いたくないのに、言葉は出る。

 

「捨てたことにはしない」

 

 黒いドレスに袖を通す。

 

 今日は、少し重い。

 

 昨日の黒に加えて、十一戦目と最初の黒の影が、胸の奥にある。

 

 でも、春麗は立った。

 

 握りしめずに。

 

 縋らずに。

 

 ただ、黒い袖を持つように整える。

 

「次は、まだ勝つためよ」

 

 鏡に向かって言う。

 

「救われるためじゃない」

 

 一拍。

 

「でも、あの最初の黒を塗り潰すためだけでもない」

 

 その言葉に、春麗は自分で少し驚いた。

 

 塗り潰すためだけではない。

 

 かつて自分は言った。

 

 あなたが見た今日の黒を、私が塗り潰す。

 

 でも今は、その言葉だけでは足りない。

 

 塗り潰したら、あの最初の黒は消えてしまう。

 

 使い切れなかった自分も。

 

 見られることを怖がった自分も。

 

 それでも、黒でリュウに届こうとした自分も。

 

 全部、消えてしまう。

 

 それは、まだできない。

 

 いや。

 

 できなくなった。

 

「……本当に、面倒」

 

 春麗は苦く笑う。

 

 鏡の中には、今の黒ドレス春麗がいる。

 

 その奥に、まだ少しだけ初回黒ドレス春麗がいる。

 

 許せない。

 

 まだ持てない。

 

 でも、捨てられない。

 

 それだけを胸に置いて。

 

 黒執着春麗は、朝へ立った。

 




Q:今回の妄想章IFについて解説して?

A:

はい。今回の 「黒執着春麗は、最初の黒ドレスをまだ許せない」 は、黒執着春麗救済ルートの中で、かなり重要な “黒の原点”再確認回 です。

一言で言うなら、

黒執着春麗が、初回黒ドレス戦を“ただの失敗”として切り捨てようとしていたのに、実はその未完成な黒もリュウに届こうとしていた黒だったと見てしまう回

です。

今回の核は、

最初の黒は未完成だった。
でも、失敗だけではなかった。
使い切れなかった黒でも、使おうとした黒ではあった。

です。

今回の一番大きな進行

前回、黒執着春麗は十一戦目を見ました。

そこで、

黒がすべての始まりではなかった。
黒を必要にした私は、もう十一戦目にいた。

というところまで見てしまいました。

今回、その次に戻ってきたのが、初回黒ドレス戦です。

ここは黒執着春麗にとって非常に痛い場所です。

なぜなら、初回黒ドレス戦は、彼女にとって、

黒を着たのに、黒を使い切れなかった敗北

だからです。

黒い裾は効いた。
リュウの視線は止まった。
踏み込みは遅れた。
黒は届きかけた。

でも、リュウに見抜かれた。

お前は、その黒を全部使えていない。

この言葉が、今回の中心です。

黒執着春麗は、これを一番許せていません。

「最初の黒は失敗だった」と言いたい春麗

今回の黒執着春麗は、最初の黒ドレス戦をこう整理しようとします。

最初の黒は未完成。
最初の黒は失敗。
最初の黒は、まだ自分のものではない。

だから、あの黒は捨ててもいい。
あの黒は塗り潰していい。
あの黒は、今の自分の黒ではない。

そう思っていたわけです。

これは過去の、

今日の黒は、まだ私の黒じゃない
あなたが見た今日の黒を、私が塗り潰す

と綺麗につながっています。

黒執着春麗は、最初の黒を「まだ私の黒ではない」と切り離したからこそ、次へ進めた。

でも今回、その切り離し方にひびが入りました。

「届いていなかったわけじゃない」が大きい

今回、黒執着春麗は言ってしまいます。

届いていなかったわけじゃない。

これは非常に大きいです。

初回黒ドレス戦は、負けました。

黒を使い切れなかった。
見られることを怖がった。
リュウに迷いを見抜かれた。
最後にギリギリで負けた。

でも、届いていなかったわけではない。

黒い裾はリュウの視線を止めた。
リュウの拳を一拍遅らせた。
リュウの肩を削った。
リュウを片膝寸前まで追い込んだ。
リュウに「強かった」と言わせた。

つまり、最初の黒は失敗ではあるけれど、失敗だけではない。

ここが今回の進行です。

黒ドレス特化救済春麗の一言が効いている

今回、黒ドレス特化救済春麗はあまり説明しません。

重要な一言だけ置きます。

使い切れなかった黒でも、使おうとした黒ではあった。

これは非常に良いです。

黒執着春麗にとって、最初の黒は「使い切れなかった黒」です。

だから許せない。
だから恥ずかしい。
だから捨てたい。
だから塗り潰したい。

でも、黒ドレス特化救済春麗は、それを少しだけずらします。

使い切れなかった。
でも、使おうとした。

この違いが大事です。

最初の黒ドレス春麗は、確かに迷っていた。
でも逃げていただけではない。
リュウに見られることを怖がりながらも、黒で戦おうとしていた。
黒い裾を使い、リュウを遅らせ、届こうとしていた。

だから、ただの失敗ではない。

「許せない」が今回の正しい反応

今回、黒執着春麗は最初の黒をまだ許しません。

これは正しいです。

ここでいきなり、

あの最初の黒も私のものだった

と言ってしまうと早すぎます。

今の黒執着春麗が持てているのは、まだ「昨日の黒」だけです。
十一戦目もまだ持てていません。
初回黒ドレス戦も、当然まだ持てない。

だから今回の到達点は、

最初の黒を許すことではない。
最初の黒を失敗だけとして捨てられなくなること。

ここです。

この距離感がかなり丁寧です。

「塗り潰すためだけではない」が大きい

ラスト付近で、黒執着春麗はこう言います。

次は、まだ勝つためよ。
救われるためじゃない。
でも、あの最初の黒を塗り潰すためだけでもない。

ここは非常に重要です。

過去の黒執着春麗は、最初の黒を塗り潰そうとしていました。

未完成だった黒。
見られることを怖がった黒。
リュウに見抜かれた黒。
負けた黒。

それを、次の黒で上書きしようとしていた。

でも今回、そこが変わりました。

最初の黒を塗り潰してしまうと、あの時の春麗も消えてしまう。

使い切れなかった春麗。
見られることを怖がった春麗。
それでも黒でリュウに届こうとした春麗。

その全部を消してしまうことになる。

だから、もう塗り潰すだけでは足りない。

これは大きな変化です。

今回の到達点

今回の到達点は、最後のこの整理です。

最初の黒は、まだ持たない。
でも、捨てたことにはしない。

これです。

前回の十一戦目と対になっています。

前回は、

十一戦目はまだ持たない。
でも、見てしまった。
黒の前から終われなかった自分がいた。

今回 は、

最初の黒はまだ持たない。
でも、捨てたことにはしない。
あれも、リュウに届こうとした黒だった。

ここまで進みました。

救済としてはまだ途中です。

でも、過去の黒を完全に切り捨てられなくなった。

これは黒返却ルートとして、かなり大きな段階です。

この回の役割

この回の役割は三つあります。

一つ目。

初回黒ドレス戦を“未完成だが強かった黒”として再定義すること。

あの黒は失敗ではある。
でも、弱かったわけではない。
届いていなかったわけでもない。

二つ目。

黒執着春麗が、最初の黒を塗り潰すだけでは進めなくなること。

過去を燃料にするだけではなく、過去を持つ方向へ進み始めています。

三つ目。

今後の“負け続けた黒”を見直す土台を作ること。

十一戦目。
初回黒ドレス戦。
ここまで見たことで、次は繰り返したギリギリ敗北群へ進めます。

次は、黒執着春麗が何度も負けた黒を、

全部同じ失敗だったのか。
それとも、一つ一つ違う黒だったのか。

を見る段階になります。

結論

今回のエピソードは、黒執着春麗救済ルートにおける 初回黒ドレス戦の再解釈回 です。

一言でまとめるなら、

黒執着春麗は、最初の黒ドレス戦を“黒を使い切れなかった失敗”として切り捨てようとしていた。けれど、鏡の中で過去を見直し、それが未完成でも、迷っていても、リュウに届こうとした黒だったと見てしまう。だから、まだ持てないが、ただの失敗として捨てることもできなくなる回

です。

黒執着春麗はまだ救われていません。
最初の黒もまだ許せていません。
十一戦目もまだ持てていません。

でも、もう切り捨てられません。

昨日の黒は持てた。
十一戦目は見てしまった。
最初の黒は捨てられなくなった。

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